10/03/06 22:22:19 d/rdxKH2
>>160 ID:JeMC7S0E さん
それで>>173の後で、当初の>>50または>>55の1.2.に対して回答ないしコメント
をお願いします。
そこでの疑問は、要するに、こうしたあなたの言っている「内的意味」なる象徴学
を聖書全編に渡って、創世記から行なっていて、絶対的に意味する象徴で貫かれて
いる構成を取ってまで、形而上学的ないし心理学的な人間精神の構造論あるいは
メカニズム論を含ませて記述していたという、その方法論を選択すべき必要性に
ついて、そのような「ある意味わかりにくいやり方」「まわりくどい仕方」を取った理由
は何であるのか、です。
そういうことであれば、そういうことであるように、直截に記述しておけば、もっと
はっきりと受け取ることができて、精神医学的応用もすぐに利いて返ってわかり安
かったのでは?インドではバラモン教ではブラフマンとアートマンなど人間の精神や
意識の構造論などは初めからあって、仏教でも唯識論として出来上がりました。
古代人でもそのようなことの認識は可能であったのではないでしょうか。それを
わざわざわかりにくく象徴にして地名だとか鳥や獣であるとかのめんどうな名詞に
置き換えて意味を持たせてまで記述する必要性は本当にあったのか?ということ
です。