キリスト教@質問箱213at PSY
キリスト教@質問箱213 - 暇つぶし2ch160:神も仏も名無しさん
10/03/06 21:06:27 JeMC7S0E
>>104
Q:この>>96を見ると、6:3「人の齢は120年にしよう」になるように、だんだん
と寿命が120年に近づいて行ったようになっている。

A:地上にネフィリムが現れ、聖なるもの、真理なるものすべて、無価値なものと
してしまいました。これでは、もう教会は存続できません。
したがって、:「人の一生は120年となった」(創世記6.3)とは、人の信仰には、
信仰の残果が必要であるという意味です。

文字上で考える人は、年の数は現世的意味しかありませんが、(みことば)に出てくる
数字は、あるものの状態を表しているにすぎません。
なぜなら、霊界には、この世のような空間や時間の概念がありません。
その代わり、愛、生命、英知、情愛、それから生じる喜びなどの状態があります。
霊的概念とは、空間や時間から抽象するのではなく、すべて状態から抽象します。
聖書にある、内的意味は、その霊的概念からくる霊的意味からしか理解が出来ません。

「百二十」が、何を意味するかは、ただ、十と十二の数からしか分かりません。
十の数は、「第十番目」も含めて、主に内部人間の中に蓄積保存された残果を意味・表象します。
つまり、十は、天的なもの、それに由来する霊的なものの残り物を意味します。
「十二」という数は、信仰を意味します。
イザヤ書を見ると、
「十ツェメドのぶどう畑に一パトの収穫、一ホメルの種に一エフェの実りしかない」(5,10)
と、富める者の横暴が記されていますが、これは霊的・天的なものが荒廃したことを表します。
「十反のぶどう畑も、一パテしか未を結ばない」とは、それほどわずかしか、霊的な残果が
ないという意味です。






次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch