10/03/07 15:19:02 yk+xwGAD
初座禅時 心そ(そ→文字:鹿を三角に配置する)乱故 応当止修 以除破之 止若不破 即応修観
(天台小止観)
最初に座禅をするとき、心はあらく乱れがちなものである。だからまず止を修してこれを除くことに努力しなけれ
ばならない。そして、止(奢摩他〔多念念仏〕)を修してみてもどうしてもだめなときには、観(毘婆舎那〔一念念仏〕)
を修してみるとよい。 (関口真大 訳)
(親鸞は天台の僧なのだ。極楽浄土のすばらしさを体得し、親鸞の理想に共鳴した者た者は外に出よう。)示応
化身とは、『法華経』の普門示現の類のごときなり。(新たな念仏道場を開拓しよう)(証の巻)
(念仏道場は、)このゆへに穢土をもて(親鸞聖人の理想の)淨土に准じ(なぞらえ)、私宅をもて(極楽浄土の
蓮華蔵世界の)道場に擬して、本尊を安ずる淨場とし、(一念・多念の)念佛をつとむる會座とするなり。 ~ (道
場のある現実の場所は浄土ではなく)穢土なれども(理想の)淨刹に准じ(ならって)て(そこを)道場といふなり。
~ 誠心をぬきんでて道場をかまへ、同行を會して(一念・多念の称名)念佛を行ずべきなり。
(至道抄 存覚)