10/03/07 12:15:44 yk+xwGAD
若し毘婆舎那(一念念仏)がよく煩悩を破すなら、なにがゆえぞまた奢摩他(多念念仏)を修
するや。 ~ 毘婆舎那(一念念仏)煩悩を破せば、獨りよく破すとやせん。伴にこと
さらに破すとや (大般涅槃經要文)。
一念念仏は効果的に煩悩の問題を解決するなら、どうして多念念仏も実践しなさいと勧めるの
ですか。一念念仏は煩悩を破るが、それは一念念仏単独ではない。多念念仏と協働して破るので
ある。
宗教で大事なことは能書きではない。救われます救われますという能書きはいらないのだ。要
は結果である。結果が出たかどうか(過去形)で判断して欲しい。
結果は実践してみないとわからん。日本の仏教は徳川が天下統一したとき、天下統一の邪魔者
として根こそぎ破壊されてしまった。痕跡は至る所にある。以後四百年間、仏教は外道化して固
定化した。
親鸞が狙いとしている大問題は明らかだ。親鸞の方法論でそれが本当に解決するか、理想が実
現するか、もう一度試す必要がある。
騙されたつもりで親鸞が言っていることをそのまま実験してみるといい。評価は、その効果を
見極め、過去形で言って欲しいものだ。