10/03/16 11:53:38 BiKe7bY2
>>652
>>何らかの物が実在するか否か、の話をしています。
>このお題を解く鍵が隠されておるからです。
机師の仰りたいことは分るが、「の話をしています」のところは、単なる表題
です。無視されてもよろしい。私は、「人間の生命維持の姿」を描写している
だけ。
自分に向って飛んでくる何らかの物体を知覚した時、人間は反射的に避けますね。
そこに微塵でも思考が介入しますか。
そもそも、「思考してはいけない」というのが「思考」です。「対立」「勝義諦」
なども然り。師のその書き込みの中にも、多数の「思考」がある。
我々の生活において、「知覚できる物」を「実在」とし、「知覚できない物」を
空想・妄想として生存している。禅宗のお坊さんでも、飯を食うとき、「この
飯は、果たして実在か」などと思考されますか。
人類は、その発生以来、知覚できる対象を実在、知覚できない対象を非実在と
して生存してきた。さもなければ生存は一瞬も不可能です。目に見える床を
実在とし、目に見えない壁は非実在としなければ、人間は部屋の中で身動き
も出来ない。勿論路上も歩けない。こちらに向ってくる車が「非実在」と
「思考」すれば、一発で即死です。
この生来的な純粋感覚が、人為的に植え付けられた「思考」「観念」によって
変容・破壊されたのが、まさに宗教者の姿です。キリスト教徒は「知覚できな
い神が実在する」と「信じ込まされて」、そのために命まで捨てていますね。