10/03/16 00:25:46 /BFc9IxO
>>615
>ここでは、対象の種類は何であれ、何らかの物が実在するか否か、の話をしています。
>五感の知覚による実在判断には、思考の介入を要しません。
五感には「判断」という思考(意識作用)はありません。
>「目の前にパソコンが存在する」とは、人間の五感で知覚するからです。
>しかし、あくまで「人間の生命の機能としての知覚」ですから、
>人間にとっては「人間の生命を離れた絶対的存在」など在り得ないのです。
>あくまで人間の生命による仮設ですが、人間にとっては、それが唯一の「現実」なのです。
つまり、貴方が連呼している「実在」の意味はこれですか。
確かに、推論などの抽象的思考行為や、空想等を比較基準にすれば確実だと思います。
「人間の生命」を「認識行為」(現象学的には超越論的領野、唯識的には転識・識転変)
と代えれば、概ね賛同出来ます。
だが、これだと「人間の生命」という主観的実体に縁って認識内容が一方的に決定され得るし、
(つまり、自生見ですけど) そうであれば何故、認識内容を任意に出来無いのか不明となりませんか?
だから、「人間の生命を離れた絶対的存在」としての世界が「人間の生命」に依存せずに存在する、
と批判者はやると思うのですけど。この辺りどうでしょう?