10/03/15 19:45:20 nyZD0OgT
>>613
>人間が「存在」と認識するには、それ以前の学習効果ですが、
>人間は殆どこれに依存します。
ここでは、対象の種類は何であれ、何らかの物が実在するか否か、の話をして
います。五感の知覚による実在判断には、思考の介入を要しません。すべての
動物は、生まれた瞬間から、何らの学習も必要とせず、物の実在・非実在を判
断して、生存に努めます。知覚した実在の種類が何であるかは、共同体の共通
認識による(同様な形態と性質のものをひとまとめにする)、後天的な学習の
結果です。
人間が存在を語る以上、存在とは「人間にとっての存在」です。人間の発生以前
には、「人間にとっての存在」は在り得ません。
「目の前にパソコンが存在する」とは、人間の五感で知覚するからです。しかし、
あくまで「人間の生命の機能としての知覚」ですから、人間にとっては「人間
の生命を離れた絶対的存在」など在り得ないのです。あくまで人間の生命による
仮設ですが、人間にとっては、それが唯一の「現実」なのです。これが「空即是色」
の意味だと思います。仮設だが、人間にとっては唯一の現実。従って、空と色とは
同一の比重・等価なのです。まさに「色不異空・空不異色」です。般若心経には、
「空」と「色」とのどちらを優先するかについては、一切書かれておりません。
「無もまた無」としています。
禅とは、宗教を含む、後天的に植え付けられた人為的観念を一切去り、原初的な
知覚、即ち生命そのものに立ち帰る営みであると、理解しています。