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これすなわち到らざる。~ 毘婆舎那、煩悩を破せん、獨りよく破すとやせん。伴にことさらに破すとや。
(大般涅槃經要文 愚禿親鸞集 親鸞真筆 専修寺蔵)
不可抗力、正当防衛、緊急避難、詐欺、錯誤。
智慧というのは不可抗力から錯誤までのこういう不幸を回避させてくれる働きがある。智慧は、物事の本質に深く分け入っ
て問題の核心に触れる。かゆいところに手が届く。智慧以外の手段では核心に到達することができないとき、智慧があって
始めて到達する。物事の本質に、それでも智慧が到達することがなかったなら、それはその人が未熟だからである。普通の
人であれば、効果的にこうした不幸を打破できるようになる。
打破できるとすれば、それは毘婆舎那(禅定)によって瞬間的に打破する(頓悟)。いったんものごとの本質に到達すれば、
その後、二回も三回も繰り返すと言うことはない。つまり、その後に到達することはない。
毘婆舎那(一念念仏)は煩悩を単独で破るのではない。奢摩他(多念念仏〔五会念仏〕)と協働して一瞬に煩悩を破す。不
可抗力、正当防衛、緊急避難、詐欺、錯誤、智慧という不幸を回避する。親鸞は、こうして奢摩他(多念念仏)と毘婆舎那
(一念念仏)とを人々に勧めている。(大般涅槃經要文 愚禿親鸞集 親鸞真筆 専修寺蔵)
もし一切の業で定んで果を得んとすれば、すなわち聖道を求めて修習すべからず。もし道を修せずば、すなわち解脱なし。
一切の聖人が道を修するゆえんは、定業を壊して輕報を得るがゆえなり。不定の業は果報が無きゆえなり。もし一切の業で
定んで果を得んとすれば、すなわち聖道を求めて修習すべからず。 ~ 解脱を得、涅槃を得ずば、またこの處(こと)はりあ
ること無けん。善男子よ、もし、一切の業で定んで果をえれば、一世の所作、純善の業は、まさにながくすでに常に安樂を受く
べし。一世所作、慇重の惡業は、またながくすでに大苦悩の業果を受けるべし。若し爾らばすなわち ~ 修道し解脱する涅
槃の人はなからん。(大般涅槃經要文 愚禿親鸞集 親鸞真筆 専修寺蔵)
善因善果、悪因悪果だから、聖道の道を歩んで必ず結果を出そう。もしそのように考えるなら、聖道の道などは捨ててしま
いなさい。しかし、道を修行していかなければ、決して解脱はない。