10/03/14 13:33:01 7rNodDQd
で、>>408>>451を踏まえた所で、
(代表的な例は「歴史的釈尊」「歴史上実在した人物」という言表になるがw)、
ある事象について「○○は実在する・した」と言われた時、
縁起馬鹿からは「それは縁起が解っていない。実在するものなどない」(→Aの領域で考えてはならない)
と指摘が入るわけだが、
発話者は、「いやいや、Aについて言っているんじゃなくてB2についての話なんだが・・」と返す。
縁馬「だから、それは『実在』(A)じゃない」。 対論者「いやいや『実在』(B2)だろ?」。
縁馬「だから、B2も実在じゃない」。 対者「いやいや、B2を『実在』と言わなかったら何を実在と言うんだい?」。
縁馬「Aの領域が実在であり、他は(縁起する)仮設された存在であり(幻・妄想の如きであり)、縁起しないとされるAも妄想」。
対者「縁起して存在しようが、仮設のものだろうが、『事象としてある・あった』という点では
(物質(≒色rUpa)も絡むし)『実在』だろ?幻・妄想ではないだろ?」
縁馬「いや、それは縁起が解っていない。縁起するものは『実在』ではない。縁起してあるものを幻・妄想の如きものと言う」
対者「一般的に言われる「観念・妄想」との違いは?」
縁馬「違いはない。縁起するという点で、全ては一味」
対者「なるほど。『実在』の語義範囲が違っていたわけね。(一般的に)『存在する』という意味ではアリなのね」
縁馬「そう。世俗の言語慣習で「ある・あった。いる・いた」とは表現するけれども、実在するわけではない。
『存在する』という言表も、縁起してあることを忘れて『そこに(固定的に、個物的に)ある』と言ってはいけない」
対者「・・・了解。 ・・・・・・。(今一スッキリしないな・・・)」
ってな感じだったわけだw
御隠居はもとより一般の人にとっては、
>>451の縦真ん中の視線を理解できるかどうかがカギなわけだ。
で、御隠居には無理なんだろうけど・・・w