10/03/14 12:53:40 7rNodDQd
>>408に番号を振ってみる。
一般的指示語 仏教 一般常識或いは御隠居
A1 実在 実在(不可知) …転倒妄想 実在(不可知)
A2 実在 実在(不可知) …転倒妄想 実在(不可知)
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B1 存在一般 ― ・・・・・・・・・・・・・・・→ 存在一般
B2 存在・実在 〔仮設存在〕 … 色(rUpa) .実在
B3 存在 .〔仮設存在〕 … 名(nAma) .存在
B4 存在(・非実在) 存在一般 ・・・・→ 名色(nAmarUpa) ―
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C 存在・非実在 〔仮設存在〕・概念 … 名(nAma) 非実在
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D 存在・非実在 〔仮設存在〕・概念 … 名(nAma) 非実在
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E 存在・非実在 〔仮設存在〕・概念 … 名(nAma) 非実在 …観念・妄想
そして、(ここが重要な点の一つだが)、
縁起馬鹿のスタンスに於いては(≒伝統的仏教に於いては)、《「B2」「B3」は「B4」に包含され》、
世俗の一般常識(一般的認識)に於いては、《「B2」「B3」は「B1」に包含され》る、ということ。
そして、「実在」という語で指示される領域は、《上段の━━線より上》であり、
縁起馬鹿のスタンスに於いて(≒伝統的仏教に於いて)と、世俗の一般常識(一般的認識)とでは、
その位置に大きな違いがあるということ。仏教に於いては《下段の━━線は無い》ということ。
つまり、Bでカテゴライズされる領域への視線のとり方が、齟齬の原因であり、
仏教を仏教足らしめる(≒縁起をその中心思想とすること)点だということ。