10/03/12 14:14:22 a/qLQVAc
これが、1回きりのこと、或いは偶にみられることならば、
「極端な謂い」「禅的装いの強調」として見れないこともない。
だが、しょっちゅう・毎回ともなると聊か眉をしかめざるを得ない。
別に難しいことじゃない。
「道元は○○と言ってない(正法眼蔵には書かれていない)」ということを、
(個人の)【解釈として、読み方として】言うのはアリだ。そのこと自体が否定・批判されるのではない。
「ここに○○と書いてあるけど?」という発言への応えとして、読み方を提示するのもアリだ。
で、その時には『そこには○○と書いてあるけれども、読み方としては違うことを言っている』
という言い方をすれば済むことだ。
それを、「○○と言っていない・書いていない」という発言を置き去りにして、
【あたかもそんな発言はしていない】かの如き言辞を重ねるから批判されるわけで・・。
『書いてあるけれども、こう読むんだ』というレスで済むわけで・・。
それをせずに(「書いてある」という事象を「書いていない」と発言したことを等閑視して)、解釈のみを述べ立てるから、
『知らずに発言したんじゃないか?』と勘繰られるわけだ。
禅的言辞は確かにかっこいい。
だが、濫用すると自分の身を切ることになる。
(掲示板という特性も含め)、この辺の注意・自覚が机には足りないように思える。
>>344
仰る通りでござんすw
ちょうど、書き込む前後の時間、厄介ごとの対応のタイミングだったんでね。
修行が出来てないもんで、精神的に不安定になる時もあるさw