10/03/12 12:17:33 mK/nfy7r
>>242
親鸞を歴史上の一人物として捉えるという見方は正当でしょう。歴史上の一人物として捉える
なら、それは客観的資料に基づかなければならない。
親鸞という人は、当時の周囲の支持者を除くと、天皇とか将軍とか貴族などと比べれば、圧倒
的に資料が少ない。残存資料は、ほとんど全て彼の支持者が温存してきたものだ。親鸞の支
持者が親鸞を悪く評価するはずはなく、残存する資料はほとんど全て、親鸞の高い評価につな
がるものばかりです。
その中で、親鸞の評価にマイナスに働く資料があれば、確かにこれは歴史学的に一級の資料
になる。しかしそのようなものはほとんど無く、マイナスに働く資料は、よく精査すると、やはりプ
ラスに働くというのがほとんどでしょう。彼の支持者が、親鸞を悪くいうはずはない。
貴方は、親鸞をマイナスに評価しようしているようです。評価するためには客観的資料がなけ
れば説得力がない。残存するマイナスの評価資料も、実はどんでん返ししてプラスの評価の根
拠になる可能性が高い。
マイナスに評価しようして自分が出した資料を否定された場合、貴方は相手からの反撃に尊
敬と礼儀を持って接することができますか?
〔あなたは、親鸞を批判できますか。できなければ「盲目的な個人崇拝」に過ぎません。悔し
かったら挑戦してみなさい。《渡海難は親鸞を批判できるはずがありません。なぜなら、渡海難
は「盲目的な個人崇拝」しているだけだ。》〕
渡海難を一方的に決めつけるこのような先入観を出発点としてきているあなたに、自由な考えがで
きるとは思えない。渡海難は「盲目的な個人崇拝」しているという主張の根拠が崩れた場合、貴
方は、2ちゃんねるのなかでその現実を受け入れられますか?できなければ「貴方は盲目的な
自己陶酔」に過ぎません。
僕は親鸞を「盲目的な個人崇拝」などしていないし、親鸞の主張はいつも批判的に聞いていこ
うと心がけていますよ。貴方が僕を「盲目的な個人崇拝」というなら、貴方自身、その自分の意見
が否定された場合、受け入れる素地があるかどうか、それを検討してから再度質問をしてくださ
い。