☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート26at PSY
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート26 - 暇つぶし2ch320:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/12 09:03:18 YotHnv0f
>>318
貴殿は坊主かと思うけど、若いようだし
これからだよ^m^

321:神も仏も名無しさん
10/03/12 09:25:19 iuLaMC1z
>>317
「仏法にあらず」といくら言ってみても、「仏法とは何か」の前提が
なければ無意味。

仏典執着は見苦しい。「自灯明」はどこへ行ったのか。

322:神も仏も名無しさん
10/03/12 09:28:15 7B8CJtH1
>>319
やっぱ、詭弁か。机には「二面性があって、この二面性を把握して」「㌧」にはなってるけどな。

「正法眼蔵には二面性があって」もなにも、ついさっきお前がこういったばっかりだけど、
これはどういう意味なんだ。

>>316
>貴殿は坊主ですか?
>道元は「これが仏教で」「これが仏教ではない」などと
>正法眼蔵にはひと言も書いておりません。
>つうか、それが南宗禅の特徴です。

「正法眼蔵には二面性があって」世俗だと<「これが仏教で」「これが仏教ではない」などと>書いているけど、
机の勝義の心で読むと<「これが仏教で」「これが仏教ではない」などと正法眼蔵にはひと言も書いておりません>とでも読めるとでも言うのかw

間違いなく、お前がホラ吹きなだけだよ。
こうやってお前とか、生命教は間違いが認められない妄想狂だから、
相手にされないわけだ。オイラが憎いからってチベットまで憎むなよ。
オイラもチベットも空だぞ。空って言葉は好きなんだろ。
意味は分かってないけどな。

323:神も仏も名無しさん
10/03/12 09:43:23 L3Cn/buD
>>322
「空」とは、開祖も、教祖も、教典も「無自性」だから、「執着するな」と
いうこと。

よって、「執着は、仏法にあらず」。

324:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/12 09:45:05 YotHnv0f
>>322
>机の勝義の心で読むと<「これが仏教で」「これが仏教ではない」
>などと正法眼蔵にはひと言も書いておりません>とでも

正法眼蔵には、三時否定が書かれてあったり・・・
また、三時業が書かれてあったり・・・
一貫性はありませんです。
これを私は「二面性」と言っております。

ではこの両者はどちらが正解か?って言いますと、
これはどちらも正解です。
このベクトルで、
>「これが仏教で」「これが仏教ではない」
を解されたら宜しいかと思いますね。

なおいっそうの精進を期待申しあげます。

325:神も仏も名無しさん
10/03/12 10:03:05 7B8CJtH1
>>323
じゃ、生命にも執着するなよ。無自性なんだろ

>>324
ただただお前が読めてない、分かってないだけのこと。
しかも、読んでもないのが今回ハッキリしたし。


326:神も仏も名無しさん
10/03/12 10:29:23 a/qLQVAc
>>324
少なくとも

>正法眼蔵にはひと言も書いておりません

ってのは「嘘」だったわけだなwww



お前も御隠居と一緒に死ねよ。

327:神も仏も名無しさん
10/03/12 12:11:19 pEg1Y6Tx
>>311 まずは、丁寧なレスに乙。

チベット仏教が各種別れ、ピンきりであることは、分かった。
どうやら、ドクター中松の授位も無根拠のことでは、ないみたいだね。

「化身の認定」というのが、あったが、その基準を「凡夫には計り知れない
深遠なもの」とすると、はっきり言って外部からは、非常に「胡散臭い」
もののように映るんだがな。例えば、この世で、それこそ悪行のかぎりを
つくしたような人物をもって、「実は彼は、凡夫には分からないだろうが化身
なのだよ。」とトップの者が認定してしまえば、「聖なる化身」となってしまう
わけだ。この世における行為は関係なしってことだよな?
すると、その宗派にとって益のあるものを「化身認定」することも考えられる。
今回のドクター中松の件は、(俺の推測だが)ゲルク派のトップが、
ドクター中松を「数多くの発明をなし、世界的に著名な科学者、発明家」である
と誤認したのではないかと思うが?
また、仮に事実、立派な人物であったとしても、その宗派の仏教に何の関係もなく
修行経験も全く無い者を、その宗派の最高位に任命することは、「自派の宣伝、
広告塔としての利用」と受け取られても仕方がないように思える。
勿論、「広く仏法を世に広める。」という非常に恣意性の低い目的において
『名誉~』という称号の授与は、罪が少ないとは思うが。

今回のドクター中松の授位については、ゲルク派のトップは、その選定理由を
「深く深遠なる事由」とするであろうが、外部から眺めた場合、俺は
自派の最高位を関係の無いものに、簡単に与えてしまう、非常にいい加減な
胡散臭い宗派であり、新興宗教との類似側面を有する宗派との印象を受けたが、
これは俺だけではないと思うな。
まあ、縁起一代は別派らしいし、これ以上、問うてもしょうがないので終了と
するわ。

328:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/12 12:17:33 mK/nfy7r
>>242
 親鸞を歴史上の一人物として捉えるという見方は正当でしょう。歴史上の一人物として捉える
なら、それは客観的資料に基づかなければならない。
 親鸞という人は、当時の周囲の支持者を除くと、天皇とか将軍とか貴族などと比べれば、圧倒
的に資料が少ない。残存資料は、ほとんど全て彼の支持者が温存してきたものだ。親鸞の支
持者が親鸞を悪く評価するはずはなく、残存する資料はほとんど全て、親鸞の高い評価につな
がるものばかりです。
 その中で、親鸞の評価にマイナスに働く資料があれば、確かにこれは歴史学的に一級の資料
になる。しかしそのようなものはほとんど無く、マイナスに働く資料は、よく精査すると、やはりプ
ラスに働くというのがほとんどでしょう。彼の支持者が、親鸞を悪くいうはずはない。
 貴方は、親鸞をマイナスに評価しようしているようです。評価するためには客観的資料がなけ
れば説得力がない。残存するマイナスの評価資料も、実はどんでん返ししてプラスの評価の根
拠になる可能性が高い。

 マイナスに評価しようして自分が出した資料を否定された場合、貴方は相手からの反撃に尊
敬と礼儀を持って接することができますか?

 〔あなたは、親鸞を批判できますか。できなければ「盲目的な個人崇拝」に過ぎません。悔し
かったら挑戦してみなさい。《渡海難は親鸞を批判できるはずがありません。なぜなら、渡海難
は「盲目的な個人崇拝」しているだけだ。》〕

 渡海難を一方的に決めつけるこのような先入観を出発点としてきているあなたに、自由な考えがで
きるとは思えない。渡海難は「盲目的な個人崇拝」しているという主張の根拠が崩れた場合、貴
方は、2ちゃんねるのなかでその現実を受け入れられますか?できなければ「貴方は盲目的な
自己陶酔」に過ぎません。

 僕は親鸞を「盲目的な個人崇拝」などしていないし、親鸞の主張はいつも批判的に聞いていこ
うと心がけていますよ。貴方が僕を「盲目的な個人崇拝」というなら、貴方自身、その自分の意見
が否定された場合、受け入れる素地があるかどうか、それを検討してから再度質問をしてくださ
い。

329:神も仏も名無しさん
10/03/12 12:17:44 pEg1Y6Tx
さて、また例のごとく机氏と縁起一代がやりあっているみたいだが。(笑)

ここのところ、縁起一代を「鬼和尚スレ」で、よく見かけるが、
俺は、机氏こそ、あのスレで自己の見解を語ってみたらどうかと思うな。
俺はあのスレの立ち上げ当初からの住人なんだが、あのスレには
机氏の類似キャラがたくさんいるので、面白いとおもうぞ。


330:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/12 12:19:28 mK/nfy7r
 親鸞批判はいつでもお受けします。それに対する耳は持っているつもりです。僕は、2ちゃんねるの掲示板の
多くの人が生まれる前から親鸞と格闘してきている一人です。渡海難を「盲目的な個人崇拝」と批判するのはい
いでしょう。しかし、独断的先入観で質問をぶつけられても、そんな人は僕の相手になりません。
 質問する場合には、相手に対しては常に尊敬と常識的な礼儀をもって、先入観無く接してきて欲しいものです。

>>243
>私は明確に①と②の違いは解る。

 なるほど。なるほど。
 あなたのような方にまで「解る」と言っていただければ、一遍上人も自分の考えに対する共鳴者の裾野の広さ
にさぞかし口を「へ」の字に曲げて驚き、感銘し、さぞかし涙を流してお喜びになるでしょう。

 それでは、知恵者であるなら、次の言葉も一発でその境地は解せることでしょう。そうすればさらにお喜びいた
だけることでしょう。

 「心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、こころえたるなり。弥陀の御たすけあるべきことのとうとさよと思
うが、心得たるなり。少しも、心得たると思うことは、あるまじきことなり」と、仰せられ候う。 (蓮如)

>>244
>おのれの蛸壺に揶揄居直り逃げ込んで、オナニー三昧

 三十六計逃げるに如かず。
 ナニ ヲ イッテ モ ワカラン ヒト ニ ハ、タコツボ デ モ クソ ツボ デ モ ニゲル ガ カチ ト キマッテ オル

>>245
>ここにおりますです。ザンネンでしたねw

 こんな匿名の掲示板で、誰が誰だか分からんのに、俺だ俺だという奴がイル
 俺だ俺だというなら、名前と住所と職業くらい名乗ったらどうですか? (苦笑)

331:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/12 12:21:03 mK/nfy7r
>>246
 パス

>>276
>仏教を好きになれる方法を教えて下さい。

 そんな方法は無いですよ。あなたは、貴方が好きと思う道を進んだらどうですか。

332:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/12 12:45:30 YotHnv0f
>>325>>326
仮想的なものを概念化し、わざわざ強固なロジックでもって理論化することにおいて、
相対するその命題を解明する鍵に展開するその手法こそ
道元が天才と言われる所以であって、
これが道元の、日本思想史における評価になってるんでつ。

正法眼蔵は、道元直筆であったり、弟子が編纂したものであったり、
また在家向けであったり、巻において違います。
これを、一緒くたに語ちるべからず。

333:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/12 13:06:44 YotHnv0f
>>330
>一遍上人も自分の考えに対する共鳴者の裾野の広さ
>にさぞかし口を「へ」の字に曲げて驚き、感銘し、
>さぞかし涙を流してお喜びになるでしょう。

いや、そんなに大袈裟なもんじゃないだろ?

①<となふれば仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏の声ばかりして>
②<となふれば、仏もわれもなかりけり、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏>

国語の文法の範疇じゃないか?
中学生でも学校で文法くらいは習うだろ?

しかし「観」では難解かも?

334:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/12 13:11:07 YotHnv0f
>>330
ヒント
①声ばかりする自分がいる。
②自分は如。
まあ、これくらいにしておきますw

335:神も仏も名無しさん
10/03/12 13:14:21 7B8CJtH1
>>329
オイラはやりあってるつもりはないよ。

今回は、ちょうど良いしっぼが出たから掴んで、化けの皮を剥いだだけ。
まあ、みんな机の偽物ぶりは知ってるだろうけど。


鬼和尚と机じゃ比較にならんは。確かに机に似た人が結構いるけど、
机みたいに酷い恥知らずは少ないな。

今回みたいにどうしようもない無知・偽物ぶりを曝して、
いまだうだうだぐじぐじ言い訳言ってる。

机は多分、かつて田舎の教師か公務員みたいなことしてて、
今、隠居して禅のインチキ本読んで分かったつもりになってるヤツってとこだと思ってるけど。



どうなのよ机っち?

336:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/12 13:16:32 mK/nfy7r
>>330
>いや、そんなに大袈裟なもんじゃないだろ?
   ム? うんうん。なるほど。なるほど。

>国語の文法の範疇じゃないか?
   ほ? なるほど。なるほど。

>「観」では難解かも?
   なるほど。なるほど。

                          <微笑>

337:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/12 13:17:53 mK/nfy7r
>>334
     なるほど。なるほど。ウンウン。

338:神も仏も名無しさん
10/03/12 13:35:09 a/qLQVAc
>>332
こういう応答をするからカチンとくるわけで・・・w

言い過ぎたと書き込もうと思ってたがやめた。
>>324は、「正法眼蔵には、相反する言辞が並んでいる」ということを指しているよな?
「相反することが多く【書かれている】」ということだよな?
それを>>322へのアンカー(≒返答)として書き込むということは、
日本語の平均的読解力のある者には
正法眼蔵には、『 >「これが仏教で」「これが仏教ではない」 と書いてある』というレスに見えるよな?
その上で二項(二面性)を離れるという方向へ持っていきたいレスだよな?
つまり、≪正法眼蔵には、>「これが仏教で」「これが仏教ではない」 と書いてある≫という意味のレスだということだ。
だが、てめぇは>>316で 『 >「これが仏教で」「これが仏教ではない」などと正法眼蔵にはひと言も書いておりません。 』
と言っている。 これが「嘘」でなきゃ何なんだ?
(言っとくが、語録に多く見られる矛盾した言い回しとは次元が違うからな。(馬祖の例とか出してきそうだが・・・www))


>巻において違います だあ? 笑わせんなw
直筆だろうが在家向けだろうが、「記してある(書いてある)」という事象はあるんだな?どうなんだ?w
316は、『(書いてある)一部を捨象して、そこ以外には(自分が重要と思う部分については)書いてない』という意味なのか?
それとも『正法眼蔵には書いてあるが【道元は】言ってない』という意味か?w
(それならそれで『解釈・読み方において』ということで構わんが・・w)

339:神も仏も名無しさん
10/03/12 13:38:34 QUn5gvxT
机さん。
みんな結構あんたの事考えて
誠実に応答しているよ。
ちょっとここは堪えて
他の人の言ってること、ようく吟味してごらんよ。
それに対して言葉での表面的な対応なんていらないからさ。

340:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/12 13:52:57 YotHnv0f
>>335
>どうなのよ机っち?

私のことより、既に貴殿の正体はバレバレですよw
私があえて板に書かないだけで、
そのくらいのことは充分に推測はつく。

>今、隠居して禅のインチキ本読んで分かったつもりになってるヤツってとこだと思ってるけど。

隠居はしてない。それなりの現金収入はある。
今でも若い子が私を頼って訪ねてくるよw
役得ってもんだろうか?

これが正法眼蔵における、現に過去は存する。という道元流の展開になる。
と解釈していい。

341:神も仏も名無しさん
10/03/12 13:59:41 7B8CJtH1
>>340
なんか妄想してるだろw

オイラはしがない乞食坊主なんだが。


ああ、じゃ勘違いした中小企業の会長ってとこか?
いずれにしろ仏教のことは何も分かってないことを自覚しないと、
仏教のことは何も分からずに来世になっちゃうぞ。




342:神も仏も名無しさん
10/03/12 14:05:33 7B8CJtH1
>>338
机の言うことにカチンときちゃいかん、いかん。

なんにも知らないおじいちゃんが、老後の楽しみで虚勢はってるだけなんだから。

『正法眼蔵』なんか読んでないの◎分かりじゃないか。
どうせ『マスター・バイブル正法眼蔵』とか『正法眼蔵に学ぶ~~の智慧』とかいったインチキ本読んで分かったつもりになってるだけなんだから、

適当に禅の言い方真似て一端の机禅師気取ってるだけなの分かるでしょ。

セブン!


343:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/12 14:08:22 YotHnv0f
>>338
>その上で二項(二面性)を離れるという方向へ持っていきたいレスだよな?

それとは微妙に違う。
想定するものを、わざわざ概念化し、そのベクトルで論を立て、
「否定における肯定」を炙り出し、
これを根拠として体系つける。

そして別件の命題に論理の整合性を融合させ立証する。という展開ですね。
この構成の仕方は道元独自なものか?
とか思っておりましたが、
この類似性があるのは、中論です。

道元は中論に嵌ってたらしいですから、
ここからの影響もたぶんある。とおもわれ。

344:神も仏も名無しさん
10/03/12 14:08:45 7B8CJtH1
>>338
「シネよ」は言い過ぎだろ。仏教徒としては。
セブンとは思わなかったよ。
机とか生命教の暗愚・慢心が治るように廻向してあげるのが仏教徒じゃないのか?


345:神も仏も名無しさん
10/03/12 14:14:22 a/qLQVAc
これが、1回きりのこと、或いは偶にみられることならば、
「極端な謂い」「禅的装いの強調」として見れないこともない。
だが、しょっちゅう・毎回ともなると聊か眉をしかめざるを得ない。

別に難しいことじゃない。
「道元は○○と言ってない(正法眼蔵には書かれていない)」ということを、
(個人の)【解釈として、読み方として】言うのはアリだ。そのこと自体が否定・批判されるのではない。
「ここに○○と書いてあるけど?」という発言への応えとして、読み方を提示するのもアリだ。
で、その時には『そこには○○と書いてあるけれども、読み方としては違うことを言っている』
という言い方をすれば済むことだ。
それを、「○○と言っていない・書いていない」という発言を置き去りにして、
【あたかもそんな発言はしていない】かの如き言辞を重ねるから批判されるわけで・・。
『書いてあるけれども、こう読むんだ』というレスで済むわけで・・。
それをせずに(「書いてある」という事象を「書いていない」と発言したことを等閑視して)、解釈のみを述べ立てるから、
『知らずに発言したんじゃないか?』と勘繰られるわけだ。

禅的言辞は確かにかっこいい。
だが、濫用すると自分の身を切ることになる。
(掲示板という特性も含め)、この辺の注意・自覚が机には足りないように思える。


>>344
仰る通りでござんすw
ちょうど、書き込む前後の時間、厄介ごとの対応のタイミングだったんでね。
修行が出来てないもんで、精神的に不安定になる時もあるさw

346:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/12 14:23:36 YotHnv0f
>>345
>それを、「○○と言っていない・書いていない」という発言を置き去りにして、

そもそも道元の系譜の源流というのは南宗禅にある。
南宗禅には「仏道」というのはない。

ないもんを道元が書く訳はない。
これは法灯であって、それを前程として解するのが普通の解釈だよw

347:神も仏も名無しさん
10/03/12 14:28:24 7B8CJtH1
>>345
>ちょうど、書き込む前後の時間、厄介ごとの対応のタイミングだったんでね。
>修行が出来てないもんで、精神的に不安定になる時もあるさw

懺悔した方がいいよ。机に、あるいは三宝に、
まあ、オイラも悪口は酷いけどね。

まあ、>>346こんな人だから、言ってることは読まなきゃいいだけ。
机はコテ付きだから、スル~しやすいでしょ。


348:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/12 14:35:43 YotHnv0f
>>347
君は何も知らんかと思うけど、道文化は日本独自の文化であって、
あくまでも「文化」だよ。
これは道元も百も承知のすけw

349:神も仏も名無しさん
10/03/12 14:47:31 7B8CJtH1
>>348
あんたほんと我が強くて怒りっぽいよね。
適当に取り繕うことは多少世知はあるようだけど。

オイラは坊さんで、文化的な知識はきっちり学問やってきたんだぜ。
そのぐらい長い付き合いなんだから分かるだろ。
それでも、なんでそんなオオボラ吹いちゃうのかちょっとは内省してみなよ。

その方がずっと仏教だし、道だよ。


350:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/12 14:55:41 YotHnv0f
>>349
私は非常に重要なことだから書いておるんです。

道元の師・如浄に向かって、
「そんなことして修行になるんでつか?」って聞いたら、
如浄は
「修行に方法はない」。って答えて、
これで道元の仏教観は完成されてる。

正法眼蔵は、その後の著作。


351:神も仏も名無しさん
10/03/12 15:04:09 QUn5gvxT
それは人生に方法は無いのと同じこと。
禅者なら書を簡単に信じてはなりません。

352:神も仏も名無しさん
10/03/12 15:12:49 7B8CJtH1
>>350
そりゃ『宝慶記』だね。それの何処が以下と繋がるのか
引用して論理的に説明できないよね。『宝慶記』が典拠なのも知らないかもね。

>>316
>道元は「これが仏教で」「これが仏教ではない」などと
>正法眼蔵にはひと言も書いておりません。
>つうか、それが南宗禅の特徴です。

あんたのは、~だ。~に書いてある。
じゃ、引用してみ。
屁理屈ごねごね。~だ。~に書いてある。
違うよね。ほか、この文。
屁理屈ごねごね。

これじゃ、なんもならん。要するに机さまは偉いと認めろとず~と、
10年ぐらい言い続けて、何人か欺された。
でも、ほとんどの人は呆れただけんだよ。

それを認めるか、認められず。相変わらず荒らしを続けるか
自分で決めればいい。

353:神も仏も名無しさん
10/03/12 15:27:10 a/qLQVAc
>>350
あのな、
今問題になっているのは、「正法眼蔵」という書物の中に、
≪「※※が仏教(仏法)であり××は仏教(仏法)ではない」という「記載」があるかどうか≫ということで、
≪【文言、文意の解釈】がどうこうではない≫ということが何で判らないかな・・w

別に、
≪「確かに書いてあるけれども、それは(他の箇所と照らし合わせて)このように読むものだ」≫
とレスし直せば済むことなのに、それをしないから、
「知らずに発言して、且つ過ちを認められない幼児性を持つ」と批判されるんじゃないかw
解釈としてそういう読みがあり得ることを否定はせんよ。


>>347
だなw
今夜寝る前に、北方に向かって手を合わせとくよw

354:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/12 15:41:30 mK/nfy7r
~つ
 一切聖人、道果を得と雖も、自から稱説せず。稱説せざるゆえに、心悔恨せず。これを
知足と名づく。
                                               (親鸞)

355:神も仏も名無しさん
10/03/12 16:16:59 g4hjb8AO
「輪廻転生はあります。地獄もある。極楽もあります。」って言う
渡海さんが葬式は無し、自然葬で良いって矛盾してね?


356:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/12 16:18:12 YotHnv0f
>>353
>≪「※※が仏教(仏法)であり××は仏教(仏法)ではない」という「記載」があるかどうか≫ということで、

そんな記載などある訳ないだろうよw
そもそも仏教といふフレーズが相対立する訳はない。
これは暗黙の了承だし、そうでなければ眼蔵は読んでも無駄ってもんだよ。

357:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/12 16:23:43 YotHnv0f
>>352
だから私は、眼蔵は解釈は難しい。と常日頃から言っておるんですよ。
こればかりは、私が説明したとしても難解過ぎて
解釈は無理だろうね。

まあ、そんなことより精進してください。

358:神も仏も名無しさん
10/03/12 16:34:38 7B8CJtH1
(/_;) 例によって時間の無駄だった。

懲りないオイラ、か~~~つ

359:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/12 16:40:16 mK/nfy7r
>>355
> 渡海さんが葬式は無し、自然葬で良いって矛盾してね?

 え? どうして?
 僕には貴方の考えが全く理解できない。
 

360:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/12 16:43:25 YotHnv0f
>>358
気の毒だからヒント
修証ということだよ。
修に分別がない。
これは道元の一貫性。

361:神も仏も名無しさん
10/03/12 17:04:07 xrQ2faCF
>>359
葬式は死人が解脱するためにするってどこかで坊さんが言ってた。
解脱を今生してなければ葬式あげてしてもらって輪廻転生しないで成仏するとか、
地獄・餓鬼に行かないとかw
君が解脱してれば別だけどさ


362:神も仏も名無しさん
10/03/12 17:49:40 w9ID4QTD
>>302
>なわけねぇだろ 、どあっふぉw

な~んだ、あきメクラかw あるょン(笑
本人が言ってるのだから、これ以上確かなものはない。


  人
 |___)         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
 |__)クスクス    <  さすが聖霊大王と>>302氏は大した<慧眼>の持ち主
 |∀・ )        \_________________________


■ <修行>が狂うと<慧眼>も狂う格好のサンプル!!■
その狂った慧眼で>>301にもドゾー、期待してま~す!(笑

◆ちなみにご隠居氏は、>>292-293、>>297-299のような拙い文章は書かれません!◆



363:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/12 17:50:34 mK/nfy7r
>とかw

 wとは笑いという意味ですね。

 冗談で書いているのか、本気で書いているのか、書き手の本心が
読み切れないのでノーコメントとします。

 

364:神も仏も名無しさん
10/03/12 17:53:22 w9ID4QTD
>>328
何でそんなに力んでいるんだろう?不自然~?
まぁ、そんなに勿体がらずに批判してみんしゃい
構えてると余計変~(笑

ご隠居氏はそんなに器の小さいお人ではありません。



365:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/12 18:04:02 mK/nfy7r
>>364
 自分の考えに反する考えに対して聞く耳の無い人には、
僕はノーコメントとすることにしているんだ。
 根に持ったストーカーにつきまとわれて不愉快な思いを
したからね。

 自分の考えを否定する考えも聞ける耳ができてから
質問してきなさいな。

 ご隠居氏とは誰のことか知らんが、僕は、思い込みの激しい
人には、辟易しているんだ。

366:神も仏も名無しさん
10/03/12 19:15:48 Md/FNfzU
>>365
>自分の考えに反する考えに対して聞く耳の無い人には、
  僕はノーコメントとすることにしているんだ。
 
 ふ~ん。私の知る限り、ご隠居氏は ↑ に該当しません。
 人格もご立派、ストーカーなんて絶対にしません。

 君が、ご隠居氏に思い込みが激しいのでは?
 勇気出して頑張って批判してごらんなさ~い。
 
 教えられること一杯あるとオモ


367:神も仏も名無しさん
10/03/12 19:16:28 TQmzvQn8
>>365
>自分の考えを否定する考えも聞ける耳ができてから
>質問してきなさいな。
>ご隠居氏とは誰のことか知らんが、僕は、思い込みの激しい
>人には、辟易しているんだ。

現実上の根拠は皆無な単なる観念に、最も思い込みの激しいのが、宗教
信者。洗脳の結果、「自分だけが分っている」積りになり、自分の宗教
以外の者は「聞く耳がない」としかいえない。これは、目の前に証拠を
突きつけられても絶対に認めることが出来ない妄想患者と同一の心理状
態。
開祖・教祖・経典のストーカーに過ぎない。ミーハーのブランド漁りよりも、
さらに深刻。詐欺の被害者は、騙されていた、「即ち事実とは異る」こと
が分ると、直ぐに怒る。宗教の被害者には、それが出来ない心理状態にある。
「佛教スレ」であるはずのこのスレでも、多くの書き込み者にそのことが
認められるのは、誠に残念。「執着を去ること(空)」こそ、佛教の最大の
特長であるはずなのだが。「開祖、教祖、経典の言葉への執着まみれ」では
ないか。

368:神も仏も名無しさん
10/03/12 19:19:06 TQmzvQn8
>>367の続き

結局あなたは、「開祖・教祖・教典の批判は一切不可能な心理状態に陥
っている盲信者」であることが証明されましたね。
盲信すると、たとえ我が子でも、宗教のフィルターを通してしか見ること
ができない、という恐ろしい結果が生じる。そのため、家族の一員が入
信すると、例外なく家庭の崩壊が生じる。一旦、宗教に狂うと、離脱は
一生涯不可能か、極めて困難。幸いにして離脱できても、既に精神が深く
侵されているので、回復には、入信期間と同程度の「のた打ち回る苦しみ」
を経験しなければならない。
「たとえ法然に騙されても、地獄の底まで付き従う」(親鸞)。これが
盲信者・狂信者の典型。いくら自分の頭で考えている積りでも、実は自
分の宗教の開祖・教祖・経典から、一歩も踏み出すことが不可能になる。
たとえ踏み出せても、最初の洗脳の結果はしっかりと残っている。
宗教は、百人百様の観念信仰だから、必ず人間同士の争いが生じる。この
スレでも、如実に証明されているではないか。一方、厳然として存在する
自然・現実と言う真偽・正誤・正邪の判断基準が存在する自然科学では、
全人類的な合意が容易に到達できるのは何故か。基準に照合して、検証と
訂正が常に可能であるからである。

369:神も仏も名無しさん
10/03/12 19:33:35 carxaVIa
>>367
>単なる観念に、最も思い込みの激しいのが
>「自分だけが分っている」積りになり
>自分の宗教以外の者は「聞く耳がない」としかいえない
>目の前に証拠を突きつけられても絶対に認めることが出来ない


自己紹介ですか?w

370:神も仏も名無しさん
10/03/12 19:34:07 QUn5gvxT
そういえば、ピカはどこいったかなあ。
半年くらい前、メンヘルスレで自殺したいとかいってたけど
生きてたら良いですね。


371:神も仏も名無しさん
10/03/12 19:55:02 KUhi7aVe
>>369
「生命」のみは、「思い込み」の対象にはならない。「思い込み」も
生命の機能に過ぎないのだから、「思い込み」の行為者と、行為の対象
が同一であり、「生命の思い込み」はナンセンスで、初めから成立しえない。

生命とは、「今ここにある」だけ。人間が対象化できない、唯一無二の
存在。人間のすべての根源。宗教を含め、人間の他のすべての営みは、生命
の機能に過ぎない。

人間も人生も、「生命(生存本能)の応用問題」に過ぎない。生命のみ
を基盤とすれば、すべての問題に対する解答が、迅速かつ容易に得られる。

生命という根源から離れた、生命の機能の一部に過ぎない、百人百様の
観念などを絶対的基準とするから、宗教には、永遠に争いと混乱と迷い
が絶えないのである。

生命を基盤とするとは、生命(生存本能)に従ってひたすら生存する
ことである。すべての指針は、生存本能のみが与えてくれる。

372:神も仏も名無しさん
10/03/12 20:08:43 /IB+blKh
>>371
さ~すがご隠居氏!
素晴らしい!!

ヽ(^。^)ノ

>>365
>自己紹介ですか?w

実に情けないなぁ~
ご隠居氏は、誰からも教わらず洗脳されずに独自の
ステージ・論理を築いた方

今までの君の頭・心を白紙にしてからでないとやはり無・理・か

実に残念!


373:神も仏も名無しさん
10/03/12 20:25:10 7B8CJtH1
妄想スレだな

中学生の感想文をありがたがるヤツがいるから、不思議だよ

374:神も仏も名無しさん
10/03/12 20:28:09 /IB+blKh


☆******************************☆*********************************☆


  ■ 釈迦が自分で書いた経典など一つもない。
./)/)     ■ 仮に仏陀が輪廻を説いたとしても、2500年もの長い間、
(・ー・)ノ        誰も実証できなかったという<事実>が既に、
゚L-J          何おか謂わんやで、根拠の無い証明となり得るでしょう。


☆******************************☆**********************************☆



375:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/12 20:29:49 mK/nfy7r
>>366

>> 365は
 書き方が悪かったようだ。訂正する。


 ご隠居氏とは誰のことか知らない。
 僕は、 ID:w9ID4QTDのような思い込みの激しい人には、辟易しているんだ。

376:神も仏も名無しさん
10/03/12 20:31:22 /IB+blKh

渡海氏、君の負けだ。素直に ↓

<指摘が当たっていれば、反省してさらに努力をするでしょう>。

さぁ、出直しましょう!!

オヤスミン☆♪


377:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/12 20:39:34 mK/nfy7r
>>375 訂正

× 僕は、 ID:w9ID4QTDのような思い込みの激しい人には、辟易しているんだ。

○ 僕は、 ID:lx3uBmCwのような思い込みの激しい人には、辟易しているんだ。

378:神も仏も名無しさん
10/03/12 20:40:57 7B8CJtH1
>>374
>  誰も実証できなかったという<事実>が既に、
> 何おか謂わんやで、根拠の無い証明となり得るでしょう。

実証という言葉が素朴実在論的形而上学的限定、あるいは制約を受けているなら、
そもそも存在論が縁起・空と素朴実在論では相容れないから話しにならない。

朴実在論的形而上学的限定を除くなら、インドでは輪廻の論証が
正に大乗仏教徒によってなされて来たという基本的知識を持たずに何をいっているのだろう。

何も知らないなら、黙っていることだ。

379:神も仏も名無しさん
10/03/12 21:06:48 pShBMt+Q
>「生命」のみは、「思い込み」の対象にはならない。

なります。例えばひとつ誤解があるだけでもそれは「思い込み」です。
固執すれば完璧です。

>「思い込み」も生命の機能に過ぎないのだから、

そのこと自体は『「思い込み」の対象にはならない』理由にはなりません。

>、「思い込み」の行為者と、行為の対象が同一であり、「生命の思い込み」はナンセンスで、初めから成立しえない。

上に例にあげたように成立できます。

>生命のみ を基盤とすれば、すべての問題に対する解答が、迅速かつ容易に得られる。

もちろん可能です。あなたが思いつきを口走れば良い。
粗の目立つものであろうと問題点を指摘されても、悪いのは常に他人です。
生命教の効用が実社会でテストされる機会はないので無謬の真理としての立場は磐石です。
仮にその機会を得て、それで役に立たなかった場合も、もちろん他人のせいなので問題ありません。

380:神も仏も名無しさん
10/03/12 21:10:38 carxaVIa
>>677
どこの坊さんか知らないが、その「読み」は頂けんな・・・w
(また、想像・推測される作者の意図にも反してるように見える。)

絵本なので、読んだ者一人一人が感じたものが「正しい」読み方だ、という正論はさておき、
(作者の意図は別として)仏教的な読み方としても幾つか考えられる。
・a;白猫と出会う前は、「自分しか見えていず」「飼い主の悲哀にも気付かない」。
  …自我に捉われ、自己のみを愛する姿。(本来、常に出会い続けていた充実の種に気付かずにいた)
 b;白猫と出会ってからは、「出会う事象一つ一つに価値を見」「一瞬一瞬が大切にされる」(全力でいる)。
 c;(白猫と同じく)二度と生まれ変わらなかったのは、aのように無為に過ごしたのでなく、
   bのように充実して、「意味・意義ある生」を生きたからだ、と。
・a; 同。
 b; 同プラス、aのような自己中心的視線・価値観を捨て、他者を見、慈しみ生きることで、
  生を受けていることを最大に活用し、伴侶、子供の為の生として果たしきり、
 c;それ以上望む事柄がないので、(この生で十分となったので)生まれ変わらなかった。
・a; 同。
 b; 同プラス、それ(自己中心的視線・価値観を捨てること)が、安楽への道(行)であり、
  (手本となる白猫(→仏)に倣い)それを成就したので、
 c;生まれ変わらなかった。(≒悟りの完成。涅槃の成就。)

とかね
いずれにしろ、「白猫と出会うまでは、《真に生きてはいなかった》」という読みの方がいいんじゃないかな。
《真に生きていないから、真に生きることになるまで生まれ変わらねばならなかった》、と・・・。
(これは、作者の意図に近いのかな?)
その坊さんの読みは、単なる欲望肯定にしかならんよ。

381:神も仏も名無しさん
10/03/12 21:12:33 carxaVIa
ちっ・・・ やっちまったぜ・・ (^^;

小っ恥ずかしいったらありゃしねーwww

382:神も仏も名無しさん
10/03/12 21:15:53 7B8CJtH1
>>381
でいじょぶだ

机、生命教徒よりは恥ずかしいってことはねえや


383:神も仏も名無しさん
10/03/12 21:39:40 KBjg3wjM
布施の金額で戒名の位が変わるのはなぜですか?

384:神も仏も名無しさん
10/03/12 22:19:08 carxaVIa
>>383
イメージに金額がついているのが実情。
本来は、寺院への貢献度や寄付額が大きい時に、
(宗派によって呼び名や複雑さが違うが)
「その德を称え」「果報の一つとし」「刻み残す(後々の人もその德を偲ぶ)」意味で院号等があり、
また、字数を増やす。 原初的基本形は「二字&信士信女等」になるのかな。
 ※宗派や、故人の仏教との距離によって名称に差異あり)
現代では「四字&居士大姉」が一般的。少し旧家だったり、多少余裕があったりすると、
(過去のその家の故人の例に倣って、或いは夫婦を揃えて)院号までセットが多い。
 ※もっとも、寺院によっては、(その家の過去の例と照らし合わせて)、
  全部込み込みの安い金額で院号までつけちゃうとこもあるけど。

いずれにしろ、もともとが「布施や寄付額の大きさに依存している」以上、
その流れをそのまま受け、且つネームバリュー的感覚を人々も持ってしまったのが今。
「呼称の種類をお金で買う形」が現在進行中。

基礎データとして一面的な所もある資料が付されていたりするが、
全体の内容としては、そつなくまとまってるので、
「戒名と日本人」保坂俊司(祥伝社新書049)
とかを推薦しとく。

385:神も仏も名無しさん
10/03/12 22:36:15 parN3GIV
>>378
人類は、そして恐らくは他のすべての動物も、「素朴実在論」によってのみ、
生存することができ、また生存してきた。五感で知覚できるものが実在であり、
知覚できないものが非実在(空想・妄想)であると判断しなければ、人間は一
瞬も生存できない。釈迦もイエスも同様であった。

竜樹は、その素朴「実在」の構成原理が「相互依存性・関係性」であることを、
初めて発見したのである。

竜樹は、夜這いして抱いた女が「幻」であるなどとは、決して思ってはいなかった
だろう。それどころか、まさに実在そのものの豊満な女体として抱き、お互いに
歓喜の中に果てたのである。

それから、コンピュータ時代の現代において、古代インド人の妄想を持ち出す
のは、単なる時代錯誤。なお、実在物について、「論証」はあくまで「仮説」
である。実在物によって現出されない限り、「証明」とはならない。

386:神も仏も名無しさん
10/03/12 22:59:36 e4WnNmv+
「苦」は、誰にとっても避けたいものだが、しかし、よく考えてみると、
苦は、生存本能(生命)による極めて重要な「警告」であり、むしろ
感謝すべきもの。

病気の際に苦痛がなければ、治療の機会を逸し(勿論、身体の自然治癒力
が全力で闘うが)、最悪の場合は、最大の苦としての死にいたる。

専ら自己中心主義から生じる苦は、自己中心では、共生に障害をもたら
しますよ、という警告である。

また、苦があるからこそ、喜びが存在し得る。苦が存在しない「涅槃」は、
苦のみの「地獄」と何らの相違もない。

さらに、苦がなければ、他者の苦に対する理解と共感の育成(これを
「人間の成長」と呼ぶ)も不可能になる。

このように、苦を、生命による生存の維持のための重要な警告である
ことを覚り、受け入れ、それに感謝すれば、苦は軽減され、除去される。
釈迦のように、苦を、二項対立的に「排除すべき異物」とだけしか意識
できなければ、苦は強まるだけである。この点において、釈迦は根本的に
誤っていた。彼の鬱病の症状として、止むを得なかったことではあるが。

387:神も仏も名無しさん
10/03/13 04:36:12 sHt0xLkn
>>383
習慣です


388:神も仏も名無しさん
10/03/13 04:45:16 sHt0xLkn
>>385
お前こそ、龍樹菩薩の著作に素朴実在論であると実証してみろよ。
つまり、引用して論証してみろ。
こっちは文献学者なら、誰でもやってる単純な手続きだ。

なぜ、自分ではそういう手続きも踏まずに、過去の仏教徒に
実証などもとめるのか?

それに空が無自性で執着するなというのはお前の発言ではないのか?
サンサーラ等、過去に非実証的に単に辞書を誤読して妄想してたように
龍樹菩薩が素朴実在論だというのもただの妄想だよ。
縁起・空と素朴実在論は相容れない。
仏教では素朴実在論が、ほぼ常見、有身見といわれてきた、
全く相容れない考えだ。

お前と大乗仏教の見解は全く逆だ。
それは何を読んでも同じことだ。
ただし、近代日本仏教の一部を除く。


389:神も仏も名無しさん
10/03/13 05:26:47 leAN5fbS
御隠居の理論は極端だな。
あと理科系学問に無知なせいかコンピューターを神格化しすぎだろう


390:神も仏も名無しさん
10/03/13 07:11:20 sHt0xLkn
>>389
つか、中学生が憶えた言葉をつなぎ合わせて喜んでるようなもんでしょ。
それはよくあることだけど、それに共感するヤツがいるのが不思議?


391:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/13 07:44:15 y2ZYCHgv
>>345
>禅的言辞は確かにかっこいい。
>だが、濫用すると自分の身を切ることになる。
>(掲示板という特性も含め)、この辺の注意・自覚が机には足りないように思える。

中国は、もともと「孔子の論語」とか「毛沢東語録」とか、
具体的なその人物の論語・語録類を重要視する風土がある。
(マルクスの資本論よりも、毛沢東語録を重視したように)
つまり翻訳経典よりも、独自な主体性で教えを説くという意味です。
これなら論理的思弁は二義的になる。

日本禅は非常に抽象性を好み、
例えばその代表的な「無門関」などを重視したりする。
これは、
中国にも朝鮮にもない、日本独自に発展した禅です。
道元もまたこのベクトルでして、
まさに抽象性を美学にまで昇華させちまったんですね。
困ったもんです。
これだと非常に難解になるのは言うまでもない。


392:神も仏も名無しさん
10/03/13 08:04:42 sHt0xLkn
まっとうな人は、どうか机や生命教にかまわないでください。

393:神も仏も名無しさん
10/03/13 12:45:32 ijYfSgyl

無我の教えの仏教なのに

俺が俺がで

日が暮れる

394:神も仏も名無しさん
10/03/13 12:51:55 b5GpLu0y
まっとうな人は、どうか開祖と原始仏典盲信のカルト=小乗にかまわないでください。

395:神も仏も名無しさん
10/03/13 12:57:11 a82tQ8ox
>>393
だって、それが
一番重要な、一番最後まで残る煩悩(障壁)だものw
一番乗り越え難い関門だものw
一番受け入れ難いことだものw
一番理解・納得し難いことだものw
(…御隠居の生命・苦・世俗マンセーが好例ですwww 御隠居の「生命」は「我」「我執」そのものだよw)

逆に、そこさえ乗り越えれば・・ってことでもあるだろうが・・。
できないから凡夫なわけさ。

396:383
10/03/13 14:18:44 O1RxpWB/
>>384
ご教示いただいた本を読んでみます。ありがとうございます。

397:神も仏も名無しさん
10/03/13 14:31:49 0s1G9NA1
>>395
「煩悩即菩提」「生死即涅槃」「一切衆生悉有仏性」という言葉も知らんのか。
日本人でないのなら、さっさと東南アジアの祖国に帰れ。

398:神も仏も名無しさん
10/03/13 15:16:55 ijYfSgyl
>>397

だから生命教は、妄想共同体の根源生命とやらを手段として食らって暖衣飽食し、
おのれの「生命」とやらに執着する。

ちなみに、もちろん植物も生命だ。

で、単純唯物論ではおのれの生命を維持するために、
他の生命を殺す「生命」システムの矛盾をどう説明するのだ?
単に御都合主義的に縁起を振りまわすのでは牽強付会丸出しだぞw
その答えいかんでは、ジャイナ教の大雄からどつきまわされるだろう。

生命大事で調査捕鯨反対のベジタリアンであるはずのシーシェパード船長が、
出された肉・野菜を飽食しているのとどこが違う?


399:神も仏も名無しさん
10/03/13 15:25:48 VFZpnCNF


■ 煩悩即菩提(ぼんのう そく ぼだい)は、大乗仏教の概念の一つ。■

原始仏教においては、煩悩を滅することに主題がおかれ、それにより悟りが得られるとされていた。

しかし、時代を経て大乗仏教の概念が発展すると、すべての衆生は何かしら欲求を持って生活せざるを得ず、
したがって煩悩を完全に滅することは不可能と考えられるようになった。また煩悩があるからこそ悟りを求めよう
とする心、つまり菩提心も生まれると考えられるようになった。

したがって、煩悩と菩提は分けようとしても分けられず、相(あい)即(そく)して存在する。これを而二不二(ににふに)
といい、二つであってしかも二つではないとする。これは維摩経に示される不二法門の一つでもある。

この色(しき、物質的)の世界は空であるが、それ自体がすべて真如の表れである。したがって悟りを妨げる煩悩も
真如の一面から現れたものである。したがって煩悩を離れて菩提は得られない。また逆に菩提なくして煩悩から離れる
ことはない。これが煩悩即菩提であるとする。   (ウィキ出典)



400:神も仏も名無しさん
10/03/13 15:28:20 VFZpnCNF


■生死即涅槃(しょうじ そく ねはん)は、大乗仏教の概念の一つ。■

大乗仏教における空の観念から派生した概念である。生死即涅槃の即とはイコールと
捉えられやすいが微妙にやや異なる。この場合の「即」とは、和融・不離・不二を意味する。

迷界(迷いの世界)にいる衆生から見ると、生死(生死=迷い)と涅槃には隔たりがある。

しかしそれは煩悩に執着(しゅうじゃく)して迷っているからそのように思うだけで、悟界
(覚りの世界)にいる仏の智慧の眼から見れば、この色(しき、物質世界)は不生不滅であり
不増不減である。したがって、いまだ煩悩の海に泳いでいる衆生の生死そのものが別に厭う
べきものではなく、また反対に涅槃を求める必要もない。

言いかえれば、生死を離れて涅槃はなく、涅槃を離れて生死もない。つまり煩悩即菩提と
同じく、生死も涅槃もどちらも差別の相がなく、どちらも相即(あいそく)して対として成り立っている。
したがってこれを而二不二(ににふに)といい、二つであってしかも二つではないとする。
これは維摩経に示される不二法門の一つでもある。  出典『ウィキペディア』



401:神も仏も名無しさん
10/03/13 15:30:27 VFZpnCNF


■一切衆生悉有仏性(一切・衆生・悉有仏性 いっさいしゅうじょうしつうぶっしょう)■

  全ての生きとし生くるものは、仏性 (wp)即ち、仏になる可能性を有している、
  という大乗仏教における重要な思想の表現。『ウィクショナリー日本語版』



402:神も仏も名無しさん
10/03/13 15:52:34 ijYfSgyl
>>399->>401

このように生命教は、ウィキ程度を引用する なんちゃって建前大乗仏教です。

大乗仏教が単純唯物論という反中道「戯論」(形而上学的論議:実在証明なき断滅論)と
どういう整合性をもつのか、生命教が賞賛する龍樹・中論によって論証せよ。

403:神も仏も名無しさん
10/03/13 16:12:31 GX2ZcdkW

>>399->>401は、>>395氏へ、アンカー忘れてしまった  ┐(´ー`)┌

あはは・・ID:ijYfSgyl氏レスは、何か<怨念>を感じるなぁ~、
オチ


404:神も仏も名無しさん
10/03/13 16:56:00 ijYfSgyl
>>403
>オチ

渡海 難  ◆Fe19/y1.mI と一緒だなw
ちょっと突っ込むとすぐ逃げる。

405:神も仏も名無しさん
10/03/13 18:43:03 rbfEqlgh
>>402
「中論の頌」第1章くらいは熟読して、理解する努力をされたし。

この章は「もろもろの『存在』」について、その「構成原理」を解明したものである。
「存在」が、「幻」であれば、即ち、「素朴実在論的存在」でなければ、その構成原理など
存在しないのだらから、解明は不要のはず。「存在」という言葉は、何度も出てくる。

存在の構成原理が、「関係性」という「抽象観念」であるが故に、「固有の性質(自性)は
ない」と言っているだけである。「関係性」という抽象概念が「実在」ではないことは、当
たり前。

釈迦の「これがあるから、あれがある」の命題(縁起)を完全に論破している。釈迦の「中道」
の命題も同様。釈迦の「実体間の因果関係(縁起)」や「中道(実体である両極端の中を取れ)」
では、竜樹の「関係性(空)」は、どこからも出てこない。

しかし、釈迦の「実体論」によって侵された者には、竜樹の「空(関係性)」の理解は、到底
不可能であろう。釈迦には「相互依存性・関係性」(空)の概念は、念頭にも思い浮かばなかった。

406:神も仏も名無しさん
10/03/13 18:56:36 2gfVJPjd
>>385
>五感で知覚できるものが実在であり、知覚できないものが非実在(空想・妄想)
であると判断しなければ、人間は一 瞬も生存できない。釈迦もイエスも同様であった。

↑ごく当然のことをご隠居氏は言われている

  キリスト教スレで説いたことと同じことが小乗仏教にも
  当てはまるなんてほんとに驚き~w →>>367


407:神も仏も名無しさん
10/03/13 19:08:00 2gfVJPjd


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪


すべての創唱宗教は、開祖の精神障害の症状として
の「観念の遊戯」から発生し、現実上の根拠皆無な「口から出任せ」
だから、その真偽、正誤、正邪を判断する基準が皆無で、信者はその
開祖を盲信し、批判力を奪われた思考停止の心理状態にあるのだから、
信者同士の争いが生じないほうが不思議でしょう。

■ 宗教の歴史は、人間同士の争いの歴史です。■ (*^。^*)

自然科学では、厳然として実在する自然という確固たる客観的判断基準
があるから、自然科学上の真理は、その自然に基づき検証することにより、
全人類的な合意が容易に達成されるが、宗教における「真理」は、その
検証の基準が皆無だから、新たな争いの原因となるだけです。


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪



408:神も仏も名無しさん
10/03/13 19:16:07 a82tQ8ox
                 . . . ┌固定的・不変的に存在する ・・・哲学的語義(顛倒妄想として)
                 . . . ├恒常的に存在する(可変) ・・・哲学的語義(顛倒妄想として)
━━━━━━ . │━━━━━━━━━━━━━━━
         .┌『実在』(する)┴五感に知覚されるものとして存在する ・・・一般的・日常語義
『ある』(在る) ┼〔      〕(エアポケット・用語が無い) ・・・仏教で言う「存在する(bhavati)」
         .│                           (縁起し仮設・認識されたものとして。)
         .├〔      〕(エアポケット・用語が無い) ・・・仏教で言う「ある(atthi)」
         .│                           (縁起し仮設・認識されたものとして。)
         .├五感に知覚されるものとして『存在』(する)
         .│ ・・・一般的・日常語義で言う「ある」、仏教で言う「ある(atthi)」「存在する(bhavati)」
         .│                             (縁起し仮設・認識されたものとして。)
───│──────────────────
         .├観念・思考・感情・想い等、“(所謂)非物質的在り方で”『ある』
         .│ ・・・一般的・日常語義で言う「ある」、仏教で言う「ある(atthi)」 (縁起し仮設・認識されたものとして)
───│──────────────────
         .├動き、様相、関係性、構造的なものとして『ある』
         .│ ・・・一般的・日常語義で言う「ある」、仏教で言う「ある(atthi)」 (縁起し仮設・認識されたものとして)
━━━│━━━━━━━━━━━━━━━━━━
         .└幻想されたもの・妄想されたもの・想像されたものとして『ある』
           ・・・言語表現上「ある」と言われるもの、仏教で言う「ある(atthi)」

409:神も仏も名無しさん
10/03/13 19:32:07 2gfVJPjd
>>386
>「苦」は、誰にとっても避けたいものだが、しかし、よく考えてみると、
  苦は、生存本能(生命)による極めて重要な「警告」であり、むしろ感謝すべきもの。

↑ 本当にその通りだけれど、「苦」を感謝するのはなかなかむづかしいことですね。。。。
   これが『修行』だったりして・・・

  『生老病愛死』も嫌だけれど、人間が年をとり病気になって死んでいかなければ
  子孫・未来の利益に反するし、生命の引継ぎが、人類の進歩になり利益になる。

 「老人は死ななければならない。あなたが譲ってもらったように他の人達に場所を
   譲りなさい」
 「我々だけでなく、他の人々についても、死ぬのにふさわしい時がある。自分達が
  退いて次の人達の成長に場所を譲ってやるのが理にかなう時だ。自分達の世代を
  充分に生きてしまったら、次にくるものの邪魔をしてはならないのだ。」
                    (ヌーランド著『人間らしい死に方』から抜粋)
       ↑
  「死」を肯定的に自然に捉え、生命による共同体の生存の維持のための重要な警告
   であることを覚り、受け入れ、それに感謝すれば、苦は軽減され、除去される。
    
   痛みが除去されるかどうかは経験が無いので心配は勿論ある。痛みはイヤ! 



410:神も仏も名無しさん
10/03/13 20:13:42 sHt0xLkn
生命教と机には何を言っても無駄だと思うけどね。

仏教とか中論なんて言ってるけど、
そこに説かれていることは、結局どうでもいいのが二人。

411:神も仏も名無しさん
10/03/13 20:57:44 v8vp98uO
>>410
>生命教と机には何を言っても無駄だと思うけどね

反対も又、真なり~
オヤスミン☆♪


412:神も仏も名無しさん
10/03/13 21:02:55 sHt0xLkn
>>411
>反対も又、真なり~
>オヤスミン☆♪

こんな詭弁ばっかで

413:神も仏も名無しさん
10/03/13 23:53:25 UbnMGZSY
>>408
そんなに小難しく考えなくても、実在であるか、それとも非実在(空想・妄想)
であるかは、認識の対象が、人間の生命の維持に直接関係するか否か、によって
テストする。例えば、路傍の石ころでも、積み上げて、塀や家屋を作ることが
できるから実在であるが、神や霊は、煮て食うことも、衣服にして寒気を防ぐ
こともできないから、非実在(空想・妄想)である。
人間は、(必要な場合には観測装置を使用して)五感で知覚できる対象を実在と
判断し、それ以外を空想・妄想であると判断する。例外は「皆無」である。
日常生活での経験から、容易に帰納できること。
どんなに偉い宗教者でも、飯を食うとき、「この飯は実在か、非実在か」などと
迷うことはない。
この意味で、五感の知覚は、生命維持のための必須の機能、生命そのものと
いえる。
釈迦は、2500年前、「眼耳鼻舌身」と、実在の構成原因としての五感を
発見した。最後に加えられた「意」は、五感からの入力を統合する「脳」の
ことであり、あくまで五感の一部である。これは、現代の生理学でも全く同じ。
驚くべき観察力である。
仏教者には、「意」が五感、即ち実在の構成原因とは無関係であると誤解している
者が多い。
人間も、その他の動物も、生まれた瞬間から、実在と非実在とを区別し、ひたむき
に生存しようとする。生まれたばかりの赤ん坊も、誰からも教えられることなく、
母親のオッパイにしゃぶりつく。このオッパイは、実在か、非実在か、などと
迷うことはない。
その区別が出来なくなるのが、後天的な宗教観念を植え付けられた宗教信者たち
である。

414:神も仏も名無しさん
10/03/14 00:08:50 0z/sfarE
>>413
>・・実在であるか、それとも非実在(空想・妄想)
であるかは、認識の対象が、人間の生命の維持に直接関係するか否か、によって
テストする。

ご隠居さんよ、相変わらず、言ってることが無茶苦茶だよ。
この論理でいくと、人間の誕生以前のものは、人間の生命維持に無関係だから
全て妄想ということになっちゃうぜ。

415:神も仏も名無しさん
10/03/14 00:39:48 +v04vMwB
本人も無意義ぶりを認めていることだし→>>411
このままお互いスルーが最適の選択肢だな。

416:神も仏も名無しさん
10/03/14 00:57:36 kgJJuEpC
>>414
生命の発生以前の実在物を「証明」することはできない。あくまで、現在、知覚
できる実在物に基づく推測である。

テレビに出てくる原初の地球の光景は「想像画」ですよw。

また、逆に、地球という実在があったから、原初の生命が発生し得た、とも言える。

「はじめに言葉ありき」ではないことは確かw。

417:神も仏も名無しさん
10/03/14 01:01:32 0z/sfarE
>>416 
正気か?
人間誕生以前には、何も実在物がなかったというのか?
人間誕生と同時に全てのものが、誕生したというわけか?
頭だいじょうぶかい?

418:神も仏も名無しさん
10/03/14 01:05:18 0z/sfarE
>>416
自分で言ってることが、前半と後半で矛盾してることくらいは
認識できるの?

419:神も仏も名無しさん
10/03/14 01:11:12 qf6GfQvU
>>418
適当な思いつきなんだから、ほっとけばいいのに


420:神も仏も名無しさん
10/03/14 01:11:15 NQcPWDqf
>>417
だから、実在の「証明」は出来ず、生命発生後に知覚出来た実在物から
の推測に過ぎない、と言っている。生命発生以前の実在物を、一体誰が
知覚したのかねw。

逆に、生命発生の事実から、地球という実在物が存在したことを、少なく
とも推測は出来る。生命は、実在物においてしか存在し得ないからである。

いずれにせよ、原初の地球の光景は「想像画」なのです。

421:神も仏も名無しさん
10/03/14 01:24:37 0z/sfarE
>>419
いや、ちょっと暇なんで、遊んでるだけ。

>>420
>だから、実在の「証明」は出来ず、生命発生後に知覚出来た実在物から
の推測に過ぎない、と言っている。

>生命発生以前の実在物を、一体誰が
知覚したのかねw。

だからね、実在の要件に「知覚」は必要ないの。
この「知覚」を「実在の必要要件」としてしまうと、
生命誕生以前のものは、すべて実在しないことになってしまう。
すると、生命誕生と同時に、その生命が誕生する場が同時発生する
必要が生じる。すなわち、人間なら地球だ。
わかるかい? 地球と生命の誕生が同時でなければならないことが
絶対条件となってしまう。 ご隠居は、そのように主張するのかい?

ちなみに、この認識論は「強度の人間原理」といわれるもので、
上記の論理から、とっくに破綻していることが常識なんだが、
なんでご隠居は、この幼稚な認識論に固執するの?
そっちのほうが、不思議なんだが?







422:神も仏も名無しさん
10/03/14 01:27:15 qf6GfQvU
>>421
なるほど。>>420なんかアホだって大声で宣言してるようなもんでしょ。


423:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/03/14 01:28:40 KYprl/A5
>>416
この「言葉」とは、
“振動”バイブレーション(vibration)のことを意味するのです。
これが創造原理(物質存在の出現)というもの。
---「logos(言葉)は神であった」(ヨハネ1:1)

遙か、数千~数万年前の太古において、
宗教の世界で認知されていた当たり前の事柄(覚者方の経験智によるもの)を
現代科学がやっと“物質は波(波動)の性質である”と気付いたに過ぎない、ということ。
どう、お分かり?

あなたの発言など・・・
皆さんの邪魔にしかなってないと自覚すべき。

あまりの低レベルな投稿に、
ついつぃ反応してしまったよぉ。~ごめん(苦笑)

424:神も仏も名無しさん
10/03/14 01:32:19 0z/sfarE
>>423 お~~~、宝珠、最近、見てなかったが生きてたか?
10氏へのレスはまだか?

425:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/03/14 01:44:24 KYprl/A5
>最近、見てなかったが生きてたか?

自分の“巣”などでは少し投稿をしています。

>10氏へのレスはまだか?

10氏の発言など相手できない・・・。
とても疲れるよぉwww

あっ、でも肝心のお約束、
「転生現象の理論と検証事例の紹介」についてのウェブページの作成は辞めたわけじゃないですよ。
マジで準備は少しづつ進めています。ただ、勤務過剰にて日常生活すらままならないのです。
準備ができ次第、再開するので覚悟するように!!

あぁぁ・・・世俗社会はもういぃ(涙)
しかし、オナゴだけは素晴らしいのぉ^^

426:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/03/14 01:52:28 KYprl/A5
時々はこのスレも全部、目を通していますよ。
ぜひ皆さんで、更に有意義な議論を進めて下さい。

しかし・・・ここは質問(回答)スレでしょ?
まだ、議論スレとの遊離が確立してないのですね(笑)

427:神も仏も名無しさん
10/03/14 01:58:43 vT6GUCtB
>>421
君こそ幼稚。「人間」の認識論である限り、「人間原理」であることは当たり前。「人間原理」
でなければ、一体誰の「原理」か?

君は、この世界が「本当に」存在することを証明できるか。たかだか、人間そして恐らくは他の
動物の「目に映じる」から、存在していると言えるに過ぎない。ラッセルは、「この世界が5分
前に出来たものではないことを「証明」することはできない」と言った。しかし、この命題には
欠陥がある。時計を見ながら、5分間待てばよいのだからw。

「この世界は、人間の生命の機能としての、人間の目に映じる世界だから、それが「本当に」
存在しているかどうかは、誰にも判らない。従って、あくまで人間による「仮設」である。しかし
その「仮設の世界」こそ、人間がこれまで生きてきた、そして将来も生きるべき唯一の世界なのだ。」
これが「色即是空・空即是色」の意味である。ここには、まだ、竜樹の「関係性」の思想はないと
思う。

カントは、「知覚された物」と「物自体」とを区別したが、彼は「物自体」を一体どうやって
証明したのかねw。彼の妄想以外の何物でもなかろう。

「色即是空・空即是色」を上記の意味に解すれば、反論できる西洋哲学者は皆無であろう。
従って、西洋哲学においても、近年、「唯心論(唯識論)」が見直されているそうだ。
「人間」の認識である限り、「唯心論」以外にはあり得ない。

428:神も仏も名無しさん
10/03/14 02:35:51 0z/sfarE
>>427 あまりにも、低レベルの認識論なので、笑ってしまったけど、

>君は、この世界が「本当に」存在することを証明できるか・・
今時、こんなこと言うものがいるのか?
「世界の実在証明」など、不可能なのは常識でしょ?
例えば、この世界及び全てのもの(生命も含めて)が、あるコンピューター
内の仮想現実である可能性は、排除不能なわけ。現実に生きていると思ってる
個人そのものが、プログラムの書き換え一つで消去されてしまう可能性もあるんだよ。
わかるか? 外部世界の概念を許せば、全てのことは不可知となってしまうの。
当然、「人間が認識したから実在」なんて説も、吹っ飛ぶわけ。
全ての議論が意味を失う。よって、実在の認識論は、最低限、「今、この世界は
実在している」ことを前提としなければ、スタートラインにさえ、着けないの。
まず、最低限のこの常識くらいは知っていようね。その上で、
この世界をどのように「認識」するかが、論点でしょ?

あとね、恥ずかしいから
>ラッセルは、「この世界が5分
前に出来たものではないことを「証明」することはできない」と言った。しかし、この命題には
欠陥がある。時計を見ながら、5分間待てばよいのだからw。

こういうこと言うのは止めたほうが良い。
この世界が、5分前に作られたものか否かは、上記のように、「この世界が
実在であるという前提をはずしてしまう」と判別不能だよ。
時計を見ながら5分まっても、「そのようにプログラムされている可能性」は
排除できないの。 これも常識ね。



429:神も仏も名無しさん
10/03/14 02:56:25 znpiPmet
>>428
本質論としての答えにはなっていない。

人間の認識は、人間の生命の機能。生命がなければ、認識論もへちまもない。
従って、「(仮設としての)実在」のテストとして、「対象が、生命の維持に
直接関係するか、否か」を提案したのである。それ以外に、「実在判定」の
テストが有り得るか。

もっと、「人間」の認識論としての、「実在」の本質に迫れ。人間の生命は、
100%「実在」に依存しているのだから。

佛教は、「世界の実在」を前提としてはいない。

430:神も仏も名無しさん
10/03/14 03:00:16 0z/sfarE
>>429 何いってんだ?  論点がずれてるぞ。
『人間以外のものの実在が、人間に依存しているか?』
言い換えれば
『人間が認識していなければ、人間以外のものは実在不可能か?』

これが論点だったな?  話を摩り替えるなよ。

431:神も仏も名無しさん
10/03/14 03:19:50 csv8rULq
>>430
ここは人間界。あくまで「人間」による認識論、「人間」による存在論だ。

換言すれば、「人間にとって、物の実在とはどういくことか」である。

人間がいくらあがいてみても、「人間であること」から逃れることは出来ない。

432:神も仏も名無しさん
10/03/14 03:23:16 0z/sfarE
さて、質問箱の趣旨とはずれるが、ちょっと勘弁してもらって、
ご隠居の論理の一つの基礎となっている
「人間が認識しているから実在している」という、カビの生えた
古典的存在論である「強度の人間原理」を否定論証しときましょうね。
(予め断っておくが、これは仏教的な認識論とは無関係。あくまでも
世俗における認識論だ。)

まず、認識論の前提として「今現在、我々が存在している『この世界』
は実在しているもの」  これが大前提。これをはずしてしまうと
全てのことが不可知となってしまって、あらゆることが意味を失う。
すなわち、この世界があるコンピューター内の仮想現実であり、全ての
人間がプログラム上のキャラであり、どのように「自分が思考、認識、
決断、行動している」と思っても、実は『そのように行うようにプログラム
されていたに過ぎない』可能性が排除できなくなってしまう。つまり、
我々はこの世界が実在か否か?は決して判別不能なのである。これを
許してしまうと、勿論「~が実在か否か?」と議論することも全く無意味。
『そのように議論するようにプログラムされているに過ぎない』かもしれない
から。  よって、『この世界は実在』   これは認識論をするときの
大前提なんだよ。 デカルトの実在論は、とっくに崩壊してるの。

433:神も仏も名無しさん
10/03/14 03:24:18 0z/sfarE
さて、以上の前提に立って、「この世界は『人間の認識』により、実在して
いるのか?」  言い換えれば「人間が認識していなければ実在していない
のか?」  
この問いに対する、古くから言われている解答の一つは
「お前が見ていなくても、月はそこにある。」   これだね。

もし仮に「人間が認識、知覚することが『実在の要件』である。」とするならば
人間誕生以前は「何物も実在していなかった」ことになる。
全てのものは「人間誕生以降に発生したもの」ばかりだ。すなわち、時系列の
始点が人間であり、この宇宙も人間の誕生と同時ということになる。
また、「人間が現時点において『未発見のもの』というのも有り得なくなるな。」
人間が知覚、認識していないものだから、当然、「そんなものは実在していない」
だから、ウイルスというのも実は、存在していなくて、人間が知覚した瞬間に誕生
したことになるな。 さらに、小惑星でも地球に衝突して、地球が吹っ飛んでしま
ったら、「知覚する人間がいなくなって」しまうから、太陽系は言うに及ばず
銀河系も消滅だ。  わかるか? ご隠居さん。 如何にお前さんが
トンでも理論を力説しているか。

434:神も仏も名無しさん
10/03/14 03:33:27 0z/sfarE
>>431  何の反論にもなってないぞ。
必死に論点を摩り替えようとしていることだけは、わかるが。

435:神も仏も名無しさん
10/03/14 04:11:44 7tTUSk6L
突然ですがお邪魔します。
中国が日本を侵略する可能性が高くなってきました。
チベット人虐殺は有名ですが(現在でもやってます)
オーストラリアが中国に乗っ取られたのはご存知でしょうか?
日本でも同じ事が起きようとしています。
検索してみて下さい。お願いします。

国民が知らない反日の実態



436:神も仏も名無しさん
10/03/14 04:20:46 0z/sfarE
結論

以上により、この世界を実在とするならば、「人間の認識、知覚」
などは、その「実在要件」などには全く無関係なんだよ。

この世界の実在を前提としなければどうなるか?
これは、もういくつもの説が可能となる。
一つには、上記のように「単なるホログラムの世界」とか
仏教的に「縁起によって仮設されたに過ぎない世界」→(これ自体
かなり具体性にかけるが)  このようなメタな世界構築も可能と
なるね。

437:神も仏も名無しさん
10/03/14 06:45:04 qf6GfQvU
>>427
>君こそ幼稚。「人間」の認識論である限り、「人間原理」であることは当たり前。「人間原理」
>でなければ、一体誰の「原理」か?

アホ、知らない言葉は調べろ。三浦俊彦『論理学入門』が分かりやすい。
記号が指示する習慣的意味を無視して、文脈も無視して、
自分の狭い知識領域での幼稚な思いつきを述べてるだけなんだよ。

普通に教育受けたものなら、直ぐ分かるんだが、
君に共感する他人がいるのがオイラには不思議だ。

438:神も仏も名無しさん
10/03/14 06:59:06 qf6GfQvU
ついでにいっとくと色即是空にしろ、龍樹菩薩の見解にしろ
この「人間原理」と同じ解釈をしてるのが生命教。
それでいろんな人がそんな解釈はありえないと教えてるのに、
無視して妄想世界を怒鳴ってるだけ。

439:神も仏も名無しさん
10/03/14 09:33:40 QdBhTGr1
>>413
>そんなに小難しく考えなくても、実在であるか、それとも非実在(空想・妄想)
>であるかは、認識の対象が、人間の生命の維持に直接関係するか否か、によってテストする。

もし実在するなら、色蘊は無縁に結果する。つまり実在者は一切不可。
しかし、縁已生法であっても、予想された果をもたらすか否か、この違いはある。

ただ、極めて例外的にだが、君の発言にも認めるべき点が有る。
認識行為※に先立ち独立自存するが如きものは、一切不可、これは正しい。
何故なら、認識行為に先立ち独立自存するものを、如何なる認識行為をも介在させずに承認することは、
不可能だからだ。もし承認するとしても、抽象的思考行為の認識対象、
つまり、一切=十二処でいえば、意に対する法処に過ぎない。
徹底的に懐疑したとしても、その懐疑も、また認識行為でしかない。
ただし、君の場合、認識行為の構成要素としての身体の捉え方が唯物論だ。だから、話がおかしくなる。
※「認識」ではなく、殊更に「認識行為」としたのは、認識性を持たない行為=業とか、
行為性を持たない認識というのはありえないから。

440:神も仏も名無しさん
10/03/14 09:37:57 QdBhTGr1
外境を認めねばならないと非哲学的やる最大の動機は、
『唯識二十論』等に簡潔に述べているように、一切が主観的実体の所作なら、
何故、認識内容が時間的・空間的・内容的に限定され任意に出来無いのか、というものだ。
つまり、事実性や未知性等の、経験の非任意性=苦がどうして担保されるのかという問題だ。
これは、唯識=“自生”と誤解するから起る。

441:神も仏も名無しさん
10/03/14 09:42:54 QdBhTGr1
>>437
>君に共感する他人がいるのがオイラには不思議だ。

仰る通りで、龍樹に関する彼の発言は聞くに堪えませんが、
認識即ち行為に外在する何某かが実在する、という非哲学的極まる邪見よりは
まだ、マシだと思うのですが…。

442:神も仏も名無しさん
10/03/14 10:27:39 f3sdFw48
>>433
>もし仮に「人間が認識、知覚することが『実在の要件』である。」とするならば
人間誕生以前は「何物も実在していなかった」ことになる。

ID:0z/sfarE氏は、頭悪い。ご隠居氏の論を曲解したこじつけ論w
小難しい理屈は考えられるが、簡単明快なご隠居氏論が理解できない不思議~(笑

ま、どっちが冷静レスでどちらが感情的罵倒負け惜しみレスを
ちょこちょこカキコ多用してるかで大方の判断はつくw  

忙しいのでオチ


443:神も仏も名無しさん
10/03/14 10:33:26 f3sdFw48


■ 本覚思想  ■

(ほんがく)とは、本来の覚性(かくしょう)ということで、一切の衆生に本来的に
具有されている悟り(=覚)の智慧を意味する。如来蔵や仏性をさとりの面から
言ったものと考えられる。平たく言えば、衆生は誰でも仏になれるということ、
あるいは元から具わっている(悟っている)ことをいう。

主に天台宗を中心として仏教界全体に広まった思想だと考えられており、
このことから本覚思想とも称される。 『ウィキペディア(Wikipedia)』



444:神も仏も名無しさん
10/03/14 10:40:10 0z/sfarE
>>442  また出たか? ご隠居のタイコもち(または自演か?)

そのように総論的に、あたまが悪いなどと小学生並みの野次を飛ばすので
はなくて、具体的に俺の書き込みのどこがどのようにおかしいのか
指摘してみ。 できるか?

下らない野次を飛ばすしかできない雑魚は、スレ汚しにしかならんので
すっこんっでなさい。  わかったかい、ボクちゃん?

445:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/14 10:53:39 M8TctDjb
>>433
>もし仮に「人間が認識、知覚することが『実在の要件』である。」とするならば
>人間誕生以前は「何物も実在していなかった」ことになる。

「何物も実在していなかった」。これは、
禅の場合は公案の範疇になりますね。

まあ、これを気づいて、それで透過ということになるんですけど、
私は既に解けましたです。
で、貴殿はどうでつか?

446:神も仏も名無しさん
10/03/14 10:58:50 0z/sfarE
>>445 残念ながら、机氏よ。
俺はここで形而上的な観念論をやろうとは思わない。
(やるのなら哲板に移動する)

ましてや、矛盾を前提とする公案は、やる気にはならないな。

447:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/14 11:03:57 M8TctDjb
>>446
形而上とも違いますし、ましてや観念論でもない。
リアルであります。

>ましてや、矛盾を前提とする公案は、やる気にはならないな。

そうでしたか?
では、貴殿は何処が矛盾とお考えでありますか?
それだけでも書いてくれればイイだけですよw

448:神も仏も名無しさん
10/03/14 11:07:43 0z/sfarE
>>447  勘弁してよ、机氏。(笑)
ここで、お宅とそんな話始めると、縁起一代に怒られちゃうよ。(笑)

449:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/14 11:11:20 M8TctDjb
>>448
そうですか^m^
分かりました。

このお題について関心がある御仁がおりましたら、
私が解説します。
ない場合は、これで終了です。

450:神も仏も名無しさん
10/03/14 11:33:39 +a/gHhrq

だいたい、ものごとには「始まり」がある、ということが矛盾した仮説にすぎない。

反キリスト教のはずの耄碌隠居がアウグスティヌス的陥穽に陥っているところが、笑える。

ここは仏教スレなんだから、存在=時間も中道一本でOK!



451:神も仏も名無しさん
10/03/14 12:53:40 7rNodDQd
>>408に番号を振ってみる。

   一般的指示語         仏教                一般常識或いは御隠居
A1  実在         実在(不可知)  …転倒妄想       実在(不可知)
A2  実在         実在(不可知)  …転倒妄想       実在(不可知)
━━━━━  ━━━━━━━━
B1  存在一般           ―   ・・・・・・・・・・・・・・・→  存在一般
B2  存在・実在     〔仮設存在〕    … 色(rUpa)      .実在
B3  存在         .〔仮設存在〕    … 名(nAma)      .存在
B4  存在(・非実在)   存在一般  ・・・・→ 名色(nAmarUpa)  ―
────                            ━━━━━
C  存在・非実在    〔仮設存在〕・概念 … 名(nAma)     非実在
────
D  存在・非実在    〔仮設存在〕・概念 … 名(nAma)     非実在
━━━━                            ━━━━━
E  存在・非実在    〔仮設存在〕・概念 … 名(nAma)     非実在 …観念・妄想


そして、(ここが重要な点の一つだが)、
縁起馬鹿のスタンスに於いては(≒伝統的仏教に於いては)、《「B2」「B3」は「B4」に包含され》、
世俗の一般常識(一般的認識)に於いては、《「B2」「B3」は「B1」に包含され》る、ということ。
そして、「実在」という語で指示される領域は、《上段の━━線より上》であり、
縁起馬鹿のスタンスに於いて(≒伝統的仏教に於いて)と、世俗の一般常識(一般的認識)とでは、
その位置に大きな違いがあるということ。仏教に於いては《下段の━━線は無い》ということ。
つまり、Bでカテゴライズされる領域への視線のとり方が、齟齬の原因であり、
仏教を仏教足らしめる(≒縁起をその中心思想とすること)点だということ。

452:神も仏も名無しさん
10/03/14 13:33:01 7rNodDQd
で、>>408>>451を踏まえた所で、
(代表的な例は「歴史的釈尊」「歴史上実在した人物」という言表になるがw)、
ある事象について「○○は実在する・した」と言われた時、
縁起馬鹿からは「それは縁起が解っていない。実在するものなどない」(→Aの領域で考えてはならない)
と指摘が入るわけだが、
発話者は、「いやいや、Aについて言っているんじゃなくてB2についての話なんだが・・」と返す。
縁馬「だから、それは『実在』(A)じゃない」。  対論者「いやいや『実在』(B2)だろ?」。
縁馬「だから、B2も実在じゃない」。  対者「いやいや、B2を『実在』と言わなかったら何を実在と言うんだい?」。
縁馬「Aの領域が実在であり、他は(縁起する)仮設された存在であり(幻・妄想の如きであり)、縁起しないとされるAも妄想」。
対者「縁起して存在しようが、仮設のものだろうが、『事象としてある・あった』という点では
   (物質(≒色rUpa)も絡むし)『実在』だろ?幻・妄想ではないだろ?」
縁馬「いや、それは縁起が解っていない。縁起するものは『実在』ではない。縁起してあるものを幻・妄想の如きものと言う」
対者「一般的に言われる「観念・妄想」との違いは?」
縁馬「違いはない。縁起するという点で、全ては一味」
対者「なるほど。『実在』の語義範囲が違っていたわけね。(一般的に)『存在する』という意味ではアリなのね」
縁馬「そう。世俗の言語慣習で「ある・あった。いる・いた」とは表現するけれども、実在するわけではない。
   『存在する』という言表も、縁起してあることを忘れて『そこに(固定的に、個物的に)ある』と言ってはいけない」
対者「・・・了解。 ・・・・・・。(今一スッキリしないな・・・)」

ってな感じだったわけだw
御隠居はもとより一般の人にとっては、
>>451の縦真ん中の視線を理解できるかどうかがカギなわけだ。

で、御隠居には無理なんだろうけど・・・w

453:神も仏も名無しさん
10/03/14 13:50:21 KjpH8CeK
>>436
そう考えているのも、すべて「人間」としての君の生命の機能。君が死ねば
一切不可能。

人間がいくら足掻いてみても、「人間であること」と「人間の身体に宿る生命
の呪縛」から逃れることはできない。

人間及び、恐らくは他のすべての動物も、生まれた瞬間から「実在」と「非実在」
とを判別し、「実在」によってひたすら生存に努める。この「実在」と「非実在」
との区別(現実感覚)が、生命維持の基盤。そして、生命がなければ、当人にとっては、
すべては「無」である。認識も、思考も、信仰も、宗教も、科学も、一切有り得ない。

宗教者とは、この「生来的現実感覚」が、「後天的・人為的観念操作」により
変容・破壊された状態をいう。

宗教者は、「後天的・人為的観念」を一切脱却し、生まれたばかりの赤ん坊から、
その現実感覚(生命維持の基盤)を学ぶべきである。つまり、生命(生存本能)と
いう「動物としての人間の根源」に立ち帰ることである。

宗教者に最も欠けているものは、「人間にとって物が実在するとはどういうことか」
という「存在論」である。いかなる人間も、実在に100%依存しない限り、
一瞬も生存できないのだから。例えば、この地面という目に見える実在がなけ
れば、忽ち奈落の底だ。

「人は、パンが無ければ生きられない」のである。

454:神も仏も名無しさん
10/03/14 13:53:12 0z/sfarE
>>452 セブンよ、「歴史的釈尊」についての話みたいだが、その
「対者」というのは俺のことか?(笑)

ならば、  >(今一スッキリしないな・・・)
これは削っておいてくれ。(笑)
俺は縁起一代のスタンスは了解してるよ。
ただ、この「縁起による仮設」についての具体的解説は一切ないので
未だにわからんがね。そこは言語表現不可ということで、とりあえず
今は了解している。俺としては、そこのところの言語表現化がどこまで
可能なのか?  これが今後の仏教徒の最重要課題だと思うんだがね。

455:神も仏も名無しさん
10/03/14 14:04:13 7rNodDQd
>>454
ワロタw 了解。(けど、各自の脳内削除に頼るしかないが・・w)
ま、縦3列目の上段━線の位置をミスったかな・・とか、そこかしこに不備はあるが、
真ん中の━線より下は、全て「縁起するもの」つまり三法印で言われる所の
諸行・諸法・一切がこの領域だということ、一般認識との差異がどこにあるかということ、
などが感覚的に見えれば十分なので、まあいいか・・w
(ちなみに、(アートマンとか真我とか、或いは神様でも宇宙の意思でも呼び名は何でもいいがw)
 ━線より上を云々したがるのが「神秘系、オカルト系、新興宗教系」なわけだ。)

で、案の定、御隠居(>>453)には糠釘だと・・・w (^^;

456:神も仏も名無しさん
10/03/14 14:04:56 qf6GfQvU
>>441
そうかな、分析哲学系の方は経験実証主義による原子多元論のような実在論、
つまり、もっとも現代人の常識に近いような気もするけど、
代表的な人しかしらないから、確かなことはいえない。


457:神も仏も名無しさん
10/03/14 14:08:50 0z/sfarE
>>453  おいおい全く論点がずれてるぞ。そんな話ではなかったぞ。
都合が悪くなったら、論点ずらすか?


>・・・君が死ねば 一切不可能。
あたりまえのこと。ただし「俺が死んでも、この世界が消えてなくなる
わけではない。」 ただ単に「俺が知覚できなくなる」だけのこと。
世界の実在に何の影響もない。

>・・そして、生命がなければ、当人にとっては、
すべては「無」である。認識も、思考も、信仰も、宗教も、科学も、一切有り得ない。

これも全く同じこと。特定の個人が知覚不能な状態に陥ったとしても
その個人にとっての世界が消失するだけであり、依然として世界は
存在し続けるね。 ご隠居の思考は認識と実在をリンクさせてることが
そもそも間違い。知覚主体が消滅したら、その主体が知覚していた世界
(その個人にとっての世界)が消失するだけのこと。
人間全てが死に絶えたら、この宇宙も終わりかい?
いい加減に「通常の認識判断力」を持とうや。
ご隠居もいい年なんだろ? いつまでも中2みたいなこと言ってると
はずかしいぞ。



458:神も仏も名無しさん
10/03/14 14:11:31 qf6GfQvU
>>442
明解な矛盾があるよね。素朴実在論支持するのに、
生命誕生以前は実在が確認できないとか?

一般には知覚あるいは現象はあるが、実在は確認できないと言われ、
生命などとはいわないんだが。

少なくとも、ラッセル、クワイン、三浦俊彦の三つぐらいは読んでから、
論理構築してくれ、幼稚過ぎて話にならんは。


459:神も仏も名無しさん
10/03/14 14:14:47 qf6GfQvU
>>443
本覚思想ってのは学者が勝手につけた名前で、
天台では本覚門って言うよ。
それにあんたらみたいなただの生の肯定ではないから、
『大乗起心論』も同じ。

そんなのテーラワーダみたいな単純な教えが分からないのに、
本覚門とか如来蔵とか分かるわけがない。


460:神も仏も名無しさん
10/03/14 14:20:33 0z/sfarE
>>456 お!  >>441に絡むか?縁起一代。 俺はあえてそこは
スルーしたんだがな。 

ご隠居の言う「知覚、認識による実在論」(尤も、ご隠居のは、その
極端なバージョンである『強度の人間原理』にまで行ってしまってるが)
その基本概念の『認識とその認識主体の相依性』は、(よく知らんが)
龍樹の相依性、相関性に通じているんではないのかい?
以前にも一度、輪廻スレで論じた覚えがあるが。

461:神も仏も名無しさん
10/03/14 14:22:32 qf6GfQvU
>>452
>対者「一般的に言われる「観念・妄想」との違いは?」
>縁馬「違いはない。縁起するという点で、全ては一味」

これ前に言ったよね。違いは対象作用の有無、
つまり、言語習慣で指示される意味・内容・本質が、その通り働くかどうか。
例えば、水といって正常な人が水を共通認識でき体験できるなら、妥当な認識、
別のものに認識されるなら、人としての妥当な認識を逸脱した所謂「妄想」

ただし、これは水が実在するのではなく、魚には人にとっての空気のように認識されるだろうし、
また、仏典では餓鬼には血膿、天人には甘露などと妥当な認識がそれぞれの業に基づいてことなって縁起し認識・経験される。



462:神も仏も名無しさん
10/03/14 14:27:34 qf6GfQvU
>>460
だって、オイラへのレスだし。真面目な感じだから。

>>461 が答え。
なお、相依性、相関性というのは月称菩薩の解釈で、
龍樹菩薩は唱えていないというのが、学者の多くが支持する説と思われます。
私も確証はないのですが、そちらに傾いています。


463:神も仏も名無しさん
10/03/14 14:30:35 0z/sfarE
>>458 お~い、縁起一代、アンカー間違ってないか?

>明解な矛盾があるよね。素朴実在論支持するのに、
生命誕生以前は実在が確認できないとか?

これはご隠居のことだろ?
なら、わかるが。
以前から、不思議に思ってたんだがね。ご隠居は、まさに縁起一代が
言うところの「素朴実在論」なわけだ。(俺はそれ自体は別に悪いこと
だとは思わん。それが。彼のスタンスなのだろうから)
おかしいのは、(おそらく)人間の生命を重視するあまり、そこを中心に
考えて、実在認識基準が唯心論になってしまっていること。
この矛盾が、ご隠居の中では矛盾として捉えられていないことが不思議
なんだがな。

464:神も仏も名無しさん
10/03/14 14:34:37 7rNodDQd
>>461
ああそうか。桶。失礼したw
けど、それは、寧ろ「名称・呼称」との関係にピントを合わせたような感じだね。
問題は、
≪《「人には水」「魚には住居」「餓鬼には血膿」「天人には甘露」として認識される》そのような事象≫
が≪ある≫と言い得るのかどうか、という点になると思うが・・。
そしてその時に、『その≪ある≫をどう見るか』が、
(勝義と世俗の対比として、また、一般常識及び御隠居的視線と仏教的視線との対比として)451なわけで。

465:神も仏も名無しさん
10/03/14 14:37:14 7rNodDQd
464の点をもっと掘り下げられると、454への解説の一種として使えそうなんだが・・・。
今はまだ、ちょいと力不足だ・・w

466:神も仏も名無しさん
10/03/14 14:38:25 0z/sfarE
ん? よくわからんが、>>441 の言ってる事は
「認識行為とその行為以前に独立した認識行為主体を設定することは
不可でその行為があって初めて、その主体が仮設される」
言い換えれば「主体は行為に相依しているわけで、行為のない段階で
主体設定することはできない」

こういうことではないのか?
勿論、他者の書き込みなんで、その意図するとこは正確にはわからんが。

467:神も仏も名無しさん
10/03/14 14:46:08 qf6GfQvU
>>463
間違ってないよん。生命教の支持者に生命教の矛盾を指摘しただけのこと。

素朴実在論で常識的に生きることはオイラも否定しない。
ただそれを仏教に混ぜて、これが仏教だみたいに語るのはやめり、と言ってるんだが、聞いてくれない。

468:神も仏も名無しさん
10/03/14 14:48:16 0z/sfarE
>>467
>間違ってないよん。生命教の支持者に生命教の矛盾を指摘しただけのこと。

そういうことか。了解。

469:神も仏も名無しさん
10/03/14 14:52:48 qf6GfQvU
>>464
「ある」でも「実在する」でも言い方としてはなんでもいいんだけど、
問題は意味、内容、思想ね。


仏教では、それぞれの業に従って縁起して「ある」「実在する」、
これが言語習慣「あるがまま」、あるいは中期中観的に「ただ分析考察せずに(言語習慣どおり)受け入れるべき本質」ですね。
これならあり。

ところが、自立的実体的に水は水であって断じて甘露や空気のようなものではないという意味で、
「ある」とか「実在する」という意味なら、それは縁起でも無我でも、
もちろん空ではありえない。

ってこと。

470:神も仏も名無しさん
10/03/14 14:55:45 qf6GfQvU
>>466
仏教の縁起に限定しているなら、そうでしょうけど、
「非哲学的」という一句を読み込むと、
いやいや、西洋哲学では結構主流じゃないですか、と思ったので。
こっちの誤解かもしれません。


471:神も仏も名無しさん
10/03/14 15:06:37 xVZxr0xU
>>433
>もし仮に「人間が認識、知覚することが『実在の要件』である。」とするならば
人間誕生以前は「何物も実在していなかった」ことになる。
 
何故そうなる?


472:神も仏も名無しさん
10/03/14 15:10:02 qf6GfQvU
>>471
訊ねる相手が違ってると思いますが?


473:神も仏も名無しさん
10/03/14 15:15:58 xVZxr0xU
>>472
違っていません。>>433のレス内容です。
私は、一般人なので分かるように説明して下さい。


474:神も仏も名無しさん
10/03/14 15:18:25 QdBhTGr1
>>456>>470
>いやいや、西洋哲学では結構主流じゃないですか、と思ったので。

分析哲学系は仰る通りなのだろうと思いますが、
私が念頭しているのは、現象学です。
認識行為に先立って独立自存するような、主観や客観は認めませんから。

475:神も仏も名無しさん
10/03/14 15:22:09 qf6GfQvU
>>473
いや、だってその文に対する反論を書いてる人に貴方は質問しているわけだから。

>>474
ああ、なるほど。私は現象学はほとんど知りませんが。
それなら「非哲学的」というのはちょっと言い過ぎじゃありませんか?


476:神も仏も名無しさん
10/03/14 15:25:13 QdBhTGr1
>>475
>それなら「非哲学的」というのはちょっと言い過ぎじゃありませんか?

現象学からすると自然的態度・自然主義的態度だと思いますので、
「非哲学的」としました。

477:神も仏も名無しさん
10/03/14 15:31:11 xVZxr0xU
>>475
>>433のID:0z/sfarE氏へのです。

>>416でご隠居氏が↓

>生命の発生以前の実在物を「証明」することはできない。あくまで、現在、知覚
できる実在物に基づく推測である。

と言われているのに曲解して >>417でしつこく

>人間誕生以前には、何も実在物がなかったというのか?
>人間誕生と同時に全てのものが、誕生したというわけか?

と責め立てていること 話を摩り替えてる。

ですから>>471の質問です。



478:神も仏も名無しさん
10/03/14 15:36:18 xVZxr0xU
>>477の補足
ご隠居氏は、一度も

>人間誕生以前には、何も実在物がなかったとか、
>人間誕生と同時に全てのものが、誕生したとか言及されていません。


479:神も仏も名無しさん
10/03/14 15:36:23 qf6GfQvU
>>477
え~、生命教支持者ですか?

大丈夫?


480:神も仏も名無しさん
10/03/14 15:41:47 ib11uBis
仏教徒の方に質問です。

弥勒が救いに来るとか、~ナユタの彼方に須弥山があるとか
四天王とか言われると、荒唐無稽すぎてついていけません。
仏教を信仰しておられる方は、
ああいうロープレみたいな世界観も信じてらっしゃるのでしょうか?
その場合、信じる根拠を教えてくださいませんでしょうか。

481:神も仏も名無しさん
10/03/14 15:42:22 qf6GfQvU
>>478
だって彼の論理は破綻しまくってるでしょ。

例えば「人間原理」という言葉を「宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方」といった意味の Anthropic principle の訳語として理解せず、

>>427
>君こそ幼稚。「人間」の認識論である限り、「人間原理」であることは当たり前。「人間原理」
>でなければ、一体誰の「原理」か?

といった発言をして誤解を訂正しない、全て彼の場合そうです。
縁起、色即是空、衆生心、本覚、みな勝手な妄想読み。
そんな人を、貴方は何故、擁護するのでしょう?

482:神も仏も名無しさん
10/03/14 15:44:25 xVZxr0xU
>>479
只の一般人です。いろいろ不明なことが多いので
宗教板も時間がある時は見ます。

早速煽りですか?


483:神も仏も名無しさん
10/03/14 15:48:33 xVZxr0xU
>>481

>>471


484:神も仏も名無しさん
10/03/14 15:54:41 qf6GfQvU
>>483
謎の人物現るというか

まあ、好きにしてください。

誰も答えないでしょう。


485:神も仏も名無しさん
10/03/14 15:59:04 xVZxr0xU
>>484
>誰も答えないでしょう。

誰も答えられないの間違いでは?

では、ID:0z/sfarE氏のミスということで
ご隠居氏の理論は正しいということですね。

オチ


486:神も仏も名無しさん
10/03/14 16:01:29 qf6GfQvU
>>485
あんな誤読と妄想満載なのは理論とはいわない。
妄想と言う言葉が適切妥当でしょう。


487:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
10/03/14 16:26:28 M8TctDjb
>>452
>対者「・・・了解。 ・・・・・・。(今一スッキリしないな・・・)」

スッキリしないのは、語義解釈してるからスッキリしない。
語義以前でありますね。
その前程は何でありましょうや?
前程がトチ狂っておりますと・・・もはや戯論でしかない。

>戯論を消滅する、縁起の法を説いた、
>最も優れた者である、仏陀に礼拝する。
(参考文献:中論序章)

488:神も仏も名無しさん
10/03/14 17:31:01 0z/sfarE
>>485 あのなあ、ご隠居は今までも繰り返し、「実在は人間の知覚による」
と述べてきた経緯も知らないのか?
何も今回が初めてじゃないよ。輪廻スレでも、以前突っ込まれて逃げだしてた。

ご隠居は「人間が知覚できたものだけが、実在である」と何度も述べてるの。
それでは改めて聞こうか? ご隠居さん。

1「人間が誕生する以前に実在したものがありますか?」
2「あるというのであれば、『何故、それは実在している』といえるのですか?」
3「ない、または不明というのであれば、何故そのように判断できるのですか?」

もう、終了するつもりだったっが、馬鹿が絡んできたので、とことんやるぞ。
逃げるなよ、隠居。

489:1/5
10/03/14 18:33:28 7rNodDQd
スレリンク(psy板:782番)

以前、同様のポイントで応答をしたことがある。
その時の彼も、この点に関して(今の君のように)攻撃的批判としての言辞を多く発していた。
短文での煽り的レスもあった。
だが、彼にはその発言の後ろに、きちんとした理と正当性があった。
もとより2chでの遊興的やりとりだ。マジになりすぎることへの反省はあってもいい。
彼としても、本気の議論であったわけでもなかろうが、(優位にあるにも拘らず)丁寧に要点をまとめてもくれた。
私の返レスも、今にしてみれば「理屈を捏ね回した弁明」に過ぎず、
「言い訳に必死だなwwwww」と自分にレスしてやりたい所だw 「もっとスマートに返せないもんかね・・w」と・・w
ま、それはいいとして、(興味のある人は、スレのURL貼っとくんで“みみずん”ででも・・。)
以下、(他のROM者への参考資料も兼ね)、彼のレスを幾つか引用してみよう。
(2chだし、当事者だし、了承とってないけど桶でしょうw
 【 】記号は引用者が挿入。適宜、改行・行詰めも行なった。)
 ※321・242への返レスは↓
  【宗教】信仰問答【哲学】part9
  スレリンク(psy板) 140-147

490:2/5
10/03/14 18:34:39 7rNodDQd
【宗教】信仰問答【哲学】
スレリンク(psy板)
272:
耳を傾けた者に届く?また大嘘もいいところですね。
最初【素直に耳を傾けたものに対して】、
【仏教徒は】【非誠実で粗雑な対応を全くしていないと】断言するというのですか?
素人さんは胸をはって耳を傾けたものにはきちんと届けることが出来る仏教徒がほとんどだと言えるのか?
卵が先か鶏が先かの話ではない。
【批判のための批判や感情的な批判をされるのはそもそも仏教徒が原因】でしょ。因果応報って奴ですね。
一般人が面白半分に批判してると思わない方がいいですよ。
【いままでは仏教カルトに責任を押し付けてあぐらをかいてきた】けど、
じじばばが死んだら一気に情勢は変わりますよ。
人の噂も何十日とかではなく、大衆の中にコールタールのように
【仏教への嫌悪感】がへばり付きつつあるという現状はしっかりと認識したほうが良いと思いますが。
袈裟を憎まれる程度で済めばいいですけどね。

301:
ほんと毎回毎回。同じパターンだな。【仏教を否定する奴は仏教を知らないから】だという奴ばかり。
オウムや創価を批判するのに教義の勉強をしなくてもいいように、
【仏教の批判も本来教義をしらなくても問題はない。教義を攻撃しているわけじゃないから】。
こちらが譲歩して善意で教義を調べて批判してあげているだけのに、
【「まだまだお前は仏教をしらない」と永遠に言い続ける】。
じゃあ、悟りを開き、仏教を教義的にも体現的にも「知っている」人間を教えてくれといっても誰も答えられない。
ID:SASkEhK。当然あなたはは仏教を「知っている人」なんですよね?
仏教のレベルを上げた人間だって事でいいんですよね?
素人さん読んでます?こんな奴ばかりですよ。【2chだけでなくリアルでも】そう。
論語読みの論語知らずが仏教理論を語り悦に入ってるだけだから、
釈迦が苦労してあつめた人心がどんどん離れて【アンチが増えていく】のです。

491:3/5
10/03/14 18:36:04 7rNodDQd
321:
仏教を宗教だとすると、批判の対象が二つに大きくわかれます。
 1・仏教の教義は誤りである。
 2・仮に教義が正しいとしても、あなた方は守っていないではないか。
   【そもそも守れない無茶な教えなのでは?】
【2が主に仏教側に【人格批判】ととられてしまう】。
【泥棒に物を盗んではいけないよと言われたら、誠実な反応を期待できない】でしょう。
宗教学者の立場であれば1だけ言えばいいのですが、【宗教者であると宣言されると2は含まざるを得ません】。
ダンマパダで「72愚者に知識が生じても、それだけでは、義(意味)のためならず、
〔その知識は〕愚者の幸運を打ち砕き、彼の頭を打ち落とす。」
といっている通り、教義だけでは宗教としては意味がないからです。
よって2も含んだ上で批判しますがそれでよろしいですか?

242:
批判のカテゴリーは下記の分類がメインだと思います。
 1:仏教徒の人間性。
 2:現存する仏教集団と国家社会との関係。
 3:仏教理論
そして、最後は
 4:開祖釈迦の方法論、および行動への批判です。
 対機説法の不確定性。臨機応変は伝承可能か?
 伝えられないものを、伝えようとしていなかったか? などですかね。

492:神も仏も名無しさん
10/03/14 18:50:41 0z/sfarE
>>471 これは俺へのレスだったのね。

>>もし仮に「人間が認識、知覚することが『実在の要件』である。」とするならば
人間誕生以前は「何物も実在していなかった」ことになる。
 
何故そうなる?

かなり読解力が、かわいそうな人みたいなので、できるだけわかり易く
説明しますね。

今までご隠居というひとは、各スレで繰り返し「人間が知覚できたもの
(必要な場合はツールを用いて)だけが、実在である。言い換えると
『人間が知覚できたものだけが実在である』 こう述べてきたわけ。
すなわち、『実在の必要条件として、人間の知覚』をあげてきたの。
この論理でいくと、人間誕生以前には、何も実在しなかったことになる
でしょ?何故ならば、もし、人間誕生以前に、何かしらのものが実在して
いたとすると、それは『人間が知覚していないのに』実在していたことになり
ご隠居の論理に矛盾してしまわけ。 わかるかい?
ご隠居の論理でいけば、「人間の知覚」とは無関係に実在するものがあっては
困るわけよ。 よって、人間誕生以前には何も実在しないことになる。
だから、俺が「地球は人間誕生以前に実在したか?」と問うたとき
ご隠居は「人間誕生以前の地球は、単なる想像図に過ぎない。」と論点を
ずらした、当たり前の事実を述べるだけで、回答したかのように振る舞い
逃げただろ?  「実在したのか?実在しなかったのか?」
どちらかを答えるだけでいいわけよ。  わかったかい、ボクちゃん?

ところでお前は、どっちの見解だ?
人間誕生以前にも、地球は実在したと考えるのか?


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