10/03/10 15:25:16 AL08zOVd
>>230
>親鸞聖人でさえ弟子はいないと言っている。僕如きに弟子などいるわけもない。
浄土門においては「自証」というのがある。
これは「自らに習う」という意味である。
自らにおいて習うとは、縁において習う。という意味である。
縁というのは、固有なものではなく、広義においての多義を含む。
親鸞聖人が「弟子はいない」というのは、それは親鸞の都合の話であって、
親鸞を師と思う人間はいくらでも居る。
つまり「師」というのは、自分においての師である。
大川隆法の如き、自らを仏陀再臨というほど愚かなことはない。
親鸞聖人の「弟子はいない」は、
そういう意味が込められておる。