10/02/24 18:39:51 NZkXXQO8
>>233
釈尊が仏道修行に励んでいる際に、様々な「魔」が出現して、仏道修行の成就を妨げたことすら知らないようですね。
呆れた人です。
君のいう「解脱」をした後でさえ、さまざまな「魔」が、釈尊の障害として現れてきたではありませんか?
クリスチャンが「天国」に行けば「それでOK!」と思うように、念仏の信者が極楽浄土に行けば「それでOK!」と思うように、解脱すれば「それでOK!」なんてお笑いですよ。
ある意味では、そこからが大事とも考えられます。正しい法を弘め、多くの人々を救っていかなければならないのですから。
解脱さえすれば目的達成かのように説かれた教えは、あくまで修行を励ますための、仮の教えです。
仏法の根本精神は、慈悲ですから。自分だけ幸福になればいいという考えはありません。
また解脱が目的であれば、仏教徒は全て出家しなければいけないでしょう(在家では解脱は無理ですから)。
しかし、釈尊が在家を否定したことはありません(少なくとも、そのような文証はありません)。
また、在家が救われない(=解脱できない)のであれば、仏教が人々を救済し得る力は、非常に限られたものになります。
ある意味、非常に限られた一部の人のための教えということにもなるでしょう。
釈尊が説いた教えが、そんなものであるわけがないのです。
末法の世になり、日蓮大聖人が万人が実践可能な南無妙法蓮華経を説き弘めた意味も、そこにあるのです。
君ね。少し思慮が浅いよ( ゚Д゚)y─┛~~