10/02/24 17:35:57 NZkXXQO8
若(も)し善比丘(ぜんびく)あつて法を壊(やぶ)る者を見て置いて呵責(かしゃく)し駈遣(くけん)し挙処(こしょ)せずんば当(まさ)に知るべし是(こ)の人は仏法の中の怨(あだ)なり、
若し能(よ)く駈遣し呵責し挙処せんは是れ我が弟子真の声聞なり (涅槃経)
通解:
もし、仏弟子がいて、仏法を破壊するものを見て置いて、責め立て、追い出し、その罪をあげつらわなければ、まさに〝この人は「仏法の中の仇(あだ)」である〟と知るべきである。
もし、よく追い出し、責め立て、その罪をあげつらうというのは、この者こそ私の弟子、真の仏の弟子である。