10/05/25 14:46:04 V8/QNXE3
世俗的なことは教会の外でやればいい。
わざわざ教会内でバカ騒ぎをしながらテレビなど観ずとも、
家に帰ってから仲間内ですれば済むこと。
日本人には神聖な場所をわきまえる
「ハレ・ケガレ」の感性があるはずだ。
聖と俗の区別はしっかりするように。
教会の目的と場所柄を理解すれば、
教会内に俗を持ち込むのは無意味だと理解できるはず。
神聖な場所への畏れをわきまえましょう。
聖域である教会の本棚に、
俗書・悪書を置くのは場違いです。
教会の本棚には、信仰書や聖人伝など、
関連書籍のみを置きましょう。
神聖であるはずの教会が世俗化するのには呆れます。
たとえば、東京地方裁判所の地下には書店がありますが、
品揃えは法律に関する書籍ばかりです。
その場にふさわしい場所柄というものは、
世俗の人々でさえ分別が付く、判り易い道理です。
聖書の表現において「世の光」と称されている
カトリック信者のあなた方が道理を理解できないのであれば、
それは不信仰です。不自然で歪んだ思い込みです。
司教・司祭が生臭坊主ではいけない。
中世暗黒時代のような腐敗を繰り返さないように。
新約聖書
「イエズスは神殿で商売をしていた冒涜者を追い出して叱責された。
『このような物はここから運び出せ。』」
「新しい皮袋には新しいぶどう酒を入れるものだ。」