10/06/15 03:36:49 daLrz6P7
ヨガでも仙道でも気功でも適当にやってりゃ簡単に光なんか見えるよ。
眉間の印堂とか慧中とかアジナーチャクラとか呼ばれる部位に気が集中したら
軽くパッと光る。ここで気は血流の生み出す波動の力ぐらいの意味。
何にも考えないで、集中して眉間に気が集まったときなりやすい。
優れた境地でもなんでもないけど変な宗教家は一々、意味を与えている。
場合によるが思考を流れるにまかせ何も求めずに観ているとそうなりやすい。
言語化や判断は言語野辺りにエネルギーが行き気道のバランスが偏向するので
思考をただ見つめる。そしたら眉間に気が向かい自然にその辺が開く。
軋む感じがすることもある。思考と思考の間隙は気の流れが円滑だから気が
出入りしやすく眉間の穴から気が集まっては出ていく。その出入り、集中の
際によくパッと光る。思考を観察するってのは頭に気を集めるという意味も
ある。そういう文脈で忘我状態になって自他の境界と自意識が消えたときに
なりやすい。松果体が関係しているのかもな。優秀なヨガや気功の先生なら
簡単に見せてくれる。多分。光を見る事に思考の終息は大した相関関係になく
二義的な意味しかないし。登頂の辺りの百会にエネルギーが集まるともっと
激しくスパークする。
その他、金粉が舞ったり背骨が光ったり全身が光ったり開く部位や血流の
バランスにより色んなバージョンがある。日本では仏教から見た外道のほうが
詳しい。有名なヒトの中で相当、詳しい人もいる。バカにしてたオッサンが
かなり本当のことを書いていて偉いと思った。
わからないとか、深い意味を与えるってのは相当ダメな教師だと思うよ。
気がわからない場合、禅定の深まりだけで説明してる場合が多い。
心の進化と結び付けるのは馬鹿か詐欺師。