10/04/25 13:09:50 vgSzvQfH
長老の説法とかがお釈迦様の教えから遠い。自己批判をしない。という主張をするのは自由だが、
長老は極めて安全で効果的な瞑想方法を教えて下さった。
慈悲の瞑想はサマタ瞑想だが、「生きとし生けるものが幸せでありますように」と
生けるものの幸せを念じて他の思考を止めることによって、
サマタ瞑想にありがちな副作用を少なくすることに成功した。
(例えば、土をみて瞑想した場合、以後他の何を見ても土色にしか見えなくなるということがある。)
また、ヴィパッサナー瞑想は鼻ではなく、腹に集中することによって
呼吸が確実に行えている。過呼吸や自律神経の問題が発生する心配を極限まで薄めてくれた。
おかしな新興宗教に見えるのは長老ではなく、その周りにいる信者が盲目的で依存していて
なかなか自主的に瞑想して自力で問題を克服できない。ということだろう。
それでも破防法が適応されたりしないし、マスコミから新興宗教呼ばわりされて大々的に取り上げられたりしないのは
別に組織自体がそんなものでもなく、(新興宗教的なオカルトっぽいものがなく)大きな問題行動を起こしている訳でもないからではないか?
マスコミは大きな新興宗教でない限り、注目しないものだ。
もちろん大きすぎてマスコミ自体が取り込まれてしまった。政治も取り込まれてしまったという組織もあるが、
それはまた別の話だろう。
「慈悲の瞑想」と「長老式ヴィパッサナー瞑想」があるかぎり、長老自身のその(ある程度)論理的な説法で
人の心を支え、出版もコントロールしているのだから、極度に異端視するのもまた問題かと思う。