10/01/11 02:41:33 +Cmn3MVn
神道の世界に伝承されている、迷信ではないものについて、幾つか例を見てみましょう。
神社にある注連縄は装飾で、結界の話はただの迷信と思っている現代人が大部分のようです。
たしかに、現在の注連縄は飾り付けの要素が強くて、結界の機能を果たしていないケースが多いのですが、
注連縄のルーツを探っていくと、
縄文時代や弥生時代の昔は、科学的な視点から見ても、
本当に効力を持った結界が張られていたことが分かってきます。
神社の建物の前身は、高床式の穀物倉庫です。このような倉庫にとって最も重視される機能は、
ネズミなどに、貯蔵している穀物を食べられないようにすること。
ネズミが蔵の中で鼠算式に増えてしまうと、損害が軽視できないものになってしまうので、
ネズミが中に入れないように結界を張るのは、とても重要なことだったのです。
ネズミにとって蛇は天敵で、臭いがするだけで怖がって居つかなくなります。
今でも、田舎に行くと青大将が民家の周囲に棲んでいて、白蛇を神として祭る風習も残っています。
うちの一族が管理している神社のなかには、アルビノの青大将を飼っているところもあるぐらいです。
でも、わざわざ蛇を飼わなくても、蛇の抜け殻を穀物倉庫の周囲に巡らせて置くだけで、
ネズミが中に入れない結界を張ることが出来るのです。
高床式の穀物倉庫が、神社の建物に移行したとき、蛇の抜け殻を吊るす結界は意味を失いました。
でも、神社に何も装飾がないと寂しいので、蛇皮の代用品として、藁を編んで飾を付けることにしたのです。
したがって、今日見られる注連縄には、実質的な結界機能が備わっていない場合が多いのですが、
その前身となる蛇皮を使っていた時代には、結界技術は迷信ではなかった、ということになります。
また、茅野輪などの場合には、これとはまったく異なる結界技術が使われているので、やはり迷信ではないのです。