09/12/08 22:31:44 S3gMjHg/
所見:
情緒の未熟さと一見高い知性の乖離が顕著。完全癖と攻撃性という典型的強迫性性向を有する。
つねに内的な緊張感を抱え、ストレス性向は高い。胃や血管系に所見が生じている蓋然性が高い。
感情を成熟した形で処理できず、論理と正義の形で、執拗に発散する(合理化機制)。
自らの物差しで計り、ある一定の根拠による測定結果が得られたと自分なりに確信すると、
その批判にはまったく容赦がなくなり、徹底的であり、サディズム傾向が見られる。
自分の物差しがすべてとなって、その物差しで自分が計り返されることが多い。
それを自身に対する攻撃と感知するパラノイド性向により、対象(彼の場合は、福音派)をさらに攻撃する。
それがまた自分に跳ね返り、結果として被攻撃意識を募る。
かくして鏡を見て、歯をむき出すチンパンジーのように、攻撃性が果てしなくなる。
過去に何らかの自己愛が傷つけられる経験を抱えるも、その事実を自身は認めたがらずに抑圧し、
その傷に対して刺激となるような場面では抑え難い自己愛憤怒を惹起する。
が、今後、下手すると社会生活に障害が出ることもあろう。十分に注意されたし。
3:神も仏も名無しさん
09/12/08 22:32:25 S3gMjHg/
なお、これまで、同人が批判するカルト教会牧師と同人自身の同質性が指摘されているが、
これは次のメカニズムによる。すなわちカルトでは内部と外部の二元論的基準で、
内部は味方、外部は敵とする。これは自身に抑圧されている敵意や憎悪を彼らの見る外部者に
投影するためであるが、同人の場合は、自身の価値観の内部と外部の二元論的判断による
言動が顕著なためと見られる。これがゆえにカルト牧師との同質の言動パターンを生じる。
同人の自己愛を傷つかせしめた経験が福音派にあると推測され、その単語をトリガとして
自己愛の傷を想起せしむる前に、抑圧された憎悪を、自身の見る「福音派」(彼の定義するところの)に投影し、
それは自身の価値観の外部と感知せられるために、第三者から見ると不合理なまでの批判が噴出する。
何ゆえに「福音派」を外部とせしむる必要があるかと言うに、自らの内なる傷を認むることを回避せんがためである。
それを認めることは自身のプライドを傷つかせしむるが故である。
かくして同人が真に解放を得るためには、自身の内なる傷を認め、それを生じしめさせた同人の定義する「福音派」を赦し、
抑圧された敵意や憎悪と直面して、適正にそれらを表出せしめるならば、投影機制が消失し、
「福音派」を見ても、平安のうちに対処し得るようになると予測される。
これによって客観的かつ公正な判断がなされ、無益な誤解や齟齬もなくなるものと推察される。
以上
4:神も仏も名無しさん
09/12/08 22:50:01 S3gMjHg/
つまりですね・・・・・
かくの如き低レベルの駄文を発表し絶賛してみせるという、自作自演&自画自賛を繰り返したアンチブログの子が
その手口を晒され、物笑いの種にされたことで怨念を増幅させ、引くに引けなくなったが事態こそが重要なのであります。
そうです。この糞スレを延々と続けようとするエネルギーの源泉は勘違い坊やの逆ギレである、と推察できるのであります。
5:神も仏も名無しさん
09/12/09 01:44:49 Kg5COdfK
キリスト教信者には本当に学習能力ない奴がいるんだなw
こんな邪念に満ちた糞スレを何回引き継いだところで結果は同じだろうにw
ゴミの臭いを消せと注意してやったのに、無視してゴリ押ししちゃう間抜けでプライドだけ一丁前と言うか…
まっ、恥の上塗りだなw
6:神も仏も名無しさん
09/12/09 07:22:52 USok5A8W
わざわざ杉様が切れまくった>>2-3をコピペするID:S3gMjHg/ってw
7:神も仏も名無しさん
09/12/09 12:18:05 wmSN0RKY
所見:
情緒の未熟さと一見高い知性の乖離が顕著。完全癖と攻撃性という典型的強迫性性向を有する。
つねに内的な緊張感を抱え、ストレス性向は高い。胃や血管系に所見が生じている蓋然性が高い。
感情を成熟した形で処理できず、論理と正義の形で、執拗に発散する(合理化機制)。
自らの物差しで計り、ある一定の根拠による測定結果が得られたと自分なりに確信すると、
その批判にはまったく容赦がなくなり、徹底的であり、サディズム傾向が見られる。
自分の物差しがすべてとなって、その物差しで自分が計り返されることが多い。
それを自身に対する攻撃と感知するパラノイド性向により、対象(彼の場合は、福音派)をさらに攻撃する。
それがまた自分に跳ね返り、結果として被攻撃意識を募る。
かくして鏡を見て、歯をむき出すチンパンジーのように、攻撃性が果てしなくなる。
過去に何らかの自己愛が傷つけられる経験を抱えるも、その事実を自身は認めたがらずに抑圧し、
その傷に対して刺激となるような場面では抑え難い自己愛憤怒を惹起する。
が、今後、下手すると社会生活に障害が出ることもあろう。十分に注意されたし。
8:神も仏も名無しさん
09/12/09 12:18:46 wmSN0RKY
なお、これまで、同人が批判するカルト教会牧師と同人自身の同質性が指摘されているが、
これは次のメカニズムによる。すなわちカルトでは内部と外部の二元論的基準で、
内部は味方、外部は敵とする。これは自身に抑圧されている敵意や憎悪を彼らの見る外部者に
投影するためであるが、同人の場合は、自身の価値観の内部と外部の二元論的判断による
言動が顕著なためと見られる。これがゆえにカルト牧師との同質の言動パターンを生じる。
同人の自己愛を傷つかせしめた経験が福音派にあると推測され、その単語をトリガとして
自己愛の傷を想起せしむる前に、抑圧された憎悪を、自身の見る「福音派」(彼の定義するところの)に投影し、
それは自身の価値観の外部と感知せられるために、第三者から見ると不合理なまでの批判が噴出する。
何ゆえに「福音派」を外部とせしむる必要があるかと言うに、自らの内なる傷を認むることを回避せんがためである。
それを認めることは自身のプライドを傷つかせしむるが故である。
かくして同人が真に解放を得るためには、自身の内なる傷を認め、それを生じしめさせた同人の定義する「福音派」を赦し、
抑圧された敵意や憎悪と直面して、適正にそれらを表出せしめるならば、投影機制が消失し、
「福音派」を見ても、平安のうちに対処し得るようになると予測される。
これによって客観的かつ公正な判断がなされ、無益な誤解や齟齬もなくなるものと推察される。
以上