10/04/23 14:15:53 NMVJhSXt
>>945
さらに、あなたが引用した御文は「権実雑乱の時」について述べられたものです。
一方「権実雑乱していない」つまり「権教と実教との立て分けが乱れていない」国もあります。
それは言うまでもなく、仏法が弘まっていない国(=諸外国)です。
仏法が弘まっていなければ、「権実雑乱」のしようがないではありませんか。
違いますか?
一口に謗法の国といっても、その謗法の実態(仏法が普及しているかどうか)において違いがあります。
それが折伏と摂受という、弘教方法の違いにつながるのだと思います。
いずれにせよ、大聖人は状況によって折伏と摂受を使い分けるように述べられているのであり、摂受を否定しているわけではありません。
その点に関して、あなたがた顕正会員は、間違いを認めなければいけません。