09/11/22 14:37:18 Vu33u05T
>>171
自然的事物を可能ならしめている「ありかた」の有無を排斥したのが仏教。
後代部派ではアナートマン(無我)であり輪廻を説く説明に、その主体としてアートマン(常住)
の代わりにプトガラなどを掲げたとことろもありました。
これは苦肉の策であったといわれている。
過去世の業を現世で、現世の業を来世という思想は、人間の欲望以外の何物でもない。
御利益を餌に、何かに縋りたい人から搾取する、カルトや自称霊能者は、現代、葬式仏教など
と批判されるものと同じくさもしく賎しい最低な行為である。
形而上学的論議は不要である訳だが、そのようなもの、いかなるものもこの無常において
なされる人間の営みであるわけですよ。
死後何かが輪廻するというお話すら、今現在、一瞬一瞬で生滅変還する我々の営みでしかありません。