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大乗仏教においては、「生死不ニ」といって生と死という時間・空間次元の現象は、
時・空を超えた実在である生命の、二つの異なった顕れ方であると説いています。
個々の生命体は、生命が顕在化した状態であり、死とはその生命が「冥伏」した状態です。
冥伏とは無に帰することではありません。
先ほどから私が提起してきた「空」の概念は、眼に見えなくとも厳然と実在する、
有無のいずれか一方に決めることのできない概念です。これに対して、現実にさまざまな個別の姿をとって
現れてくる姿を「仮」と名づけています。心身統一体としての生とは、この「仮」を貫く生命の本質を「中」と
呼んでいます。あるときは顕在、あるときは冥伏という姿をとりつつも、無限に持続していく生命の本質ということです。
この持続していく生命の本質とは、現代の哲学用語でいえば、最も根本的な意味での「自我」という表現に通ずるものです。
さらに仏法では、この「空」と「仮」と「中」は円融一体のものであって、
それらを全体として統一的に把握しなければならないと説いています。