09/12/30 04:06:31 K2jWdf4b
悟りというのが、あくまでも自己判断によるしかないのであれば、当然、
その基準となるもの、つまり「悟り、涅槃とは何か?」という問いが生じる。
そこをできるだけ自己の中で明確にしておくことこそ、一時的な精神異常を
もって「悟った」などとトンでもない勘違いをしてしまうことの危険性を
避けることができると思うのだが。
だから、俺は問うわけよ。この言語表記が不可能である「涅槃というのは何か?」と。
「まずは座れ。」 「とにかく座れ。」 「さあ、瞑想だ」
このように言うものが2ちゃんには、それこそ、掃いて捨てるほどいるが
彼らの書き込みを見ていても、とても覚者とは思えないが。
セブンは仏教に関わるものとして、涅槃を信じ、それに至る「行」を信じて
いるわけだろう?(実践しているか否かは知らんが)
隠居に言わせれば「そんな下らんものを信じるとは愚かである」と一蹴だろうな。
俺は正直、?だな。 つまり、よくわからん。 よって、今まで涅槃、悟りに
関する話題には参加してこなかった。
ただな、涅槃に達したからといって「空を自由に飛びまわったり」「何万年も生きる」
なんて与太話は信じてない。(笑)