10/01/16 02:59:05 MjQqwV1n
幼稚園からの幼い子供の頃から、常々感じていた、深い大きな違和感・・・。
大人になってから、ようやくその違和感の正体が、分かった気がする。
それは、『そもそも聖書を解釈する正しい権利・資格は、誰にあるのか?』ということ。
例えば、まずは新世界訳という彼ら独自の聖書だ。神の言葉とされる聖書を、ある全く異なる言語に、
しかも原典から数千年たった後代に翻訳するというのは、よく考えてみると非常に難解な問題だ・・
我々がたった300年前の江戸時代の書物呼んだって、実態は誤解だらけなはずだ。
新幹線のホームにある、つぎ・今度、という表示で迷った事はないだろうか? どっちが早いの?と。
日常使ってるこんな一般的な言葉ですら、いざとなるとこんな様になることは良くあるのだ。言葉だけで、正確な意味や
イメージやニュアンスを伝えるというのは、実は難しい場合が多く、誤解の元になる。
伝言ゲームなんて、10人ですら間違って伝えられることがままある・・。
それを、全く異なる言語に、しかも後代に時代を超えて伝える・・神の言葉を? 当時の失われたヘブライ語ってヤツから?
それを、統治体だか、なんかワケ分からん特定の人間が、翻訳権や意味の解釈を独占している・・
誰が決めたわけでもない人間が、勝手に統治体でございます!と立候補してw。 オカシクねーのか?