09/12/27 18:40:14 +5iOpMAx
417 418 さん達の論はちょっといただけない
イエスは信ずるものの心の中にしか存在しないし、またしなかった。
実在しなかっただろうイエスの十字架を我が身の代わりとまた全人類のそれとして
それに思いを寄せて信仰を培うのだ。
実在したイエスとは統一の作り出した虚構に過ぎない、そうでないと文鮮明の価値を
いうこともできなくなるからだ。
肉体メシヤの実在、またはその予定をとくのは、統一の他にもユダヤ教のサバタイ派がある
私はブンが韓国邪教の中でこのサバタイ教に感化されたのだと思う、知る人ぞ知るが
このサバタイ教で今の世界の権力の中心である。
サバタイ教の一例を挙げると杉腰の祭りにはキリスト教徒の長男(たいがいは乳飲み子)を
血祭りに上げてその血を門口に塗る、ということをしている。
この意味は聖書を知り、原理を知っているものは原理的であると納得できると思う。