09/10/14 22:00:01 Ym1zYH45
まず、「仏教」とは何か?という基本的な部分での再確認が必要でしょう!でないと、外見的に
は一応、仏教的を装ってはいるが・・しかし、実際上は「仏教ではない」ということになりはしませ
んか?
業報輪廻思想は日本人には受け入れ難いからとして説くのを辞めてしまったり、教義(教え)そ
のものからから排除してしまったら、もう仏教としては成立しなくなるでしょう。信じられない者は信
じない自由があるのですから、そのまま信奉しなければいいのです。ただ、日本人が好むものへと
改変するだけならば、それは仏教ではなくなってしまう。
他力救済、バクティ・・・確かになんでもあります。いろいろなものがある。それぞれに人々の心の
癒しとして効果があったり、またバクティなどはそれ自体が行為者にとっての喜びなわけです。もち
ろん意味も効果もわかります。
けれども、仏教の本質を蔑ろにしてしまったら、もうそれは仏教ではなくて、ただの「外道」でしょう
(邪教ではないが)!。仏教とは、ゴータマが何を教えたのか?これ以外にはないわけです。その
基本を押さえた上で、では現代日本においてはどうあるべきか?を問うべきなのです。
私がいう「ゴータマに帰れ!」とはそのことです。
宗祖や誰それが何をいってたか?ではなくて、ゴータマが何を説いていたか?の再確認です。
そして、もしも現状の日本仏教13宗が変えられないのならば、新たな1宗が構築されるべきです。
どうせ人々の支持を得られないものは、いずれは自然と衰退し消滅するのです(定めです)。また、
数の論理で必ずしも信徒の多いところが、より真理に違いものであるとも限らない・・。
日本人には理解されないとか・・お年寄りには難しくて無理だろうとか・・そういうレッテル貼りがダ
メなのではありませんか?内容は優しく単純素朴でいいのです。難解である必要性はない。それは
専門的に学びたい個人が、自らやればいいことです。
そうではなく、ただ嘘はよくない(改変して仏教ではないものを説くこと)。