【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】1 at PSY
【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】1 - 暇つぶし2ch642:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
09/10/29 22:56:52 PZdbG/wI
(^。^)烏が鳴いてますなぁ、キタナイ声で♪(笑)

643:カラスの唄
09/10/29 23:56:22 c3zILdzq
さてスレのテーマにそった話だが、日本の主流派の仏教って、要は、唯物論なわけだ。
唯物論を真理とするなら、墓なんて要らねぇし、葬式もやるだけ無駄じゃん。
唯物論を真理とするなら、墓も、葬式も無駄ですよ、
人間死ねば終わりだと達観しましょうと教えるのが筋だろ。え?我々は唯物論でも、観念論でもない。中道だって?
そういうのを仏教思想を利用した、詭弁と言うんだよ。君らがいくら中道を使った詭弁を吐こうとも、
本音は唯物論だし、中身も唯物論だ。それを中道を使った詭弁で、我々の話は、唯物論ではないとは、
君らは詐欺師かい?え?仏教のテーマは、今生における、苦の滅だって?よくいうよ。
いくらこの世に本当は、苦も楽もない中道だべ~と能書き垂れても、
そんな思想ひとつで苦の滅などあるはずもなく、今生の苦を取り除こうと思えば、病院で優秀な医者や、
心理カウンセラーに見てもらったほうが、君らの仏教より、はるかに有効だ。
君らの話は唯物論をベースにした、単なる哲学で、宗教とはいえないものだ。宗教でもないのに
檀家から布施をしてもらうとは、どういうことか?そもそも唯物論を根拠にする君らが布施をもらう根拠はどこにあるのか、
高額な代金をもらい、墓や、葬式をあげる根拠を聞きたい。ちゅうか、君らの仏教になんか意味あんの?
賢い人なら、今の末法仏教には、意味がないとすぐに見破るぜ。おっと、禅宗にかかれば、意味なと無い。
それが悟りだとかいいだしそうだけど(苦笑)意味などないなら、それこそ、
檀家から布施など貰うなっていいたいやね。次のスレタイは、「現代仏教に意味はあるのか?」にしたらいいと思うよ。
真面目に言うけど、君らの仏教、意味無いから。

644:カラスの唄
09/10/30 00:26:20 FhE6e/v9
>>642
おやおや、宗教板で一番頭の悪い人が俺になんの用だい?
ちゅうかお宅、創価って、カルトだって知ってる?

645:カラスの唄
09/10/30 01:10:14 FhE6e/v9
>>642
今世間を騒がしている、結婚詐欺の殺人鬼の豚も
おまえのお仲間の創価だったんだね?わかります。
なんせ隠居だもんな、あの豚。現世利益のカルトは怖い、怖い。

646:神も仏も名無しさん
09/10/30 01:13:15 Qi8p/QJG
>>643 日本仏教の多数派は浄土系だし、
浄土系は唯物よりは唯識だと思いますが。

647:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
09/10/30 04:07:41 6dBWr13S
俺は、もと密教行者で現在は中論の信者ですが、何か?(笑)

648:カラスの唄
09/10/30 06:38:19 FhE6e/v9
>>647
おまえ前に創価だって言ってたじゃんかよ。嘘も方便かい?これだからカルトは。
どうも創価はよっぽど自分とこの教義に自信が無いのか、中論に逃げて、
仏教徒としてのプライドを必至で保とうとするひとがいるみたいだが、あのさ、中論なんか知って
いったいなんになるわけ?あんなのただの哲学だし、しかも中身は、本質的には全く意味のないただの言葉遊びだ。
この世界に本当は生も死もない、中道だべ~と、妄想しても、ただの現実逃避で、
本質的には、なんの解決にもならないし、真理でもない。君らがいくら生死など無いとぬかしても、
我々はここに生まれ、そしていつか、必ず死ぬんだよ。死は避けられない。
中論などでいい気になっているようだが、中論に被れた君らの仏教は、本質的には全く意味の無い、
ただの言葉遊びの妄想で遊んでいるだけなんだよ。そんなことも気付かない君らは救いようのない馬鹿だ。
そもそも中道とは、一元の存在を認めてこそ生きる思想だ。それを認めないでいくら中道、中道と
能書き垂れても、本質的には全く意味の無い、空しい妄想でしかないものになる。
このシリーズはじめから指摘されているように、仏教の無我思想とは、
これらのものは我ではない。早い話、この現象世界には主体性のある我はありませんよ
といっているのに過ぎないのに、仏教徒達は、この無我思想を誤謬し、
アートマンと呼ばれていたものまでも無いものにしてしまった。結果仏教徒達は、答を失い、
目的を失い、深い迷路の中に迷い込んでしまったんだよ。君らの仏教は無意味だ。
宗教的には全く価値の無いものだ。いい加減それくらい気付けよ、池沼共。

649:カラスの唄
09/10/30 07:02:08 FhE6e/v9
>>647
堂々と他人様いえない宗教って、なんなんだろうね。あんたどう思う?
俺は自分の宗教を堂々と言えるぜ(苦笑)

650:神も仏も名無しさん
09/10/30 07:15:34 LLn2prsH
なんかファビョッてる鳥がいるw
考えても無駄。だから無駄に考えるのは楽しい。
そんなこと分かりきって遊んでるのに、
池沼池沼と鳴くカラスw

651:神も仏も名無しさん
09/10/30 07:48:55 Qi8p/QJG
>>648
ゆるぎない実体であるアートマンは無いが、涅槃(滅び)は永遠。
一度滅びてしまったら、二度と再生できないから。

652:神も仏も名無しさん
09/10/30 07:54:05 Qi8p/QJG
まぁしかし、個人的には、次のように妄想することもある。
涅槃に入るということは、
眼耳鼻舌身意でとらえられる対象が滅びてしまうこと。
涅槃に入った者を体で感じることもできないし、心で考えることもできない。
だから、逆に言えば、眼耳鼻舌身意を超えたレベルで
「何か」が存在しているのかもしれない。
私達三界の生命には感じることもできない次元を想定することはできる。

653:10
09/10/30 07:58:07 0MfXQ6lV
>>643
>日本の主流派の仏教って、要は、唯物論なわけだ。
主流派ではないと思いますが…。
まあ、2CH自称仏教徒主流派であるかもしれませんね。

>いくらこの世に本当は、苦も楽もない中道だべ~と能書き垂れても、
>この世界に本当は生も死もない、中道だべ~
中道って、そんな主張でしたっけ?

654:神も仏も名無しさん
09/10/30 08:20:57 LLn2prsH
カラスは、ほら、わかっちゃった人だから、優しくしてあげるといいね。
そういう人は面倒だけど、まあ仕方ないんじゃないの?

655:神も仏も名無しさん
09/10/30 09:55:31 DCov3qQ8
二千年以上前から魂はあるだの無いだのしょうもない議論してんだから下らねえ事言ってないで坐われよ馬鹿野郎っつうのが中道だよ。

656:神も仏も名無しさん
09/10/30 10:14:14 LLn2prsH
んなこと妄想して坐ってるなんて馬鹿なんじゃね?
掃除してろよ、バーカw と言われたことあるな。

657:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
09/10/30 16:40:15 6dBWr13S
(^。^)まぁ、俺も含めて、みんな下座が足らんよな♪(笑)

658:カラスの唄
09/10/30 18:00:43 FhE6e/v9
>>657
心配しないでも、あんたは座っても座らなくても一緒だよ。

659:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
09/10/30 18:09:39 6dBWr13S
烏は下座行って言葉も知らんのか。(笑)
まぁ、2ちゃんなんかで仏教を語ってる奴だから仕方ないわな。(笑)

660:10
09/10/30 18:37:36 0MfXQ6lV
>>658
「下座」と聞いて、「座る」と言う反応が素晴らしすぎますね。

中道のオリジナル解釈から考えて無理もないですかね…。

661:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
09/10/30 18:43:52 6dBWr13S
>660
(^。^)宗教板の仏教通って基礎を知らんの多いよな。(笑)
イカとか折空とか。(笑)

でも、仏閣板は面白いのが居ないしなぁ。

662:カラスの唄
09/10/30 18:54:52 FhE6e/v9
あの隠居っての、婚活結婚詐欺、連続殺人鬼の豚女で確定だな。
俺の中で色んな面で繋がっている。なんかわかるんだよ。
そもそも人を殺すことができる自体、普通じゃない。
ましてや己の欲望を満たすためだけに他人を殺せるなんて尚のこと。
押し並べてこういう人は、恐ろしく我が強い。隠居のここでの書き込みをみてもわかるように、
人格障害の病理を示していた。あれは恐ろしく我が強い。
あれだけ我欲の為だけに人を殺してきたんだ。因果応報、業法輪廻思想は、
なんとしてでも否定したかったんだろう。
だがここでいくら否定したところで、真理は真理。法は曲がらない。
人は、自分の撒いた種の報いは、たとえ一タラント足りとも支払わなければいけない。
あれはこれから、三世に渡り、自分の成した業の報いを受けることになるだろう。
だいたい、因果応報、業法輪廻思想を脅迫と取ってしまうこと自体おかしいし、
自分にやましいことのある証拠なんだよ。

663:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
09/10/30 19:16:31 6dBWr13S
烏くん、烏くん、
下座行って大事だから、ちゃんとした方が良いよ?
もう亡くなられたけど、俺が唯一尊敬してる大徳のアジャリさんも、
毎日下座してたくらいだからさ♪

664:カラスの唄
09/10/30 19:17:37 FhE6e/v9
>>659
下座の意味なんてどうでもいいんだよ、バーカ。
俺はおまえのような能無しは、座っても座らなくても一緒だと言ったんだよ。意味わかる?
ちなみに俺が批判した中道は、主に、唯物末法仏教の一ジャンル、
中論教、空理空論教の馬鹿に対して言ったんだよ。なにせ詭弁家の君らにかかれば、中道も、空も
色んな意味にばけるからな。仏教用語を駆使して、詭弁を極限まで磨くのが、君らの仏教だ。
ところでおまえの仏教に、なんか意味あんの?それさえ気付かない池沼なんだろ、おまえ。

665:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
09/10/30 19:21:11 6dBWr13S
>664
俺は筏を担いで登山する趣味は無いんだが?(笑)

(^。^)下らん事聞くな♪(笑)

666:宝珠愚者
09/10/30 21:15:48 U+0+L1Cy
>>641
お久し振りですねぇ^^
その後もお元気でしたか(お仕事が忙しかったようですね)?

>ハルマゲドンを提唱するキリスト教カルトって、俺のこと言ってんだろうか?

エーと、誤解されるといけないので一応、いっておきます。
私からの、「キリスト教ハルマゲドンのカルト教団の話しなどと一緒にされては困る。」>>542
これは、もちろんカラスさんのことなどではなく、典型的なキリスト教系カルト教団を指してのことです。
“あの人”のいうこれらのカルト団体の話しなどと一緒にされては困る、という意味ですから。
私は、カラスさんは“より真実のイエスの理解に近いもの”と評価していますから、
どうか宜しく!

因みに、他の人のためにも少し述べておきますと、
大体、終末論を掲げるところがカルト化する傾向がある、
という彼の指摘は概ねは間違っているわけではなく、
各団体で独自に終末がいついつだと教主が予言し、
そのときを祈りで過ごすか、または武装化する・・というパターンが見られるのです。

しかし、その時期が当たったことなど、もちろん在りません。

667:宝珠愚者
09/10/30 21:17:47 U+0+L1Cy
この典型的な事例としては、
世界中に衝撃が走った93年のブランチ・ダビディアン事件がよく知られるところ。
教団が武装化して、終末戦争(世界最終戦争)の前哨戦と称して51日間立て籠もり、
FBIと激しい銃撃戦を交わし。悲惨を極めた最後は、
教祖コレシュと共に信者81名が集団自殺したとされています
(内25名は子供で、生存者は僅か9名だったという)。
URLリンク(mgdb.himitsukichi.com)

すべては聖書の、
「終末」や「ハルマゲドン」といったものに対する
“無知と誤解”が引き起こす結果なのです。

そういった話を仏教の原点回帰の主張と同じにすんな!
という意味です。

話題がスレ違いなので終わりにします!

668:宝珠愚者
09/10/30 21:24:16 U+0+L1Cy
『出家の覚悟』が届いたので読みたいと思います(そして考えたい)。
皆さんのほうで、このスレに沿った線で更にお話して下さい!
宜しくお願いしまーす^^


>>662
>だいたい、因果応報、業法輪廻思想を脅迫と取ってしまうこと自体おかしいし、
>自分にやましいことのある証拠なんだよ。

そうかも知れませんね!
はい、同意します。

669:神も仏も名無しさん
09/10/30 21:28:51 26MTDqWi
>>668
「来世で(不公平の)帳尻を合わせよう!w」って魂胆が、
そもそも下衆な感性だと言ってんだよ。タコ助w
(で、またもやカラスにおべんちゃらかw  腐っとるな、お前・・。)

670:10
09/10/30 21:44:14 0MfXQ6lV
>>668
『出家の覚悟』私も届いて読みましたが、正直期待はずれでした。
まあ、「普通の事が普通に書かれていた」と言うのが感想です。
あまり期待されない方がいいですよ。

面白い本なら徹夜してでも読む私が、読むのに3日もかかったと言えば、評価が伝わりますかね?

671:宝珠愚者
09/10/30 21:44:40 U+0+L1Cy
>>669
やはり、
“学者モノ知り後回し”とは蓋し明言なのですね!
セブンのためにあるような言葉ですよ。

>下衆な感性だと言ってんだよ。タコ助w

は~いはぃ、
心からの賛辞に大感謝ω_(゜∀゜ )
(霊的な真実に)無知な人に言われたかないけどぉwwwww

*携帯からの投稿はツライので、いちいちツマラナイ書き込みしないようにね^^

672:宝珠愚者
09/10/30 21:54:56 U+0+L1Cy
>>670
ウ~ン、ですかぁ??
ま~平凡な家庭が1番幸せという言葉もあるし・・w
このスレ的に役立つ見解が得られるかどうかですね^^

673:神も仏も名無しさん
09/10/30 22:15:30 8WZ5x1pI
確かに腐っとるよ
このムナクソ悪さは何かとか、一々解明したくない

男なのがまたスゴい>宝じい

674:カラスの唄
09/10/31 08:12:41 326jOQow
>>666
お久しぶりです。そうですか、僕の勘違いだったんですね。失礼しました。
あれを書いた時の真意はどうあれ、弁解をしてくれた。そのお気持ちだけで充分です。
さて、僕の日本の仏教感ですが、はっきり言って日本の仏教は、ゴータマの仏教とは完全に違うものだと確信しています。
話はそれますが、僕はゴータマの仏像を学びたくて、テーラワーダさんのところにも足を運びました。
結果は失望するものでした。ある信徒さんはあそこの坊さんに聞きました。「涅槃とはどんな境地なんですか?」
それに対する坊さんの答えは、「それは口では言い表せない」
たしかに名称と形態の識別作用が止滅しているその境地は、識別智である「言」では
正確に言い表せないないのは承知ですが、無我思想の誤謬から、真我を認めない
彼らはそれを知るはずもなし、真我を認めないなら、識別作用の止滅した、
相の滅した境地とは「無」しかないのですから、「それは無だ」と答えてやればすむことです。
でも彼らはそう答える様子もなく、ただ「それは言葉では言い表せない」と答えるだけです。これは誤魔化しですね。
日本の坊さんも、よくこの手で誤魔化しているようですが、早い話彼らは涅槃を知らないのですよ。
「それは言葉では言い表せない」なんていうのは、それを隠す為の誤魔化しでね。
もちろん「無」だけを知っても悟りではありません。見るものと見られるものの、世界の成り立つ
究極の縁起感を、無の境地から知らない限り、悟りは無いのです。たが彼らは真我を認めないので、
サマーディ時に得られる縁起感を会得するのが悟りだと知っていても、それがどういうことかを理解できないのでしょう。
日本の仏教もそうですが、僕が感じたのは、今の仏教徒逹は、無我思想の誤謬から一番大事な
真我を見失ってしまい、答も目的も見失ってしまったんだと思います。
これはおかしな説法を繰り返したゴータマの責任だと思いますが、答のない今の仏教は、本当に意味がない。

675:神も仏も名無しさん
09/10/31 08:21:56 1gDNs7wG
日本仏教スレなのに、ニューエイジャー大杉

ま、スレ立て人の宝珠なにがし自身、生粋のオカルティストだからな

676:カラスの唄
09/10/31 08:44:18 326jOQow
続き
真我は自性ともいえ、無自性ともいえる性質なのをいいことに、
ゴータマは、あるでもなし、無いでもなし、あるでもないでもなしと、
人をくったような説法を繰り返していた。これじゃ聞き手が混乱するのはあたりまえですね。
なんでもヒンドゥーは、ゴータマのことは、悟りは開いたが、
彼は方便で真理を惑わす為のビシュヌ神の化身だといっているそうですね。
まさにぴったりの例えだと思います。ヒンドゥーの聖者と比べて、はっきりいってゴータマははっきり言ってレベルが低い。
ヒンドゥーの聖者は、肝心な処は、ゴータマのように不可知論的な言い回しでごまかさず、
はっきりと教え(答え)を説き、心に響きます。ゆえに、ヒンドゥー教徒は迷いがない。
僕は、仏教もヒンドゥーも、元々は同じゴールを目指す、元はヴェーダから来ている、
同じ真理を説いてるものだと思っています。ただ仏教は、あまりにも先生が悪すぎた。
結果、ゴータマの弟子逹は大いに迷い、真理からもっとも遠いところにいる。

677:神も仏も名無しさん
09/10/31 09:22:20 8UYfoZI0
俺は仏教に対して宇宙規模の社会性は無いなと思った事はある。
ただそれでお釈迦さんのレベルが云々は知らんけど、バラモン教に対するアンチテーゼとしての存在意義はあったと思う。
只、仏教の歴史そのものがアンチテーゼの連続になってしまうんだけどね。
なんでも有りみたいな。

678:宝珠愚者
09/10/31 09:52:29 6RFqeVgw
674-676
>僕はゴータマの仏像を学びたくて、テーラワーダさんのところにも足を運びました。
>

おはようございます。そうですかぁ~^^
自分で学び、確認しようとする意識とその行動力に心から敬意します!

おっしゃることはとてもよく理解できます。
基本的には同意です。2ch広しといえども、なかなか“分っている人”はいないようですね。
良かったらもっと投稿を宜しくです^^


>>675
>生粋のオカルティストだからな

はいは、賛辞に感謝します^^
「オカルティスト」とは最も名誉な呼称です。
私は本来、カテゴリーに興味なし。
“真理は一つ。人はそれをさまざまな名で呼ぶ”のです。

679:10
09/10/31 10:13:46 y03jsnLt
>>674
え~と、テーラワーダの「それは口では言い表せない」 という回答に対して、
「違う」と言えると言う事は、既に回答をご存知で、しかもそれを有る程度、言葉で表せると言う事ですよね?
是非、涅槃とはどんな境地であるかを、言葉で、お教え頂けませんか?

ちなみに、テーラワーダの事は本を読んだだけですが、彼らの目指す「涅槃」は、識別作用の止滅した境地ではない筈です。
識別作用を止滅するのは、通過点であって、縁起を悟る為のツールだと言う説明だったと思うんですが……。


680:神も仏も名無しさん
09/10/31 10:37:53 1gDNs7wG
               __, , ,,-- --、_      ハ
           , -' ´::::::::::::::::::::::::::::::`'‐、  /::::::ヽ
     _______ /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::`y:::::::/
 r'ニ二----、ン::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::`ン
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 l ://///:::::/i:l:ハ`ヽ::::ヽヽ、ヽ__>==--ヽ、i::::::::::::l
 l::{ {{ {:ト;:::::lr'リr、_L__ヽ、_ヽ_f´ ;rr''´j`t-、 }ミ:r‐‐ゝ
 レ' リ リ ヽ::f´"「{``トト、 }`‐{ ッ'゙{ ゝ辷ソ ノ レ'/こi`}
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           ヽ、  ヽ,   ノ f    !____
             `ニ=、_____,,∠_{   }___:::ヾヽ
             ゙、:::::::r:::r'´::::::「` ノ/ `、__::゙ヽ
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             ノi:/`フ´ _ン‐‐‐く  /   /   ゙‐}
           ,イ:<_::;ィ/ r'´     〈  ,ィ'  / ./
           f::::r‐'´〈 廴_,,,-‐''ー‐‐辷、_,ィ'´ _,ノ
         /:::::/ヽ、::::V/::/::::::::::::::::::::::` ´`フ
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        i::::ィ::;;゙ヽ;::::{::〈○:::::::::::::::::::::::::::ノノ
        V::::::::::;ン'{:::::ヽ::::::::::::::::::::::::::ノ:ヽ
         ヽ:::::ノ:::ゝ::ゝヾ::::::::::::::::::::::::::::::`ヽ

681:神も仏も名無しさん
09/10/31 14:56:56 r2j/+9sm
>>674
その坊さんが涅槃知ってるかのかどうかは別としても
「それは口では言い表せない」はある意味正しい

ヴェーダーンタの聖者ラマナ・マハルシも最善の教えは言葉よりも沈黙でしたから

682:神も仏も名無しさん
09/11/01 09:37:27 rv8rQdSB
>>676
サマーディの境地を知ってるのなら、釈迦の悟りの道がどれだけ現代では困難な道であるかを
ラーマ・クリシュナなども語ってますから、それと釈迦が無記を貫いたのも沙門果経などを読めば
いた仕方無いことなのかも知れません。

むしろ現代人にはラーマーヌジャの明け渡しによる不二一元論のほうが適してるように思います。
涅槃が無であるか有であるかは、ニルヴィカルパサマーディのみで知りえる知識で、悟りえない我々には
多様性は致しかたないであろうと思われるので、、
尚、明け渡しによる不二一元でもキリスト教になりますが
アッシジのフランシスコくらいの節制と信仰は必要であろうと思われますけど。

683:神も仏も名無しさん
09/11/01 09:46:12 rv8rQdSB
つまり悟りの道はそれだけ遠いのです。楽な道などありませんから
尚更に進む方向性のビジョンは定めないといけませんね。

684:宝珠愚者
09/11/01 11:29:26 CcnWyJpB
>>676
>ヒンドゥーの聖者は、肝心な処は、ゴータマのように不可知論的な言い回しでごまかさず、
>はっきりと教え(答え)を説き、心に響きます。ゆえに、ヒンドゥー教徒は迷いがない。
>
>僕は、仏教もヒンドゥーも、元々は同じゴールを目指す、元はヴェーダから来ている、
>
>同じ真理を説いてるものだと思っています。ただ仏教は、あまりにも先生が悪すぎた。
>
>結果、ゴータマの弟子逹は大いに迷い、真理からもっとも遠いところにいる。

仏教はバラモン教(伝統)の前提の上に成立しており、
基本的にはその教えを当たり前のものとして受けて入れているわけです。
従って、バラモン聖典の記述をそのまま逐一、繰り返す必要などはなかった。
ところが、弟子の仏教徒たちというのは誤解を起こして、
バラモン聖典(の教え)をすべて外道と称して自分たちの中から排除してしまったのです。
それによって結果的に、彼らの理解には大きな“空白”が随所に生じてしまったわけです。
つまり、肝心なことが抜け落ちてしまったのです。

仏教とは、
バラモン教を補完するものであるという理解に立たずに、
「仏教」-対-外道「バラモン教」という図式で受け入れた彼らの誤解による悲劇だと思います。
バラモン聖典を読めば、“すべて”明確に書かれて在る。
けれども、彼ら仏教徒らは外道と称してこれらは読まないのです。
これは、新約を読まないユダヤ教徒と旧約も読むキリスト教徒の関係に少し似ているようです。

私はゴータマの説法の在り方というのは、きっとそういう個性なんだろうと思います。

685:析空
09/11/01 17:07:27 3KVOlBi/
「涅槃」もなかなか興味をそそるテーマですね。

涅槃は、作られたものでは無いといいますね。
苦しみを滅したところに、自然と得られる安楽であるといいます。

686:10
09/11/01 18:07:07 Vy8bNbd/
>>684
え~と、前もどこかのスレで質問した記憶があるんですが、
仏教より優れているという「バラモン教」は、どういう修行方法で、どうやって解脱に至るんですか?

>バラモン聖典を読めば、“すべて”明確に書かれて在る。
是非このところを御教授頂けませんか?

687:神も仏も名無しさん
09/11/02 23:44:44 EgLrIRI6
そんな、いきなり専門的な行法書いて、実践されても困るし
《純粋さの極み》これを害する事は出来ない
ここに立ち返ってから、後、宗教というものを見渡しても
全然遅くないどころか、『やあ、待っていたよ』となるんじゃないの

688:神も仏も名無しさん
09/11/02 23:49:07 t+1SBa6I
>>674 涅槃は滅でしょう。
それを大乗では涅槃界などと、涅槃に入っても、
その先にまだ何かが有るような表現にしてしまった。
日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老は、
著書の中で「涅槃界」的な考えを批判しています。

689:析空
09/11/03 08:45:42 r4zRWjH8
>>688
涅槃は、古来より「滅」と訳されてきましたが、中村元氏は「止滅」の訳が相応しいと。
また「止滅」の他にも「安楽」という意味もあると。(ブッダのことば)

690:10
09/11/03 09:56:30 zj2NV7JZ
>>687
女子高生のミニスカートみたいですね。
チラチラ、モノの存在感を暗示しているのに、肝心のモノは見せないw
見せたいのか見せたくないのかハッキリして欲しくなります。

閑話休題
実践されて困る理由はなんですか?
また、修行方法の詳細はかけなくても、どのような方向性の修行をし、どのような境地に至るのを目的とするのかは書けるかと思うんですが。

例えば、仏教は別段、情報秘匿などしてませんよね。(密教系は除く)
教えの大まかな内容も、四諦八正道として、簡潔に纏められています。
そのようなものがバラモン教(ヒンドゥー)には無いんですか?

691:神も仏も名無しさん
09/11/03 10:29:29 mBYLo3dq
バラモン教は単純に言えば神(ブラフマ)に至る道。
そしてブラフマの定義は物理的に言えばこの宇宙の中心にブラフマの座がある。
太陽系が太陽を中心に回っているように大銀河がそれを中心に回っている。
地球が太陽の周りを楕円形に回るように太陽に近づいたり離れたりするように、ブラフマの座から離れたり近づいたりと周期がある。
ブラフマに近ければ近いほどその魂はサットワ(純粋なエネルギー)に満たされている状態であり、神に近い存在、覚醒した状態になる。
逆にブラフマから遠ければ遠いほど、魂が真理から疎い状態となる。カリユガとはこの期の事である。
そのような物理的作用に影響されないように(常にブラフマに融合している状態)ヨーガ行がある。
駄文ですまんがこんな感じ。詳しくはスリ ユクテスワの著者を読んでくれい。

692:神も仏も名無しさん
09/11/03 16:40:56 3HV0jWRy
>>690
答える前にたまにはこちらから質問
あなたは八正道の実践はしているのですか
また瞑想はしている上での質問三昧ですか?

693:神も仏も名無しさん
09/11/03 17:01:10 uwM66/Vk
ブラフマンに関する知識を知りたければ、「ケーナウパニシャッド」を読むことだ。

694:10
09/11/03 18:33:25 zj2NV7JZ
>>691
う~ん、良く分からないんですが、
要約すると、ヨガをすると、ブラフマに近い状態になれて、神に近い存在になれるって事ですか?
そうだとすると、疑問は3つ
①ヨガをすると何でブラフマに近づけるのか
②ブラフマに近づくと、苦しみはなくなるのか
③ブラフマに近づいた状態は、ヨガを止めても維持できるのか

695:10
09/11/03 18:33:34 zj2NV7JZ
>>692
八正道の定義によると思いますが、その基本精神は実行してるつもりです。
また、「瞑想」の定義にもよりますが、
冷静に思考するための瞑想はたまに行っています。
ただ、座禅のような伝統的形式のものや、「思考停止」を目的とした瞑想は行っていませんね。

で、私の個人情報と、ヒンズー教の教義に、何か関係性が有るんですか?
私が瞑想をすると、ヒンズー教の教義が変わるんですか?

696:10
09/11/03 18:33:37 zj2NV7JZ
>>693
流石に原典を読む能力は無いんで、よろしき翻訳本などがあれば紹介していただきたい所です。

697:神も仏も名無しさん
09/11/03 20:50:52 3HV0jWRy
691さんの説明にあるようにブラフマンに近づく、流入、合一ですか
これには幾つかのパターンがあるようですが
何故それが起きるかは、本人の純度、成熟度(精神的)にかかわる現象が鍵
であると思いますので、むやみに肉体面の行方を私はすすめる事はしませんですよ
他の方はどうか知りません

プラナヤーマという呼吸方を二十年やっていて、何も変化していない方もたくさんいます
むしろ、よかったねと思ったりもしますよ当然
なかには、激しく呼吸方に励んで、取り返しがつかなくなった方も、いるわけです
たとえば、体から臭いが出てしまったというような
生肉の臭い、焦げた臭いが出るから外出も出来ないとか
出たエネルギーは上に昇るのだから、そういったものが脳に届けば頭もおかしくなります
脅しているわけではありませんけど、こういった事もあるから
まず自分の精神を整える事に最善を尽くすのが行に入る基本だと思いますよ
それには、焦ったりする事はしないのがいいです

698:神も仏も名無しさん
09/11/03 21:14:24 mBYLo3dq
エラーになるなw

699:神も仏も名無しさん
09/11/03 21:24:27 mBYLo3dq
>>694
とりあえず長文は規制の影響でか無理らしいので、かといって短めには説明出来ないので、またの機会にします。

700:神も仏も名無しさん
09/11/04 00:08:55 YDBf4i7G
答え方が片寄っていましたかね
基底のチャクラが開いて、オジャスを発生し
それが引き上げられ、数年かけてそれより上のチャクラが覚醒される
胸から上が目覚めたあたりで、それまでの自分をこえた意識に入る
喉は空性、アジナの本覚醒で完全に苦が引き剥がされる
アジナが司令塔となって他のチャクラが調整される
ブラフマンの門を開けて神意識との合流

自己にできる準備は我の否定、これにより神意識のプラーナの流入
本覚醒ならば、完全に体が変わってしまうので、永久だと思います
またヨガをしていたから起るとも、言い切れないと思います
やはり精神の成熟度と、カルマの清算がほぼ出来ている状態ではないだろうかと
思います

701:神も仏も名無しさん
09/11/04 09:47:17 E00mFu7/
クンダリーニ・ヨーガ系は絶対良き師に就かなければ
危険だよね。

702:宝珠愚者
09/11/04 10:08:15 eq00El/O
>>686
エーと、スレ違いになるのでこちらで。
スレリンク(psy板)l50


>>700
あまりにも危険な話しなので気になります・・。

特に議論を望む意図はありませんが、
横隔膜より下位のチャクラを意識的に開発することなんかは絶対に止めるべきです。
特に基底部なんか・・は最悪であると思います。
確かにこれら下位の諸中心は開花させやすいのですが、
下位のチャクラは神通の発揮とも関連しているシャクティパワーの解放を促すものであり、
まだ準備のできていない者が“解放”してしまう愚弄だけは避けるべきです。
それはあまりにも危険であり、“破壊をもたらす”のが落ちというものです。

正しい指導に従うならば絶対そういうことは教えません。
まずは、善行によって積徳(梵行?)すべきであり、
意識と諸体の浄化に努め、そして正しい瞑想習慣の継続が必要です。
すべてはアジュナーの制御下において“自然の発達”に従うべきです。

>>701
激しく同意!!

ていうか・・通常は試みるべきではないです(上記)。
基底部だの垂下丹田マニピューラだの、クンダリーニだの・・
巷はそういう話(神秘力開発)で溢れています。が、破壊と狂気のもとです。

703:神も仏も名無しさん
09/11/04 12:32:48 lGsRyRj/
師である者までが、外界の移り変わる物事に答えを見出そうとしてるから
自らをよりどころとしてと言った所で、くり返しに問いを発する結果になってしまってる。
ようするに無明の一言

704:10
09/11/04 12:56:31 RAOIXaHy
え~と、様々解説くださっていますが、
結局、修行をすると、「チャクラ」が覚醒して、神意識との合流すると言う事ですか?

……「チャクラ」とは何であって、「覚醒」とはどういう状態になることで、なんで修行するとそういうことになるのかが、さっぱりです。

この解説では、「モケケを修行すると、ピロピロがベロベロになって、グキョーになるんで、苦しみはなくなります。」と言われているのと同値です。
しかも、モケケを修行すると、ピロピロがヌクメレになっちゃうことが多いから止めとけと言われても…。

もうすこし、日本語で解説していただけませんかね?
そして、ここは「【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】1 」ですので、
できれば、仏教との対比して、最善よりご指摘なさっていた「優位性」を示していただければ、スレタイにも当てはまると思います。

705:神も仏も名無しさん
09/11/04 14:32:49 vxmBw1jG
>>704
10さんはニーチェを読んだことありますか?

706:10
09/11/04 14:49:18 RAOIXaHy
>>705
解説や、引用した文献はよく読みますが、
ニーチェの著作そのものは読んだ事は無いですね。
しかし、皆さん、何で私の個人情報を知りたがるんですか?w

ついでに誤植訂正を。
>>704
誤)最善よりご指摘
正)以前よりご指摘

707:神も仏も名無しさん
09/11/04 15:23:46 vxmBw1jG
>>706
10さんは論理的にあってると思うし、議論の内容について俺はあなたの意見に大体同意します。輪廻転生スレでも。
ニーチェは宗教をメタの立場から明確にしています。教義の瑣末にとらわれることなく、現世をよりよく生きれるのではないでしょうか。

議論の目的がディベートの練習や論破して優越感にひたるだったらアレですけど。
知っててやってるなら無知な弱者をいじめてるように思う。
相手を論破して正しい方向に導こうとしているのかもしれんがw
あなたの意見が正しいと思うからこそそう見える。

お勧めします。興味なかったり、もっとメタな立場から見てるならスルーしてください。
ニーチェ入門 (ちくま新書) (新書)
竹田 青嗣 (著)

708:神も仏も名無しさん
09/11/04 16:03:45 E00mFu7/
>10ってリアルではかなり嫌われてると思うよ。

709:神も仏も名無しさん
09/11/04 16:47:13 E8ao1iy2
>>708 反論できないからと言って、くだらないヤジとばすのは止めろや。

710:神も仏も名無しさん
09/11/04 17:29:47 GXY49DH1
>>707
ニーチェの宗教論なら、彼の最晩年の作品であり、彼の思想の集大成・到達点
である「反キリスト者(アンチクリスト)」(ちくま学芸文庫)を直接読んだ
ほうがよい。

この作品において、ニーチェは、佛教を、「唯一の実証的宗教」「精神の衛生法」
として、極めて高く評価している。ニーチェの「永劫回帰(正確には、永遠の反復)」
は、佛教の「いま、ここ」の思想そのままである。

711:10
09/11/04 17:52:51 RAOIXaHy
>>707
単に、多くの方が凄い主張をしてるんで、その根拠を聞きたかっただけなんですが…
そんなに「私の意図」を深読みされても、何も無いですよw

本の紹介有難うございます。アマゾンさんに注文しました。

>>710
ご紹介有難うございます。
これも注文しておきました

712:10
09/11/04 17:53:02 RAOIXaHy
>>708
そうですね。ご指摘の通り、好き嫌いがハッキリしてます。
空気読まない(読めないわけではない)ので、
「なんでお前は正しい事を正しく発言してしまうんだ!」って、よく嫌われます。
そこでキレる様な人は、私も嫌いなんで、お互い様ですがw
まあ大概、後になって「あのときの発言は適切だった」と言われる割合が3:1ぐらいで多いので、
改めるつもりは無いですw
人に好かれたくて発言している訳ではないですし。

大体の傾向として、
上役の顔色を伺う小物タイプとか、唯我独尊の傲慢人間とかには毛嫌いされます。
アウトローとか、人の意見を取り入れるタイプのトップとかには好かれてますね。

713:神も仏も名無しさん
09/11/04 18:42:24 vxmBw1jG
>>710
最近ニーチェを読んで俺ってルサンチマンなんだと自覚したおいらです。精進します。
佛教を評価してるんですか。意外ですね。興味あります。俺も推奨の本を買ってきます。
ニーチェの宗教論は宗教を信仰でも、理解でもする上で必要だと素人のおいらは思うわけですが、
どうお考えですか?

>>711
>そんなに「私の意図」を深読みされても、何も無いですよw
邪推スマソ

>「なんでお前は正しい事を正しく発言してしまうんだ!」って、よく嫌われます。
このエントリーが浮かんだ。
おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

>人間の本質とは、「論理の機械」ではなく、「利害と感情の機械」だと思う。

>「空気を読む」とはどういう行為なのか?
>それは、人々の複雑に絡み合った「利害と感情の構造」を読むということだ。

>だから、空気を読めてない人は、感情と利害の絶妙なバランスとハーモニーのある構造を崩し、
>不協和音をたてるような発言をし、結果として、人の感情を害したり、人の利益を阻害したりしてしまい、
>嫌われるのだ。

俺は10さんのロジカルなとこ好きですけどね。

714:神も仏も名無しさん
09/11/04 18:56:04 YDBf4i7G
>>702
レスをなぞって、危険危険と言わなくていいですよ
あなたはこれについて、知らないのだから、「私は知りませんが」と前置きして書けばいいのです
正しい師といいますがね、最近はまた人間の怪しい師が
ちらほら出てきたみたいで、困った事だよなぁと思っていた次第
自然に始まったものなら、むしろそれほど心配いらないよとだけ書いておきましょうか
欲を出してプカプカすると、危ない場合もあると
覚醒にまつわる準を追った現象は、瞑想者のさまたげになるので、詳しく書きません

私は瞑想行でおかしくなった人を、[誰が救うのさ]という理由で、時々見ているんですよ

715:神も仏も名無しさん
09/11/04 18:57:21 E00mFu7/
知識と智慧はまったく違うものだからね~w

716:神も仏も名無しさん
09/11/04 19:01:01 001ak/Xu
>>715
でしょうね。
そして>>708は、議論と無関係であることはもとより、そのどちらとも無関係なゴシップですねw

717:神も仏も名無しさん
09/11/04 19:06:18 YDBf4i7G
>>704
えーと、何を言おうか
あれでわかりませんか?
当然でしょうね
聞かれたから簡単に書いただけですが
詳しく知りたければ、単にチャクラで検索して下さいね
多分たくさん出てくるんじゃないかな
こればかりは瞑想してもし、なにがしかの体調変化があってから、聞いて下さい
あーでもない、こーでもないをリアルでもやらないのでね
ゴメンネ♪ゴメンネ♪ダヨ

718:神も仏も名無しさん
09/11/04 20:08:19 Www8GQX2
まぁあれだ、とりあえず個人攻撃、人格批判は止めましょう。
それから10さんは今どんな行をしているの?

719:10
09/11/04 21:39:01 RAOIXaHy
>>713
う~む、その分類で言うと、私は「ファイター」ですかね。
基本的に、相手の利害より、全体の利害を優先しちゃいますから。

まあ、めんどくさい時は「隠遁者」になってますが。

720:10
09/11/04 21:39:09 RAOIXaHy
>>717
う~む、やっぱり女子高生のミニスカートのようなご説明ですねw



721:10
09/11/04 21:39:23 RAOIXaHy
>>718
本当になんで皆私の個人情報を聞きたがるんですかww

まあ、行と言う程の物はしていないですね。
イライラした時や、なにかストレスを感じたときに、
ジーっと内省して、原因を探り、それを解消するように心がけている位です。

722:神も仏も名無しさん
09/11/05 00:40:55 o0WjO0y9
10さん、仏教も宗教ですから、信じなくては先に進めません。
ブッダや出家者達の体験談を信じる以外にない部分があります。
少なくとも、ブッダを信じて修行すれば
ブッダとおなじところまで行ける可能性がある。
師匠の言うとおりに素直にやれば師匠のレベルまで行ける可能性は高くなる。
師匠を信じないで客観的な根拠等を求めているうちに、
人生の時間が足りなくなる可能性があります。
師匠と違うアプローチをすれば師匠を超える可能性もありますが、
自己流でやったがために師匠のノウハウを吸収できず、
一生かけても師匠に追い付けずに終わるかもしれません。
私は、とりあえず師匠の教えを鵜呑みにして
まずは師匠に追い付くことを優先する、
どちらかとうえば、そういうスタンスの仏教徒です。

723:神も仏も名無しさん
09/11/05 07:09:53 Ly3KcWnA
>>721

仏教だろうがヨーガだろうが我が身をもって体感する事が大事だと思うよ。坐禅だけでもした方がいい。

724:神も仏も名無しさん
09/11/05 08:13:03 wCHDtaDk
そうだよね。
所詮に意識は別々なのだから、難しい科学の本読んでも
何故この人はこんな難しいことを思いつけるのだろうな
みたいな本質は理解できる訳が無いし、釈迦は輪廻や悟りを信じられない者に
信じられる方法論として修行や禅定を説いた訳で、それは勉強して頭良くする事でしか
科学者の意識に近付けないのと似ているのかも

725:神も仏も名無しさん
09/11/05 15:45:44 DpBfoy9c
つーか、お釈迦さまだって悟ったのは一通り修行やり尽くした後だしね

726:神も仏も名無しさん
09/11/05 22:53:21 nrMgBPxQ
>>722
大変お久しゅうございます
お元気そうで何よりでございます

727:神も仏も名無しさん
09/11/06 12:01:01 iXzCH6Id
>>722
教師の教えを鵜呑みにするのは小学生まで。君は小学生か。いや、小学生でも、
「自分で考える」ことを学ばせるのが現代の教育。

優れた教師にとっては、弟子が自分を超えてくれることが最大の喜び。仏陀は、
優れた教師ではなかったのか。

仏陀は、何のために「自灯明」を説いたのかね。君は仏教徒ではないことは、
明らか。

728:神も仏も名無しさん
09/11/06 12:25:08 EKIXGssu
>仏陀は、優れた教師ではなかったのか。

自分の教義を刷り込み誘導することにかけては有能でしたが、
少なくとも隠居の理想からはかけ離れていました。
教師は教師でも、例えば現代社会の学校の教師とは別物です。

>君は仏教徒ではないことは、明らか。

その「自灯明」観が誤解であることは既に明らかで何度もループしてますね。
「自灯明」を誤訳といいつつも、そのイメージに引っ張られているように見えます。

729:神も仏も名無しさん
09/11/06 12:38:26 zl3yQX0m
>>728
>その「自灯明」観が誤解であることは既に明らかで何度もループして
>ますね。

ループしているのは、君たち小乗カルト仏教徒のほう。「自灯明」が、岩
波佛教辞典の解説通りであったことは、セブン氏がパーリー語の原典から
引用してくれたことで、既に解決済み。前レス(他スレだったかもしれない)
を、君は読んでいないのかね。

「自分の」教義を刷り込む人間は、単なるカルト教祖である。君は、
仏陀をカルト教祖扱いしているのかね。

730:神も仏も名無しさん
09/11/06 12:47:45 EKIXGssu
>小乗カルト仏教徒のほう。

無関係のものを結びつけるのは精神病の傾向、ということを
以前におっしゃっていたかと思います。

仏教徒なら「自分の教義を刷り込み誘導することにかけては」
などとは言いません。

>前レス(他スレだったかもしれない)を、君は読んでいないのかね。

どこのスレの何スレ目かを教えてください。

>君は、仏陀をカルト教祖扱いしているのかね。

隠居の定義には間違いなく合致します。

731:神も仏も名無しさん
09/11/06 13:03:41 p4ateJyZ
>>730
>どこのスレの何スレ目かを教えてください。

自分で「ループしている」と言いながら、読んではいないのかw。

まず、岩波佛教辞典の「自灯明・法灯明」の項目の解説を読んで、それ
で不満なら、そこに引用された原典に当たれ。

732:神も仏も名無しさん
09/11/06 13:09:24 Y2ia3UkK
自灯明を否定する理由は心が外に囚われて人の言動、信仰の対象物(本尊)などが
外部に存在をする場合が多々。
自灯明に拘りを持つ人は自分のみの殻に閉じこもり内側に嵌りこんだ人、自閉シンドロームになっている。
内に嵌ることなく外に囚われることなくが仏の教え。




733:神も仏も名無しさん
09/11/06 13:11:46 EKIXGssu
>>731
また探すのが面倒なだけです。

法が釈迦の教義以外のものも含んでいるというのは覚えてるんですが。前々スレでしたっけ?
そこから釈迦の教義以外(法と呼ばれる全て)もいっしょに参考にしよう、
という意味だと解釈しているのでしょうか。あの文脈だとそれは非常に考え辛いのですが。

734:神も仏も名無しさん
09/11/06 13:41:31 EKIXGssu
アートマンスレの14ですね。旧7さんのレスとは582-585ですね。
後から自由に方向転換していい、という意味には見えませんが……
釈迦やその弟子の視点では旧7(セブン)さんのレス(同スレ550)のようで
あったと考えられます。

ご隠居のレス(同スレ591)にはおかしな点がみられます。
>彼はいなくなるのだから。
>いなくなれば、「法」には「釈迦の教え」は含まれませんね。
(釈迦視点では)そうではないでしょう。彼(釈迦)の視点では「釈迦の教え」は
創作ではなく真理ということになっています。真理というものは
人間のアイデアで後から作るものとはされないものです。
また、後からの都合で変わるものとはされないのが普通です。

735:神も仏も名無しさん
09/11/06 13:46:04 Y2ia3UkK
>>722
仏教は信じる宗教ではなく実践し体得するものですよ。
真我を知るために禅定を行う真我を知らねば
真の無我も理解できない。
禅定は慧解脱に重要な行であり
戒は心解脱に重要な行です
(戒定慧解脱)

仏道は滅道であるから仏教が財で隆盛繁栄するのは理に添っていないんだけどね

736:神も仏も名無しさん
09/11/06 13:48:44 iJJrIMOd
どういう系統の宗派が真我などを認めているの?

737:神も仏も名無しさん
09/11/06 14:00:16 J+35+JhP
>>736
おいら無宗派だから知らない
君は肉体がある我と認めるか認めないか?
だが仏教で我と認めなくても飯食って寝るでしょ
真我=梵我でいいか同様に意識もまた同様。
これが理解できていないから
アートマンなんてないの誤解、問答が生じたんだよ。
アートマンも無常だということ。





738:神も仏も名無しさん
09/11/06 14:02:44 EKIXGssu
>同スレ592
>また、その「佛教の教法」とは、「普遍妥当性のあるもの」で
>なければなりません。従って「普遍妥当」であれば、
>佛教の教法以外も含むと解するべきでしょう。

これは釈迦ではなくご隠居視点の認識です。ここでの「普遍妥当」とは、
ご隠居がそう思うもののことでしょう。ここで問題としているのは、それ自体が客観的真実かどうか、
という話ではなく、これを「釈迦の意図」とするのは無理があるということです。

739:神も仏も名無しさん
09/11/06 14:28:48 iJJrIMOd
>>737
仏教ってもっとシンプルな教えとおもうんだが。


 カッチャーナよ、この世間の人々は二つの立場に依拠している。それはすなわち有と無である。
もしも人が正しい智慧をもって世間(世の人々)のあらわれ出ることを如実に観じるならば、
世間において無はありえない。
また人が正しい智慧をもって世間の消滅を如実に観じるなば、世間において有はありえない。
 カッチャーナよ、「あらゆるものがある」というならば、これはひとつの極端である。
「あらゆるものがない」というならば、これはひとつの極端である。
 人格を完成した人は、この両極端に近づかないで、中〔道〕によって法を説くのである。『サンユッタ・ニカーヤ』


知らないは、知らないでええんじゃないか?真我を知る必要性ってあるの?



740:神も仏も名無しさん
09/11/06 14:55:34 dS09eXj8
>>739

必要ですね、しかし語るべきものではなかったですね。


「尊師よ、アートマンにより、心が生じて、世界を観じるときに、世界を感じるのですか。
アートマンが無ければ、心は生じないのですか。」
「アートマンを、どのように捉えてますか。」「尊師よ、物なるもの、欲界の我と捉えます。」
「遍行者よ、滅想受定は、欲界を越えています。」
「アートマンを、どのように捉えてますか。」「尊師よ、形あるもの、色界の我と捉えます。」
「遍行者よ、滅想受定は、色界を越えています。」
「アートマンを、どのように捉えてますか。」「尊師よ、意なるもの、法界の我と捉えます。」
「遍行者よ、滅想受定は、無色界を越えてます。」
「尊師よ、アートマン、即ち、真実の自我、つまり、真我なるものは、存在するのですか。
それとも、真我なるものは、存在しないですか。」
「行者よ、有るとも言え、無いとも言える。無我を観じられないと、真我を感じられない。
これは、確めるべきであり、語るべきではない。」
「行者よ、語ることが出来る、四つの真理、実際に確めることが出来る、四つの諦がある。
それでは、この四つの諦とは、如何なるものか。
第一は、全ては苦しみであること、苦諦である。第二は、苦しみは必ず生じること、集諦である。
第三は、苦しみは必ず滅すること、滅諦である。第四は、苦を越える道があること、道諦である。」


                                         布咜婆樓経 ポッタパーダ・スッタ




741:神も仏も名無しさん
09/11/06 15:26:36 iJJrIMOd
>>740
その滅諦なるものが、このようなものではないのですか?


五種の構成要素(五蘊)を〔アートマンとは異なった〕他のものであると見て、
アートマンであるとは見ない人々は、微妙なる真理に通達する。
毛の先端を矢で射るように 『テーラーガーター』1160


「これはわがものである」また「これは他人のものである」というような思いがなにも存在しない人、
かれは〔このような〕<わがものという観念>が存しないから、「われになし」といって悲しむことがない。
『スッタニパータ951』

「刀が体に刺さっている場合に〔刀を抜き去る〕ように、〔ターバンを巻いた〕頭〔髪〕に
火がついている場合に〔急いで火を消そうと努める〕ように、<自身ありという見解>を捨て去るために、
修行僧は気をつけながら遍歴すべきである。」  『サンユッタ・ニカーヤ』

「・・・・・やがて腐敗して朽ちてしまう肉身を見たとて、なんになりましょう。 ものごとの理法(ダルマ)を見る人は
わたくしを見るのです。わたくしを見る人は、ものごとの理法を見るのです・・・・・・ヴァッカリよ、お前はどう考えるか。
物質的なかたちは常住であるか。あるいは無常であるか。」
「尊者よ、無常です。」
「感受作用・表象作用・識別作用は常住であるか。あるいは無常であるか。」
「尊い方よ。それらはみな無常です。」
「こういうわけだから、このように〔すべてのものは無常であると〕観じたならば、
もはやこの世に生を受けることはない、と知るのである。」  『サンユッタ・ニカーヤ』


742:神も仏も名無しさん
09/11/06 15:27:39 +GBf6T3x
語るべきではない確かめるべきである。
   真我=無我   無我=真我
百聞するのでなく自分で一見しなさいと言うことですたい

743:神も仏も名無しさん
09/11/06 15:31:15 iJJrIMOd
いずれにしても、体に起こった感覚であろうと、
「これは我がものでない」という正しくみることでしょうね。

744:神も仏も名無しさん
09/11/06 15:35:41 iJJrIMOd
密教をなさる方が、ある「消える感覚」をもって空を体感されるというのは理解できますよ。

745:神も仏も名無しさん
09/11/06 15:46:29 +GBf6T3x
>>741
>アートマンであるとは見ない人

これは和訳の時の文章のアヤがあるな。

アートマン(真我)を我と観ず(非我)、アートマン(真我)を永遠不変のもではないアナートマン(無我)【〔アートマンとは異なった〕】
として捉える人々は、微妙なる真理に通達する。
______________________________________________________
【有身結】
肉体を我と観て肉体に執着する人々は肉体を失っても再び生まれようとする。


    

746:神も仏も名無しさん
09/11/06 15:58:08 iJJrIMOd
空は「自性(アートマン)が欠けている」ということだから
心経の「 照見五蘊皆空 」と同じと思われますが?

747:神も仏も名無しさん
09/11/06 16:06:36 nuC7exET
科学の分野でも物質は個体ではなく波動体で無でもなく有でもないのが解明されてるよ。
起因するもの一点はあなたでしょ。

748:神も仏も名無しさん
09/11/06 16:18:49 iJJrIMOd
スレの主旨から離れているし、私個人としてはアートマン云々はどうでもよいことなので、
以後、私はこの話題から離れます。

スレの主旨からみれば、大乗仏教なるものは、在家と、在家の為の仏法を教える僧の仏教なので
このままでも別に困る人はいないかと。
物足りなければよそへ行けばいいだけの話で。

749:神も仏も名無しさん
09/11/06 18:06:36 gPksf6dV
>>744>>748
あなたは密教の方でしたか在家と、在家の仏法の為には以下の事が成就するしか本当の道筋はないです。

空海がキリスト教から学んだもの
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
_________________________________
大乗仏教の誕生とキリスト教
URLリンク(www.hotdocs.jp)
_________________________________

大蔵経テキストデータ
URLリンク(21dzk.l.u-tokyo.ac.jp)

長阿含經 0042

當於爾時有佛出世。名爲 彌勒如來至眞等正覺十號具足。如今如來十號具足。彼時有(彌勒如來) 王名曰 儴伽。刹利水澆頭種轉輪聖王。

増一阿含經 733

如來出現世時。便有此七寶 出現世間。如來七覺意寶。至 邊究竟天人所譽。比丘今日善修梵行。於此現身得盡 苦際。用此轉輪聖王七寶乎。爾時彼比丘
_________________________________
聖イッサ伝
URLリンク(www5f.biglobe.ne.jp)

突然現れた太陽は、奇妙な動きを見せた。ぶるっと身震いしたかと思うと、火車(かしゃ)のように回転し、
四方八方へあらゆる色の光線を振りまいた
URLリンク(page.freett.com)


750:神も仏も名無しさん
09/11/06 19:25:20 VzZZ2vUh
聖イッサ伝はさすがに怪しすぎです。

エリザベス・クレア・プロフェットは新興宗教の指導者です。
URLリンク(en.wikipedia.org)

751:神も仏も名無しさん
09/11/06 20:06:12 VzZZ2vUh
イッサ伝の内容も見ましたが、仏教とは無縁です。
URLリンク(en.wikipedia.org)
元ネタを書いたロシア人も批判を受けていますね。
後で存在を認めたとする人の中に研究者がいないのも気になります。
事実関係が不透明なのが現状です。

752:神も仏も名無しさん
09/11/06 20:08:13 JXnAs85k
>>736

仏教では真我は認めてない。おそらくお釈迦さんがそういうものを想定するととらわれが云々という気遣いだろうかと。
パタンジャリ(ヨーガスートラ)の真我の定義が分かりやすい。それは「見る者」としています。
仏教で言う所の「観」ビバサナと同じ意味であると私は解釈しています。
しかしそのパタンジャリ自身が仏教の影響を受けているという学説もあるんですがね。

753:神も仏も名無しさん
09/11/06 20:33:35 u1/Wi84z
>>752
認めていないんじゃなくてアートマンはアナートマンであるといっている
肉体も我ではなく非我とみるのと同じで
それが理解できていない人達がアートマンは無いアートマンは存在しないと言い出したわけ
肉体も我でないと悟っても現実に今、ここに書かせてる物体は何かな?
こんなこともわからなくて慧解脱、無我が解るのかな?

>聖イッサ伝はさすがに怪しすぎです。

釈尊は外道でも善い処があるのものもある説く
悪い部分は切り捨て善い処は助長すればいいと考える
外道の教えに囚われなければいい。
聖イッサ伝がイカサマであれば切り捨てばよい
外の観察は至る処にパーピマントの誘惑がゴロゴロしてる

>>749
を明かすのはパーピマントの誘惑を放出するためでもある。
これらシンクロニシティーが起きるのは深層意識(アカシック)に有貪を刻んだ
結果でもあるよ。
根本の仏法は離貪であるから密教のようにマンダラなどの瞑想による
イマジネーションは行はない。
人間(宇宙)の存在に至るイマジネーションによるものだから。
深層意識に於いて全てのものは網のように綿密に繋がっている考えを阿弥陀という
阿弥陀クジの由来はそれ。

754:神も仏も名無しさん
09/11/06 20:37:44 u1/Wi84z
内に嵌ることなく外に囚われることなく在家者がこの世で幸福とは何かの前に
命とは何か自分とは何か無明から覚めてから幸福を考えるのが一番いいと思う。



755:神も仏も名無しさん
09/11/06 20:53:41 lN0Z//Tx
>>754
充実した、永続的な、強い幸福感は、「他者」の幸福無しには在り得ない。
人間が、そしてすべての生物が、「共同体」としてしか生存できないからである。

「自分の解脱」「自分の救い」「自分の幸福」をひたすら追い求め、「他者」が
完全に欠落しているのが宗教である。本質的に共同体である人間界の営みとして、
全く無意味で、有害な代物に過ぎない。

756:神も仏も名無しさん
09/11/06 21:44:44 svft5eeB
>>755
 善生経 第四章
URLリンク(www.nurs.or.jp)
「シンガーラよ、自分の、友人の接し方に、心から礼拝すべき、五つの法則が現れている。それでは、
この五つの法とは、如何なるものか。
第一の法とは、友のために、与えることである。第二の法とは、友のために、励ますことである。
第三の法とは、友のために、尽くすことである。第四の法とは、友のために、助けることである。
第五の法とは、友のために、背かぬことである。」
「シンガーラよ、友人の、自分の接し方に、心から礼拝すべき、五つの法則が現れている。
それでは、この五つの法とは、如何なるものか。
第一の法とは、我がために、与えることである。第二の法とは、我がために、励ますことである。
第三の法とは、我がために、尽くすことである。
第四の法とは、我がために、助けることである。第五の法とは、我がために、背かぬことである。」
「シンガーラよ、主人の、召使の接し方に、心から礼拝すべき、五つの法則が現れている。
それでは、この五つの法とは、如何なるものか。
第一の法とは、良い仕事を、与えることである。第二の法とは、良い給与を、与えることである。
第三の法とは、良い看病を、与えることである。
第四の法とは、良い食事を、与えることである。第五の法とは、良い休暇を、与えることである。」
「シンガーラよ、召使の、主人の接し方に、心から礼拝すべき、五つの法則が現れている。それでは、
この五つの法とは、如何なるものか。
第一の法とは、主人より、早く立つことである。第二の法とは、主人より、遅く寝ることである。
三の法とは、主人の命に、従がうことである。
第四の法とは、主人の為に、尽くすことである。第五の法とは、主人の名を、称えることである。」
「シンガーラよ、人々の、聖者の接し方に、心から礼拝すべき、五つの法則が現れている。
それでは、この五つの法とは、如何なるものか。
第一の法とは、身をして、善を行うことである。第二の法とは、口をして、善を語ることである。
第三の法とは、心をして、善を思うことである。

757:神も仏も名無しさん
09/11/06 21:53:20 svft5eeB
>>755
優曇婆邏経
URLリンク(www.nurs.or.jp)

第一の心は、慈に満ちている、慈無量心である。
第二の心は、悲に満ちている、悲無量心である。
第三の心は、喜に満ちている、喜無量心である。
第四の心は、捨に満ちている、捨無量心である。」

「このように、最上の苦行を修めた行者は、
一生、十生、百生、千生と、前世を思い出す。
そして、清らかな天眼により、来世を見て透す。」

中論
URLリンク(www.nurs.or.jp)
一 自己を制し、他人をまもり益する慈悲心は、すなわち法にかなった行いであり、この世とかの世において果報を受ける種子である。


758:神も仏も名無しさん
09/11/06 21:58:18 w+/WNe01
>>756
それらの「利他」と、「自分の輪廻からの解脱」という「自利(エゴ」とが抵
触した場合には、どちらを優先すべきと教えているか。「自利」が優先すれば、
結局、「利他」は否定せざるを得ないね。

759:神も仏も名無しさん
09/11/06 22:31:24 jmsjcqBB
>>758
だから本格的な解脱の行は出家するの
出家の行は社会の繁栄とは相反するんだよ。

在家は戒と善法の行で期が熟してなくて
解脱の理念を知っても出家する気がなければ
出家する必要もないし在家のままでもいいの


760:神も仏も名無しさん
09/11/06 22:43:06 3ZmYfBTK
>>758
そう。
西暦2009年の現在の時点で、
或る日本人が、【大乗的でない(≒原点回帰的な)仏教】に傾倒し、行じ、その先を見たいと思った時、
それを可能にするのは、彼が身軽な立場にある時に限る。
少なくとも、会社の要職についていたり、家庭を持っていたりすれば、彼の解脱は不可能だ。(理由はお解りと思う。)
子供が居たり、老いた親がいたり、要介護の肉親が居たりすれば、
彼には【厳密な、真の意味での】行・住・坐・臥は不可能だろう。
大乗的スタンスは、こうした時の【在家のままでもよい】という可能性を、
(絵に描いた餅的ではあるにせよ)提示した点に特徴があろう。
阿羅漢・仏或いは如来、ではない菩薩という存在のもたらすイメージ、維摩居士のヒーローっぷり、禅門に於ける入てん垂手・騎牛帰家等、
これら全て、【世俗の流れに与りながら、そのスピリットの部分にブッダの本懐を抱く】という在り方を許容する。
キャパシティが拡がる半面、線引き(具体的在り様への顕れの判断、或いは許容範囲)の難しさがある。
日本仏教が直面しているのは、まさにこの部分となる。

さて・・・、政局が自民から民主に変わったように、大きな軋みや歪みを覚悟の上での改革があっても良いのかもしれん。
勿論、「誰が言い出し」「地ならしをし」「実現への具体的働き・動きをできるのか?」は難問だが・・。

761:神も仏も名無しさん
09/11/06 23:08:00 /3zRkD6t
誤った見解によって真我、梵我など無いとされた処に大きな間違いがある
釈尊が観た無限の輪廻は何か?
あなたもわたしも本当はないんだよ。

762:神も仏も名無しさん
09/11/06 23:09:34 /3zRkD6t
だから求道者は菩提心が生まれる。

763:神も仏も名無しさん
09/11/06 23:35:11 HOA74Pn5
>>735 実践する前段階として信があるでしょう。
そもそもブッダが本当に悟っていたのか?
悟っていたと信じるから、ブッダの教えを自分も実践することができる。
ブッダが悟っていることを証明するまではブッダの悟りを信じない、
なんて言い出したら、本気で修行なんかできません。
修行すれば悟れるなんて嘘っぱちだったら、
人が悟れる、煩悩をなくして苦悩をなくせる、というのも嘘だったら、
はじめから修行する必要もない。
仏教の本を読むことさえも時間の無駄になる。

仏道を志すということは、すでに何らかの信があるはず。
信じるなんてインテリっぽくないから嫌だ、
仏教だけは他の宗教みたいな信仰じゃないんだ、
みたいに思ってる人もいるのでしょうけど。

764:神も仏も名無しさん
09/11/06 23:51:48 HOA74Pn5
>>758 そもそも利他って何なのか。
悟りに導くことだとしたら、ある程度修行を積み、
さらには他人に指導するノウハウも習った上でないと「利他」はできない。
悟りに導く時間的スパンもどうとらえるのか。
一人でもいいからできるだけ早く悟る人を出したいというなら、
在家の悩み相談とかにかかわりあってるよりも、
出家者達を集中的に指導したほうが悟る人は出やすい。
いやいや、そんなにあせるよりも、
何千年単位で考えでより多くの人を悟りに導きたいというなら、
自分の修行よりも、とにかく今は、
仏教をより多くの人に知ってもらうほうがいいかもしれない。
仏教が広まれば、遠い将来に悟る人を大量生産できるかもしれない。

765:神も仏も名無しさん
09/11/07 00:10:04 5WxUFVnI
>>764
だから、そのどちらの在り方にしても(―どちらがどうこうという査定は別にして―)、
そうした在り方を現代日本社会に構築できるのかどうかが、
このスレの最終目的地としてのテーマなんじゃないかい?

766:10
09/11/07 00:15:58 Uj5avWh8
>>722
う~ん、「信」と言う言葉には、いろいろな意味が有ると思うんですが、
あなたは、「盲信」と言う意味で使ってますよね?
でも、ゴータマさんが語った「信」と言う言葉は、
「疑ってかかった上で、納得して受け入れる」と言う意味が原義だったと思うんですが…
根拠もない主張を鵜呑みにしていたら、人生の時間が足りなくなるどころか、一生を棒に振る可能性が大ですからね。
それに、師匠の言う事を先ずは疑ってかかることと、師匠のノウハウを吸収する事は、別問題です

まあ、「『宗教』とは盲信するものだ」と定義するのは結構ですが、
「仏教は『宗教』である」という保障が無い事だけは指摘しておきます。

767:10
09/11/07 00:16:28 Uj5avWh8
>>723
座禅ですか……
自己の境界が曖昧になって、世界と一体化したり、
言語作用が止まって、対象そのものを感じたり・・・、
その程度には、やったことがありますが、意味が無いと思って止めちゃいましたね。

768:10
09/11/07 00:16:42 Uj5avWh8
>>725
>つーか、お釈迦さまだって悟ったのは一通り修行やり尽くした後だしね
初転法輪で開口一番、「これまでの修行(苦行)では悟りにたどり着けない(中道)」と言われてますけどね。


769:10
09/11/07 00:16:56 Uj5avWh8
>>747
>科学の分野でも物質は個体ではなく波動体で無でもなく有でもないのが解明されてるよ。
量子力学の事を仰っているなら、少々解釈がオリジナリティーに溢れ過ぎていると思います。

770:神も仏も名無しさん
09/11/07 00:56:07 eQFzd5z5
>>767
意味が無いことはないね
世界と一体感や至福というものを体感しても五取蘊による妄執であるから
出離離貪しなけば本当の意味がないんだけどね

そっちへ向かってしまうと、お前は小さい船だとけなし
人の救済慈悲心なると乱心し阿羅漢に至れない万年菩薩だとけなす。

つまるところ本当の無我=真我を知った人はこの過ちは犯さないのであるが
知るまでも無く出離離貪のみでのもよく梵我一如を論争することには実際は意味が無い。








771:神も仏も名無しさん
09/11/07 01:23:37 g8o13i0B

>>757
>この世とかの世において果報を受ける種子である。

中論の頌17章のそれ以下をよく読むと、竜樹は、「この世とかの世において果報をうける種子」と
しての「業」を、煩悩による非実在として否定しているね。このことは「輪廻転生」を否定している
ことになる。

「すべて空」を説く佛教が、「輪廻転生」や「来世」だけを常住とすれば、これほどの論理矛盾はない。
「輪廻転生」の論理は、最初から崩壊している。

「輪廻転生」は、キリスト教における「罪概念」と同様、「現実上の根拠皆無な、人為的な押し付け概念」
という点で、佛教の最も忌むべき思想である。それは、人間に対する「脅迫」と「甘言」という、創唱者の
「悪業」「罪」以外の何物でもない。即時廃棄されるべき概念である





772:神も仏も名無しさん
09/11/07 01:36:12 2E7QcZJn
>>760
>それを可能にするのは、彼が身軽な立場にある時に限る。

仏教者も、「人間」として世間によって生かされている以上、世間に対する
義務をぎっしりと背負っていある。身軽な人間など、誰もいない。生かされて
いるからこそ、宗教などもやれる。従って「解脱」など、誰にとっても不可能
だといえる。

「輪廻転生」や「解脱」などという「人為的観念」は、存在し得ないのである。
すなわち、「我執」と「煩悩」の典型である。

773:神も仏も名無しさん
09/11/07 01:44:27 eQFzd5z5
>>771
十二因縁、五取蘊によっ以て輪廻転生が存在する以上、輪廻転生の存在の大元は妄執妄想でしかない
すなわちアートマンが存在しないとか輪廻転生は存在するんだとかの論争は本末転倒なんですよ。
____________________________________________

因縁相応
URLリンク(www.nurs.or.jp)

「尊者方は、解脱を果たされたそうですが、経典に説かれている、六つの神通を得た上で、
しっかり、解脱を果たされているのでしょうか。」
「友よ、我々は、智慧により無明を越えた。
すなわち、智によって、慧解脱したのであり、定により貪欲を越え、心解脱したわけではない

774:宝珠愚者
09/11/07 06:38:39 d2NP4Hbi
すみませんが、
どなたか善意の方にお願いします。
次のスレッド立てて頂けませんか。

内容(一部訂正)
URLリンク(houjugusya.web.fc2.com)

775:神も仏も名無しさん
09/11/07 08:21:51 I9zOpnz2
十二因縁、縁起観からの話が欠けて輪廻転生は無いでは本当に本末転倒で
いま、こうして享受している総ての事が五蘊による妄執であることを知らなければならないから、
ただの輪廻転生の否定は今の私もナッシングよっと言ってるのと同じで
縁起観を飛ばして逆に私は存在しない透明人間と妄執妄想して飯を食って風呂入って寝て私は存在しないと
つぶやいてるのと同じで、ただただ輪廻転生は無い、アートマンは無いでは断見外道と同じでしかなく
偉い坊さんなどの説法で、だから何々で輪廻転生は無い、アートマンは無いの処の何々の話を聞いて
なかったりして何々が無視されて輪廻転生は無い、アートマンは無いと云い回って誤見を広めるから
困ったものだ。


776:神も仏も名無しさん
09/11/07 08:50:41 zBukbUZp
苦言を言わせてもらうけど
こうして諸派が分裂していったように日本仏教は法と教義の一致はなく
世の人々の幸福という点でしか一致ができなく
在家者の無明を覚ますべく法と教義を説く点では衝突するから
日本仏教界と世界も含めて法と教義の一致は正等覚者が出てくれないと無理だね。
経典では釈尊の次の正等覚者は弥勒らいしけど


777:神も仏も名無しさん
09/11/07 08:53:25 5WxUFVnI
参:スレリンク(psy板:605-614番)

778:10
09/11/07 09:05:53 Uj5avWh8
>>770
いや、私がやめたのは、そんな理由じゃないですよ。
座禅している間は、確かに幸福感があって、いいのですが、
止めたとたん元の木阿弥になるという事がよく分かったからです。
まあ、冷静になって考える訓練としては多少役に立ちましたが。

>>773
その経典のいいたい事は、「神通力は悟りに関係ないよ」ってことだけでは?


779:10
09/11/07 09:05:59 Uj5avWh8
>>775
とりあえず、落ち着いて「日本語」書きましょうよw
主語が曖昧な複文で、意味が解りにくいです。

まあ、少なくとも、十二因縁、縁起観を、輪廻転生の根拠としてらっしゃいますが、
どのようにつながるんですか?

780:神も仏も名無しさん
09/11/07 10:41:34 opxugUtd
>>779
六師外道の一人、アジタ・ケーサカンバラは
世界は地、水、火、風によって存在し転生などないと唯物論説を説くと釈尊は説く。
___________________________________
縁起

渇愛を味わい、取が生じる。
取を味わい有が生じ、有を味わい生が生じる。
生を味わい、老が生じ、苦が生じ、死が生じる

渇愛を滅して、取が滅する。
取を滅して有が滅し、有を滅して生が滅する。
生を滅して、老を滅し、苦を滅し、死を滅する。
______________________________________
仏説五蘊皆空経
五つの構成要素(五蘊)を観察すれば 自己が所有するところも、自己をもってするところも無い、
ということを知る。 かくのごとく観察しおわれば、世界を知る。 感受作用も、感受する対象も無くなり、
変転することもない。 ただ、みずから悟り、 涅槃に達する。 [すなわち]わが生はすでに尽きた。
清浄なる行は、すでに完成した。 造作する働きはすでに見られ、 後の生存を受けることはない
URLリンク(ja.wikisource.org)
_______________________________________
 等誦経(SaGgIti-suttanta)  第一章
URLリンク(www.nurs.or.jp)
「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、二つで一組になる、真実の法である。
それでは、この二つの法とは、如何なるものか。

三とは、輪廻が有る見解、と、輪廻が無い見解。



781:神も仏も名無しさん
09/11/07 11:07:40 lLH4irYN

要するに、業報輪廻転生論(+事実上の梵我一如論)を説く『化石スコラ仏教』に用はない。
粗大ゴミとして廃棄処分にするか、愚かな化石として博物館に陳列するのみ。



782:神も仏も名無しさん
09/11/07 11:23:03 opxugUtd
プッwだから業報も取、受による妄想なの。



783:神も仏も名無しさん
09/11/07 11:44:36 kg319qNU
だってだって凡夫達が仏教の真意を知ってしまったら仏教信仰ビジネスが出来なくなっちゃうもんねw

784:神も仏も名無しさん
09/11/07 11:58:32 0szazKoM
てす



785:781 
09/11/07 12:03:26 lLH4irYN
 そもそも業(カルマ)の思想を開発・創作・でっち上げしたのは、
侵略民族アーリア⇒バラモンの末裔イデオローグであるヤージュニャヴァルキャだ。

これによって、インド土着の封鎖的農村共同体の単純素朴な輪廻転生「説話」(わが邑への先祖帰り)を
たんなる死生観から恐るべき因果応報の理論に創作的に変更させ、これにより
アーリアバラモン支配体制イデオロギー確立に成功したのだ。
因果応報+輪廻転生を担保するためのアートマンの創作、ブラフマン観念に五火説さらに二道説追加と
理論的追加及び修正をほどこしながら徐々に梵我一如論+業法輪廻転生論を人工的に『創作』しながら完成させていったのだ。
まさに天才的御都合主義哲学者というべきだろう。 あっぱれ! あっぱれ!!
しかし、こんなシロモノが真理などであるわけがない。

 このヤージュニャヴァルキャのバラモン支配イデオロギーに対する革命的“アンチ・テーゼ”のひとつ(サマタ=自由思想家のひとり)が、
自由思想家ゴータマ・ブッダの「縁起」の思想だった。
ゲマインシャフト(封鎖的農村共同体)からゲゼルシャフト(商業資本主義商品交換自由社会)への
歴史的変転を背景とする流れであることはいうまでもない。

両者は歴史的背景・原理が全く異質なのであって、仏教に業報輪廻転生論を注入・定着させることは、
原理的矛盾以外のなにものでもない。
 もちろんバラモンからの謀略的注入があったにせよ、原理的矛盾に苦しむことになり、
現代でも議論が絶えないことはご承知の通り。






786:10
09/11/07 12:07:31 Uj5avWh8
>>780
アジタについての発言は、
外道の説明であって、仏陀の意見を示したものではないと思いますが?

縁起については、
縁起の定義を示してはいますが、輪廻との関係を全く示してないですね。

仏説五蘊皆空経 については、
悟れば後の生がなくなることを示しているだけで、そもそも輪廻するかどうかは示していないですよね?

等誦経については、
二つが一組であると示しているだけですよね?

で、これらを引用して、何を言いたかったんですか?


787:781 
09/11/07 12:30:36 lLH4irYN
 宝珠愚者やカラスが
>仏教とは、バラモン教を補完するものであるという理解(宝珠>>684)、だとか
>仏教もヒンドゥーも、元々は同じゴールを目指す、元はヴェーダから来ている、
>同じ真理を説いてるものだ(カラス>>676)、とかナンセンスな妄想を主張するが

①もしそうなら、バラモン=ヒンドゥから14世紀にマーダヴァが著した『全哲学綱要』(インドの哲学体系『全哲学綱要』訳註 中村元選集 第28巻)で、
仏教を唯物論を除けば最低の極悪思想(ヴェーダ及びアートマンを認めない)と非難を浴びせられているかを説明できないだろう。
仏教はヴェーダ聖典の権威を認めない3つの異端(唯物論、仏教、ジャイナ教)のひとつと認定されているのだ。
もし業報輪廻転生論なるシロモノを認めていたのなら、マーダヴァはもっと高評価したろう。
それとも現場にいたのにマーダヴァはアホなのか?
仏教では業報輪廻転生論を認めないことの「反面的証明」といえるだろう。
マーダヴァの評価は仏教にとって「名誉ある」的確な評価というべきだろう。

②バラモン至上主義者ヤージュニャヴァルキャの事実上の創作『業報輪廻転生論』イデオロギーのアンチテーゼが
市場経済をモデルとするブッダの『縁起の思想』という革命思想だったのであって、
両者を接合するなどは歴史的事実を無視した原理的矛盾といわざるを得ない。
さらに、一方が封鎖的農業共同体ゲマインシャフトに対し、他方が新興商品交換社会ゲゼルシャフトを背景とするものであって、
社会基盤が異質なのだ。(>>785




788:神も仏も名無しさん
09/11/07 12:40:10 2Yg2FgqZ
>>781
>博物館に陳列するのみ

仏教自体が現実にはそんなもんだから。
聖徳太子が架空の人物だからブッダなんて・・・・
それにしてもドン・キホーテみたいな発狂者があとを絶たないな。
日本書紀を史実としようとした徒党もあったね。

789:781 
09/11/07 12:47:57 lLH4irYN
日本各地にお盆の「お招来」という風習がある。
ご先祖さまがそれぞれの「家」に帰ってこられるのをお迎えするという風習だ。
京都の大文字送り火が代表だろう。
単純素朴な輪廻観といっていい。
もちろん「業(カルマ)思想」など関係がない。

古代インドの封鎖的農村共同体(ゲマインシャフト)=事実上の農村封鎖的共産主義でも、
先住民の素朴な土着輪廻観(死んでも村に帰ってくる)があったのだ。
ここに創作的に「業(カルマ)思想」を強制注入したのが
ヤーニュジャヴァルキアをはじめとするバラモンの御都合主義イデオローグたちだったのだ。
これにより、カースト制度支配のイデオロギーを構築していったのだ。



790:神も仏も名無しさん
09/11/07 12:48:19 kg319qNU
>>781
ひとつ仮定に
ここにある車にある車名と4っつのタイヤで動いている説明され

>で、これらを引用して、何を言いたかったんですか?

と、知らばっくれるのいい加減にしな。



791:神も仏も名無しさん
09/11/07 12:50:05 kg319qNU
>>786
ひとつ仮定に
ここにある車にある車名と4っつのタイヤで動いている説明され

>で、これらを引用して、何を言いたかったんですか?

と、知らばっくれるのいい加減にしな。



792:神も仏も名無しさん
09/11/07 13:17:35 kg319qNU
>>786
輪廻があると思い込めば輪廻が存在をして
無い思い込めば輪廻など存在をしない
輪廻を存在しないとただ否定しても
渇愛よって生存を受けてること位
理解できるだろ。

>だから何?
>だから何がいいたいの?

うざいこと遠回しでいうな。

793:神も仏も名無しさん
09/11/07 13:19:32 TnmJvcgE
ヤージニャヴァルキヤとジャナカ王との対話から

・・・・そこでは彼は善によって従われず、悪によって従われず、実に彼は一切の
心の悲しみをこえている。
かくの如く知るものは悪を離れ、老いず、飢えを離れ、渇きを離れたものブラフマンとなる。

以上の諸例によっても明らかなように、ブラフマンなりアートマンなりを知ることは、老・死・飢え・渇き・悲しみ等
個人存在に固有の自然の苦しみを解消することであった。
換言すれば、それは人生における不安の解消に他ならない。
この対話で特徴的なのは、天上的、地上的願望が問題とされていないことである。
ウパニシャッドにおいては、人はもはや積極的に行為を通じて自己の願望を成就しようとしない。
しかも、心の悲しみを去り、老子を克服する場合でさえ、それに代わるべき積極的な善を期待しているのでもない。
ただただ不安を解消し、苦を除去することが、古代インド人の理想であった。
そして、このような理想は後世のインド思想に決定的な影響を及ぼしたのであり、
実際問題として、原始仏教もまたこのような古代的理想を前提としている。

「ウパニシャッドの根本特徴 湯田豊」の論文から一部抜粋して掲載。
 全文↓
URLリンク(nels.nii.ac.jp)

794:神も仏も名無しさん
09/11/07 13:37:34 qtpWzNOj
>かくの如く知るものは悪を離れ、老いず、飢えを離れ、渇きを離れたものブラフマンとなる

それによって永遠の命(常住)に導かれるということ。
しかしそれについて釈尊は常住ではなく無常であるとする。

795:10
09/11/07 13:55:56 Uj5avWh8
>>790-791
すみませんが、本気で何を言いたいのか解らないんで、
「日本語」でもう一回書き込んでいただけますか?

っと、すでに>>792でご自分の解説をしてくださっていたんですねw
それでも解りにくいですが。

>輪廻があると思い込めば輪廻が存在をして
>無い思い込めば輪廻など存在をしない
つまり、「輪廻は妄想である」と言いたいんですか?

>渇愛よって生存を受けてること位理解できるだろ。
え~と、以前から指摘しているように、
「なんで渇愛によって、生存に至るんですか?」

>うざいこと遠回しでいうな。
いや、冗談とか皮肉とかではなく、何を言いたいのか本気で解らなかったもので。
もうすこし、主語をハッキリさせて、単文で書いていただけると、理解し易いんですが。

796:神も仏も名無しさん
09/11/07 14:12:43 gbQal2Io
この文章は気が○○○るから、
触らぬ神に祟りなしだよ。

797:神も仏も名無しさん
09/11/07 14:23:10 c9w8ZK7w
>つまり、「輪廻は妄想である」と言いたいんですか?

ズバリ妄想 この世もねw 今、見てるパソコンもねw

>「なんで渇愛によって、生存に至るんですか?」
サマタに意味が無いと知って定を棄てたんでしょ
死に際して一番の執着は家族、恋人でしょうね。
それ以上は自分で知るしかないでしょ。



798:宝珠愚者
09/11/07 14:40:18 d2NP4Hbi
>>787
>もし業報輪廻転生論なるシロモノを認めていたのなら、マーダヴァはもっと高評価したろう。
>それとも現場にいたのにマーダヴァはアホなのか?
>仏教では業報輪廻転生論を認めないことの「反面的証明」といえるだろう。
>マーダヴァの評価は仏教にとって「名誉ある」的確な評価というべきだろう。

あなたは自分で、
「仏教を唯物論を除けば最低の極悪思想
(ヴェーダ及びアートマンを認めない)と非難を浴びせられているかを説明できないだろう。」
と、述べたではありませんか?

仏教がバラモン教の立場から批難されるのはアートマン否定をしたからです。
アートマン否定などという愚説がインドにおいて仏教が衰退していった根本的な原因の一つです。
業報輪廻思想を仏教が否定していたからなどではありません。
そんな仏教は業報輪廻を認めなかったのが本来の姿である、
といった勝手な曲解は辞めましょうか!
仏教はアートマンを説かずに業報輪廻を説くもの(と、された)。

まず、基本的な認識からしてあなたは間違っています。
このアートマン否定なるものは本来のゴータマの思想などではなく、弟子たちが誤解して捻じ曲げたものです。
それを再三、無我説の誤解(本来は「非我説」を説いた)として、
この私が以前のシリーズ「アートマン・スレ」で主張してきたことです。

基本から確認して下さい!
URLリンク(houjugusya.web.fc2.com)

799:神も仏も名無しさん
09/11/07 14:46:25 2Yg2FgqZ
プッ こりゃ大変だわw

800:宝珠愚者
09/11/07 14:53:14 d2NP4Hbi
業報輪廻思想の是非に関する深い議論は、是非こちらで展開して下さい!

【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】1
スレリンク(psy板)l50

801:神も仏も名無しさん
09/11/07 15:16:48 0szazKoM
仏教そのものが定義・主張・主題に対する否定によって真理を成立させる論法(竜樹の流れ)、
ボクシングでいうところのカウンターパンチャーみたいなもんだから、相手から出てこないと打てない。
そういう性質がある。

お釈迦さんが立ち上がった当時、アーリア系のバラモンがインドを支配していた。土着民はカーストに
よって、社会的・精神的に完全に支配されていた。しかしその時はその方法、論法で成功したかもしれないが、
(一時的なバラモンの衰退、変わるクシャトリアの支配)今現在のおいてその論法が必要なのかな?





802:神も仏も名無しさん
09/11/07 15:20:06 2Yg2FgqZ
神話を生きる人々・・・

803:781 
09/11/07 15:38:59 lLH4irYN
>>798
>あなたは自分で、「仏教を唯物論を除けば最低の極悪思想 (ヴェーダ及びアートマン>を認めない)と非難を浴びせられているかを説明できないだろう。」
>と、述べたではありませんか?

『仏教を唯物論を除けば最低の極悪思想 (ヴェーダ及びアートマンを認めない)』と評価
したのはヒンドゥ・イデオローグのマーダヴァ(『全哲学綱要』)であって、
宝珠やカラスの仏教についての主張(ヴェーダ及びアートマンを認める)と
マーダヴァの主張(仏教はヴェーダ及びアートマンを認めない)が矛盾すると指摘している。
文句があるならマーダヴァに」言え。
そして、宝珠やカラスなどより、現場で直接接触し仏教を批判的に検討していたマーダヴァのほうが的確だろうといっている。

>アートマン否定なるものは本来のゴータマの思想などではなく、弟子たちが誤解して捻じ曲げたものです。
>それを再三、無我説の誤解(本来は「非我説」を説いた)として、この私が以前のシリーズ「アートマン・スレ」で
>主張してきたことです。

「アートマン・スレ」では、『仏教はアートマンを説かない』ことで事実上宝珠は論破済みだ。
未練たらしいぞ。
仏法は無我<アナートマン(anatman)>にて候(蓮如)。
蓮如の悟りは本物だが、宝珠が悟っているなどとは到底思えない。
「アートマン・スレ」を蒸し返すつもりはない。もう『我』執を棄てたらどうだ?
宝珠やカラスの妄想主張は、ヒンドゥ・イデオローグのマーダヴァ(『全哲学綱要』)からも
批判否定されていることを認識すべきだ。



804:803=781 
09/11/07 15:47:41 lLH4irYN
訂正
× マーダヴァのほうが的確だろう
〇 マーダヴァのほうが正確に仏教教義を把握していただろう 


805:宝珠愚者
09/11/07 16:00:22 d2NP4Hbi
>>803
たからw~
“アートマン否定についての批判だ”といってるのです。
それをあなたが勝手に業報輪廻のことに摩り替えたことを私は批難したのです。
お分かりか?

>「アートマン・スレ」では、
>『仏教はアートマンを説かない』ことで事実上宝珠は論破済みだ。未練たらしいぞ

馬鹿なことをいってもらっては困る!
仏教では仮和合の我もアートマン、バラモンの教義もアートマン、
そして、仏教が目指す真実に立脚すべき自己も同じくアートマンと呼ぶのです。
だから、“ごちゃまぜにするな”といってるのですよ。

この私は、
ゴータマが“バラモン教義のアートマンを説いた”などとは1度たりともいってない。

無理解とごちゃ混ぜする連中と一緒にされてもらっては困る。

(業報輪廻の否定論を展開したいならば、「輪廻転生スレ」へ)

806:ここにも降臨させとこう
09/11/07 16:13:08 ogYev2jY
転輪聖王七寶具足金輪寶白象寶紺馬寶神珠寶玉女寶居士寶主蔵臣寶

旧約聖書にノア・アーク(箱舟)の両端は尖りゾハル呼ばれる光源を持つ。
そしてこれがノア・アークの正体。
URLリンク(www.youtube.com)

URLリンク(weagle24.blog62.fc2.com)

URLリンク(www.youtube.com)

釈迦〔三道宝梯降下、従三十三天降下〕
天に滞まること三月ののち、自在天の化作した金・銀・水精よりなる三道路(三道宝梯)を、ブラーフマー(梵天)・インドラ(帝釈天)を
左右に従えて下り、サンカーシヤ Sankasya(僧伽尸{ソウガシ}・僧伽施{ソウガセ})国の大池の水際のウドンバラ
Udumbara(優曇婆羅{ウドンバラ})樹下に降下し、ウトパラヴァルナ Utpalavarna(優鉢華色{ウハツケシキ})比丘尼{ビクニ}の仏足礼拝を受け、
ウダヤナ・プラセーナジット及びビンビサーラら五王の奉迎を受けた。このとき、ウダヤナが牛頭栴檀の像を手に
仏像造顕の功徳を問訊したのにたいして、種種の功徳の大なるを説き、五王はその地に大神寺を建てたという(以上、『増一阿含経』など)。
URLリンク(www2.mmc.atomi.ac.jp)

【聖母が降臨したファティマという地名は、ひじょうに象徴的だ。ファティマの名前の由来は、アラビアの月の女神なのだ。
ファティマはもともと宇宙創造の女神であって、その意味は、太陽の根源、エデンの園の木、月と宿命を意味する太母神にほかならないのだ。】
URLリンク(www.h2.dion.ne.jp)


807:神も仏も名無しさん
09/11/07 16:22:09 2Yg2FgqZ
>>805
>無理解とごちゃ混ぜする連中と一緒にされてもらっては困る。

目くそ鼻くそだっつーの。
先入観なしに歴史学の学知を受け入れろよ。
「全部妄想だ」なんて幼児退行するなよ。

808:803=781 
09/11/07 16:24:16 lLH4irYN
>>805
>“アートマン否定についての批判だ”といってるのです。

それが経験主義的に検証できない戯論だから、
批判すれども否定せず、というのは当然だ(無記)。
⇒“アートマン肯定についての批判だ”といってるのです。

809:神も仏も名無しさん
09/11/07 16:29:36 VkPNeGBc
ノアの時代も今の時代も人間の愚かさってかわらないんですね。

810:神も仏も名無しさん
09/11/07 16:35:35 2Yg2FgqZ
>>809
は?なぜノア?ノアは神話すぎるだろ。どういうメタファだ。

811:神も仏も名無しさん
09/11/07 16:58:29 1eknniuF
けっして神話ではないよ
ノアの箱舟は船体は発見されていないがアララト山で漂着したと
思われる痕がされ船体は発見されわけがないけどね天の宇宙船だから。

釈尊が煩悩を打ち破ることを転輪聖王が輪宝を転じるに喩え
輪宝は古代インドの円盤型の投擲武器で信仰に於いては
太陽神のスーリャの乗り物の意味するから。

812:神も仏も名無しさん
09/11/07 17:05:34 tP+LqDcE
>>811
文訂正スマソ
けっして神話ではないよ
ノアの箱舟は船体は発見されていないがアララト山で漂着したと
思われる痕が発見されてるが船体は発見されるわけがないよ
天の宇宙船だから。


813:神も仏も名無しさん
09/11/07 17:24:17 2Yg2FgqZ
>>812
そうかそうか。。
キリスト教のファンダメンダリストでもないんですね。
世に数多ある神話をつなげて、一つの物語を作ろうとしていらっしゃる方々の一人かな。
NHKの高校講座でも一通りやって、地学や、進化学などの学知も受け入れてみては。

814:神も仏も名無しさん
09/11/08 00:25:07 UV1F/B0U
>>813
プッ解らないかな?内に嵌ることなく外に囚われことなく観察をする。

ユングと宗教心理学 その2 - レルネット
URLリンク(www.relnet.co.jp)

宇宙の存在は人間の深層無意識の観る夢で
俗世界(地球)と天(宇宙)に於いて一対からみあう
阿弥陀になっていて過去現在未来は同時に存在し
我は今という瞬間でもある。

科学と情報が発達し真我を説明しやくなった時代でもあるね
夢である以上、無我でもある。

815:神も仏も名無しさん
09/11/08 00:37:36 UV1F/B0U
ユング 集合的無意識 神話学
URLリンク(www.ne.jp)

816:神も仏も名無しさん
09/11/08 00:38:30 hGwWxNNo
時の扉って誰の歌ですか?

817:神も仏も名無しさん
09/11/08 02:18:50 yv351nre
>>813
仏道を齧りながら実は内側や外側のどちらかや
常見か断見のどちらかに偏り唯物思考の型に嵌り独善独我に
嵌った人達のために真の理が小さな船とけなされる
結果になったことでもあるのに気ずいたほうがいいよ。

818:宝珠愚者
09/11/08 04:22:30 OVkwao6+
>>774
次スレをどなたかお願いします
URLリンク(ime.nu)

819:神も仏も名無しさん
09/11/08 06:21:03 /U7vAnms
仏教の輪廻ってこんな感じじゃねえか?

あなたは死にました。もう一度生まれたいですか?
a.生まれたい
b.もうたくさんだ

結果
a.解脱
b.転生

これは、死んでから誰かに質問を受けるという意味でなくて、
各人が普段から、無意識にもっている回答のようなものだと思われる。

820:神も仏も名無しさん
09/11/08 06:22:13 /U7vAnms
結果が逆だw

結果
a.転生
b.解脱

821:神も仏も名無しさん
09/11/08 07:44:31 AVIxbZ1p
>>819 そう思います。
もちろん、輪廻を信じていない場合でも、
三界への執着が残っていれば輪廻する。

822:神も仏も名無しさん
09/11/08 10:09:56 XdGInDIB
>>820
少し違うなw

(もうすぐ・これから)あなたは死にます。もう一度生まれたいですか?
a.生まれたい
b.もうたくさんだ
c.別に

結果
a.転生
b.転生
c.解脱

どっちかっつーと↑だろ?w

823:神も仏も名無しさん
09/11/08 11:11:31 pe3H22ga
いや、

c 別にの心情によっては
見事、『虚無』に転じ、立派な悪党となり
この世と虚無界の無限ループかもよ

824:神も仏も名無しさん
09/11/08 11:18:08 hGwWxNNo
小池龍之介のもう怒らない売れているね。

825:神も仏も名無しさん
09/11/08 11:34:39 XdGInDIB
>>823
そこで“慈悲”なんじゃね?w

826:神も仏も名無しさん
09/11/08 12:08:33 pe3H22ga
>>825
本格的に虚無った場合、慈悲などないよ
慈悲モドキで虚無界に誘導

となります
ノルマでもあるのかね

827:神も仏も名無しさん
09/11/08 12:20:34 XdGInDIB
>>826
そこまで正式に、真面目に、厳密に言うなら、
最初の819-820の図式化自体がアウトだろw
aとbを分ける必要が無い。
(特に、どこかのどなたかさんの見解に沿えばね・・。自己保身としては同じだ、とw)

828:神も仏も名無しさん
09/11/08 12:25:11 lqekyeWb
純粋な釈迦の教えだと慈悲まで逝けないね。目標とするとこがニルヴァーナなんだから逝けるわけない。

だからブラフマの存在を無視した仏教(密教系はまた別の話)は宇宙規模の社会性が無いんだよ。

829:神も仏も名無しさん
09/11/08 12:42:32 XdGInDIB
>>828
>目標とするとこがニルヴァーナなんだから逝けるわけない

これがよく解らない。
なぜ? 「涅槃」と「慈悲」は相反すると?

830:神も仏も名無しさん
09/11/08 13:05:33 w5LEP0FS
>>829
>なぜ? 「涅槃」と「慈悲」は相反すると?

涅槃は、「自分の満足」「自分の快感」という「自利(エゴ)」の状態。
いわば、精神的オナニー。慈悲は、「他者の満足」という「利他」の行為。
方向が正反対。

831:神も仏も名無しさん
09/11/08 13:09:36 pe3H22ga
>>827
悪いけど、朝方ネコがネズミをくわえてきたんで寝不足
どーしても昼寝せなならんの

832:神も仏も名無しさん
09/11/08 13:33:24 XdGInDIB
「慈悲」は「視線」だよ。
その視線を投げた後に「行為」がくる。それが(大乗で言う)利他行となる。
最初から、華厳経や法華経やその他諸々の大乗経典、或いはジャータカ群のような
「積極的“身体行為”としての慈悲」を考えているからそうなる。
視線であるが故に、解脱後にも保持されるし、行為として為され得る。
求道の途上に於いて保持され実践されてきた慈悲が捨てられるということはない。
むしろ、視線の広がりが普遍的に一切衆生を覆うものとなるわけだ。
わからんかもしれんけど・・・w

(そう言えば世尊偈にあったな・・、「慈眼視衆生」なんてフレーズが・・・w)


また、誤解しているようだが、
「慈悲(の行為)」とは、「(滅私奉公のような)自己犠牲」を意味するものではないぞ。
そのような形を極として含むとしてもだ。
もし君が《「自己犠牲」のみが「慈悲」である》などと考えているなら、お粗末に過ぎる。


>>831
君へのプレゼントじゃないのか? ちゃんと受け取ってやったか?w

ノシ

833:神も仏も名無しさん
09/11/08 13:42:50 lqekyeWb
>>829

禅の「十牛図」プロセスを見れば分かると思うけど、八番目の涅槃の状態まで仏教の知識で説明
できるけど、そこから先九番目から十番目(入てん垂手)に至るプロセスが、仏教の知識だとちゃんと
説明出来ない。

不足があるから各地元の土着の宗教でそれを補う。ヒンドゥだったり道教だったり、日本だと先祖供養(神道)
だったりする。

因にヨーガで説明すると、修行者とブラフマがいて、様々な行によってブラフマとの門が開かれる時が来る。そこでブラフマから
光の河のようなものが降り注ぐ。それが慈悲の河であり祝福と呼ばれる。そこで修行者は理解する(もともと私とブラフマは二つで
無く一つであったと)。そして救い主としての意識が芽生える、とこんな感じ。


834:神も仏も名無しさん
09/11/08 14:03:07 hGwWxNNo
このスレどこがどう進展したの?

835:神も仏も名無しさん
09/11/08 14:13:38 XdGInDIB
>>832>>830

>>833
そうだろうか?

仏教の、智慧としての究極は
《自身が「縁起するものである(五蘊仮和合の存在である・無常であり無我である)」と気付くこと、知ること、頷くこと》であろうと思うが、
自身がそうであれば、他者もまたそうであると見るし、(“奇跡的に”などと言うとむず痒いがw)、
誰しもが所縁によって顕現している唯一の命であることに向き合えば、そこに「慈悲」は必然として生じるものだ。
十分だろ?パーリ大般涅槃経を見れば、晩年の釈尊がいかに慈悲に溢れていたかよくわかる。
そして、その理由は「ヴェーサーリーは美しい(楽しい)」や「マッリカー王妃の逸話」(これは別箇所だが)等で十分だろ?
或いはまた、梵天勧請・初転法輪の動機のひとつとして見てもいい。 せっかくだから(w)伝えてみよう、と。

貴方が十牛図を引き合いに出したように、禅も、このベクトルを踏襲する。
(華厳的世界観があるにせよ)、「一無位の真人」も「無字(狗子の無仏性)」も
自身のことであると同時に、一切衆生もまた同じということだ。
縁起という世界観は、そのように一切の(分別可能な)価値観を無効化し、組直すものとなる。
そこに「平等」(区別あれども差別無し)が言い得るし、「普し慈悲」が現出する。

仏教の枠内でも十分だと思うがなぁ・・・。

836:神も仏も名無しさん
09/11/08 16:20:15 lqekyeWb
>>835

縁起では慈悲の悲の部分は補える。悲とは共感性(相手の痛みを分かち合う)であると思う。自我を滅すれば
自と他の区別が無くなり、あるいは自が起きたとしても、他の縁によって生じたに過ぎなく実態がない(自性では無い)。
もともと自分に実態がないと理解するならば、相手と自分の区別が無くなり相手の苦しみを自然に共感できるようになる。
これは受動的だね。

慈悲の慈は能動的でなくてはならない。いくら相手に共感したところで何も役に立たない(あっちいけ!と言われるw)。
慈の能動性とは何ぞやと、それは純粋なエネルギーだと思う。癒しのエネルギーと言ってもいいし、単純に光明と言って
もいい。ではそのエネルギーは何処から来るのかという話になる。ヒンドゥの影響を受けた密教ならば説明できるんだけど、
釈迦が密教を教えた事実は無い。

837:神も仏も名無しさん
09/11/08 17:34:13 6PXw9SSp
佛教が、「輪廻転生」をその中心思想、至上の原理とするなら、いくら正当化してみても、
(1)「自分の輪廻からの解脱」は「我欲に発しており」、(2)それを唱導す者は、現実上の根拠
皆無な虚言による「脅迫」と「甘言」により他者を支配するという「悪業」を犯しているのであるから、
「他者へのまなざし」「慈悲」などは、どこからも生じ得ない。

それに、現世の空や無我を説きながら、来世、再来世、再々来世の実在や転生(更なる我)を認めれば、
完全な論理矛盾である。「究極のの唯物論」である。

原始仏教は、現実上も論理上も破綻した、古代の迷信・カルト宗教に過ぎない。

なお、密教は「慈悲」を否定しているのか。やはり大乗仏教として、人間と自然とから聊かも隔絶する
ものではないと解する。「ゴータマが言った、言わない」は、現代人としての
「現実性・合理性・論理性」とは、一切関係ない。

838:神も仏も名無しさん
09/11/08 17:51:09 +fv7da9B
>>814 幸いにも解からない。
>>817 すいません、気づきませんでしたw

839:神も仏も名無しさん
09/11/08 18:04:24 pe3H22ga
>>827
aと bが自己保身?
生まれたい→まだやり足りない事がある

生まれたくない→苦をあじわうのは、まっぴらごめん
両方ともまだ、だだっ子かなと思う

840:神も仏も名無しさん
09/11/08 18:07:39 /U7vAnms
解脱が駄々っ子だと?
文句があるなら釈迦にいいな。

841:神も仏も名無しさん
09/11/08 18:08:57 /U7vAnms
衆生を解脱させることが大乗の目的であることも
しらん馬鹿は大乗を名乗るなよ。カス。

842:神も仏も名無しさん
09/11/08 18:22:08 /U7vAnms
虚無が悟りであるとかいう空病患者と、
善悪などないから善を勧めるのは間違いだとかヌカすカスどもには、
大乗の祖師達も散々頭を痛められていたぞ。

843:神も仏も名無しさん
09/11/08 18:24:46 XdGInDIB
>>836
なるほどね。
「悲(karuNA)」が受動的性格を持ち、「慈(mettA)」が能動的性格を持つ
という点にはほぼ同意する。
「悲」は、「相手の(対象の)状況を慮り、そこへ意識を向ける(念を起こす)」ことと言える。
「慈」は、「相手の(対象の)状況如何を問わず、TPOを問わず、向けられるもの」と言える。
その意味で、一方的に押し付けられるもののように見えるかもしれない。(貴方が文中に記したように・・。)
しかし、>>832で「視線」と評したように、まず、
《自らの「意」に於いて「心」に於いて、一切衆生への慈しみの視線を持つこと》が
「慈(悲)」を修するということじゃないのかい?
それは、決して“大きな御世話”“余計な御世話”ではない。
それが「行為として対象に施される時」、初めて適不適が問われることになる。
観音様は「大慈大悲父広大霊感観世音菩薩」と言われる。観音経では「慈眼をもって衆生を見る」と言われる。
勿論、万能救済の仏(菩薩)だから、具体的救済行為もセットだ。しかし、けっして行為だけではない。
その行為の源となる「慈しみの心、視線」を持っている菩薩ということだ。

「慈雨」という表現があるように、
《条件や状況を問わず、あらゆる存在へ注がれ続ける
 「柔らかな、より良き(善き)方向性(向上)を願い、祈る想い・視線・念」》が、慈というものであろう。
これが能動的要素でなく何だと言うのか?
《能動的「慈」》あってこその(働きとしての)利他行であろう?
無条件に注がれてこそ、大乗的慈悲であろう?
そしてそれは、原始仏教から(釈尊から)脈々と受け継がれている基本ラインだと私は思っている。


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