09/10/26 00:38:21 6qLiwdN+
>>461>>464>>475>>481>>483
この私が主張する原点回帰すべき理由とは、実に単純にして明快なものですよ。
これは以前にも述べてるわけですから、セブンさんならその意味を知ってる筈でしょう?
いいでしょうか?
これが理解のための基本前提です。しかも最重要な部分。
仏教というものは、言わずもがな解脱成仏(輪廻から解脱してニルヴァーナに至ることと定義する)
するための教えですよ。その必要性と方法論が述べられているわけです。これは当然、
その解脱成仏を実際に体験された仏陀であるゴータマ以外には語ることができないものなのです。
経験してないことについては、これを保証できないのです。
つまり、実体験に裏打ちされたものだけが、そのことを“保証する唯一の方法論”だからです。
基本的には、そのための教えが纏められて文章化されたものがご存知の通りの原始経典です。
しかし、大乗経典というものは、
仏教的エッセンスは残ってはいるものの・・(一応、後代の弟子の流れだから当然です)、
自分たちで勝手に構築した方法論で以って創作した作品なのです。
それを書いた方々が如何に大天才であろうとも、所詮は解脱完成者によるものではありませんから、
その方法論とやらには解脱成仏できるという保証などはどこにもないのです。
これが仏陀の教えと人間の考えて説いたものとの決定的な違い、
越えられない差なのです。
大乗というものは、
出家主義色を鮮明にする上座部に対する対立と反発から、
ゴータマの教えは出家主義(出家仏教)であると決め付けて小乗と批難した、
つまり、誤解したグループによって成っているのです。
大乗のスタンスとは在家へのアプローチなのであり、
在家も解脱成仏が可能であるとして信徒の獲得を図った。
その経緯としては、出家専門の高度な修行は在家信徒には到底、無理なのだと判断して、
本来のゴータマの教え(原始経典の内容)に拠ることを辞めてしまったのです。
その結果として、解脱成仏のできない教えが氾濫することになった、
というのが仏教の歴史なのです。勝手なことをしてるのだから、当然のこと。