09/10/24 11:23:18 L1993HB9
エーと、
私の摂る理想仏教へ向けた基本スタンスはゴータマへの原点回帰です。
ただし、それは教えの本質となる核たる部分なのであり、
決して欠いてはならない中心的な、または基本的な部分についてです。
つまり、URLリンク(houjugusya.web.fc2.com) で、上げられている
「無常、無我、縁起、空」などといった教えと、
そしてこの教えの背後に在るところの業報輪廻と転生の概念です。
実践の形態と様式というのは、時代と場所や国柄と民族性などよって変化していき、
そこに相応しいものに変わっていく・・。また、それと同時に、
仏教としては取り入れるべきではなかった筈の「他力」思想の問題があるわけです。
>>233のスレ主1さんには基本部分では同意。
日本にもスリランカ上座仏教/テーラワーダからスマナサーラ氏が来たということは、
日本の仏教界にとっては学ぶべき点が多々ある筈。
ただ私は、何も上座部マンセーではないし、
スリランカなどの南方系そのものが最高の理想形だとは見なしていません。
かといって、どれもこれも無くすべき(改善)というよりは、
上座部も日本の現状大乗も、これを良しとして望む者にはこのまま残されていたほうがいいのかな?
などと最近は考えています。要するに、今の大乗が大改革を図るなどということを期待することよりも、
理想的な新しい一宗派が建つことのほうが早くて、
それにより選択枠が広がっていくことのほうが遙かにいいように思えてきました。
自分で考え自分で選択していくことが最も望ましい筈であり、
それを望む者には常に開かれているという世界です。