09/10/13 22:11:15 +5Ld+bGm
>>33
「信じれば頓悟できる」、「念仏すれば救われる」という大乗仏教は生まれ
ていないと思います。念仏の原義は観想念仏です。以下はコピペですが―
【念仏の念「念じる」は原典に2種類の動詞が用いられ、1つはアヌスマ
ラティで、もう1つはマナシカロティです。アヌスマラティのアヌは接頭辞
で「順じて、随いて」の意味、スマラティはスムリを語根とする動詞で「憶
念する」、マナシカロティの方はマナシがmind-born,mental、カロティは語
根クリ(=make)から作られていてmake;prepare;createの義が当てられま
す。
2つの動詞は文脈の中では使い分けられず、共に「心を処す」「隋念する」
「念処する」と訳せばよく、仏さまのイメージを用いて集中するヨーガ行(観
想ヨーガ)、不散乱の定です。】
―もし念仏が「仏さまのイメージを用いて集中するヨーガ行」なら、日本仏
教の中核である浄土教は成立しなくなり大問題です。