09/10/21 22:01:42 QT3BVIWo
>そうなると、この地球上には未来永劫、純粋な尼僧は存在しないことになりますねw
いいえ、女性の在家者が複数人、悟れば在家女性に受戒させることができるので、
尼僧サンガの復活は不可能ではありません。
>あなたの定義だと、日本の僧侶は出家じゃなくて「在家」なんだから、悟りを目指す必要は無いんじゃないんですか?
前にも述べましたが、上座部圏では在家者が悟りを目指しています。それと「在家の菩薩」云々は別問題です。
>「時代に合わせて変化してきたのに、今現在の仏教は、時代の変化についていってない。」と言う事であって、
>「もともとの仏教とは違う形になってしまった」ということではないと思うんですよね。
私は違うと思います。先ほどの「菩薩の概念を変えていくべきだ」的な議論と同じで、自分達の都合によって
融通無碍になんでも変えすぎたから、「もともとの仏教とは違う形になってしまった」のだと思います。
もう仏教とは呼べなくなってしまい、単なる葬儀儀礼を事とする葬式仏教と揶揄されるようになってしまったのもそのためでしょう。
まあ、美術品、寺院などの文化財の保護管理の役目は、文句なく果たしてきたと思いますけど。
>ですから、在家も、在家だ出家だとか、菩薩の修行だなんだと拘らずに、布施(を含む様々な)修行をどんどんしたらいいと思うんですけどね…
何度も言いますけど、布施は修行でも何でもありませんし、それを推奨する謂れはどこにもありません。
(布施をするな、なんていいません。むしろ、お布施はしたらいいんじゃないですか?)
在家も出家も、差別や分け隔てなく、修行(坐禅などの)を行って、煩悩をなくしていく事には全く異論はありません。