09/10/13 20:24:01 IoxVzpwt
>業報輪廻については、「大乗仏教」の根底にある大きな要素の一つだと思うが、
>現代には会わないと思うから、ばっさり切り捨てたほうがいいかと思う。
これを廃棄したら仏教理論そのものが崩壊しますよ?
理解と世間に対する説き方、そして差別利用が問題なのでしょう。以前にも少し議論になりましたが・・・。
説くのを辞めるのではなくて、問題はどのようにして理解されるよう布教していくか、では?
>それよりも、大乗仏教の重要な要素であり、成立要因でもある、「衆生救済」や、「慈悲の心」、
>「誰にでも出来る修行」と言った面をより押し出した方がいいと思うんだが。
「衆生救済」「慈悲の心」「誰にでも出来る修行」の三項目でいうと、
「慈悲の心」はホトケとしての自然な心境であるとして理解でき、
我々にも困っている人や苦境に喘ぐ人に手を差し出すよう説くのが仏教精神であるとして問題ない。
「誰にでも出来る修行」というのも、僧侶や出家者といったプロだけでなく、
在家にも適した誰にでも実践可能なレベルの修行として理解される。
しかし、「衆生救済」というアプローチはどうなのか??
この「衆生救済」というのが、大乗が仏教の本質から逸脱を始めたキッカケなのではないでしょうか?
つまり、いういった救世主概念や「他力」にすがることを教えるのは仏教的とはいえないのでは?