09/10/16 23:59:30 Ev296MCo
>>117
前にも書いたが、「本来の形」としては、読経というのは、出家者が在家者に対し、教えを説く(法施)ことであって、決して死者の供養の為のものではないし、対価を要求するものでもない。
布施(財施)も、対価ではなく、在家者が出家者に施す事で、執着の心を少しでも軽くして、悟りに近づくと言う目的がある。
しかし、日本に仏教が伝来し、神道・儒教と混合して発展していく中で、「死者の供養」の為に経を読むと言う風習が発達してきた。(宗門人別帳の影響も大きいが)
また、江戸期の廃仏毀釈や、戦後のGHQの農地解放等によって、財政基盤を失った寺院が、布施のみによって寺院を経営していかなければならなくなった為、「死者の供養の為に読んだ経の対価として布施を求める」と言う行為が、普通になってしまった。
ここまで変質してしまえば、確かに霊感商法と本質的差はないな。
かつては、まともな坊さんなら、布施が無くても経を読んだし、
まともな信者なら、別に行事でなくてもお寺に布施を持って行ったもんだが…。