09/10/16 12:33:37 9qA5gJ4+
>>95 真宗だけでなく、兼業してる僧侶は多い。
101:神も仏も名無しさん
09/10/16 12:38:12 ySQaYLH/
>>94
>読経後、その対価としてお金をもらっているように見える。
ホテルでの結婚式で、神主に祝詞をあげてもらって、
施設を使わせてもらって、サービスを受けているのだから、
また有償であることを承知してやってもらうんだから、
「対価」という言葉のよしあしは別にして、お布施を
するのが当然だろう。
商品交換社会という世俗社会的基盤のうえで成り立っているのだから、
そのルールの多様性のひとつの形態としてあるのは当然だろう。
102:析空
09/10/16 12:38:14 y4k77aT/
>>94
>詳しく知らない私から見ると、いかなる理由付けがされていても
→それはまったくあなたの誤解です。
>読経後、その対価としてお金をもらっているように見える。
>呪術行為の対価としてお金をもらっているように見えるのです。
>宗教とはそんなものなのかもしれないが、霊感商法でツボを売るのと変わりないように俺は思う。
→それは、あなたが「詳しく知らないから」です。
→在家の方が、読経に対して布施を払っている側面があります。
>矛盾している部分をのぞくとどうなるのだろう?
→かつて創価学会は、読経に対して布施を払ったりはしなかった。
→坊さんが何もいわなくても、何もしなくても布施を持って寺へ行ったものだ。→本来は、在家が黙って布施をする。
→在家は坊さんに何も望んではいけない。
103:神も仏も名無しさん
09/10/16 17:54:20 ZqEfh+Bi
今の日本仏教を批判して改革しようとかいう輩は、大体新興宗教なんだよね。
これが真の仏教だ、ゴータマの真意はこうだ、といって釈尊に帰れとか言うのは大概ヤバイ。
○○○真理教、○○の科学、○○学会、○○苑、いくらでもあるけど
正直に言わせてもらえば、こういうスレを建てようとする香具師は大体、なんかの新興宗教。
本当は仏教なんてどうでもよくて、都合のいいところだけ仏教を利用した独自宗教を
広めたいだけの人間のことが多いね。
そんなヤバイやつらよりは、多少腐っていたとしても今の仏教の方がいいんじゃないかと
俺なんかだと思ってしまうな。
104:神も仏も名無しさん
09/10/16 18:54:03 kHC+E167
>>103
同意。正論である。
彼等は「例外なく」キリスト教の影響を受けた連中。原始仏教は、実質上の一
神教であるバラモン教の影響が残存する、開祖と原始仏典盲信のカルト。キリ
スト教と親和性を有するから、「利用」しているだけに過ぎない。
葬式佛教は、現代の日本社会において、充分に機能を果たしており、価値を
有するものであることを、再認識すべきである。
105:神も仏も名無しさん
09/10/16 20:49:07 HpOCFtuX
>>104
でも着実に衰退してるみたいですよ、葬式仏教。特に大都会ではね。
106:神も仏も名無しさん
09/10/16 20:57:09 RQa6Sqjj
葬式仏教から葬式「も」仏教になろうとしなければ、葬式仏教自体の未来も危うい。
韓国のようにキリスト教のリバイバルが起こったり、
人口減に伴い欧米のようにムスリム移民が受けいられ、改宗者も増え始めたら、
現状の葬式仏教に切り抜ける力はない。
これはどうやってコミュニティと慣習を維持するか、という問題でもある。
107:神も仏も名無しさん
09/10/16 21:13:26 maFdmES8
>>105
本当に衰退してるのかな?だってもう鎌倉の時代から末法末法って嘆いてたんでしょ?
俺は仏教伝来の最初からこんなもんだと思ってるよ。なにせこの世は娑婆と言われてるからね。
だから俺はこの世が99%闇であっても1%の光が存在してればそれで充分だと思っている。
葬式仏教といわれようと形だけでも続いていればいい。1%のまともな修行僧でも存在してくれればそれでいい。
求める者はいずれ彼らや、書物に出会えるから。俺はこの世にそんなに期待してないけど、1%の光を信じている。
108:10
09/10/16 21:31:51 Ev296MCo
>>103-104
やはり、原始仏教=カルトのイメージが強いのか。
本来の、ゴータマによる「原始仏教」は、むしろ神などの超越者を排除した宗教なんだが。
開祖と佛典盲信どころか、「法と己を灯明としろ」といったのが釈迦なんだが…
葬式仏教にそれなりの価値があることは同じ考えだが、今のままでは、滅びも近いと思うんだ。
比較の対象(カルト)が悪すぎるのか?w
109:神も仏も名無しさん
09/10/16 22:23:30 GuPqTp8K
現代日本人が日本の大乗仏教によって救われることはないよ。
聖書を読めばダイレクトに意味が理解できるが
お経はちんぷんかんぷんで、
いつまでたってもまともな日本語訳はでてこないしな。
110:10
09/10/16 22:37:23 Ev296MCo
>>109
漢文を白文で読めとは言わないが、書き下し文位読めない?
えっ?学校で古文を選択しなかったから読めないって?
……こういうゆとり世代見てると、本気で日本仏教の改革の必要性を感じる。
111:析空
09/10/16 22:37:50 y4k77aT/
>>103
伝統仏教も、元を糾せば、当時の新興宗教です。
現代の仏教学から釈尊の教えではないことがハッキリしました。
仏教学者は不用という意見がありましたが、エセ仏教を見抜くには、
学問の力が必要なのではありませんか?
112:神も仏も名無しさん
09/10/16 22:43:19 GuPqTp8K
>>110
漢文の経典をいつまでも有り難がっているところとか笑止だから。
現代日本は遣唐使の時代じゃなく、いくらでも現存するオリジナルに近い
サンスクリットやパーリ語の経典があるわけでしょ。
わざわざ中国の漢文経典を有り難がる必要がどこにあるんですかね。
中国語経典しか残ってない場合を除き、できるだけオリジナルに近い
ところから日本語訳するべきでしょ。
何が悲しくて漢文経典を有り難がる必要があるの?バカなの?
113:神も仏も名無しさん
09/10/16 22:44:19 3GLVQbR+
>>109
お経はちんぷんかんぷんだからいいのだよ。家族が亡くなって悲しんでいるのに、
愚にも付かないお経や聖書の内容が分ったらたまらん。遺族は、訳の分らんお経
を聞き、会葬者やお坊さんの接待、お坊さんへのお布施の支払いに終われて、
しばし悲しみを忘れることが出来る。
それに、真言系の声明は、第一級の芸術。死者の成仏が確信できる気持ちになれる。
お坊さんは、お布施を貰ったら、さっさと帰る。キリスト教の牧師のように、
訳知り顔で説教(実はキリスト教の宣教)などされて、遺族の悲しみが和らぐか。
114:神も仏も名無しさん
09/10/16 22:49:19 tcrBtfy8
そう。
葬式仏教は冠婚葬祭・イベント業として生き延びる方法がある。
115:神も仏も名無しさん
09/10/16 22:51:29 GuPqTp8K
英語版の聖書がギリシア語やローマ語版の聖書を訳したものではなくて
ヘブライ語版の聖書から英語に翻訳されているように、
できるだけオリジナルかオリジナルに近いバージョンの
経典を日本語に訳した経典を我々は使用すべきだ。
漢文経典はあくまでもでも参考に留めるべきもの。
あれは中国人僧が中国人のために訳したもの。大昔に
島国の日本からインドに行くのは困難だったから中国語版を
お借りしたのは仕方がないにしても、
現代日本人がいつまでも有り難がるものではないはずだ。
日本仏教界は中国語版に頼らずに、公式の日本語版経典を
インドや周辺国に現存する原典かそれに近いものから
責任をもって翻訳して我々の手に渡るようにすべきだ!
漢文経典をいつまでも有り難がるなんて日本仏教界の怠慢だろ。
お前らは堕落しきっている。
116:神も仏も名無しさん
09/10/16 22:53:08 GuPqTp8K
>>113
それはごまかしているだけ。誰も救っていない。
そんなことだから日本仏教は腐っていくだけなんだ。
117:94
09/10/16 22:54:45 qktw5WZt
>>101
サービスの対価としてお金を払うということには同意。
俺の主張は霊感商法と仏教の読経って同じじゃないの?って事です。
wikipediaから。以下引用
「霊感商法(れいかんしょうほう)とは悪質商法の一種。霊感があるかのようにふるまって、
先祖の因縁や霊の祟りなどの話を用いて、法外な値段で商品を売ったり、高額な金銭などを
取る商法である(ただし、地鎮祭の費用など社会通念上、いわゆる伝統的なものとして認められているもの
を除く)。その中でも、祈祷料、除霊料、供養料などの名目で高額のお金を払わせるが、
商品の販売はしないものを特に「霊視商法」という。」 引用終わり
この場合線引きは「伝統的なものとして認められているものはのぞく」ってところですよね。
でもこれは同時に霊感商法と宗教の呪術的行為の間に本質的な差はないってことになると思います。
どう思いますか?また、仏教の読経と霊感商法の「本質的な」差はなんだとおもいますか?
118:神も仏も名無しさん
09/10/16 22:56:10 GuPqTp8K
日本仏教界は自らがあるべき姿すら正しく認識することができない。
パーリ語やサンスクリット語経典をそのまま使わずにきっちり中国語に訳して
使った中国仏教界は正しかったし、気骨がある。
未だに日本語版を出せない日本仏教界はだらしがないにもほどがあるわ!
119:神も仏も名無しさん
09/10/16 23:06:26 maFdmES8
サンスクリット直訳は1970年代から始まってるはず。
漢文は漢文で詩的でよい。でも龍樹の「中論」なんて直訳されてはじめて理解された
と思われ、漢文のままだったら未だ理解はされなかっただろうね。
120:神も仏も名無しさん
09/10/16 23:08:20 526udVXH
>>112>>115
漢訳経典の中には、サンスクリットやパーリ語の経典よりも古形を保持している物も多いんだが・・・w
知ったか乙www
121:神も仏も名無しさん
09/10/16 23:12:01 3GLVQbR+
>>117
佛教だけでなく、すべての宗教は、原理的には霊感商法。ありもしない神や霊
や、現代では何の妥当性もない、大昔の開祖の口から出任せの「教え」を語る。
霊感商法は、財産上の損害だけでなく、精神まで狂わせ、家庭を破壊するのが
最大の弊害。「消費者問題」として扱うのは、根本的に誤り。むしろ、「精神的
不法行為(spiritual abuse)」である。
122:神も仏も名無しさん
09/10/16 23:12:52 GuPqTp8K
>>120
理屈に合わないことを平気で言うバカは黙っていろよ。
一部にあったとしても漢文訳のほうが新しいのが普通。
それにインドや周辺国に現存していたとしても日本仏教界には
それを探し出そうという気すらないんだろう。
そして安易に漢文訳に頼ってきた。
123:神も仏も名無しさん
09/10/16 23:16:40 3GLVQbR+
日本語訳と解説が欲しいのは、唯一、竜樹の「中論の頌」だろう。
子供たちに、「相互依存性・関係性」という万物に通用する原理を
しっかりと身につけさせれば、最高の道徳教育であるばかりか、カルト
宗教に嵌る危険も防げると思う。
124:神も仏も名無しさん
09/10/16 23:25:18 vyuvQjIB
>>116
坊主が来る必要すらないね。正座もしなくていいしw
みんなで温泉やボーリングにでも行けば良い。
125:神も仏も名無しさん
09/10/16 23:26:29 526udVXH
>>122
あほか?w
新古の入り混じり方ではどっちもどっちだと言うんだよ。
(幾つも出てる岩波文庫青の漢訳Skt並訳の解題を見たって、
【どれか一つの言語の経典群に絶対性を見る愚かさ】に気付けると思うが・・・w)
寧ろ、特にパーリに関しては、重要な部分に関してさえも、新しい要素(或いは【余分な付加要素】)の多さが顕著だぜ?w
126:10
09/10/16 23:28:51 Ev296MCo
>>112
>何が悲しくて漢文経典を有り難がる必要があるの?バカなの?
別に漢文経典が一番良いとはいっとらん。
109が、日本仏教の経典=漢文が読めないと言う発言に対するコメントだ。
日本人なのに、漢文ぐらい読めなくてどうすると言う突込みだぞ?
>>115
結局、あなたも、「原典に返れ!」と言う原理主義者なのか…
原典が一番優れてるとも限らないぞ?
中国で加筆されたと言うのを、マイナスイメージだけで捉えずに、中国の風土に合ったように改良されたとも考えられないか?
それに、あなたの主張は、単なる経典崇拝にしか見えない。
原典が最高のもので、それを読めば救われるとでも思ってるので?
127:10
09/10/16 23:28:58 Ev296MCo
>>116
ごまかしの何が悪いんだ?
遺族が声明を聞いて、救われた気持ちになれば、それでいいじゃないか。
>>118
日本は、古来正式文章には漢文を使うと言う文化があってだな…。
まあ、書き下し文も読めない人間になにを言ってもしょうがないかw
たしかに、古文も読めないゆとり世代が増えてきた現代には、必要だな。
ついでにいえば、>>119も言ってるが、サンスクリット直訳とか、サンスクリット・漢文・日本語訳の対照した本とか、探せば幾らでも出てくると思うが…。
まあ、一切経全部じゃないので、経典によっては無いが。
よっぽどマイナーな経典読もうとして、日本語訳がないんでブチ切れたんだろうな、GuPqTp8Kは。
128:10
09/10/16 23:38:44 Ev296MCo
>>122
良く勘違する人がいるが、サンスクリット(パーリ語)の経典も、二千五百年の歳月を経た経典であると言う事。
現代の経典と、過去の経典が同じである保証は無い。
例えば、サルは、人間の祖先ではない。
サルと人間が分岐した時点から、サルも人間と同じ時間だけ進化している。
サルと、人間は、共通の祖先を持っていて、サルは祖先の形質をより多く残していると言うだけ。
パーリー語経典も同じ。
中国語に翻訳された時点から、現代に至るまでに、様々な改変部分がある。
ただ、他の地域に伝わった仏典との比較を行う事で、より古形の仏典を推測できるから、珍重されている。
129:神も仏も名無しさん
09/10/16 23:39:39 qktw5WZt
>>121
>佛教だけでなく、すべての宗教は、原理的には霊感商法。ありもしない神や霊
>や、現代では何の妥当性もない、大昔の開祖の口から出任せの「教え」を語る。
すべての宗教は原理的には霊感商法ですよね。
仏教は好きなんですが、すべての宗教の呪術行為に疑問を感じるんです。
まさに現代では何の妥当性もないですよね。自灯明法灯明で無宗教仏教主義に落ち着きました。
あと、霊感商法が「精神的不法行為(spiritual abuse)」ってのは同意。
130:10
09/10/16 23:59:30 Ev296MCo
>>117
前にも書いたが、「本来の形」としては、読経というのは、出家者が在家者に対し、教えを説く(法施)ことであって、決して死者の供養の為のものではないし、対価を要求するものでもない。
布施(財施)も、対価ではなく、在家者が出家者に施す事で、執着の心を少しでも軽くして、悟りに近づくと言う目的がある。
しかし、日本に仏教が伝来し、神道・儒教と混合して発展していく中で、「死者の供養」の為に経を読むと言う風習が発達してきた。(宗門人別帳の影響も大きいが)
また、江戸期の廃仏毀釈や、戦後のGHQの農地解放等によって、財政基盤を失った寺院が、布施のみによって寺院を経営していかなければならなくなった為、「死者の供養の為に読んだ経の対価として布施を求める」と言う行為が、普通になってしまった。
ここまで変質してしまえば、確かに霊感商法と本質的差はないな。
かつては、まともな坊さんなら、布施が無くても経を読んだし、
まともな信者なら、別に行事でなくてもお寺に布施を持って行ったもんだが…。
131:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
09/10/17 00:01:46 4wsLW+3u
まず、仏教とは教えが命なわけでしょう!
実践も教えがあって、まずはそれを知って理解するところからすべてが出発するわけです。
ならば、読める文章でなければ根本的に意味がない。
「漢文くらい読めないのか!ゆとり教育の弊害うんぬん・・」といった話しではなくて、
まずは、自国語での現代語訳の経典の普及が必要でしょう。
日本人に誰でも読める経典(ブッダの言葉)を伝えたいという熱い使命感で、
故・中村元氏などが精力的に取り組んだのが一連の翻訳出版書だったのだと思う。
(寺側ではなくて学問の側からでしたね・・)
法要などの儀礼については、これまでの伝統のまま漢訳経で読誦すればいいでしょう。
独特の節回しや声明の響きといったものには、またマントラム的な意味合いと効果があるのです。
日本はもう、「仏教とは何か?」ということで、
今一度、原点に戻って再確認すべき時期にきたのです。
それをしないで、ただ現代日本人が受け入れやすくなるよう・・
といった方向性というのは、ただ本質を踏み外すだけであろうと思います。
つまり、見た目は仏教的を装ってはいても、(中身は)仏教ではなくなってしまう。
そんな何でも良かれ主義ならば、何も仏教にこだわる必要がなくなり、
結果的には外教(それ以外の宗教)で十分だということにもなってくるでしょう。
*勤務が多忙になってきました。
私からのレスはすぐには無理なことが多いのでご了承願いします。
132:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
09/10/17 00:11:14 4wsLW+3u
経はもちろん、生きている人間が読んで理解するためのものです。
尚、ゴータマは追善供養といった考え方については否定的です。
業報理論の基本からして当然のことですが・・。
ただし、親しい人の死後の行く末について案じて祈念することは、
これもごく自然で健全な感情の発露ではないかと思うわけです。
これ自体は人の美徳の範疇でしょう。
ただ過剰な行き過ぎた反応をしなければいいのですよ。
つまり、過剰な祖霊供養などの死者供養の行為です。この世界に嵌るとキリがない・・。
そして、これがビジネスとして利用されているわけです。
133:神も仏も名無しさん
09/10/17 00:53:42 ROqH+Sgi
>>129
「私がお経を唱えたら悪霊が退散する」とか言ったら霊感商法でしょう。
「今ちょっとお経を聞きたい気分だから唱えてください。」
「はい、わかりました。」と、
効果や結果を期待せず、
お経を読んでもらうこと自体が目的であれば、
霊感商法とは言えない。
「このお経を読めば必ず幸せになれます。」
と言っておきながら幸せになれなければ詐偽だけど、
「私と一緒に幸せを祈りましょう。」
というだけなら、効果を約束していないから詐偽ではない。
134:神も仏も名無しさん
09/10/17 10:13:51 PA9uzEBp
>>133
ちょっとお経を聞きたいというだけで、料金を支払う人が現実にいるか
疑わしい。CDを買う人はいるだろうけど。
読経を乞うのは先祖霊の供養とか受験に受かるようにとか、何らかの霊的な
功徳を期待している。だから料金が支払われる。詐欺っぽいと私は思うが。
135:神も仏も名無しさん
09/10/17 10:17:19 xQn1kDBM
日本語の読経もそれなりの力があるよ。
136:神も仏も名無しさん
09/10/17 11:13:45 odbCu6hO
タイとかミャンマーとかの読経って意味が分かる言葉で言ってるのかね?
日本じゃ、ただの呪文になってるけど。
137:94
09/10/17 11:24:54 DpZ6APGK
>>130
本来の形と歴史を理解できました。説明ありがとうございます。
とてもわかりやすかったです。
このスレの10さんのレスをすべて見ました。勉強になりました。
>>133
葬式や法事で坊さんが読む経はその基準だとどっちに当たるんでしょうか?
138:神も仏も名無しさん
09/10/17 13:23:52 JrfuxY8n
>>104
そうすると創始者の原始仏教を皆様方後進が深化発展させ完成させたということなんでつか?
開祖は未熟な歴史的存在なすぎない方であると?
139:神も仏も名無しさん
09/10/17 13:25:19 JrfuxY8n
>>107
衰退しているというのは世間のことじゃなくて仏教の現状のことなんじゃないですか
140:神も仏も名無しさん
09/10/17 13:27:13 JrfuxY8n
>>113
最近の坊主は念仏の中に現代口語で説話を盛り込んだりしてキモイな
141:神も仏も名無しさん
09/10/17 13:30:08 JrfuxY8n
>>121
ブツダの言葉を読むとどう見ても宗教(超自然的存在の是認)ではなく
単なる認識の持ちようの勧め,哲学な気がしますが?
142:神も仏も名無しさん
09/10/17 13:37:23 JrfuxY8n
>>130
なるほど
障害・老残・病苦・死・別離の苦しみに直面して嘆き苦しむ心を解放して安寧悟りをえさせて涅槃に
達させる行為が読経・法施立ったので,それは日常的なことだったのですね。
それが最も苦しい死・別離に際して一番必要とされてそれがほぼ唯一のものになってしまったと
143:神も仏も名無しさん
09/10/17 13:50:00 zP26AkxM
仏教は世界的に見たら、そうでもないから
ヒンズー教のほうが倍くらい大きい
創造主を信じない宗教なんか、水使わずコーヒー飲もうとするのと一緒
釈迦は有神論者だったであろうが、仏教は別物、世界の大多数の宗教は有神論
144:神も仏も名無しさん
09/10/17 13:53:36 zP26AkxM
インドでは釈迦をヒンズー教の神の化身にして、仏教を取り込んだのが正解。
釈迦の正統後継者はヴェーダーンタのシャンカラ
145:神も仏も名無しさん
09/10/17 14:35:46 zP26AkxM
スッタニパータでは宗教儀式では悟りに導かれないし、占いを行ってはならないとある。
需要があるから、仏式の葬儀もいいのだが、釈迦の教えではない。
146:神も仏も名無しさん
09/10/17 15:05:24 8P9b/8uA
終了間際に
「この儀式は釈迦の教えとは何の関係もありません」
ってテロップ流せばいいんだ。
147:神も仏も名無しさん
09/10/17 18:01:08 x2AMk73j
>>143
お前はアホか。創造主を信じる一神教のほうが元々マイナーなんだよ。
そもそもキリスト教が来る前の多くの国では多神教だった。
148:神も仏も名無しさん
09/10/17 18:02:14 x2AMk73j
戒名www
日本だけwww
149:神も仏も名無しさん
09/10/17 19:50:32 X2Yeem7a
>139
俺は世間と仏教(僧侶)を隔離して考えてないよ。この世は自分の映し鏡つって、自分と世間とは
単独では存在していない、自分の心の状態によって世間が明るくみえたり暗くみえたりするじゃない?
だから衰退しているという想いは、自分の心も衰退しているという事になる。絶対的な断言というもの
は出来ない。だからこそ末法末法嘆いてる坊さんは、その坊さん自身が末法な心の状態といえる。
でも心は常に変わるものであって、この世の一切は暗いなという想いから、この世は少しの光明もあるんじゃね
っていう想いになる事もある(ま、俺の事なんだけども)。
要は世間云々よりも自分の心の方が一番大事って事。
150:神も仏も名無しさん
09/10/17 20:09:17 5EM9iF/2
>>143
>創造主を信じない宗教なんか、水使わずコーヒー飲もうとするのと一緒
アホですか。人間から隔絶した神や霊などを認めなかったことこそ、釈迦の
比類の無い偉大さである。そのお陰で、一神教とは全く異なり、佛教は、2500
年間、殆ど人を殺していない。
人間界において、この事実の持つ巨大な意味を、まず仏教徒自身が理解する必要
がある。
151:神も仏も名無しさん
09/10/17 20:12:12 x2AMk73j
本当にその通りですよね。
152:神も仏も名無しさん
09/10/17 21:05:36 zP26AkxM
多神教であろうと、一神教であろうと
釈迦は神を信じていたのは間違いないから、仏教は釈迦の教えを離れた別物といえる。
インドでは釈迦はむしろヒンズーの化身としての立場のほうが正しかったのだろうが
153:神も仏も名無しさん
09/10/17 21:13:58 x2AMk73j
釈迦は神を信じていた。
↑
どういう意味でこれを言っているのか?
154:神も仏も名無しさん
09/10/17 21:15:24 zP26AkxM
一神教の他力を非難するのは信者が未熟だから、イエスは内にも外にも神は存在すると言っている。
釈迦と仏教が別物なように、イエスとキリスト教も別物。
155:神も仏も名無しさん
09/10/17 21:17:03 zP26AkxM
>>153
悟ればわかる。
156:神も仏も名無しさん
09/10/17 21:19:58 zP26AkxM
スッタニパータを読んでたら、まったく葬式と釈迦の教えは関係がないことがわかる。
釈迦にとっての供養とは、あくまでも本人の生前の修行にかかっていたのだから。
157:神も仏も名無しさん
09/10/17 21:23:39 5EM9iF/2
>>154
>釈迦と仏教が別物なように、イエスとキリスト教も別物。
そのように、開祖自身に対しては一切批判できず、専ら「他の人間」
を批判するのが、開祖盲信という宗教の「最大の病理」であることを
自覚する必要がある。
宗教とは、開祖を熱心に信じる者たちの集まりである。宗教に問題が
あれば、その原因は開祖の教えにあるのは、当然ではないか。会社その
他の団体に問題があれば、責任を取るのは、その団体の長である。
158:神も仏も名無しさん
09/10/17 21:34:19 oqabO71q
>>123
竜樹の「中論の頌」
■ 子供たちに、「相互依存性・関係性」という万物に通用する原理を
しっかりと身につけさせれば、最高の道徳教育であるばかりか、カルト
宗教に嵌る危険も防げると思う。 ■
↑ それはスバラシイことですね!^^
159:神も仏も名無しさん
09/10/17 21:35:12 zP26AkxM
>>157
釈迦にかんしては問題なくグルイズムを否定してる。
イエスも聖霊を通して自己管理の重要さを説いている。
160:神も仏も名無しさん
09/10/17 22:17:27 LIMNXwxI
>>155
>悟ればわかる
又又、自己申告ですか?
君の言いたい放題ではないと言う証明は?
161:神も仏も名無しさん
09/10/17 22:34:16 zP26AkxM
>>160
釈迦の時代には神とは呼ばれてなかった
ヴェーダーとかダルマとか呼ばれてたらしい。
仏典での神は今で言う天使や守護霊みたいな存在だったと言うことだね。
162:神も仏も名無しさん
09/10/17 22:38:48 zP26AkxM
葬儀仏教が釈迦の教えでも何でもないなら
マイナスイメージにしかならないと思うのだが、陰気だし仏法を習いたいとか感じさせないから
創価学会のほうが、まだ明るく仏教を布教させてるような気がする。
163:神も仏も名無しさん
09/10/18 00:15:52 6h9KydPT
例えば神社のさいかん、宮司、ねぎなど
神職にたずさわる者らがそこに祭られている神の言葉を
直に代弁できないのが普通ですが(なかには、居ます。猿田彦とか)
寺の住職も同様にそこの本尊のSomethingと一体化は
していない、出来ていないのが表向き普通ではありますが
それだけではないのです
その神社によっては、寺によってはまたそこの神主、坊さまによってはであります
ちゃんと行き届きの仕事になっている方もおられます
要するに、仲介者の役は果たしておられる
だから葬式であげるお経にも徳のある坊さまがくれば、功徳はあると思いますよってに
164:神も仏も名無しさん
09/10/18 00:21:09 /LHquo9M
葬式に来る坊さんって死者のために来るのか遺族のために来るのか、
遺族は使者のために坊さんを呼んでるのか、死者のために呼んでるのか、
あるいは両方なのか
165:神も仏も名無しさん
09/10/18 00:25:16 /LHquo9M
使者のために ×
自分たちのために 正
166:神も仏も名無しさん
09/10/18 00:29:55 6h9KydPT
>>164
葬式であげるお経はあの世への橋渡しでしょ
だから死んだ方のためだと思いますよってに
今から一人行きますから、よろしゅうにって事
呪術云々で言えば神社の絵馬だって呪術です
要するに、契約ですから
167:神も仏も名無しさん
09/10/18 00:32:44 /LHquo9M
>>166
遺族のため、と言ってくれたほうが納得しやすいけどね。
あの世への橋渡しとか言うから霊感商法と同一視されるんじゃないの?
168:神も仏も名無しさん
09/10/18 00:37:29 /LHquo9M
あまりよく知らないで恐縮なんだけど死者のために書かれたお経ってあるの?
169:神も仏も名無しさん
09/10/18 00:51:10 6h9KydPT
死者のため限定ではなく、生とか死とか無いのが前提で全方向むけ
般若心経は意味は知らなくとも、あれ自体に力があるのではないでしょうか
という世界か
だから生きているうちに、卒業するに越した事はないんでしょう
170:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
09/10/18 03:41:06 yyElVVft
>>164-168
仏教経典(ゴータマの教え)それ自体は、生きている人間のための“必要な生き方”が説かれ
たものです。ですが、葬儀での読経の意義とは、“死者のために説いて欲しい”といった遺族側
の願いが込められているのだと思う。つまり、生前はいろいろあった故人だったが、せめて死後
には心を入換えて正しい道に至り、そして幸せになって欲しい、といったものでしょう。
それが死者に戒名を付す習慣ともなった(本来的には生きている内に仏門入りして、多くの場
合には出家僧に与えられるもの/それまでの世間名は「俗名」という)。
そういう意味では葬儀の読経は遺族のために説いているわけです。そして葬儀に際して、改め
て仏教の説く基本的な真理であるところの「無常」の教えについて学ぶ機会とされるわけです。
尚、特異な経典としては、“チベットの死者の書”『バルド・ソドル』という密教経典があります。こ
れは死者が次の再生(転生)に至るまでの死後49日間において体験する中陰(バルド)期間の出
来事、死者が再び子宮に宿るまでのその詳細とその時その時の心構えなどが説かれています。
つまり、生前にこの経を読んでおけば心配がない、ということになるのです。
171:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
09/10/18 05:21:47 yyElVVft
そして、「戒名」料といったものについては、このスレ的には問題視の一つになっていいものと思う。
院号(寺院命名)なる戒名は布施の金額に応じて高低差が生じるもので、これは故人の死後に遺族
側からの布施に応じて、故人に付す戒名に対する格付けステータスが生じたわけです。
要するに、実際の故人自身は何ら信仰的な貢献が何もなくても関係がなく、遺族が高額料を払えば
故人への高級な戒名が買えるわけで、そこに遺族の満足(これは故人を想うというよりも世間や親族
に対する見栄が1番の要因か)を満たし、寺院にも利益増をもたらす、といった宗教ビジネスが蔓延っ
てしまった。中には院殿号で数百万~といったお寺もあるらしい。
『東京都生活文化局によれば、外国の場合、葬儀費用はアメリカ45万円、イギリス12万円、ドイツ20
万円、韓国37万円とほぼ50万円以下が常識となっているのに対し、日本の場合は日本消費者協会
の調査によれば、全国平均で287万円、首都圏では、なんと405万円にもなり、その内訳で最も高いの
が葬儀社へ支払うお金であるためというのだ。
読経料の相場は「通夜で10万円」「告別式で30万円」「初七日で5万円」と総額は45万円以上とされる。
加えて「戒名料」がある--中略--戒名の相場というのは、あってないようなものであり、時として100万円
単位で請求されることもあるという。--中略--戒名がなくても俗名のままでも葬儀をすることは出来るし、最
近では形式的な戒名はつけないでほしいという人も増えてきていると語る。』URLリンク(www.ntv.co.jp)
自分の葬儀希望しない34%(読売新聞)
URLリンク(www.kaimyou.net)
生前戒名と今すぐのお急ぎ戒名―高額な戒名料金不要
URLリンク(www.kaimyou.net)
172:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
09/10/18 05:22:51 yyElVVft
僧侶に関するものだと
2chも結構、僧侶の方も見てるようです!
こんなスレもあったんですね。
--------------------------------
戒名議論スレ
URLリンク(unkar.jp)
>5 :1[sage]:2008/11/09(日) 10:23:19
>>>4
>そうだったんですか…
>
>戒名付けないなら位牌に故人の御霊入れが出来ないからと
>住職に言われました。
>
>11 :名無しさん@京都板じゃないよ[]:2008/11/13(木) 22:14:40
>>>9
>自分は高野山真言宗の僧侶だけど、そいつの言ってるのは全部大嘘だから
>本山の宗務所に寺の名前と、住職の名前。言われた事を全て詳細に通報して下さい。
>
>そしてそいつをどのように処分したかのを、折り返し貴方に報告するように要求して下さい。
>それをしないでうやむやに終わらせるならネットに書き込み、
>この問題を社会に問いますと伝えて下さい。
>
>どうせ世襲しただけの寺のバカ息子でしょう。
>悪質なバカはたたき出しましょう。その為の入れ知恵なら協力します。
173:神も仏も名無しさん
09/10/18 09:06:03 1bg0Yjrj
日本仏教は廃仏毀釈(妻帯してる坊主を強制還俗・還俗逃れの離婚は処罰)
↓
仏教業界を更地に
↓
すべての寺院跡に上座部仏教・チベット仏教を移植
”日本仏教問題 最終決着!!!”
174:神も仏も名無しさん
09/10/18 09:29:41 VezHT1MD
>>172
驚き。
仏教僧にまだ良識が残っていたとは。
175:神も仏も名無しさん
09/10/18 09:52:35 QIhW/mqx
お経が分からないという点について。漢文だから分からないというより、経典の特殊な用語が普通の日本語の一部になっていません。
ある程度の教養ある英語圏の人間で、聖書に出てくる言葉を知らない人がいないのとは大変な違いです。
仏教に関する初歩的な教養が欠如している点が問題だと思います。高校の倫理で1時間程度習うだけですから、
それは当然のことです。
176:神も仏も名無しさん
09/10/18 10:19:25 /LHquo9M
小卒のおれは見ごろしか
ありがたーーーい教えが詰まっているにもかかわらず
小学生にも理解できるようなものを普及させてこなかった
仏教界は何してたのか?
177:神も仏も名無しさん
09/10/18 10:27:45 JuXlf90q
難解な用語とかいう以前に、例えば、「家の宗教」が浄土宗や浄土真宗の人に限ったとしても、
「阿弥陀」とは何か、説明できる人が何割いるだろうか?
江戸時代の方がましだったんじゃないだろうか。
大乗仏教の問題点とかいうことよりもはるか手前のところに問題があると思う。
178:析空
09/10/18 10:33:08 dpepdgiz
>>173
上座仏教にも問題はあるが、なぜチベット仏教がでてくる?
いいところが無いのでは?
179:神も仏も名無しさん
09/10/18 11:00:57 9yvMC4yu
>>176
「般若心経入門」ひろさちや著なら結構世間で流行ったと思うし、うちの実家にもあったぜ?
その他、HOW TOもんなら書店にいくらでもあるし、それだけ日本語書けるなら読めるでしょ?
高卒DQN高の俺でさえ「正法眼蔵」の意訳書を辞書と格闘しながら読んでいったのに、努力も
せずに文句足れるなら、最初から興味が無いんでしょ?
命にかえてまでも海外に渡り教典を入手した先人達の努力を考えれば、今どれだけ恵まれた環境
にいるか分かるでしょ?
180:神も仏も名無しさん
09/10/18 11:17:12 /LHquo9M
>>179
おれが言いたいのは裾野をひろげるってことだよ。
確かになにやってるか全部は知らんけどな。
しかしいくらありがたいお経でも難解だったり翻訳必要だったり
ハードル高くて読まれなきゃ意味がないだろ。
自分さえ読めればいいと思ってるなら話は別だが。
181:神も仏も名無しさん
09/10/18 11:22:21 gNIbh5tu
2ちゃんねるで議論しても効果なし
182:神も仏も名無しさん
09/10/18 11:23:37 uXIAQ8nF
>>137
坊主は、先祖や死者の幸せを「一緒に祈ること」
を依頼されてるのであって、
坊主と一緒祈ったら必ず幸せになれる
と保証するものではない。
だから詐偽ではない。
依頼された行為(読経・儀式)はちゃんと遂行している。
183:神も仏も名無しさん
09/10/18 11:25:21 QIhW/mqx
>>179 命にかえてまでも海外に渡り教典を入手した先人達の努力を考えれば、
だから、現代の坊主はいったい何の努力をしているのか、と。
184:神も仏も名無しさん
09/10/18 11:33:13 AdJ2j/HM
ここまでを読んでの感想ですが、
まず、大乗仏教の問題点といわゆる葬式仏教の問題点が混同されていないか。
大乗仏教が必然的に葬式「だけの」仏教に堕するわけではありません(もちろん、葬式を行うことそれ自体は、上の方にも書いてあったように少しも悪いことではなく、遺族に対して一種の慈悲の行とも言えるでしょう)。
法然でも親鸞でも、少しも葬式仏教ではなく、本質は、生ける者への救いであると思います。そこに戻れるかどうかではないでしょうか。
185:神も仏も名無しさん
09/10/18 11:37:17 JuXlf90q
もうひとつ、「大乗仏教」といっても非常な多様性があり、一緒くたにして議論しても
あまり実りがないのではないかと思います。
186:神も仏も名無しさん
09/10/18 12:04:55 gNIbh5tu
スレ主さんは何が目的なのでしょうか?
「出家の覚悟」は読みましたか?
187:大王w
09/10/18 12:56:49 A9s8rZ4d
坊主一族世襲の際、大量に相続宗教税を取ってやれば、
世襲相続寺院が減り、日本仏教の質が上がるかもよw
日本キリスト教じゃ、単立以外は教団では世襲聖職者はいないw
188:神も仏も名無しさん
09/10/18 13:05:01 UF29P4h4
>>171
> てしまった。中には院殿号で数百万~といったお寺もあるらしい。
院号ならともかく、院殿号というのは足利尊氏とかそのクラスの人ってことなんだよね。
だから実際にはそういう例はほとんどない。お寺の側としたって院殿号を出すっていうのはよっぽどの時。
お寺の方から一般の人に「院殿をつけないとだめだ」なんて言うことはまずないと思う。
たとえば旧徳川家とか、財閥クラスの家の葬儀とか。
そういう特別な家を普通の家の感覚で考えても仕方ない。お金に対する価値観だって違う。
それはお寺の問題というより院殿号をもらう側の問題。
> 『東京都生活文化局によれば、外国の場合、葬儀費用はアメリカ45万円、イギリス12万円、ドイツ20
> 万円、韓国37万円とほぼ50万円以下が常識となっているのに対し、
たとえばイギリスなんかだと芝生みたいなところにただ骨撒いておしまいなわけ。
これで12万というのはむしろ高いくらいかもしれない。
日本の場合、死体を扱う仕事でもあるし、全てが特急料金になるわけだから、それなりの報酬は必要だろうと思う。
> の調査によれば、全国平均で287万円、首都圏では、なんと405万円にもなり、その内訳で最も高いの
> が葬儀社へ支払うお金であるためというのだ。
そのデータは相当古いと思う。最近はもっと相場が下がってるよ。
> 読経料の相場は「通夜で10万円」「告別式で30万円」「初七日で5万円」と総額は45万円以上とされる。
これも違う。こんな払い方は今はあまりしないし、金額的にも「戒名抜きで45万以上」なんてことはない。
もっと安くからあるよ。
> 加えて「戒名料」がある--中略--戒名の相場というのは、あってないようなものであり、時として100万円
> 単位で請求されることもあるという。
それは時としてあるかもしれないが、非常に例外的だよ。払えるわけないし。
189:神も仏も名無しさん
09/10/18 13:07:39 UF29P4h4
> 金額的にも「戒名抜きで45万以上」なんてことはない。
> もっと安くからあるよ。
これ、45万以上じゃないとありえない、ってことはないという意味。
戒名抜きで45万以上のこともある。
190:神も仏も名無しさん
09/10/18 13:40:36 tmQjyD/z
日本は、ムラ社会、血の系譜、家の系譜、(或いは親族共同体)をその根本形態としてきたからね・・。
で、明治以降そして戦後経済成長時も、日本仏教はそうした土台の上に成立していた。
バブル期を迎え始めるころ、そして崩壊を始めた昭和後期、
その土台が「大きな・急激な」変容を始める。 勿論、歴史的に見て、変容は必ず起こる。
だが、その多くは、緩やかに、変わったことを気付かせないほどにゆっくりと変わっていく。
そして、ゆっくりである故の確実性・不可逆性を有す。
今、ムラ的繋がりも拡散しつつある。血の系譜もその強度を弱めている。
家の系譜に至っては、それを継続させるべきと考える人間は激減している。
親族も、(核家族・少ない兄弟故)その数自体が減っていることも合わさり、
関係性は希薄だ。下手をすればいがみ合うことの方が多いかもしれない。
金銭面でも、出資できる額も下がらざるを得ないし、出資しよう・出資すべきという価値観すらそもそも育っていない。
家計でいっぱいいっぱいでもある。特にこの平成10年代後半以降・・。
191:神も仏も名無しさん
09/10/18 13:41:25 tmQjyD/z
これまで、日本仏教を支えてきた土台の全てが、その力を失いつつあり、消失の可能性を大きく見せ始めている。
江戸300年の長さも驚異的だが、その中で確立された、寺領からの年貢という経営維持基盤が、
明治及び戦後の二段階で消滅した時、その時、代替とされたのが、
先祖供養を中心とした上記のような日本社会の構造に依存して経営維持を図っていくことだった。
それは同時に、地域社会の一員であることをも意味する。同じ村人、同じ共同体成員であることが望まれた。
(この前後関係はわからない。妻帯世襲が新密度を上げたのか、新密度が要請されたから妻帯世襲へと移行したのか。)
つまり、同じ凡夫であることが望まれた時期といってもいい。
(そこには、特に経済成長期は、共に日本を支えているという仲間意識も生じ得る。
モノとしてはたとえば伽藍だが、その整備も、共同作業として大きな遣り甲斐の共有となったろう。)
妻帯世襲は、それほど新しいことではない。現時点で、三代四代が大勢を占めるだろう。
だが、それが、上記のような村的日本にぴったりとマッチした形態であったことは認めざるを得ない。
だから、この短期間の間に「あたかも長期にわたり継続されてきたかの如き!w」在り様として認知されている。
(※それはちょうど、「各家の先祖供養、家系の継承、家督の維持」という在り様とリンクし、同じ姿が表れているからに他ならないが。)
192:神も仏も名無しさん
09/10/18 13:42:34 tmQjyD/z
日本仏教は、これまで経験したことのない状況へと入ってゆく。
大きな貧困、戦国時代のような不安定さ、或いは紛争地域のような極限状況でもない。
そうした特殊な環境要因はない。だが、確実に、その存在基盤が問われようとしている。
この時模索される道は、もしかしたら原点回帰ではなく、
このスレでも何度か話題に上っている、新しいモデルかもしれない・・・。
「説明(法話)や積極的関わりによる現状維持及び昭和初期への回帰」は、もはや望めないであろう。
日本の社会自体が、そうした在り様を支える力を失いつつあるのだから・・・。
また、その時には、「個の宗教」という形が重要視されることになるのかもしれない。
193:神も仏も名無しさん
09/10/18 14:22:28 AdJ2j/HM
>「個の宗教」という形が重要視されることになるのかもしれない。
これは同意。というより、そもそも、個人を単位としない宗教など本来ありえません。
個人の主体的選択による信仰、という原点に戻れば、方向は明らかなはずです。
194:神も仏も名無しさん
09/10/18 14:54:07 s6TPN2R7
でも、恐れか増しいかもしれませんが、その個を個々に追い求めてるが故
本来、人間がやるべきことができぬ状態になってしまったのでは、と。
思います。
本来、助けなければならない事や国の状態。
万人的な気持ちが一つにならないと、本当に何が必要か
世界がどんな境地に入っていくか、今を一生懸命に生きることが大切なのかもしれませんが
。
ん、?
何か最終、という言葉と仏教との言葉に
今、いっしゅん、頭に弥勒の世という言葉がよぎりました。
これはいったい何を指し示すのか。
急にすみません。
195:10
09/10/18 15:39:37 4KBUzqqp
>>170-171
戒名・葬式の問題も、歴史的経緯による矛盾が存在する。
そもそも、仏教徒が、在家者の葬儀を行う事はありえない(出家者の葬儀は行っていた)し、
戒名とは、出家した僧侶につける名前の事で、俗人に戒名をつけることはありえない。
しかし、江戸時代の宗門人別帳の制定と同時に、死亡の確認作業の為に仏式で葬儀を行う必要が出来てきた。
それまで、仏式での葬式は、「出家者」だけのものしか存在しなかったため、
中国の没後作僧(出家前に死んでしまった修行者を、死後に出家させて僧として弔う)の作法をパクリ、
在家者も、死後に戒名を授けて、僧としてから葬儀を行うようになった。
その際、生前の寺院に対する貢献度に応じて、院号や、道号をつけた。
(○○院△△◇◇居士 とすると、○○が院号 △△が道号、居士が位号で、狭義での「戒名」は◇◇の二文字だけ)
本来、院号は一寺院を建立した程の人にしか授与されず、多くの人が4文字か、6文字の戒名であったが、
戦中に、戦意高揚のため、戦死者には、院号、居士号を授与する事が求められ、一般の人も、院号居士号を求めるようになってしまった。
更に戦後、収入手段の絶たれた寺院は、葬儀の際に多額の布施を求め、その布施で寺院を経営するようになった。
また、寺院と檀信徒との関係が疎遠になり、生前に寺院に貢献する事も少なくなった。
そのため、本来生前の貢献度に応じて授与されていた戒名を、死後遺族が納める布施の額に応じてつける風習が浸透してしまった。
なお、この流れで行けば、親に、長い戒名を要求した檀信徒は、「これから、私が親に代わって寺院に貢献します」と言う約束をしたも同然なのだが、
最近、葬儀の時にだけ、院号居士号を要求して、後はさっぱり寺院に貢献しようとしない人々が増えてきているw
このように、戒名・葬式の問題も、最早原型を留めないほど、改変されてしまっている。
いったい、どの時点に戻れば一番いいんだろうかね?
そもそも、戻る必要があるのかね?
196:10
09/10/18 15:39:44 4KBUzqqp
また、仏教だけが、高額の布施を取る様だが、
例えばキリスト教の場合、毎月5千~1万円の寄付を集めている。
それを累計すれば、寺院が葬儀で貰う布施とほぼ同額になる。
様は、チビチビ貰うか、一気に貰うかの差に過ぎない。
そして、日本の葬儀が高額なのは、寺院よりも、「葬儀社」の問題の方が大きい。
かつては地域社会の中で行っていた弔いの仕事を、
地域社会の崩壊と共に、専門の業者が代行するようになった。
それが葬儀社であり、忌み仕事であると言う理由で、極めて高額の代金を請求するようになっていった。
「葬式の手伝いなど自分達はやりたくない」、「近所づきあいは面倒」としてきた代償と言えるかも知れない。
197:10
09/10/18 15:39:48 4KBUzqqp
>>175-177
公教育で宗教が扱えないのは、戦中に、国家神道が戦意高揚の為に利用されたため、GHQによって、公教育から締め出されてしまったから。
仏教界の責任を問われてもw
アメリカなんかじゃ、進化論を教えるのと同じ時間をかけて、神の創世記を教えろと言う州法があったりするんだけどねw
198:10
09/10/18 15:54:20 4KBUzqqp
>>190-192
書き込んでからリロードしたら、言いたいことが殆ど書かれていて凹みましたw
新しいモデルケースとして、こんなのを聞いたんですが、どうですかね?
安穏廟
URLリンク(www.myoukouji.or.jp)
URLリンク(www.myoukouji.or.jp)
一見流行の永代供養のようですが、真の狙いは、
血縁による家単位で行ってきた死後の祭祀を、結縁による個人個人の繋がりへと転換すると言う取り組みのようです。
更には、人と人の繋がりの薄れた現代に、寺院が中心となって、新しい人々のネットワークを構築するという、
死後の祭祀だけでなく、社会的意義も含めた、意欲的なもののようです。
199:神も仏も名無しさん
09/10/18 16:39:23 QIhW/mqx
葬式仏教が必要とされなくなってきた現在は、「仏教としての本質」に戻る好機でしょう。
ただしそれは、大乗仏教ではだめだということではありません。
その点は、>>10さんの書いていることに大筋で賛成です。
業報輪廻については、私も、現代人には信じることは困難だと思います。一種の比喩として
説明することは可能でしょうが、その意味があるでしょうか。
>>197 公教育で宗教が扱えないのが仏教界の責任だなどと言うつもりはありません。しかし、
仏教界も声は上げなければだめではないですか?それに、公教育以外のチャンネルを通じて
仏教の基本的な概念を伝える努力をどれだけしていますか?
200:神も仏も名無しさん
09/10/18 17:01:26 kmnsi3OM
200
201:神も仏も名無しさん
09/10/18 17:26:35 Hw/DEFkQ
某本山の修行僧ですが、このスレを周りの連中に見せてやりたい。
民度の低さときたらもう・・・
スレリンク(kyoto板)l50x
202:神も仏も名無しさん
09/10/18 18:03:35 eZQYyD4v
まず日本仏教はイメージが地味すぎるね
くすんだ色の古い寺 古い仏像あれじゃダメ
まず日本を代表する東大寺から始めるとすれば
大仏を元の金ぴか黄金色に塗りなおす 建物も元の極彩色にする
僧侶はもちろんイケメンぞろい 袈裟のデザインは現代風に一新する
それで修行法から在家でもできるものを「イケメン管主が教える東大寺瞑想法」
として出版する
行事の名前を現代風に変更「お水取り」→「ウォ一ターフェスティバル」
もちろん日本人の村八分性向に訴えるため〇福の科学などの似非仏教はこき下ろす
203:神も仏も名無しさん
09/10/18 18:16:44 kmnsi3OM
大仏むかしむかし出来た当時はキンピカダッタンダヨ!
204:神も仏も名無しさん
09/10/18 18:48:23 DKLknkzC
そもそも、悟った坊さんが居ないのが悪いよ。
新興宗教に押されたりとか大乗とか葬式とか
全て悟った坊さんが居ないのが悪い。
悟りが伝説になってるからな。
インドには解脱者が居るらしいが、日本には居そうにないのが悪い。
205:10
09/10/18 19:14:33 4KBUzqqp
URLリンク(www.sogi.co.jp)
198のHPの、墓問題についての既述
追加
206:神も仏も名無しさん
09/10/18 20:27:50 eZQYyD4v
単純に人は見た目から入るからね
戦国武将はコミックやゲームその他で若者にも人気がある
歌舞伎俳優も色んなとこで活躍している 理由は「派手」だから
それに対して利休風の「わびさび」は絶望的に受けないと思う
あんな朝鮮の貧乏民家を模したものが美しいわけがない
黄金の茶室の方が美しいし朝顔は庭全面に咲いてる方が美しい
ということで日本の仏教界は「わびさび」を一掃すること
戦中戦後に育った世代が強烈に違和感感じる程度がちょうどいいんだよ
207:神も仏も名無しさん
09/10/18 20:51:58 0YFPqZEa
昨日、某TV番組に奈良・法隆寺の百済観音像が彼氏で盧舎那仏像にも
言いよられているという女が出演していました。
「彼氏は1000年以上も私のことを待っていたの」とか
言っていました。
日本仏教には絶望しました。あなた方は本当に
葬式以外は役立たずだ!!!
208:神も仏も名無しさん
09/10/18 20:58:16 75Njf4OX
仏教は時代にあわないのだろう。葬式仏教でもいいじゃないか。
209:神も仏も名無しさん
09/10/18 21:09:10 QIhW/mqx
葬式仏教という割りに、既存仏教宗派は葬式をどれだけ大事にしているのか疑問がある。
特に都市部で菩提寺とのつながりがない人が葬儀をどうするかは大きな問題だが、どうして、
宗派直営葬儀のような道を開かないのだろうか。その癖いわゆる派遣僧侶を目の敵にする。
210:神も仏も名無しさん
09/10/18 21:11:49 0YFPqZEa
日本仏教など中国仏教の弟分であり、
仏教の本流から見ればいびつに進化した亜流に過ぎないのか。
211:神も仏も名無しさん
09/10/18 21:14:00 0YFPqZEa
日本仏教に釈迦の教えのエッセンス、スピリット、本質的な核の部分は
まだ残っているのでしょうか? 中国や朝鮮経由で渡ってきたために
本来の仏教からはかけ離れてしまったのではないでしょうか?
212:神も仏も名無しさん
09/10/18 21:54:52 JZGLd8Zs
わびさびが無くなるということは、日本人の感性からもののあわれ的繊細さがなくなるということ。
日光東照宮の壮絶極彩色より桂離宮のシンプルな佇まいのほうが
より的確に日本人的美学を表現しているだろうと思う。
東照宮は陽明門に白い柱がなかったらほんとに致命的センスだった。
あの白がだいぶ救い。白も塗り物だけどな。
熱狂より静寂、威圧より荘厳。
おれ的にはまっかっかの薬師寺より法隆寺や永平寺のほうがよっぽど美しい。
金ぴかや極彩色の色彩は、所詮メッキやペンキだ。
表面的。素材の本物感がないわ。偽物感性。成金主義。
パチンコ屋や香港の街並みのような金ぴかごちゃごちゃは、うざい。
わからんやつにはわからんだろうな。
213:神も仏も名無しさん
09/10/18 22:08:37 iXOMl4tt
近くの真言宗のお寺の息子がチャラい
密教って煩悩肯定なん?
あそこまでだと、凡俗とかわらないような…
214:神も仏も名無しさん
09/10/18 22:18:20 4ZmGrDv7
>>208
ブッダの菩提樹下の瞑想法を指導します、と宣伝すればどっと若い連中が
集まる。現にテーラワーダは若い求道者をたくさん集めて商売繁盛。仏教も
まだまだ捨てたものではない。
215:神も仏も名無しさん
09/10/18 22:19:47 5m4hqI2s
半年ぐらい前から仏教に興味持った人間だけど、
近所の真言宗の看板で水子供養って見たときはショックを受けた。
216:神も仏も名無しさん
09/10/18 22:20:12 4ZmGrDv7
アーレフだって頑張ってるんじゃね?
これからの商売は、葬式より瞑想だ。
217:神も仏も名無しさん
09/10/18 23:41:28 77fb1we6
>>204
>そもそも、悟った坊さんが居ないのが悪いよ。
自分から悟ろうと求めたら悟れない。そこには、悟りたいというエゴがある
からだ。自分で「悟った」と自称している者は、すべて偽物。悟りとは、悟ろう
と求めないところにある。衆生心が悟りである。
218:神も仏も名無しさん
09/10/19 00:14:08 MpqgesR4
悟りが実在しない事を悟ったよ!
219:析空
09/10/19 11:48:48 4N2utuXE
悟りとは気づきのことである。(増谷文雄)
220:神も仏も名無しさん
09/10/19 11:51:26 PKE1FFlj
最近はテーラワーダ仏教協会に触発されてか、
日本の寺院も座禅会でヴィパッサナー瞑想を指導する
ところが増えてきてるよ。
221:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
09/10/19 11:54:36 L0d6D+yI
>>186
スレタイとテンプレの通りです。本来あるべき仏教の原点を見つめ直しつつ、
現代日本に適した新しい仏教の創造といった理想についての意見を述べ合うスレです。
日本仏教の問題点を議論しようとするものです。
ご紹介の書籍については読んでいません。
ネットで確認してみましたが、まさに当スレの内容からして必読書といった感じのようですね!
『日本の寺で行われているのは、「仏教」という名の一宗教ではあるが、「釈迦の教え」の実践では
ない。今ならそういい切れる。そう言い切るための証拠はいくらでもある。が、本書に提示されている
証拠は、日本には「入寺」はあっても「出家」がないということだ。共著者の南は、まさに出家を期待し
て永平寺へ入門する。しかしそこは僧=サンガではなかった。
P. 39
日本では僧院に入って、サンガの中でまじめに志が続けば、きちんとお坊さんの道をまっとうできる、
というようなシステムがありません。
日本の仏教集団は、いわば住職集団なのです。つまり、僧侶として立つには、一カ所の住職になら
ないとできないような仕組みになってしまっている。
平たく言えば、日本において僧というのは、「生き方」ではなく「職業」なのだ。まさに僧職系というわ
けだ。そして寺というシステムは、人々の救済ではなく、寺というシステムそのものの維持を第一目的
にしている。少なくとも外からはそう見えるし、「中の人」である南もそれを率直に認めている。』URLリンク(blog.livedoor.jp)
南 直哉/アルボムッレスマナサーラ共著
『出家の覚悟―日本を救う仏教からのアプローチ』サンガ刊
222:神も仏も名無しさん
09/10/19 12:02:29 PKE1FFlj
>>221
うむ、日本仏教は職業になってるな。
こんなんなら仏教じゃなくて葬儀屋の一部署にしていいだろう。
葬式部長以下部員は僧侶の格好をした人々・・・。
223:神も仏も名無しさん
09/10/19 12:05:22 vQcOu5RX
宗教てーのは生きてる人間のためにあるから
そして悟りには生も死もない、生きながらも死を超えている境地だから
だから坊さんは、悟らないといけないの
224:神も仏も名無しさん
09/10/19 13:00:04 cUqzmVOP
スレ主様へ
「出家の覚悟」は、日本のお坊さん皆に読んでいただきたいくらいの本です。是非お読みになってください。
東京に葬式とかはしない墓地もない小池龍之介さんという新しいタイプのお坊さんがいます。彼は「イエデ空間」というホームページも立ち上げており、そこからメールも出来ますから一度ご意見を伺ってみると良いと思います。
新しい僧侶のモデルケースになるかもしれませんよ。
225:神も仏も名無しさん
09/10/19 13:06:08 9mLNKbhb
なんか最近、俄かスマナサーラファンが多いよな。
一冊読んだけど、真新しいことはなにも書いてなかったし、
とくだん注目するほどでもないと思う。
226:神も仏も名無しさん
09/10/19 13:43:49 k5sAlEaD
やはり、坊主や神父が一番悟れてないということかw
227:神も仏も名無しさん
09/10/19 14:38:34 ODJv8v3r
わかってないなら仕方ないが、坊さんはわかっててやってるから悪なんじゃないの?
228:神も仏も名無しさん
09/10/19 16:39:57 SRFthM1X
>>212
永平寺だめだね・・貧乏くさい
同じ雪が積もった風景ならば金閣寺の方が百倍美しいでしょ
あれのどこがパチンコ屋みたいなんだよ
まず日本の仏教界は新興宗教のどこがうけているかよく研究し(主に見た目)
受けそうなところは取り入れる その上で教義は伝統的なものを伝える
たとえば大仏殿の前でコンサートをやるぐらいでは全然ダメ
イケメンを管主にしてど派手なイベントを立ち上げればよい
たとえばレーザー光線が飛び交う中管主がヘリに乗って空から登場
「エンペラー聖武は現代によみがえった!」と絶叫 熱狂する聴衆
こういう感じでやればいい
229:神も仏も名無しさん
09/10/19 17:07:01 SRFthM1X
若者全体が東洋的なものに拒否反応示してるということはないよ
バリ島旅行人気あるしエスニックショップその他もいっぱいあるしね
ただ傾向としては派手系エスニックだよ
わびさびはダメ 単に見た目だけで日本の仏教も大化けする可能性があるのに
惜しいと思いますね
230:神も仏も名無しさん
09/10/19 18:06:35 MWqlBINT
>>212
同意。一切の虚飾を排した、あるがままの簡素さの中に美を認める日本人の
「わび・さび」の感性は、世界に誇るべき日本人の精神性。環境破壊や資源の
枯渇の恐れなどを考えると、今後の人類の指導理念といえる。
日光東照宮には、違和感を感じる。何でああなったのか、誰か教えてくれ。
小乗仏教国の寺院・施設のドギつさも同じ。
231:神も仏も名無しさん
09/10/19 19:09:52 9+1mkoH2
>>221
こういうところで禅の宣伝するのは荒れる原因になってしまうけど、澤木興道禅師の書籍を
おススメするよ。毎日大根だけの食事をしたり、袈裟いっぱいノミがいたり、所謂地位のある
坊さんを批判してたり、食事中に屁こいたりwまあ明治の人だから今この仏教界の現状とは違うかもしれないけどね。
真面目な坊さんもいるということを知って欲しい。
232:神も仏も名無しさん
09/10/19 19:21:40 ftoxO0/b
ミラー変換で見れるのかな?
興味のある人は参考にどうぞw
最高宗教としての葬式仏教
スレリンク(psy板)
233:神も仏も名無しさん
09/10/19 19:28:17 ftoxO0/b
ついでに、こんなのもどうぞw
日本の仏教は仏教じゃない
スレリンク(psy板)
234:神も仏も名無しさん
09/10/19 20:39:26 9c1FW8Qa
■ 宗教の中心は空洞である ■ (*^。^*)
神や仏がたとえ存在しないとしても、「宗教」という装置は成立する。☆
重要なのは、神や仏が存在すると、人々に信じさせることである。★
☆★ URLリンク(www.geocities.jp) より抜粋
235:神も仏も名無しさん
09/10/19 20:44:52 rP3ay0qY
>>231
澤木興道は兵士として戦争に参加して、殺人行為を淡々と、しかも積極的に遂行した
殺人鬼。敗戦後も後悔の言葉は、ひとことも吐かなかった。
236:神も仏も名無しさん
09/10/19 21:20:51 aNaRmBTf
あれまぁw
237:神も仏も名無しさん
09/10/19 21:26:45 aNaRmBTf
皆、善悪合わせ持った同じ人間なんやなぁ~
その意味でも人間は本来、本質的には平等かもン
238:神も仏も名無しさん
09/10/19 21:31:20 aNaRmBTf
>>230
>小乗仏教国の寺院・施設のドギつさも同じ。
ほんとw。違和感感じます。オチ
239:神も仏も名無しさん
09/10/19 22:26:40 sgPiKfdO
見た目、外観、どうでもいいよ。
現代日本仏教の中身の無さが問題なんだ。
240:神も仏も名無しさん
09/10/19 22:36:56 R5BWyPwQ
寺のせいにしても仕方がない。
みんなが熱心になれば自然と栄えると思う
241:神も仏も名無しさん
09/10/19 22:50:17 9+1mkoH2
>>235
ああ、前にも同じレス貰った気がするw
気にはしないけど。
242:神も仏も名無しさん
09/10/19 23:48:20 ftoxO0/b
その他参考書
「葬式の値段にはウラがある」黒木昭雄(草思社)
「戒名と日本人」保坂俊司(祥伝社新書049)
「在家宗学の提唱」山内舜雄(大蔵出版)
243:神も仏も名無しさん
09/10/20 02:27:22 eWjHJ365
葬式仏教も正常ならば容認すべきだと言うのが私の考えです。
ヨーロッパキリスト教会の調査報告を故五来重博士の著書で読んだ記憶があリます。
確か角川選書だと思います。
そこで彼が見たのは教会の建物床下に埋葬されて居る、有名な信者の墓の数々でありました。
この墓で眠る故人たちを追想するが為にか日曜ごとに教会に来る信者は死者の名前を刻んだ
石材の棺の上を歩むのです。
死者の供養と言う言葉は無いのですが心情としてほぼ同一であると氏は言っておられます。
土地の古い教会程 墓地の役目をしていますから、キリスト教徒は定期的に御墓参りを
していることになります。
日本の僧侶はもっと真剣に葬式に取り組むことが大事です。
是が仏教に興味を持つ入り口であっても善いのです。
僧侶は立ち居振る舞いに 仏の存在を表すことが修行です。
是を見て発心して仏果を得る若者が出ないとは言い切れません。
244:神も仏も名無しさん
09/10/20 03:01:27 m098oJQj
>>243
墓のことまで、キリスト教の猿真似をすることはない。日本では、故人の墓を
踏んだりしたら、犯罪になる。
日本の僧侶に、墓石を踏ませたいのか。それによる発心、仏果とは、一体何か。
245:神も仏も名無しさん
09/10/20 04:14:52 jGfn+DHx
>>243
良い事いうねえ!
246:神も仏も名無しさん
09/10/20 09:18:27 RUsXWRpZ
葬式だけなら仏教である意味ないと思うんだよね。
人が死んだら坊主を呼ばなきゃいけない、なんてのは近世以来の新規珍奇な現象だろ。
そもそも世の中がガタガタになって鎌倉仏教が根付くまでは、日本の仏僧は基本、庶民になんか鼻も引っ掛けなかったわけだからさ。死のうが何しようが。
今になってノコノコ出てきて、死人と死人の家族に経済的に巣食って我が物顔の仏僧ってのを、日本の民衆は心底軽蔑して憎んでるわけ。
つまり、そもそもその死人商売を庶民は我々仏僧に「お願い」して当然だ、そこでよく「お勤め」して不信心者を感化しましょう、という発想自体が間違ってるわけよ。
葬送してほしかったら、(今いないだろうけど)儒者呼んだっていいし、(俺はやだけど)牧師神父呼んだっていいじゃん。
この仏僧による死人ビジネスを打ち壊し、その代わりになる勢力が出てきたら民衆は喜んで飛びつくよ。
(それ自体特有の矛盾もあるけど)神式の葬儀なんてやりようによっては、いい勢力になれると思うんだけどなあ。しっかりしろ神主。
明治の仏僧打破が生ぬるすぎたんだよな。
(これは仏僧に対する抵抗運動であって、「廃仏毀釈」などでは断じてない。)
247:神も仏も名無しさん
09/10/20 18:13:52 q0obTrer
>>233
そこの1の言うとおりだと思う。
宗教は厳しい戒律で戒められてるからこそ他人のことまであーだこーだ言えるんだよ。
妻帯したり、世襲で子孫に財産残したり、そんな欲まみれの輩にどうこう言われたくないし
死んだ後まで指図されたくないわ。
死んだ後まで飯の種にされてる感のほうが強い。
それもこれも仏教者とかお寺さんとかに尊敬出来る人がいないせい。
自分の家族だけ裕福な暮らししたいって坊さんばっか。
寄付で建てた新築家屋、いい車に乗って子供には最新ゲーム機全種類~ってあほか。
おまえら家族に贅沢させるためにお布施払ってるんじゃないっつーの。
困ってる人や苦しんでる人を助けるボランティア的な活動もまるでしてないよね。
税制とか優遇されてるんだからそういう活動を率先してやるべきだろ。
そうあるべき立場だろ。でもなんにもしないんだよ。
日本の仏教なんかただの葬式業者。
宗教なんて心の問題だ。親類縁者のしがらみさえなければこんな奴らに金やりたくないし
自分なりの祖先供養でおだやかになれるのに。
248:神も仏も名無しさん
09/10/20 18:43:04 1XvOcRph
>>247
道元なんかは、坊さんが立派だからお布施をするとか、ダメな人だからお布施をしたくないとか、
そういう考えを否定しているけどね。
249:神も仏も名無しさん
09/10/20 18:54:14 MfETa4/w
>>248
それは立派な坊さんが一定数いればの話だろ。
それにその当時は、建前だけでも戒律は存在してたんだよ。
今は戒律なんか全くないから、アホな在家者が僧侶のコスプレして
葬式業を営んでるだけ。
そりゃ戒律を守ってる比丘になら、布施してもいいけど、
頭丸めて袈裟かぶってるだけの偽坊主(在家者)に布施はできないでしょう。
在家が在家に布施するのって滑稽でしょ?
250:神も仏も名無しさん
09/10/20 19:11:50 q0obTrer
歴史の教科書読んでて不思議だったよ。
悪党でも念仏となえりゃ成仏できる、なんて
そりゃそう言えば悪党の信者だってゲットできるだろうよ。
いい加減で金儲け主義でだめだめな宗教者(を騙った詐欺師)がいて
都合がいいからそれに乗っかった奴がいて、それを権威付ける奴がいて~、て流れだろ。
なんで誰もそれを正さないんだろうね?
251:神も仏も名無しさん
09/10/20 19:16:10 MfETa4/w
>いい加減で金儲け主義でだめだめな宗教者(を騙った詐欺師)
現代の自称僧侶の方たちのことですね、わかります。
252:神も仏も名無しさん
09/10/20 19:18:33 lzHI6FOB
>>250
>>190-192
253:神も仏も名無しさん
09/10/20 19:40:07 1RQ/PiqO
>>241
何故、気にはしないの?
254:神も仏も名無しさん
09/10/20 20:30:57 w/H5uBRJ
>>250
真宗 浄土宗はぜんぜんダメ 話にならん
無量寿経のサンスクリット本には「オーム オーム」と連呼する
帰敬文が冒頭に付いてるけど(親鸞さんは知らなかっただろうね)
これは少なくともインドにおいてはこの経を使用していた団体
もしくは信奉していた人は半ヒンズー教だったことが予想される
そうでないとしても最少「オーム オーム」と連呼していたことは
間違いない事実 これには反論できないと思う
一向一揆に駆り出されたお百姓さんは人殺しで悪趣に堕ちて非常にお気の毒
255:神も仏も名無しさん
09/10/20 20:33:12 2kBihhTO
>>253
兵隊が戦場で人殺す、漁師が魚を殺生して売る、床屋は客の髪を切る、坊主が袈裟着て坐禅する。
凄く当たり前の事じゃない?夕飯なに食べました?全くなんの罪の関与無しに生きていけますか?
それともベジタリアンですか?一切虫食ってない野菜ですか?おじいさんは戦争に行かなかったの
ですか?行ったのならおじいさんは殺人者ですか?欧米に植民地支配されたほうが良かったですか?
インドは何百年植民地支配されてましたか?
なんてちっと考えれば分かると思うんですけど、反論しても分からなそうなので反論もしない事に
しております。
256:神も仏も名無しさん
09/10/20 20:51:48 1XvOcRph
>>250
悪人正機の悪人は、悪党とは全く意味が違う。
257:神も仏も名無しさん
09/10/20 20:54:52 1XvOcRph
>>249
> それは立派な坊さんが一定数いればの話だろ。
特にそういう前提での話ではないと思いますが。
> 在家が在家に布施するのって滑稽でしょ?
そう思うならしなければいいけど、
葬式仏教という形であれ仏教が生活の中に残っていること自体に
意味があるという考え方はあるね。
258:神も仏も名無しさん
09/10/20 21:03:31 6c+fpVt1
>>255
>殺人行為を淡々と、しかも積極的に遂行した・・・
敗戦後も後悔の言葉は、ひとことも吐かなかった
↑ が気になるけど~、全然、気にならないの?
259:神も仏も名無しさん
09/10/20 21:15:05 MfETa4/w
>>248
>>257
『正法眼蔵随聞記』が出典だろ?
道元を引き合いにだして、公然と妻帯、子作り、世襲、蓄財してる破戒禿を擁護すんな。
おこがましいわ。
だいたい曹洞禿は道元に申し訳ないとかそういう考えはないのかね?
260:神も仏も名無しさん
09/10/20 21:17:01 MfETa4/w
>>258
>殺人行為を淡々と、しかも積極的に遂行した・・・
>敗戦後も後悔の言葉は、ひとことも吐かなかった
は>>241にとっては、犬のフンくらいにどうでもいいことなんだよ。
261:神も仏も名無しさん
09/10/20 21:20:50 2kBihhTO
>>258
澤木禅師が著書の中で戦争体験の話はしてるし、ああそうなんだあとしか思えない(気になる理由も分からない)。
それに>>235が意図して色付けして書いてることは分かるし、どうせSたん派の人だろうと
予測は出来るし、自分はSたんは嫌いじゃないけど澤木批判してることは知ってるし、
だから何?という感想を持ったし、面倒くさいし、荒れるし、誰も得しないし、、もう勘弁w
262:神も仏も名無しさん
09/10/20 21:23:30 MfETa4/w
>>255
坊主が袈裟を脱いで軍服着て、戦争に行って
人殺しの効率を軍人と競うのが当たり前なのかよ?
263:神も仏も名無しさん
09/10/20 21:27:27 lzHI6FOB
>>259
>>242 >「在家宗学の提唱」山内舜雄(大蔵出版)
URLリンク(www.google.co.jp)
264:10
09/10/20 22:16:40 BxdUkD6B
>>249
>頭丸めて袈裟かぶってるだけの偽坊主(在家者)に布施はできないでしょう。
>在家が在家に布施するのって滑稽でしょ?
え~とですね。
布施とは、前に言いましたように、布施をする側の心の問題なんです。
ですから、対象が糞坊主であろうと、布施をする側がきちんとしていれば、十分功徳になるわけです。
その辺の事を書いた原始仏典があるんですが、記憶が曖昧で…。
こんど書庫を漁っときます。
265:249
09/10/20 22:25:07 jGfn+DHx
>>264
功徳なんかいらんわ
266:10
09/10/20 22:33:10 BxdUkD6B
>>265
なら、なんで「立派な坊さんなら布施をする」と?
267:249
09/10/20 22:49:43 jGfn+DHx
>>266
立派な(戒律守ってる)坊さんには布施してもいいって言っただけで、
功徳なんかもらっても何の役にも立たんわ
268:10
09/10/20 22:56:14 BxdUkD6B
>>267
それは、布施という概念を勘違いなさってる事による発言ですよね?
布施とは、別に在家から在家へ行ってもいいものですよ?
もしかして、布施=お経の代金 と言うお考えで、
立派な僧侶になら「お経の代金」を払ってもいいけど、
糞坊主には「代金」を払いたくないと言う意味の発言ですか?
それならば、「布施」と言う単語は使わずに、「代金」と仰ってくださると、勘違いが少なくなるかと思います。
269:神も仏も名無しさん
09/10/20 23:04:54 UhRaXGdZ
破戒している人を立ち直らせることも大きな功徳になるはず
270:神も仏も名無しさん
09/10/20 23:06:33 lzHI6FOB
>>267
貴方のようなスタンスの方に、語弊を恐れず喩えるなら、
「功徳」とは「効果」のようなものです。
或いはまた「三つ子の魂百まで」のように、「身に付く」(術語で言えば“薫習”と言われるようなこと)「善きこと」とも言える。
例を挙げれば、
普段、戒めの如く、a《「常に腹を立てず、相手の立場・理由を慮る」こと》をモットーとしたとする。
それを継続し、徹底できた人は、おそらく、
表情も柔和で、親しみ易く、また怒りや憎しみに満たされることもなく、イライラすることもなく、
気負うことなく、意識することなく、自然と、穏やかに日々を送ることができるだろう。
これは、aという行為の功徳と言える。
そして余談を述べれば、
【本来自分が享受することになる、こうした効果を、他者のものへと変換する行為】が【回向】と言われる。
(※勿論、「物理的、具体的、実際に」ということではなく、「理念上・考え方の上で」ということだが・・。)
271:249
09/10/20 23:08:02 jGfn+DHx
>>268
ああ、daanaって単純に与えるって意味だもんね。
普通、日本で布施って言ったら「禿に払う代金」じゃね?
だいたい、檀家が「代金です」って金払うか?
272:249
09/10/20 23:09:45 jGfn+DHx
>>269
>破戒している人を立ち直らせることも大きな功徳になるはず
立ち直ってないから、このスレが立ったんでしょうが
273:249
09/10/20 23:11:19 jGfn+DHx
>>270
禿の詭弁乙
274:神も仏も名無しさん
09/10/20 23:13:08 1XvOcRph
>>259
そんなに偉そうに言うなら自分が出家すればいいじゃん。
何もしてないで批判だけしても口だけってことになるしね。
275:神も仏も名無しさん
09/10/20 23:13:19 lzHI6FOB
>>273
は? 何言ってんの?
日本語で宜しくw
276:249
09/10/20 23:14:39 jGfn+DHx
>>270
「意味不明です」
277:神も仏も名無しさん
09/10/20 23:14:58 5rdvM5Ch
いや、修行してる人には単純に支援になればいいと思うけどな。
応援だよ。
278:神も仏も名無しさん
09/10/20 23:17:20 OZtGFoUG
仏様に功徳積むつもりでお布施したって
どうせ世襲の腐れ坊主に取られちまうんなら
絶対したくはない。
在家在家って
おまえら腐れ世襲より
よっぽどまともな在家の人が
どれだけいるのか分からんのか。
あきれた
279:10
09/10/20 23:28:36 BxdUkD6B
>>247に対しての、>>248の書き込みが、すでに「布施とは代金じゃないよ」と言う意味だったと思うんですがね…
私も>>264で、更に訂正したんですが…
分かりにくかったですかね?
まあ、同じ事の繰り返しになりますが、
今の日本における「布施=代金」と言う使用方法は、間違った用法ですので、
今後このような話題を語る時は、「代金」と仰っていただけると、論議に混乱が少なくなるかと思います。
280:10
09/10/20 23:29:15 BxdUkD6B
>>278
>>264をお読みください
281:神も仏も名無しさん
09/10/20 23:32:24 Qq+Z/65b
宗派による教えの違いはまぁ仕方ない。
そういう宗教ということで理解すればいい。
しかし、今の日本の坊主は、自分の宗派の教えにすら
反していることもたくさんある。
浄土系の場合は、現在は末法の世であり、
たとえ坊主であっても戒律なんか守れっこない、
そんな世の中になっちまったんだという思想だから、
破戒が黙認されても仕方ない宗派だと言える。
282:神も仏も名無しさん
09/10/20 23:37:32 1XvOcRph
>>278
布施というより喜捨の精神を学んだ方がいいかも。
情けは人のためならず。布施も僧侶のためならずですよ。
僧侶の堕落を批判したいなら、
自分が僧侶以上に「出家」しないとね。
283:神も仏も名無しさん
09/10/20 23:40:56 Qq+Z/65b
現在の裟婆世界が末法の時代であると特に信じるのは、
浄土系と日蓮系でしょうか。
末法の時代とは、お釈迦様が亡くなって何百年も経って仏教が廃れたため、
悟る人もいなくなり、正しい修行さえも行われず、
教え(経典)だけが残っている世の中。
つまり、浄土系と日蓮系は、現在の地球上には、
仏様のように悟った人は一人もいるはずがないと考えることになる。
284:神も仏も名無しさん
09/10/20 23:46:21 jGfn+DHx
>>282
>布施というより喜捨の精神を学んだ方がいいかも。
>情けは人のためならず。布施も僧侶のためならずですよ。
なにその「上から目線」
あんたがもし僧侶なんだったら
その乞食根性直したほうがいいぜ。
ま、ほんとの乞食(比丘)は立派だけど
あと喜捨の意味ちがうから。
慈(maitrii)
悲(karunaa)
喜(muditaa)
捨(upeksaa)
だよ。
まあこのくらいわかってるか。
285:神も仏も名無しさん
09/10/21 00:09:47 GSrvGQBA
自分の田舎は仏壇がでかいとか、法事が立派だったとか
世間体の虚栄心みたいなもんが言葉には出さないが間違いなくある。
おれの代で終わりにしてやるが。
286:神も仏も名無しさん
09/10/21 00:16:51 UoK9CtYm
>>243の者です。
亡者の為に読経を願い,宗旨の経文を坊さんに読んでもらっての料金を
回向料と昔から言うのですから、(回向料)と言えば好いのじゃないですか。
但しここで忘却されているのが(回向)と言う考え方でして、僧侶が仏菩薩を
供養する其の徳の一部を、施主と亡者で分けて受け取るって事なんです。
故にどれほど立派な人物の葬式であろうと、その場で供養を受けているのは
第一には本尊である宗旨の仏です。
第二に法要を営む施主に功徳が七分の六来るそうです
第三に施主の祈願により,(死亡した人物)に仏の徳が及びますようにと
回向を願うわけですがなんと施主の功徳のたった七分の一が配当されるとか。
このところを以って>>243の説明みたいなことをして居るのです。
私の知る限りでは お坊さんもまるで説教しませんね、布施の意義や回向とかの主旨をです。
自分の職に引け目があって世間の一般人に主張不可能なのかとも思われます。
私は僧侶ではありませんので、勝手に仏教書を読みあさって雑学的にこんな処であろうか
と書き込んでいます、皆様の御教授お待ちします。
287:つきピエ ◆/bb.....Cc
09/10/21 00:19:16 5dXykQt/
仏に感応してから言わないと。
そこらの施設に格式の保たれた神社仏閣ほどの霊性をした場所なんかないよ。
格式の保たれた神社仏閣>>キリスト教の教会>>>>そこらの施設
288:神も仏も名無しさん
09/10/21 00:20:04 GSrvGQBA
まあ、需要と供給が成り立ってんだから外野はすっこんどれや!
という考えもあるだろうね。
289:神も仏も名無しさん
09/10/21 00:22:56 1mJ7dFpw
>>286
【葬式】 戒名の値段は高すぎる 【疑問】
スレリンク(psy板)
356 つづき sage 2006/08/01(火) 19:12:40 ID:KMWkkLZD
>> 351
>今さら遺族の方々が何をどうできるわけではありません。
勝義から言えばその通りです。自らの業果は自らが受く、が原則ですからw
もちろん、各種行為の功徳も、行為主が受けるものです。
しかしながら、回向という画期的な概念が編み出されました。
以前、極々仲間内で作った用語集から引用w
【回向・廻向】(え・こう)
廻転趣向の意。自己の行う(行為の)善根功徳を廻転して(自己の)菩提に趣向し、
或は衆生(他者)に施与する事。一般には、法要・読経・念仏・布施などの善行を通して、
それによって生ずる功徳を亡者に回し向け、仏道に入らしめること。
(なんとなれば、亡者は自分で功徳を積むことができないから)。
自らに向ける意もあるが、専ら、ある一つの行為の功徳・効能を、
相手或は第三者が積んだかのようにその人のものとする事。
故に、その文句・文言(回向文)をも単に回向と言う事も有り。
→この功徳を誰それの方へ向けます、という宣言。
坊さんは、集まった人々の代わりに(代表として)お経を読んでいるのです。
290:神も仏も名無しさん
09/10/21 00:23:58 1mJ7dFpw
>>286
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート17
スレリンク(psy板)
777 2/3 sage 2007/07/12(木) 20:02:07 ID:TD/V4eTp
>> 635
> どうして、仏壇などで、亡くなった方たちの前で物語を読むことになってるのか、
まず、読経という行為自体に功徳があると考えられています。
だから、読経するということは功徳を積むこととなります。
この時、「自らの(行為の)功徳は自らが受ける」のが原則となりますので、
読経した人が功徳を積んだこととなります。
もう一つ「回向(回転趣向)」という考え方があります。これは、
ある功徳を、悟りの為の資として方向付ける(悟りへと回し向ける)ということになります。
上に述べたように功徳は自ら受くものですが、その功徳・効能を、
相手或は第三者が積んだかのようにその人のものとする事です。
この功徳を誰それの方へ向けます、という宣言と言えます。
ですから大抵、単に読経するのみでなく、終わりに回向文を読みます。
勿論、自分へ向けたものであれば回向はなくても構いませんw
(また、様式に則らなくても、内容を心で念じるだけでも良いと思います)
ま、概して一般的には、法要・読経・念仏・布施などの善行を通して、
それによって生ずる功徳を亡者に回し向け、仏道に入らしめる(或いは安楽を継続させる)こと、
と言ってよいでしょう。(なんとなれば、亡者は自分で功徳を積むことができないから)。
ですから仏前での読経は、そうした、故人の安楽等を願ってなされるのです。
(勿論、回向の内容として様々なことを盛り込むことができます。)
ちなみに、自身がきちんとお経が誦めるなら、坊さんを呼ぶ必要はありません。
あくまでも坊さんは、誦めない誦まない人々の代わり、
或いは読経する集まりの代表として誦んでいるからです。
> 例えば、そういう物語じたいに意味があるのであれば、
はい。ですから、それぞれがお経を読み解くことはいいことだと思いますし、
もっとなされていいでしょう。お寺側からも、もっと解り易く語ってゆくことが大切でしょう。
291:神も仏も名無しさん
09/10/21 00:30:49 GSrvGQBA
いまさら戒名なんていらねーよw
何、その奇妙な習慣ww
292:神も仏も名無しさん
09/10/21 01:02:29 UoK9CtYm
>>291さんへ286の者です戒名の問題ですが、はっきりとした
根拠必要性はあるのでしょうかね?
このような意見を聞いたことはあります。<亡者に引導を渡すときにし易くなる。>
僧侶が死者の魂などの存在を否定してからの葬儀法要は無いでしょうから その有無はともかく
歴史的には平安時代末位から死者に戒名をつけているようです。
わたくし的には、迷惑だなです。
但し宗派によりましては,符丁的な文言をつける戒名もあるとか聞きます。
自殺、他殺、不幸な死に方をした故人の(なにか)を注意させる為らしいのです。
生活が苦しいのに わけが判らないお金は懐から出せないのが本音ですよ。
わたくし取り留めの無い書き方になってますがお許しください。
293:10
09/10/21 01:16:49 yqXF4vXY
>>292
戒名問題は、歴史的経緯があるんですよ>>195
だから、現状の戒名制度に矛盾を感じるのはごもっともです。
より良い解決方法があれば、ご提案頂きたい所です。
ただ、<亡者に引導を渡すときにし易くなる。> というのは、明らかに間違いです。
また、戒名に意味を含めるのは、よくあることですが、
普通の名前のように、強く生きて欲しい子供に「つよし」とつけたり、
明るい子になって欲しい子供に「明子」と着けたりするのと同レベルの話です。
もっとも、かつては、差別戒名問題と言うものもあったので、話は少しややこしいですが…。
294:神も仏も名無しさん
09/10/21 01:16:59 ZqpOcBhW
戒を授かって、仏弟子として新しい人生を生きるという意味では、
仏教徒ネームを師匠から授かる意義はある。
死んでからもらっても意味はないが。
295:神も仏も名無しさん
09/10/21 01:17:28 U3M2+f5d
>>284
慈悲喜捨じゃなくて、イスラムの喜捨だよ。
向こうではお布施と思うことなく喜捨するでしょ。
296:神も仏も名無しさん
09/10/21 01:25:13 1mJ7dFpw
>>292
つ>>242 >「戒名と日本人」保坂俊司(祥伝社新書049)
297:神も仏も名無しさん
09/10/21 01:42:52 ZqpOcBhW
寄付・寄進のことを喜捨と言いますからね。
この場合の喜捨は、布施と同じ意味ですよね。
拝み賃として払う「お布施」じゃなく、
利他の修行である布施波羅蜜のことです。
298:神も仏も名無しさん
09/10/21 01:52:25 Oq/lde+8
>>297
>拝み賃として払う「お布施」じゃなく、利他の修行である布施波羅蜜のことです。
六波羅蜜は菩薩の修行です。
単なる在家が布施波羅蜜を修する理由はないのですけど。
299:神も仏も名無しさん
09/10/21 01:55:17 TD9de4kb
スッタニパータでは
占いを禁じ、死をあるがままに受け入れ、儀式では悟りに導かれないし
釈迦の説く供養とは生前の修行にかかっているとあるのだから
仏教=葬式と若い人に思われるのはよろしくないから、
坊さんの誰かが、悟って生きてても死を超えられるのを若い人に示すべきだ。
300:神も仏も名無しさん
09/10/21 02:11:35 TD9de4kb
スッタニパータでの救いは生きてる間の修行や悟り
第三章の矢で死に対して説いてあるから、葬式で生活の糧を得るより先に
坊さん自らが悟りを開くべき。
301:神も仏も名無しさん
09/10/21 02:12:57 TD9de4kb
葬式で生活の糧を得るより先に、坊さん自らが悟りを開くべき。それが仏教
302:神も仏も名無しさん
09/10/21 02:14:38 1mJ7dFpw
>>301
悟りを開く前に、飢え死にするか凍死するだろうなwww
303:神も仏も名無しさん
09/10/21 02:37:04 1mJ7dFpw
>>301だけでなく、全てのROM者向けという感じになるが、
よく、「人格者・真に聖者であれば、誰も皆支援するから存在可能である」だから「今すぐにでも聖者たるべき」
というニュアンスの意見が多いわけだが、(実際に托鉢行脚してみると解るがw)、
世の中そんなに甘くないw
今の布施はお金が主だが、一日で入る額なぞ微々たるものだ。(托鉢の習慣の無い地域ではもう・・・w)。
その上、防犯グッズや設備が繁盛するように、【初めて会う】見ず知らずの者を世話することができようか・・・。
初めて会い、声をかけ、世話してもらうこと、せめて一晩屋根を貸してもらうことがどれだけ困難であるか・・・。
「初めての一回の出会いだが、何かありがたい法話をして心を掴めばいい」とか言うかもしれない。
(ダチョウ倶楽部のようにはいかないw)
甘いwww お釈迦さん自身が、あの、出家者が認められている時代でさえ苦労されている。
受け入れられ、理解され、評価され、敬意を表されるには、
時間と、巧みな言葉と、醸し出す雰囲気(所謂オーラw)が必要だ。
そして、それらがあったとしても、一度や二度では・・ということだ。
理想を語るのは簡単だ。だが、それが、実際に履行できるのかどうかも重要だ。
民主党が新しいことを色々チャレンジしているが、
絵に描いた餅を実際に食べられる餅にできるかどうか、理念・理想を具体的形にできるかどうか、
絵に描いた餅を絵のまま終わらせないように、設計図を描いただけで結局完成しませんでしたとならないように、
最初の予定と変容したとしても結果オーライになるように頑張って貰わねばならないわけだが・・w
同じように、理想形はいくらでも想像できる。
だが、それを、今の日本社会の中にポジショニングできるかどうか、
原理主義者達は解ってるんだろうか・・・。
おやすみw ノシ
304:神も仏も名無しさん
09/10/21 02:49:31 nPIIyjb8
日本の坊主は死神の使いっぱしり
それでいいじゃないか
305:神も仏も名無しさん
09/10/21 02:52:10 1mJ7dFpw
>>304
ああ。
胸を張って「使いっ走り」を自認できればね。
ノシ
306:神も仏も名無しさん
09/10/21 05:01:43 qZyGfhvD
日本の仏教は葬式の為だろ
307:神も仏も名無しさん
09/10/21 07:57:35 ZqpOcBhW
>>298 在家でも、真面目な仏教徒ならば、
善行を修め、功徳を積みたいはず。
布施は、在家でも誰でも手軽にできる善行です。
菩薩というのは仏をめざす修行者のことです。
在家でも菩薩はありえます。
観音菩薩、文殊菩薩など、多くの菩薩の像は、
アクセサリーをたくさんつけた在家の姿で描かれます。
地蔵菩薩は出家の姿ですが。
308:神も仏も名無しさん
09/10/21 18:10:16 Kwc5l+HW
>>307
>菩薩というのは仏をめざす修行者のことです。
>在家でも菩薩はありえます。
いいえ、菩薩というのは2つ定義があって、
大乗「あえて仏にならずに、この世の衆生を救うために輪廻し続ける修行者」
上座部「未来に、自ら最初の正自覚者となって、その時代の仏陀になることを目指す修行者」
です。
どちらも、出家して修行しないとダメ、ですよね?
大乗は六波羅密しかありませんが、
上座部は十波羅密あって、そのひとつに「持戒波羅密」というのがあります。
しっかりと比丘の戒をまもりましょうということですね。
大乗に「持戒波羅密」はありませんが、じゃあ、酒でも飲んで、異性とも交わってもよい、
ということではなくて、彼らもやっぱり戒律は守るのです。
たとえば、チベット仏教で観音菩薩の転生活仏といわれているダライラマも、大乗の菩薩の理念をうたっていますが、
具足戒はしっかりと守っているのです。ですから、在家でも菩薩は可能だ、というのは日本仏教(あるいは中国仏教)独特の
状況だと言えるのではないでしょうか。
309:10
09/10/21 18:50:06 yqXF4vXY
>大乗「あえて仏にならずに、この世の衆生を救うために輪廻し続ける修行者」
>出家して修行しないとダメ、ですよね?
この場合、今世において出家している必要はあるの?
例えば、ジャータカに出てくる釈尊の前世では、常に出家していた訳ではないでしょ?
また、今世において、在家であっても、前世では菩薩だったかも知れないでしょ?
「まだ出家していない」と言う可能性は?
第一、布施行は菩薩の修行方法だから、在家者はしないというのはおかしな論法では?
310:308
09/10/21 19:23:54 QT3BVIWo
>布施行は菩薩の修行方法だから、在家者はしないというのはおかしな論法では?
わたしは、>>297に
>拝み賃として払う「お布施」じゃなく、利他の修行である布施波羅蜜のことです。
とあったので、私は布施は利他の修行ではないと主張しただけです。
在家者は布施を行わないとは一言も言っておりませんが。
もちろん利他はよいことでしょうが、なぜ在家者が利他の修行なるものを履修しなければならないのですか。
>例えば、ジャータカに出てくる釈尊の前世では、常に出家していた訳ではないでしょ?
それは原始仏教の菩薩(Bodhisatta)のことですね。単に「悟るまで釈尊の前世」の意味です。
大乗がこれを、「衆生を救う修行者」の意味に読替え、後に上座部にも取り入れられ、また変質しました。
「悟るまで釈尊の前世」という意味ならその通りですが、現在の菩薩の定義とは異なるのではないのですか?
過去世に修行していたことがあるという理由があるだけで、現在は殺人鬼である場合、彼は菩薩ですか?
311:10
09/10/21 19:57:20 yqXF4vXY
>>310
>在家者は布施を行わないとは一言も言っておりませんが。
>>308を読むと、
出家していない在家は菩薩ではない。
布施は布施波羅密で、菩薩の修行方法。
よって、在家が布施をするのはおかしい。
と読めたもので。
>なぜ在家者が利他の修行なるものを履修しなければならないのですか。
いや、履修しろとは言ってないですよ?
在家が布施をしてもいいんじゃないか?と言ってるだけですが?
たぶん307も同じ意見だと思うんですが。
>現在の菩薩の定義とは異なるのではないのですか?
なるほど。現在とは定義が違うときましたか。
そういう話になれば、現在の日本の定義では、「菩薩=修行者」ではなく、
「菩薩=仏をめざす修行者(在家もあり)」という解釈がされているんじゃないですかね?
現に307さんも私もそのように解釈してます。
今度は「過去の解釈じゃないとダメだ」と言い出しますか?
312:308
09/10/21 20:12:48 QT3BVIWo
>在家が布施をしてもいいんじゃないか?と言ってるだけですが?
了解しました。
>「菩薩=仏をめざす修行者(在家もあり)」という解釈がされているんじゃないですかね?
>現に307さんも私もそのように解釈してます。
「菩薩=仏をめざす修行者(在家もあり)」という解釈を新たにつくらねばならないのは、
純粋な出家者が存在しない日本仏教の苦しいこじつけのように思えますが。
>仏をめざす修行者(在家もあり)
仏、というか悟りを目指すのは在家者でもOKですよ?現に上座部仏教圏
では在家生活を営みながら、悟りを目指して瞑想修行している居士もたくさんいますから。
>今度は「過去の解釈じゃないとダメだ」と言い出しますか?
勝手に、自分達の現状を正当化するためだけに、菩薩という概念を変更するのは論外だと思います。
ま、仮にその解釈を受け入れるとしましょう、
ひとつ疑問なのですが、現代日本の「在家僧侶」の方々は、本当に真剣に仏を目指してますかね?
313:10
09/10/21 21:23:55 yqXF4vXY
>>312
純粋な出家者は存在しないときましたかw
そうなると、この地球上には未来永劫、純粋な尼僧は存在しないことになりますねw
こじつけとか、現状肯定の為の概念変更と言うより、一々語源をサンスクリットまで遡って考えない、
一般日本人のボンクラたち(私を含む)にとっては、この程度の認識だと思うんですがね。
私に、日本の「在家僧侶」の現状を聞かれてもこまりますがw
悟りを目指すと言うよりは、寺院の維持=地域の先祖供養形態の維持を第一義としているように感じられますね。
というか、あなたの定義だと、日本の僧侶は出家じゃなくて「在家」なんだから、悟りを目指す必要は無いんじゃないんですか?
なんというか、過去の厳密な教義に照らし合わせ、現在の日本がその教義から逸脱しているから、
間違っていると言うような批判は、チョット堅苦しくないですか?
その教義も、もともとは、釈尊の成道当時のものでは無くて、教団の拡大と共に形成されていった物ですよね?
まあ、また現状正当化のための概念変更だと言われそうですが、
過去形に戻れば、全てが上手く良く訳でもないと思うんですよ。
現状の日本仏教が抱える問題点は、
「時代に合わせて変化してきたのに、今現在の仏教は、時代の変化についていってない。」と言う事であって、
「もともとの仏教とは違う形になってしまった」ということではないと思うんですよね。
ですから、在家も、在家だ出家だとか、菩薩の修行だなんだと拘らずに、布施(を含む様々な)修行をどんどんしたらいいと思うんですけどね…
314:神も仏も名無しさん
09/10/21 21:54:58 bHK+6Ps4
一日作さざれば一日食わずって禅の教えにもあるように自給自足すればいいような気がする。
今の坊さん社会に甘え過ぎかも、というかそういうシステムを作らされたというべきか。
315:308
09/10/21 22:01:42 QT3BVIWo
>そうなると、この地球上には未来永劫、純粋な尼僧は存在しないことになりますねw
いいえ、女性の在家者が複数人、悟れば在家女性に受戒させることができるので、
尼僧サンガの復活は不可能ではありません。
>あなたの定義だと、日本の僧侶は出家じゃなくて「在家」なんだから、悟りを目指す必要は無いんじゃないんですか?
前にも述べましたが、上座部圏では在家者が悟りを目指しています。それと「在家の菩薩」云々は別問題です。
>「時代に合わせて変化してきたのに、今現在の仏教は、時代の変化についていってない。」と言う事であって、
>「もともとの仏教とは違う形になってしまった」ということではないと思うんですよね。
私は違うと思います。先ほどの「菩薩の概念を変えていくべきだ」的な議論と同じで、自分達の都合によって
融通無碍になんでも変えすぎたから、「もともとの仏教とは違う形になってしまった」のだと思います。
もう仏教とは呼べなくなってしまい、単なる葬儀儀礼を事とする葬式仏教と揶揄されるようになってしまったのもそのためでしょう。
まあ、美術品、寺院などの文化財の保護管理の役目は、文句なく果たしてきたと思いますけど。
>ですから、在家も、在家だ出家だとか、菩薩の修行だなんだと拘らずに、布施(を含む様々な)修行をどんどんしたらいいと思うんですけどね…
何度も言いますけど、布施は修行でも何でもありませんし、それを推奨する謂れはどこにもありません。
(布施をするな、なんていいません。むしろ、お布施はしたらいいんじゃないですか?)
在家も出家も、差別や分け隔てなく、修行(坐禅などの)を行って、煩悩をなくしていく事には全く異論はありません。
316:308
09/10/21 22:19:38 QT3BVIWo
訂正
>何度も言いますけど、布施は修行でも何でもありませんし、それを推奨する謂れはどこにもありません。
→布施は(利他の)修行でも何でもありませんし、
317:10
09/10/21 22:25:53 yqXF4vXY
>>315
>尼僧サンガの復活は不可能ではありません。
規定の上では、「既に受戒した尼僧の集団(5人以上だっけ?)」がいないと、受戒できないと言う風になっていたと記憶していますが?
そして、既にその集団が一回滅んでますよね?
それとも、現状を肯定する為に、規則を改変すると?
仏教の変遷については、意見が全く食い違いますね。
私は、上でも言ってますが、目的が達成できれば、もともとの形に拘る必要は無いと思うんです。
もちろん、かつての形に戻したほうが、より効果的であるなら、本来の形に戻したらいいとは思いますが、全てを無条件で元に戻す必要は無いんじゃないでかね?
>何度も言いますけど、布施は修行でも何でもありません
えーと、飲み込めが悪くて同じ話の繰り返しになって申し訳ないんですが、
布施=布施波羅蜜=菩薩の修行 だから、修行じゃないんですか?>>298
それとも、在家者には、出家が必須条件である菩薩(>>308)の布施波羅蜜という修行を、修行として行う事はできないということなんですか?
あるいは、出家をしていないと、布施波羅蜜の修行の効果は全く無いと言う事ですか?
もしかして、菩薩の修行などと言うものは修行ではないと言う事ですか?
318:10
09/10/21 22:34:53 yqXF4vXY
>>316
おっと、書き込む前にリロードし忘れました。
つまり、布施≠布施波羅蜜であると言う事ですか?
在家の人≠菩薩である(>>308)から、在家の人の布施は、菩薩が行う布施波羅蜜ではないという論理ですか?
でも、在家者も、出家者の修行をする事は認めてるんですよね?(>>312 >>315)
そうなると、在家の人が行う布施も、利他の布施波羅蜜であるとしても良いんではないですか?
319:308
09/10/21 22:58:12 QT3BVIWo
>規定の上では、「既に受戒した尼僧の集団(5人以上だっけ?)」がいないと、受戒できないと言う風になっていたと記憶していますが?
いいえ、女性の阿羅漢がいれば、受戒はできるのです。阿羅漢は受戒する必要がないので、在家から阿羅漢果に悟れば出家ですし、在家女性に戒を授けることもOKです。
>仏教の変遷については、意見が全く食い違いますね。
そうですね、わたしも疲れましたし、議論するのはやめにしませんか?
>布施=布施波羅蜜=菩薩の修行 だから、修行じゃないんですか?
私も混乱してきました、ややこしいですね、他人のスレまで参照しなければならないのは・・・
それは>>297さんが
>この場合の喜捨は、布施と同じ意味ですよね。
>拝み賃として払う「お布施」じゃなく、
>利他の修行である布施波羅蜜のことです。
と、「在家がお寺にお金を払うこと」を「利他の修行である布施波羅蜜」だといったので、それは間違いだといったんです。
布施波羅蜜(Daana-paramitaa)とは、daana(与える)の修行です。
出家の菩薩は「お金のお布施」はできませんよね、経済活動を行えないのですから。
この場合、与えるのは笑顔(和顔施)とか、法を説くこと(法施)になります。
だから、Daana-paramitaaと「お布施(お金を上納すること)」は違います。
>あるいは、出家をしていないと、布施波羅蜜の修行の効果は全く無いと言う事ですか?
本で調べたら、大乗の六波羅蜜にしっかり入ってましたね、持戒波羅蜜。
さっき、言いましたが、布施波羅蜜(Daana-paramitaa)は出家者たる菩薩(大乗)の
修行ですから、在家が履み行う修行ではありません。
さらに、またまた前に言いましたが、お布施(お金を上納すること)はしたらいいと思いまし、
在家者として、とても立派な行為でしょう。
320:308
09/10/21 23:09:18 QT3BVIWo
>>318
>でも、在家者も、出家者の修行をする事は認めてるんですよね?(>>312 >>315)
>そうなると、在家の人が行う布施も、利他の布施波羅蜜であるとしても良いんではないですか?
まず、はっきりさせますけど、修行する目的は悟ることです。悟る修行にDaana-Paramitaaは必要ありません。
お金を上納しないと悟れないということも全くありません。
諸説ありますが、日本の禅宗などでは坐禅などの修行で悟ることができる(らしい)です。
密教になると、神秘的な修行を行うと、心が清浄となって、仏と同じになるそうです。
比較的、初期の仏教に近い上座部では、ヴィパッサナー瞑想という修行で悟ります。
そして菩薩の目的は悟ることではなく、衆生を救うことです。
衆生を救うための修行のひとつに布施波羅蜜があるだけです。
なので、在家者が「菩薩の修行」をする必要は全くありません。
321:神も仏も名無しさん
09/10/21 23:38:14 1mJ7dFpw
なかなか面白い新キャラ登場だなw
322:308
09/10/21 23:43:30 QT3BVIWo
簡単にまとめますと、
・布施波羅蜜は悟りに必要ない
・喜捨(お布施)も悟りに必要ない
・ゆえに、在家者が「菩薩の修行」をする必要はない。
・悟りに必要ないけど「でもオレは布施波羅蜜がやりたいんだよ!」というひとはご自由にどうぞ
ということです。。。
私は寝ますので、さようなら
323:308
09/10/21 23:45:46 QT3BVIWo
>>322
>・喜捨(お布施)も悟りに必要ない
は消しといてください、まちがいますた。。。
では、寝ますんで。。。