09/10/17 08:14:37 Lflg2gVE
質問者「あからさまに言えば、取り越し苦労性の人は霊的に未熟ということでしょうか」
「その通りです。真理を悟った人は決して取り越し苦労はしません。なぜなら、人生には
大霊の計画が行きわたっていることを知っているからです。まじめで、正直で、慈悲心に
富み、とても無欲の人でありながら、人生の意義と目的を悟るほどの霊的資質を身につけて
いない人がいます。無用の心配をするという、そのことが、霊的成長の欠如の指標であると
言えます。たとえわずかでも心配の念を抱くということは、まだ魂が本当の確信を持つに
至っていないことを意味するからです。確信があれば心配の念は出てこないでしょう。
偉大なる魂は、泰然自若(たいぜんじじゃく)の態度で人生に臨みます。
確信があるからです。その確信は何ものによっても動揺させられることはありません。
このことだけは絶対に譲歩するわけにはいきません。なぜなら、それがわたしたちの
霊的教えの土台であらねばならないからです。
その基本法則にもとることでも起こり得るかのように説く教えは、すべて間違いです。
原因と結果の間には何一つ、誰一人として介入することはできません。
あなたの行為の責任を他人の肩に背負わせる方法はありませんし、他人の行為の責任を
あなたが背負うこともできません。各自が自分の人生の重荷を背負わねばならないのです。
そうであってはじめて正直であり、道徳的であり、道義的であり、公正であると言えましょう。
それ以外の教説はすべて卑怯であり、臆病であり、非道徳的であり、不公正です。
摂理は完ぺきなのです」