09/08/31 15:42:46 0yK8nLwp
キリスト教を大弾圧したのは李氏朝鮮のほうである。
「歪められた朝鮮総督府」 黄文雄 1998年 光文社
たとえぱ、同じ宗教問題の南次郎総督の神社参詣強制と、
大院君の異教徒虐殺とは、まったくその次元が違うとはいえ、
その弾圧を比較するとどうなるだろうか。
李朝は19世紀に入ってから、カソリック教徒への激しい弾圧を続けた。たとえぱ
1801年の「辛酉教獄」で、清国人宜教師の周文謨をはじめ300余名を処刑した。
1839年の「己亥教獄」では、アンベールら三人のフランス人宜教師をはじめ200余人を処刑、
1846年の「丙午教獄」では、金大建ら20余人を処刑した。
1866年の「丙寅邪獄」では、ブルマーをはじめとする9人のフランス人宜教師と
南鐘三ら数千人のカソリック教徒を逮捕、処刑した。また
1865年からの3年間、約8000余人のカソリック教徒を処刑という弾圧政策をとった。
片岡次雄の『李朝滅亡』(新潮社)によれば、
この後の6年間、漢城府では1000人以上の力ソリック教徒が殺害され、
全国では数万人の信徒が殺害もしくは収監された。