09/08/31 01:45:59 fJuNFLny
日本では危害が無い限り、特定の宗教(宗派)を「異教だから」という理由だけで排除した事はなかった。
キリスト教では歴史的に「異教である」若しくは「異教徒の可能性がある」という理由だけで
激しい拷問と処刑にかけられた。自分たちに何の影響が無くても「異教である」という理由だけで。
その事実だけでも、歴史上の事実の傾向として、キリスト教の排他性の強さが説明出来るであろう。
可能性論として一神教の寛容さと多神教の不寛容さを説く人がいるが、
可能性ではなく、まずは歴史的にどうだったかを検証するべき。
いくら可能性があっても、歴史的に存在しない、もしくは例外的なほど希少であれば、
事実としてその宗教の傾向を認めることは出来ない。