09/08/31 15:17:53 goNWv0EW
>>405 素人A さん
> いまどき風景で生きていくと、あほんだらとか役立たずとか言われて 生きていくしかない。
人の役にたとうと思っても脳力なく細かく分けることも出来ない。
役に立たなくてもおじゃま虫でも まあいいか。
空は見ている!
山とか川とか、リアルに存在しているのだけれど、
山川草木悉皆成仏
と、空を言う。
とくになんの変わりも無いのにね。
410:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/31 15:21:27 goNWv0EW
>>406 素人A さん
> ぽつたん師匠。何時もはあれえだけど。
ミ(ノ_ _)ノ=3 ドテッ!!
しばらく、立ち直れない・・・・ヘ(X_X ;)/ ヘロヘロー。。。(lll __ __)バタッ
> からだあるからこころがある、
うん!(^^)
411:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/31 15:28:49 goNWv0EW
>>407 素人A さん
こちらの岸(此岸しがん) から あちらの岸(彼岸ひがん) へと渡って行く。
この川に、
便利な橋が架かっているのいないのか、それはわからない・・・・(-。-;)
412:素人A
09/08/31 19:55:04 g/IVl1fX
>>400の公案は色色使える用です。こちらとあちら。○=△ 趙州=僧
ポツタンサン=大王さん 名無しさん=鬼和尚?
方程式? 僧が橋渡って趙州? 趙州橋渡って僧?
さすがに出鱈目でも一の如し?色色あつても結局同じ?無いのと同じか。
ぽつたんさん色即是空は空即是色と返すと何時も言っている。
413:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/31 20:19:45 MuHkYpw8
『竪起拳頭』
趙州 行脚の時、一尊宿の院に到り、纔かに門に入り相見して便ち云く、在りや、在りや?と。
尊宿 拳頭を竪起す。
州 水浅うして是れ船を泊むる処に非ずと、云って便ち出て去る。
又、一院に到り、尊宿に見え便ち云く、在りや、在りやと。
尊宿も亦た拳頭を竪起す。
州 能縦能奪、能殺能活 と云って便ち作礼す。
趙州和尚は80歳まで諸方を行脚し120歳まで教化された。
その行脚の時、一尊宿の住持している寺院を訪れた。
そして門に入り尊宿にお目にかかるとすぐ、彼がそこに坐っておるのを現に見ておりながら「在りや、在りや」 「主人公が健在でござるかな」 と問いかけた。
すると、その尊宿、黙って「拳頭を竪起」、拳 をスーッと突っ立てたという。
この竪起した拳、これ何の消息か、これ白隠和尚の『隻手音声』と同か別か?
これを見て趙州 「水浅うして是れ船を泊むる処にあらず」 と言って、そのまま院から出て行ってしまったという。
この「水浅うして是れ船を泊むる処にあらず」とは、「お主の見所ないし境涯は浅薄であって、儂が脚を止めるには不足じゃ」 と非難したようにもとれるが、そう見るのは間違いである。
この尊者の拳を竪起した場は、天魔、外道はもとより、仏祖と雖も覗き見も出来ない処である。
〔老師、笏をズイと拈じ出される〕。
だから、流石の趙州も「オーッ、怖や、怖や」と、その場を出て行った。
趙州は其後また別な一院を訪れ、前と同じように「在りや、在りや」と尋ねたら、ここの「尊宿も亦た拳頭を竪起」した。
すると趙州、前の場合とは全く違い、「能縦能奪、能殺能活」 と云って便ち作礼」した、というのである。
「能くゆるし、能く奪い、能く殺し、能く活かす、で、与奪縦横・殺活自在で まことに見事な働きじゃ」と讃嘆し、うやうやしく礼拝したというのである。
前者は文殊菩薩が金剛王宝劍を按じ黒獅子に騎って登場した場合、いわば把住・殺人劍の場である。
これに対して後者の竪起拳頭は、差別の妙智の普賢菩薩が白象に騎って悠然と出現ましました場、いわゆる放行・活人劍の場である。
しかも、この両者のはたらきを一人格の内に統合し、それが臨機応変に流露してこそ禅者である。
414:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/31 20:23:19 MuHkYpw8
>>412 素人A さん
そうだね。
415:素人A
09/09/01 07:12:47 +LJyyuG8
夏は終わったのだ?でも今朝も暑いし、境目も曖昧。急に何々が突然来るのでなく
秋も少しずつ来ていて、夏もじょじょに弱っていく。まあ年だから最近私の器械が調子が
悪くなつたなー、この器械もなんか変となっている。まあそうだんだん壊れていく体眺めるのも
まだまだ大丈夫な方だからか、ひとごとみたいにいまからながめる訓練?是も必要か。
妄想あつちいつたのこつちいつたり、いや視点を色色変えているのかも。
416:素人A
09/09/01 09:16:58 +LJyyuG8
>>413 ↓↑ 小周天? 仏さんも私の身体で色んな修行するのか?
せめて禅なら十牛図と書け同じか。宇宙も真実人体あるという、人体はそれの真似?
417:やまい ◆TUChI2/Nas
09/09/01 09:47:49 I3daTn4G
碧厳録87 運門薬病相治
雲門和尚は門下の僧にいった、「薬と病気ともに治す。大地全体が薬である。どれが自己か」。
まず、薬病相治とはどういうことか。病に応じて薬を与え、病が治ったらもう薬は要らぬ。
薬が要らぬばかりでなく、薬を用いたための中毒、つまり薬毒を抜かねばならぬ。
それも尚ってはじめて健康体といえる。
病気が治り薬毒もすっかり抜けたところを「薬病相治す」という。
身体の病気だけでなく、心の病気も同じことで、迷いを転じて悟りを開くのはよいが、
悟りにとらわれると、悟り臭くて鼻持ちならぬ野狐禅になる。
そこでその悟りの臭みを抜く、悟りの跡かたを払う。
「迷悟同忘」
そこが薬病相治の境涯である。そこを雲門は「尽大地是れ薬」という。
418:やまい ◆TUChI2/Nas
09/09/01 09:56:53 I3daTn4G
碧厳録87 運門薬病相治 つづき
文殊菩薩はある日、善財童子に、薬草を採りにやろうとして
「薬にならぬものを採ってこい」
といった。善財はあまねく諸方を探したが、薬にならないものは一つもなかった。
毒で薬になりそうにないと思われるものも、よくよく調べてみると、
みんな薬になることがわかったので、帰ってきて報告した、
「薬にならぬものはありません」。
そこで善財は、一枝の草をつまみ上げて文殊に渡した。
文殊はそれをとって、みんなに示していった、
「この薬は人を殺すこともできるし、また人を活かすこともできる」。
419:やまい ◆TUChI2/Nas
09/09/01 10:02:16 I3daTn4G
運門薬病相治→雲門薬病相治
筏(いかだ)の喩
URLリンク(www.geocities.jp)筏の喩
420:マンモスラリピーぼったんグル「定説」禅
09/09/01 12:08:41 z8Y77xuW
1、かまって頂戴と上から目線オナニー師匠妄想主人公ぼったんオンリー至福による書き込みだけ。
2、強烈な自己愛自己語りが自慢、
3、嘘つき、言行不一致、口先だけ、有言不実行、
4、ごまかす、
5、話をそらす、
6、誠意がない、 反省しない、自己観察ができない、しようとしない、
7、虚栄心だけ、
8、知ったかぶり、
9、質問にキチンと解答しない、
10、理解していない禅語録、無理やり仏教用語に接続し実用性ゼロ禅用語垂れ流し、
11、オナニー的自己満足的カキコが多い、
12、シャブ禅疑惑、
13、仏教用語、禅用語だけで生活と無関係書き込みでオナニー果てる書き込み
14、相手なくとも、オナニー的放出かまってちょうだい心理から書き込みを突然始める
15、禅用語、禅語録のぼったん書き込みとぼったん会話、解答姿勢が不一致、
ぼったん悟りは仏教用語を
仏教用語何々Aは仏教用語何々Bであると、
仏教用語何々A=仏教用語何々Bと言う論理なんだわ、
矛盾した意味を仏教用語何々A=何々B仏教用語で
ライフスペースのグルの様に「定説」としてむやみデタラメに接続し、
不立文字の公案の意味= 仏教用語何々で
ライフスペースのグルの様に「定説」としてむやみデタラメに接続し
具体的意味がなくなる、意味不明で仏教用語ブツブツ書き込みナ訳、素人エーも同じ、(故に自演)
で、そのぼったんグル様の「定説」を批判すると、
「自己を語れ」とか、
「命の時間の浪費の会話にしないでくれよな。」
とか、まことしやかに仏教用語何々A=仏教用語何々Bと言う論理で、
偉大な境地を提示したと、嘘の上塗り妄想主人公爆発させる訳だw
421:マンモスラリピーぼったんグル「定説」禅特集w
09/09/01 12:45:35 z8Y77xuW
288 :チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM :2009/08/22(土) 20:06:16 ID:zHGn2IdX
南嶽曰わく、 「瓦を磨いて鏡にしようと 思う」。
馬祖曰わく、 「瓦を磨いても 鏡にすることはで出来ぬでしょう」。
南嶽曰わく、 「坐禅しても いかようにして仏に成ることが出来ようか」。
坐禅をすればそれが仏(真理)の姿。
行住坐臥、何れ(いずれ)もが 仏の姿。
24時間コンビニ禅のぽったんが、いす禅してるぞ。
ま、この書き込みの異常性は、坐禅している時に、
>24時間コンビニ禅の
と言う意識があるらしいw、外道が!!
>ぽったんが、
ぼったん、と言う自我が坐禅中にあるらしいw外道が!!!
>いす禅してるぞ。
坐禅をすればそれが仏(真理)の姿。
行住坐臥、何れ(いずれ)もが 仏の姿。
であるならば、いす禅だろうが、なかろうが、意識に上るわけがないw
外道が!!
422:マンモスラリピーぼったんグル「定説」禅特集w
09/09/01 12:46:42 z8Y77xuW
禅とはいえない妄想主人公ぼったんの文章分析w
286 :チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM :2009/08/22(土) 18:46:34 ID:zHGn2IdX
南嶽がある時、馬祖の庵を訪れた時、馬祖が傍らに立っていると、 南嶽が問うた、 「この頃は何をしているのか」。
ーーー中略ーーー
南嶽がおもむろに一片の瓦を持って、馬祖の庵の近くの石に当てて 磨き始めた。
馬祖はこれを見て 問うた、 「和尚は何をしているのですか」。
南嶽曰わく、 「瓦を磨いている」。
馬祖曰わく、 「瓦を磨いていかようにするのですか」。
南嶽曰わく、 「瓦を磨いて鏡にしようと 思う」。
馬祖曰わく、 「瓦を磨いても 鏡にすることはで出来ぬでしょう」。
南嶽曰わく、 「坐禅しても いかようにして仏に成ることが出来ようか」。
>わたしは、なぜ、いす禅をするのか?
(念を起こす外道ぼったん!!、唯識であれや、これを考える煩悩と言うらしい)
>般若心経をエンピツ写経するのか?なぜだ!
(念を起こす外道ぼったん!!、唯識であれや、これを考える煩悩と言うらしい)
>万物が、 銘々 天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)。
>万物が、 山川草木国土悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)
(見事な仏教用語とこの禅語録との無理やりの接続、実用性消滅ww)
>わたしの首を通り過ぎる刃(やいば)は、さわやかな春風(はるかぜ)だ。
存在は、空である。
(見事な仏教用語とこの禅語録との無理やりの接続、実用性消滅ww)
>鏡は、磨いてこそ、鏡だ。 磨きに磨かなければ、鏡にならない。
瓦だろうが、どびんだろうが、野辺の小石だろうが、すずめだろうが、磨きに磨いて、鏡になる!!
(臨済宗解釈と違うwこの場合、鏡は鏡、瓦は瓦、ありのままにみよ)
(曹洞宗だと坐禅そのものが・・)
>わたしは、かわらだ! 股関節が開かない いす禅の瓦だ ! 般若心経をエンピツ写経している すずめだ!
(妄想主人公丸出しw坐禅するか、ありのままにみよw外道!!)
423:マンモスラリピーぼったんグル「定説」禅特集w
09/09/01 12:50:02 z8Y77xuW
383 :チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM :2009/08/28(金) 19:01:14 ID:4j74Mc8P
わたしは、片手の公案に取り組みました。
そして、道元禅師の「眼横鼻直」も受け取りました。
へえ、それで、とうとう他人の指摘も見えない聞けないアホになったのかねwシコシコ猿ぼったん君w
424:鹿
09/09/01 15:59:51 nkmxc0Gp
指摘はあっても、わかっても、治しようがないのかもしれないな。
お前は馬鹿だ、 そうだよ馬鹿だよ、 でおわりだし。
でもお前も馬鹿ジャン?としか言えないのかも知れないね。
425:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/09/02 01:30:28 wd4IdghE
>>415 素人A さん
視点を変えて見えるようになったのは、加齢現象です・・・(>▽<;; アセアセ
426:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/09/02 01:41:45 wd4IdghE
>>416 素人A さん
趙州録にあるものをコピペしましたが、無門関にも収められています。
以前から、腑に落ちずにいます。
無門関
第十一則 州勘庵主
和尚がある庵主の所へ行って、おるかい、と言うと庵主は拳を上げた。
和尚は「ここは水が浅くて船を泊めるところではない」と言って去った。
また別の庵主の所へ行って、おるかい、と言うと庵主は拳を上げた。
和尚は「すばらしい、その自由自在さに感服した」といって礼をした。
無門関
第二十六則 二僧巻簾
僧達が食事に集まっていたとき、和尚が簾を指した。
二人の僧が簾を巻き上げた。
和尚は「一得一失」と言った。
427:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/09/02 01:53:03 wd4IdghE
>>426
持ち運びしやすいように、
無門関
ハ,,ハ
_,( ゚ω゚ )、 ∧ ハ,,ハ ∧ 第十一則 州勘庵主
(⌒` ⌒ヽ /,、( ゚ω゚ ),、 l
|ヽ ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒) 和尚がある庵主の所へ行って、おるかい、と言うと庵主は拳を上げた。
│ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /| 和尚は「ここは水が浅くて船を泊めるところではない」と言って去った。
│ 〉 |│ |`ー^ー― r' |
│ /──| | |/ | l ト、 | また別の庵主の所へ行って、おるかい、と言うと庵主は拳を上げた。
| irー-、 ー ,} | / i 和尚は「すばらしい、その自由自在さに感服した」といって礼をした。
| / `X´ ヽ / 入 |
r ‐、
| ○ | r‐‐、
_,;ト - イ、 ∧l☆│∧ 第二十六則 二僧巻簾
(⌒` ⌒ヽ /,、,,ト.-イ/,、 l
|ヽ ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒) 僧達が食事に集まっていたとき、和尚が簾を指した。
│ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /|
│ 〉 |│ |`ー^ー― r' | 二人の僧が簾を巻き上げた。
│ /──| | |/ | l ト、 |
| irー-、 ー ,} | / i 和尚は「一得一失」と言った。
| / `X´ ヽ / 入 |
428:素人A
09/09/02 06:54:50 FzA1XEMb
雲門「お前はどこから来たのか」
素人にそんなこときかれても「えーと今此処にいる」
うーん門「どつかで聞いたようなせりふだ」
素人「ところで和尚髯りつぱですね」
雲門「ごまかすな」
429:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/09/02 17:36:45 JGe8baXU
>>428 素人A さん
> 雲門「お前はどこから来たのか」
> 素人「和尚の髯はりつぱですね」
わたしたちは、どこから来て、どこへ行くのでしょうか。
430:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/09/02 17:40:58 JGe8baXU
>>427
これは、鼻は直(たて)に。
涅槃を言う。
431:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/09/02 21:25:30 JGe8baXU
『 趙州録 27)
僧 趙州の真を写して州に呈す。
州云く、若し老僧に似ば、即ち我を打殺せよ。若し似ずんば、即ち焼却せよ。
僧 対無し。
玄覚代って云く、留取して供養せんと。
※・・・「真を写す」とは、絵師に依頼して肖像画を描かせること。
唐代の仏教界とりわけ禅僧社会では、絵師に頼んで師匠の肖像画、いわゆる頂相を描かせて、これを師匠に呈し、これに師匠の自賛の偈や法語を揮毫してもらい、これを嗣法の証拠として珍重する風習が行われていた。
この頂相の流行と、それをもって伝法や嗣法の証拠とすることに対し、趙州は、日頃、不快の思いを抱いていたものと思われる。
趙州のそうした思いを知ってか知らずにか、弟子の一人の僧が趙州和尚の肖像画を描かせて彼の御覧に入れ、「何卒、自賛の偈を図上に揮毫して頂きたい」と願い出た。
すると趙州、ジロリとその僧を見た上で、 この肖像画が、もし儂にソックリ似ているというならば、この肖像画に参禅したらよかろ う。
とすれば、この儂はもう無用の存在ということになるから、儂を打殺したらよかろう。
又もし似ていないというならば、そんな肖像画、屁の役にも立たない、サッサと焼いてし まえ! と、いつになくはげしい口調で言われた。
こういわれて、「僧 対無し」で、この僧、一言も返答が出来ず、黙って退くほかはなかったという。
そこで玄覚という僧が、「儂がその場に居合わせたら、焼くのは勿体ない。大事に保存して、和尚の帰寂後、これに供養しましょう、と言ったものを」 と言っておる。
これは「無語」よりは些しはましだが、趙州はこれを肯うまい。
ともあれ、禅の真理は単なる抽象的な真理ではない。
生きた人間に荷担され、その人格ないし個性を通じて発露する真理である。
趙州の禅は従ねんいう人間、切れば血の出る生きた彼の肉体を離れて別に存在するものではない。 』
>趙州云く、 「真、老僧に似ば、即ち、我を打殺せよ。」
432:素人A
09/09/03 06:49:15 50LkAts1
身心学道 ・・・・生死はさまざまであるけれども、それを究めつくしてみると、
ようするにどれもこれもみな生死であるからすこしも恐怖心をおこす必要はない。
なぜかというと、まだ生を捨てないうちに、すでに死を経験している。あるいは、
死を捨てないうちに、すでに生を経験している。このように、生は死をさまたげる
のではなく、また死も生を妨げるのではない。生死は凡夫の生死でありながら凡夫
の知るところではない。
とまあそうかなー。小さく私の体で考えても細胞は新陳代謝繰り返しているし、
食い物くつては、ウン子コ出し続ける。↑↓→←⇔あって人も社会自然も世界
もバランス取れるし永遠に続けられるのか。