坐禅と見性67章 達磨は来ず途法に暮れるat PSY
坐禅と見性67章 達磨は来ず途法に暮れる - 暇つぶし2ch366:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 18:59:04 EL2zWoTm
>>365
第三の型は、臨済宗系の看話禅を公案禅とも呼んでいる。
この禅の大成者は、円悟克勤(えんごかつごん)下の大慧宗杲(だいえそうこう)である。
大慧は、唐代の禅と黙照禅を否定することによって看話禅を大成する。
大慧は、看話禅を始覚門と性格づける。
始覚門とは、本覚門に対する考えであるが、本来的なさとりを原理的に認めながらも、実際には修行者を迷える者と自覚させ、その自覚を修行の出発点とする。
大慧は、当時の修行者たちが、現実心をそのまま本来心としてしまったことに大変な怒りを感じた。
また、黙照禅の流れの修行者たちが、ただ坐禅をするだけでよいとして、心証的なさとりを求めることを忘れていることを痛烈に批判した。
大慧は、このような現実心をそのまま本来心とする誤った修行者を見て、あえて始覚門に立って、本来成仏の確実な把握を意味した。
この場合の体験は、禅思想が説く本源に還るという体験であり、本来成仏の確実な把握を意味した。
これを見性体験として、その体験を得るのに効果をあげる公案による解決方法を導入した。
「大疑の下に必ず大悟あり」という大慧の語は、身体全体を迷いのかたまりとして、あらゆる意識や分別を払拭することによって、無意識の根柢から得られる直感の智慧を把握することを意味した。
「趙州無字」。
「無」の一字に精神を集中し、その徹底的な「無」字への精神集中を通して、瞬間的なさとりの光を見出すことを求めたのである。
この疑問の解決を精神的な集中より獲得するという方法は、大慧が指導しているうちにきわめて効果的であるという大慧自身の経験に基づく自信あるものであった。
このようにして生まれた方法は、その後の禅宗史上に爆発的に広まったのである。
相対的な迷いの現実心を、一度完全に自己否定することによって、その後に絶対的なさとりの本来心を獲得するという経過を体験することであった。
このような体験主義を打ち出した看話禅は、その方法論に普遍性を持ち合わせていたので、その伝播は機械的な移植を可能にし、地域や人種や時間などの差別を超えて、大いに広まったのである。
始覚門にたった看話禅は、先に言うように本源に還れば一つであるという思想であるから、教禅一致や三教一致の思想を認めることになるし、明代以降に流行した念仏禅の理論をも許容することになった。


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