09/08/27 18:42:13 EL2zWoTm
>>362
宋代以降の禅
唐の武宗(八四〇~八四六在位)が行なった会昌の破仏は、大規模なものであったにもかかわらず、宜宗(八四六~八五九在位)が仏教復興を許すと、禅宗教団は以前にもまして盛んとなるに至った。
何れにも拠り所を拒否する思想をもっていた禅宗は、経典にさえ権威と根拠と伝統を認めなかった実践的な宗教運動であったが故に、復興することができたのである。
もともと禅宗は、個人の説法さえ記録をとどめることを拒否したし、教えの形骸化を戒めた。
しかし、集団を形成し、維持していくにつれて、指導原理が必要となり、教えが整理され、統合されてくるようになって、多くの禅文献があらわれた。
また、五代の戦乱を経て成立した宋が強固な国家統制で仏教を支配して行き、南宋になると、首都臨安府を中心とする五山制度を確立してますます仏教を統制するようになった。
このようにして、教団の内外からの制約によって、個を重んずる唐代禅から集団を重んずる宋代禅へと変化を余儀なくされ、寺院機能も国家への翼賛体制を担うことになり、禅思想にも大きな変化が生じるようになった。