09/08/26 21:53:05 Qv0a2QDm
単、直 さん、最近ずぅっとお見かけしないけど勝手に単、直さんを お勉強しちゃったりしてしまったよぉ・・・σ(^_^;)アセアセ...
◎単刀直入:たんとうちょくにゅう
刀を一振り持って敵陣に切り込むということ。
つまり、前置きや遠回りをせずに、いきなり話しの中心に入ること。
【単刀(たんとう)】
ただ一振りの刀。
また、ただ一人で刀を振るうこと。
【直入(ちょくにゅう)】
回り道をしないで直ちにはいること.。
345:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/26 22:02:26 Qv0a2QDm
>>344
◎拈華微笑:ねんげみしょう
釈迦が霊鷲山(リョウジュセン)で華(ハナ)を拈(ヒネ)っていると、他の人々はその意を理解できなかったが、摩訶迦葉(マカカショウ)のみは理解して微笑した。
そこで釈迦は、言語で説明できない仏教の真理が摩訶迦葉に伝わったと告げたという説話。
つまり、言葉を使わないで心から心に伝えること。以心伝心による禅宗の伝法の始めを語る説話で、唐以後に作られたものらしい。
【拈華(ねんげ)】
華(はな)をひねること。一般には、拈華微笑(みしよう)の故事を踏まえて用いられる。
【霊鷲山(りょうじゅせん)】
インドのビハール地方ラージギル(古代マガダ国の都、王舎城)の東北にある山。
釈迦が法華経などを説いた地として有名。
霊山(りようぜん)。 耆闍崛山(ぎじやくつせん)。 鷲(わし)の山。 鷲山(じゆせん)。
【捻る/拈る/撚る(ひねる)】
(1)指先でつまんで回転させる。軽くねじる。
(2)体の一部をねじって回す。ねじって向きを変える。
(3)首を締めて殺す。
(4)手間どらずに簡単に相手をやっつける。
(5)深く考える。
(ア)考え出す。
(イ)(「頭をひねる」の形で)良い考えを生み出そうと、一生懸命考える。 知恵をしぼる。
(ウ)(「首をひねる」の形で)問題が解決できずにあれこれ思案する。
また、提出されたものが受け入れがたくて、どう処置したものかと思案する。首をかしげる。
(6)あれこれ考えて普通とは違う物にする。趣向をこらす。
(7)あれこれ考えて俳句などを作る。
(8)つねる。
(9)小銭を紙に包む。おひねりを作る。
346:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/26 22:16:07 Qv0a2QDm
>>344
単刀直入 ではなくて、単純直行(たんじゅん ちょっこう) だったっけ?・・・(>▽<;; アセアセ
347:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/26 23:02:48 Qv0a2QDm
> お釈迦様は完全なる悟りを開いたのに、寿命を最後まで全うしました。
さとりに、完全も、不完全も、無い、よ。
そこは、言い過ぎないようにね。
2500年前の人としては、驚異的に長生きされましたが、誰もが死ぬまでは生きるのだし・・・そこが、死であるわけで・・・
大腸がんだったらしいね。
> 最近の○和尚さんは真理を言っているのだろうけど、投げやりな感じを受けます。 いかがでしょう?
ベルリンでは、投げ槍(槍投げ、かな?汗)で、初めての3位だったね、めでたし。
あなたにとって、○和尚さんのあれこれが気になってしょうがないと言うことでしょうか。
ひとは誰も例外なく、生まれて死ぬ間のドラマの主人公。
明日は死ぬかもしれない身。
どうして、他人の生き死にが気にかかるのでしょう。
まずは、自己をまっすぐに立てましょう。
そこが、色しき)です。
存在しているもの、です。
348:素人A
09/08/27 07:08:38 hX0TUaOe
お釈迦さん死んだ後何処いつたのかなー?空のかなた?死ぬとは完全パー?
色色やってきた事もパー。荷物おろし何処かへ飛んで逝くのかなー。
まあ人間割り切って思えばロボットと同じ、部品が壊れれば廃棄処分か?
でも今此処はあるのだ。今此処時間や空間ではない?解からん。
349:素人A
09/08/27 07:30:58 hX0TUaOe
時間の砂 岡村孝子和尚?
甘い夢で瞬く間 私を包んでいてね こぼれ落ちる時間の砂を 手のひらで今 受け止めて見つめる
いつか遠いあした あなたのいない暗闇で 迷わぬように泣かないように 私でいれたら・・・・
同じ星を瞳に映す この瞬間が真実と知っているから
永遠など何ひとつない ただここにある想いだけ信じて
もしも遠いあした すれ違い別々の道 歩き出しても悔やまぬように 私でいれたら・・・
もしも遠いあした それぞれの思い出のなか いろあせたって誇りに思う
私でいれたら・・・
同じ時代あなたと生きる この瞬間こそ真実と知っているから
この奇跡こそ真実と知っているから
350:素人A
09/08/27 10:32:38 hX0TUaOe
何時も私達は今此処で仏さんや色色なもの?に出会っているのでしょう。
当然生にも死にも今此処で出会って体験している。でも私が分からないもの
は信じられない何て思うから、そんなに心配しなくても大丈夫だよと言う仏の
声も聞こえない?本能の人もあたたかく見られるようになれば一の如しすこしずつ
すこしずつわかるのかなー。解からずやの私を見て仏まあいいか。すこしずつすこしずつ。
351:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 14:17:58 bDtwCc1T
>>348 素人A さん
> お釈迦さん死んだ後何処いつたのかなー?
宇宙に、遍満していらっしゃいます。
ははの納骨のとき、おたずねしたら、お坊様のお諭し(おさとし)。
あなたのお母さまは、どこにでもいらっしゃいます。宇宙に遍満して,居らっしゃいます。
352:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 14:20:42 bDtwCc1T
>>349 素人A さん
わたしの競馬談義に似てるのかな。
興味のない人には、ほとんど意味を成さない、 らしいから。(汗)
353:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 14:30:34 bDtwCc1T
>>350 素人A さん
> 何時も私達は 今此処で仏さんや色色なもの?に出会っているのでしょう。
当然、生にも死にも 今此処で出会って体験している。
でも 私が分からないものは信じられない 何て思うから、そんなに心配しなくても大丈夫だよと言う仏の声も聞こえない?
本能の人もあたたかく見られるようになれば 一の如し すこしずつすこしずつわかるのかなー。
解からずやの私を見て、仏まあいいか。
すこしずつすこしずつ。
厳密には、今、此処、も、瞬時に過ぎ去ってしまうので、捉えようにも、捉えられないのですよね。
在ると思うものも、つまりは、捉えることができない。
色は、空ですね。
354:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 14:37:26 bDtwCc1T
>>346
> >>344
> 単刀直入 ではなくて、単純直行(たんじゅん ちょっこう) だったっけ?・・・(>▽<;; アセアセ
ホジホジ( ゚┌・・ ゚)スマン
思い出した・・・
単純、直情(たんじゅん、ちょくじょう)
略して
単、直
単、直 さんだ!
廊下は静かに歩きましょう、と、小学校に張り出してあると言うやつ。
オイ!なにそれ?
カレイ、か、ヒラメ、か・・・
オイオイ!なに、それ?
加齢現象ですー・・・アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー
355:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 14:45:10 bDtwCc1T
> さとり とは 愛でしょ
さとりとは、平等、一味平等、です。
愛とは、渇愛、むさぼり、です。
400年以上前のキリシタンは、「おん大切」と言ってたそうです。
明治の急遽日本語化された訳よりも、原意に近いそうです。
356:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 14:58:43 bDtwCc1T
> おいらも相当こき下ろされたよ。
Σ(゚Д゚;エーット
あなたの 礼!┏○ペコ が見えました。
訂正
↓
あなたの霊が、見えました。
大根です!!!
こき下ろされて、うまくなる・・・かつぶし添え・・・♪~ <(゜ε゜)>
> 絵日記の宿題を終わらさないと・・・
それは、それは・・・
( ̄ー ̄*)qq(゜ー゜;)オツカレサマデース
えー、日記、 を描いてくださいね。○┓ペコ
357:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 15:21:02 bDtwCc1T
だんご
-○○○- も添えて、オチャオヒトツドゾォ゙アツイヨ( ´・ω・`)_且~~~フウフウ
三色だんごももひとつ添えましょうかね
-○●○- ドソォ゙~ (・`ェ´・)
訂正
三色だんご
-○●◎-
あと、あんこのだんご
-●●●-
おでんも 添えるか・・・
-□○△-
358:鹿
09/08/27 15:52:16 oCoFfmXd
素人Aにしやがってゆるせん。そこまでしてみてもらいたいか(笑)
359:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 17:02:03 EL2zWoTm
>>356
> 大根はこき下ろすんじゃなく、すり下ろすものだよ。
パチッ☆-(^ー'*)bナルホド-
すり下ろすのが大根・・・...φ(◎◎ヘ) ホォホォ...メモメモ
日本では、大根、
あちらでは、ハム、
して、その正体は・・・?
360:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 17:03:03 EL2zWoTm
>>358
(*´ノ0`)コソッ・・・シカト されちゃったのかも・・・
361:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 18:13:55 EL2zWoTm
僧、趙州に問う。
至道無難(しどうぶなん)、 唯嫌揀.擇(ゆいけんけんじゃく)。
如何なるか是れ不揀.擇。
州 云く。
天上天下唯我独尊。
僧、云く。
此れは猶お是れ揀.擇。
州、云く。
田庫奴(でんしゃぬ)!
いづれの処か、是れ揀.擇。
僧、無語。
※揀.擇(選り好み)
これは、自由、主体性、涅槃、を言う。
362:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 18:36:47 EL2zWoTm
看話禅と公案の基礎知識 空殻
公案
①公文書。官の帳簿・書類の意。
②禅宗で、参禅者に出す課題。仏祖の言行のうち、修行者にとって意義深いものや、暗示に富むものを選んで課題としたもの。転じて、自然現象の一切を仏法を示す課題と見る見方。
③十分に思いめぐらすこと。考え工夫すること。思案。考案。
④ものごとを似つかわしいように正しく書くこと、という約束事。
看話禅
《「看話」は話=公案を工夫する意》 一つの公案を工夫し、それを理解し終えた時は、また他の公案の工夫に移るというようにして、大悟に至ろうとする臨済宗の禅風をいう。
曹洞の禅風である黙照禅に対していわれた語で、梯子禅(はしごぜん)ともいう。
中国宋代、曹洞の宏智正覚が臨済の大慧宗杲を評したのに始まる。
公案
禅宗で、さとりを開かせるために与える問題をいい、古来の祖師が示した言葉、動作など、宗要をあつめて参禅者に工夫させるもの。
公案とは公府の案牘(あんとく)即ち国家の法令の意で、仏祖がさとりをひらいて真理を顕し示した古則は、修行者にとって最も尊厳なものであるから公案という。
話(わ)、また話則ともいう。
公案によって工夫する禅の方法を看話禅といい、黙照禅に対する。
また師匠が公案を言葉で示し与えるのを話頭公案という。
碧眼録・従容録(しょうようろく)は各一〇〇則、無門関には四八則を挙げ、景徳伝燈録などの五灯録のすべてを通じて約一七〇〇則あるといわれることから、一千七百則の公案と称される。
公案の唱出は中国唐代に始まるが、宋・元代になって盛行し、主に臨済系の禅僧が盛んに用いて、公案禅の禅風が起った。
とくに趙州無学の公案が重視され、わが国でもその影響を受けて現在に至る。
363:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 18:42:13 EL2zWoTm
>>362
宋代以降の禅
唐の武宗(八四〇~八四六在位)が行なった会昌の破仏は、大規模なものであったにもかかわらず、宜宗(八四六~八五九在位)が仏教復興を許すと、禅宗教団は以前にもまして盛んとなるに至った。
何れにも拠り所を拒否する思想をもっていた禅宗は、経典にさえ権威と根拠と伝統を認めなかった実践的な宗教運動であったが故に、復興することができたのである。
もともと禅宗は、個人の説法さえ記録をとどめることを拒否したし、教えの形骸化を戒めた。
しかし、集団を形成し、維持していくにつれて、指導原理が必要となり、教えが整理され、統合されてくるようになって、多くの禅文献があらわれた。
また、五代の戦乱を経て成立した宋が強固な国家統制で仏教を支配して行き、南宋になると、首都臨安府を中心とする五山制度を確立してますます仏教を統制するようになった。
このようにして、教団の内外からの制約によって、個を重んずる唐代禅から集団を重んずる宋代禅へと変化を余儀なくされ、寺院機能も国家への翼賛体制を担うことになり、禅思想にも大きな変化が生じるようになった。
364:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 18:43:52 EL2zWoTm
>>363
宋代以降の禅についても、三つの型に分けて禅思想の特色を述べたい。
第一の型は、念仏禅である。中国の実践仏教を展開したものに浄土思想がある。
中国の浄土思想は、坐禅して仏を見る観想念仏の伝統をもっているので容易に禅と結びついたし、浄土を唯心に説く流れも存在した。
つまり、阿弥陀仏は外ならぬ己心のあらわれという主張と即心是仏を説く禅が結びついたのである。
さらに、根源の道に還ればすべての教えは一つであるという中国土着の思想は、一からあらゆる思想が派生するという考えをも許容するので、総合主義の仏教としての念仏禅が生まれた。
永明延寿(九〇四~九七五)が禅浄融合思想者として有名であるが、宋代雲門宗の人々や中峰明本(一二六三~一三二三)にも念仏と参禅の不二を説く思想が伝えられている。
明代以降は「念仏する者は是れ誰ぞ」という公案は大変な流行をみるし、儀礼の中にも混淆形態が多くなるのである。
365:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 18:48:32 EL2zWoTm
>>364
第二の型は、曹洞宗系の黙照禅である。
唐代禅の主流は、無修無証を主張する。
修業の中にはからいを持ち込まないのである。
荷沢神会は、「衆生若し修あらば、即ち是れ妄心にして、解脱を得べからず」(『神会語録』)と言い、臨済義玄は、「汝説け、何の法をか証し、何の道をか修せん。
ナンジが今の用処、什麼物(なにもの)をか欠少(かんしょう)し、何の処をか修補せん」(『臨済録』)と述べて、徹底した本来成仏を説くのである。
このように本源に還るならば、仏となんら異なるところのないという考えは、一方では坐という形態にもとらわれず日常生活に自由無礙の仏を見出す禅思想を生んだが、一方では一切の作為をともなわない坐禅に仏の完結態を認める禅思想ともなった。
前者の流れは唐代の即心是仏禅であるが、この禅が用体験を重んじることによって、無意味な棒や喝の機関を多用する弊害を生んだ。
その弊害への批判をもちながら、仏教の伝統的な坐禅修行に完結態を認める後者の流れが生まれたのである。
この禅の流れの大成者は、宏智正覚(わんししょうがく)(一〇九一~一一五七)で、『宏智録』六冊の中の「坐禅箴」や「黙照銘」にその思想を見ることができる。
真実の修行者の為すべき行為は坐禅であって、その坐禅は無為でなければならないと説くのである。
宏智の銘の名より、その禅を黙照禅と呼ぶ。
宏智は曹洞宗に属しているし、日本の道元が宏智を高く評価しているところもあるので、この流れがストレートに日本の道元に伝わったかのごとく考えられるが、これは誤りである点は後述する。
366:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 18:59:04 EL2zWoTm
>>365
第三の型は、臨済宗系の看話禅を公案禅とも呼んでいる。
この禅の大成者は、円悟克勤(えんごかつごん)下の大慧宗杲(だいえそうこう)である。
大慧は、唐代の禅と黙照禅を否定することによって看話禅を大成する。
大慧は、看話禅を始覚門と性格づける。
始覚門とは、本覚門に対する考えであるが、本来的なさとりを原理的に認めながらも、実際には修行者を迷える者と自覚させ、その自覚を修行の出発点とする。
大慧は、当時の修行者たちが、現実心をそのまま本来心としてしまったことに大変な怒りを感じた。
また、黙照禅の流れの修行者たちが、ただ坐禅をするだけでよいとして、心証的なさとりを求めることを忘れていることを痛烈に批判した。
大慧は、このような現実心をそのまま本来心とする誤った修行者を見て、あえて始覚門に立って、本来成仏の確実な把握を意味した。
この場合の体験は、禅思想が説く本源に還るという体験であり、本来成仏の確実な把握を意味した。
これを見性体験として、その体験を得るのに効果をあげる公案による解決方法を導入した。
「大疑の下に必ず大悟あり」という大慧の語は、身体全体を迷いのかたまりとして、あらゆる意識や分別を払拭することによって、無意識の根柢から得られる直感の智慧を把握することを意味した。
「趙州無字」。
「無」の一字に精神を集中し、その徹底的な「無」字への精神集中を通して、瞬間的なさとりの光を見出すことを求めたのである。
この疑問の解決を精神的な集中より獲得するという方法は、大慧が指導しているうちにきわめて効果的であるという大慧自身の経験に基づく自信あるものであった。
このようにして生まれた方法は、その後の禅宗史上に爆発的に広まったのである。
相対的な迷いの現実心を、一度完全に自己否定することによって、その後に絶対的なさとりの本来心を獲得するという経過を体験することであった。
このような体験主義を打ち出した看話禅は、その方法論に普遍性を持ち合わせていたので、その伝播は機械的な移植を可能にし、地域や人種や時間などの差別を超えて、大いに広まったのである。
始覚門にたった看話禅は、先に言うように本源に還れば一つであるという思想であるから、教禅一致や三教一致の思想を認めることになるし、明代以降に流行した念仏禅の理論をも許容することになった。
367:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 19:02:01 EL2zWoTm
>>366
一方、宋代に流行した教外別伝思想も、あたかも教禅一致思想とは対立するかに見えるけれども、返本還源(へんぽんげんげん)思想に変わりはないので、看話禅の主張者から多く認められるに至った。
また、看話禅は、待悟禅(たいごぜん)の性格を強め、さとりの目的化と共に、坐禅修行を手段として、坐禅そのものの軽視化が促進された。
なお、中国禅は、朝鮮半島にも伝わった。
最初は、唐代禅が伝わったが、大慧禅を基盤とする普照国師知訥(一一五八~一二一〇)によって曹渓宗が開かれ、朝鮮仏教の伝統ある華厳宗と禅との融合による総合仏教が大成されて定着した。(一二五~一二八頁)
日本の禅
道元は、中国禅の看話禅も黙照禅も継承しなかったし、日本の天台本覚法門も否定した。
道元のこの否定は、常に邪説としての外道批判となり、否定を通して生涯にわたって正法の宣揚に努めた。
道元の主張は正法にあるが故に、禅宗の枠を超え、自身を禅師に据えることなく伝法沙門と自負した。
しかし、この道元の批判は、その法孫の中で継承されたとは思われない。
曹洞宗はもちろん禅宗という宗名さえ嫌った道元ではあったが、日本曹洞宗は対臨済宗として、道元没後より中国曹洞宗と限りなく接近していった。
そして教団的には、瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)(一二六四~一三二五)の出現により大教団への基礎が固められていったのである。
368:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 19:05:52 EL2zWoTm
>>362-367
お勉強してしまった・・・(汗)
ここは、狗の突っ込みどころ、か・・・チラ[壁]д・)Ξスッ・・・
369:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 19:18:37 EL2zWoTm
大閑道人、云く。
禅の修行に、「公案」というのがある。
いわば、問答のタネだ。
一休さんのとんち話など、公案から出た逸話だ。
「屏風絵の虎を捕まえろ」など、実に適切な例。
「手をたたく。さて、拍手の音は、右から発したか、左から発したか」
ま、頭の体操、と思ってくださって、(とりあえず) 構いません。
15世紀、室町時代の禅僧、画僧、雪舟。
涙で描いたねずみの絵で、彼は有名だ。
だが、その師匠の如拙は、雪舟ほど知られていない。
その如拙の「瓢鯰図」は、禅の公案としては一般にもとっつきやすいものだ。
これを題材に「個性」を考えてみよう。
まず、瓢鯰図の図柄を説明すると……、
漁師が川の側で、手に瓢箪を持って立っている。
川で泳ぐ鯰を、その瓢箪で捕まえよう、というのだが、
さて、どのようにして鯰を捕まえるか。
以上、話は簡単だ。
370:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 19:22:47 EL2zWoTm
大閑道人 云く。
「公案」という言葉の理解は、済と曹洞では全く違います。
道元を中心とする曹洞では絶対的な真理の顕現として捉えられていますが、
看話禅を説く臨済ではあくまで悟りの門を叩く瓦石としか見ていません。
中国の元代以降の禅では、臨済・曹洞を問わず看話禅が席巻していますから、
「公案」は論理的思考を断ち切る手段、もしくは論理を超えた体験を引き出す道具と考えられていたようです。
もちろん、それらの公案には、その言葉を吐いた禅僧の境涯、論理を超えた心の在り方が示されているわけですから、それを透過し(理解するのとは違います)
我が物にすることに真の価値が見いだされることになります。
その意味では、公案は真理が体現されたものと言えることにもなりましょう。
質問された方の文章の中に、「諸宗の協議や思想哲学を論争しながら、お互いの研鑽を深めていく」という
表現がありますが、この立場の否定こそが禅であり、知的な、論理的な追求からは決して宗教的体験は生まれてこない、
真理の体認はできない、という反省に立って、自らの心に立ち返ることを目指し、
そのための手立てとして用いられているものこそが公案なのです。
あくまで真理は「教外別伝、不立文字」であり、また個々人それぞれの足下の問題であって、対象化、一般化できないのだから、
公案を通して自分で体認するしかないということです。
体験は冷暖自知であり、人に理屈で説明できるものではありません。
公案は、経典のような絵に描いた餅ではない、と言ったら、教学の方に怒られそうですが…。
371:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 21:12:39 SJ+UOHV9
『趙州喫茶去』
趙州 二新到に問う、上座 曾て此間に到るや否や? 云く、曾て到らず。
州云く、喫茶去。
又、那の一人に問う、曾て此間に到るや否や? 云く、曾て到る。
州云く、喫茶去。
院主問う、和尚、曾て到らず、彼をして喫茶せしむるは且らく置く。 曾て到る、什麼としてか彼をして喫茶せしむるや?
州云く、院主よ。
院主応諾す。
州云く、喫茶去。
去・・・接尾語であって、意味はないということだった・・・
一味平等を、言う。
372:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 21:37:06 SJ+UOHV9
>>371
趙州和尚の観音院に新到が二人やって来て趙州に相見した。
そこで趙州がその一人に「上座よ、お主は以前にこの観音院に来たことがあるかね」と尋ねたら、その僧「今回が初めてです」という返事。
趙州これを聞いて「お茶をお上り」と応じ、次に別な僧にも同じことを尋ねた。そしたらこの僧「前に参ったことが有りますよ」という答え。
趙州この答えに接し同じく「お茶をお上り」と拶せられた。
丁度その時、事務主管の院主も何かの用でその相見の席に居ったと見える。
趙州がどういう肚から同じく「喫茶去」と言ったかが分らず、 全くの新到に「お茶をお上り」とお茶を飲ませるのは未だ分りますが、前に来たことの有る僧をも同じように扱われるのは、拙僧にはいささか解しかねます。 と口をはさんだ。
すると趙州和尚何思ったか、「院主さんや」と喚びかけられた。
そこで院主「はい」と返事すると、その途端に「あんたもお茶をお上り」とサラリと応じたという。
。「新到」とは新参や新入りというも同じで、新たに禅寺に掛塔した僧のことである。
「上座」とは僧の尊称である。
「此間」とはここ、この寺という程の意味である。
「院主」とは、寺院の事務や経済面の一切を主宰する僧のことで、監院や監寺ともよばれる。
事務多端のため修行の方がとかくおろそかになり、それだけに道眼・道力がやや劣るのがならいであり、ここに登場する院主も亦その類である
373:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/27 22:16:52 SJ+UOHV9
URLリンク(www.forest.impress.co.jp)
地球と仲良くするフリーソフト活用術
環境問題を考え、CO2排出量などを少しでも減らそう
地球温暖化対策や環境保護が叫ばれる昨今、家電製品をエコ家電に買い換えたり、エコバッグを持ち歩いたりして、エコロジーを意識した生活を実践している読者も多いだろう。
しかし、ことパソコンに関しては環境に配慮して使うことは少ないのではないだろうか。
本特集ではパソコンを利用しつつ、少しでも地球と仲良くするためのフリーソフトを集めてみた。
環境問題を考え、少しでもエコなパソコンライフを実践するきっかけになれば幸いだ。
目次
まずは地球と自分の周りで何が起きているかを知ろう
Webページを印刷する際の一工夫で限りある資源を節約しよう
節約だけでは解決できない問題も……フリーソフトで環境保護活動を応援しよう
まずは地球と自分の周りで何が起きているかを知ろう
エコライフにおいて何よりも大切なことは、実践し続けること。
たとえば、年間1kgのCO2を削減できる行動も三日坊主で終わってしまえば何の意味もない。
三日坊主で終わらせないために、地球と自分の身の回りで起こっていることを学び、しっかりとした目的意識をもとう。
374:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/28 00:58:55 0M8p7WAI
>坐禅の時間ですが、少し前までは40分50分程度、気を入れてすわれていたものが最近はは15分程度で集中が切れます。最近は要は落ち着けばいいのだとおもっていますが・・・
坐禅は、無目的ですね。
集中するとか、落ち着けばよいとか、
坐禅には、得るものがない。
すでに、得ているからです。
何を得ていると言うのか。
真っ只中、と言いなおしましょうね。
山川草木国土悉有仏性。
吾もまた、山川草木国土と共に悉有仏性。
と言う発見が、あります。
坐は、
行住坐臥。
1日24時間営業のコンビニ禅、です。
375:神も仏も名無しさん
09/08/28 01:41:59 pZ1if5d8
>>373
エコとかばかじゃないの。
そんな観点からじゃ地球は語れない。
376:素人A
09/08/28 07:10:21 AmEcAUus
ポッたんさん。お勉強有難う、お勉強は何処へいつたのか。もうどこかへ飛んでいきました。
ぽつたんさんに色即是空・空即是色教えてもらったのが懐かしいなあ。
仏になろうと公案でジタバタするのが臨済宗色即是空。最初から仏のが曹洞宗?
最初から仏は優しい様で難しいかもなー、素人の人は仏のつもりでもいいか。
公案?ぽつたんさんに鍛えられたなー、何かぱっと見える風景かも?
377:素人A
09/08/28 07:24:05 AmEcAUus
>>372 趙州の和尚寺は茶しか無い食うものが無い 饅頭食いたいのになあ 外の寺行くか
378:ライフスペースぼったんグル「定説」禅
09/08/28 11:06:40 xTXOGgQU
1、かまって頂戴と上から目線オナニー師匠妄想主人公ぼったんオンリー至福による書き込みだけ。
2、強烈な自己愛自己語りが自慢、
3、嘘つき、言行不一致、口先だけ、有言不実行、
4、ごまかす、
5、話をそらす、
6、誠意がない、 反省しない、自己観察ができない、しようとしない、
7、虚栄心だけ、
8、知ったかぶり、
9、質問にキチンと解答しない、
10、理解していない禅語録、無理やり仏教用語に接続し実用性ゼロ禅用語垂れ流し、
11、オナニー的自己満足的カキコが多い、
12、シャブ禅疑惑、
13、仏教用語、禅用語だけで生活と無関係書き込みでオナニー果てる書き込み
14、相手なくとも、オナニー的放出かまってちょうだい心理から書き込みを突然始める
15、禅用語、禅語録のぼったん書き込みとぼったん会話、解答姿勢が不一致、
ぼったん悟りは仏教用語を
仏教用語何々Aは仏教用語何々Bであると、
仏教用語何々A=仏教用語何々Bと言う論理なんだわ、
矛盾した意味を仏教用語何々A=何々B仏教用語で
ライフスペースのグルの様に「定説」としてむやみデタラメに接続し、
不立文字の公案の意味= 仏教用語何々で
ライフスペースのグルの様に「定説」としてむやみデタラメに接続し
具体的意味がなくなる、意味不明で仏教用語ブツブツ書き込みナ訳、素人エーも同じ、(故に自演)
で、そのぼったんグル様の「定説」を批判すると、
「自己を語れ」とか、
「命の時間の浪費の会話にしないでくれよな。」
とか、まことしやかに仏教用語何々A=仏教用語何々Bと言う論理で、
偉大な境地を提示したと、嘘の上塗り妄想主人公爆発させる訳だw
379:マンモスラリピーぼったんグル「定説」禅
09/08/28 11:08:49 xTXOGgQU
シャブにマンモス・ラリピーぼったんカマって頂戴書き込み爆発ですなあw
380:マンモスラリピーぼったんグル「定説」禅
09/08/28 11:09:49 xTXOGgQU
シャブにマンモス・ラリピーぼったんは最近異常なハイ状態ですなあw
381:マンモスラリピーぼったんグル「定説」禅
09/08/28 11:45:30 xTXOGgQU
ぼったんレスの法則w
シャブにマンモス・ラリピーぼったんは最近異常なハイ状態でレス増加=来る人が減る、自演素人Aだけになるw
382:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/28 18:06:14 4j74Mc8P
>>378-381 狗 よ
なにか、しゃべってる風なのだろうけれど、内容がないのは、相変わらずだろうな。
周辺のあれこれは、もうどうでも、いいから。
明確に、自己を語りださないと、何十年経ったとしても、なにひとつ明らかになることはないと思うぞ。
ご隠居いじめの件といい、どうして他人の生き死にが、それほど気になってしょうがないのだろうか。
例の老師は、言わなかったのだろうか、「あほ!よ、いっぺん 死んでこい!」
是は、公案だから、まじめに取り組んでみたら、どうだろうか。
いつまでも、周囲に甘えてはいられないと言う事は、そろそろ分ってきてるとは、思うが。
急げ、
いつまで、眼がもつか。
また、双方のどちらかが、おっちんじまわない先に。
まじめに、取り組め。
とにかく、急げ。
僧、問う。
門前のやせ狗にも、仏性がございますか。
師、答える。
有。
また、ある時。
僧、問う。
門前のやせ狗にも、仏性がございますか。
師、答える。
無。
383:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/28 19:01:14 4j74Mc8P
>>376 素人A さん
> お勉強は何処へいつたのか。もうどこかへ飛んでいきました。 仏になろうと公案でジタバタするのが臨済宗色即是空。最初から仏のが曹洞宗? 最初から仏は優しい様で難しいかもなー、素人の人は仏のつもりでもいいか。
わたしは、片手の公案に取り組みました。
そして、道元禅師の「眼横鼻直」も受け取りました。
隠元禅師の念仏禅も,受け取りました。
その何れもが、独覚 です。
おしゃか様の言う、
『わたしの教えは、とてもやさしい。どこへ行っても誰もが受け入れる。だから、この道を二人して行くな。ただ一人歩め、サイの一本の角pのように』
是を、受け取った。
イエスさんが、言う。
「わたしの教えは、厳しい。だから、人々の迫害を受けるであろう。この道を決して一人で行ってはならない。必ず、二人で行きなさい。一人では、とても耐えられないから』
是を、受け取った。
30歳を過ぎたあたり、仏教書を読み漁った。
それまでは、唯物論者であり、そこから方向を変え、唯心論者であった。
わたしと言うものが無かった。
主義を語っていたし、!無批判に取り込んで、それを他に語っていた。
そう言う事が、主体性だと思っていた。
とんでもない。
わたしの頭の上にもうひとつの頭を乗せて、それが自分自身だと思っていた。
そういうところから、出て、一人に戻ったとき、さて、困った。
自分の中からの、わたしの考えが出てこない。
もともと本を読むのは嫌いではなかったので、じつによく読みふけった。
そこで出会ったのが、片手の公案である。
観る風景が、変わった。
384:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/28 19:45:53 4j74Mc8P
他スレより
同行二人と言う言葉が、あるでしょう?
好きなんだよねー
チャットのほうで話してる仲間のうちの一人の女性、リウマチなんだ。これが、実に厄介なビョウキ。
どれほどの痛みか、痛みの連続なのか、その痛みはちっともわかることができないけれど、いつも思うことは、その痛みがなくなれって思うことなんだよ。
祈り、
あらためて、祈りの重さを思う。
ねこさん のゆったりとしたおしゃべりを聞くのが、好きだね。
ただ、そうばかりもいかないよね。
そういう時、たたかれ強い俺ならどんなに言っても、いいよ。
2ちゃんねるでは、メールをしたり、電話をかけ合ったり、できないから、真意が伝わりにくいと言う側面は否めないのは仕方が無いけどね。
眼が痛いと言うより、パソコンを近い距離で覗き込むような姿勢で、長時間、やってない?
肩こりや、腰痛、首の痛みなどで、眼が痛いのではないだろうか。
とか、おもった。
たしかにねこさんの言うとおり、ほとけさんって、言葉はあるけど、宇宙全部が仏さんと言う別名を持ってるのだから、ことあらためてほとけさんと言うものでは,無いよね。
あそびって、こどもだけじゃない。
あそんでると、なんでも噛んでもが、無差別。
時間も刻んでいるのだろうけど、気にならない。
没頭していると言うことかな。
夢中、が、いいね、好きだね。
385:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/28 21:33:41 mw5lao03
(25)趙州 僧に問う、
堂中に還って
祖師有りや、
也た無しや?
僧云く、
有り!
州云く、
喚び来れ! 老僧がために洗脚せしめん。
『 趙州和尚、或る時、講座台上から列座の大衆に向って、「堂中に還って祖師有りや、也た無しや?」と喚びかけた。
「祖師」とは、一般には、一宗一派を開いた人即ち開祖とか宗祖とかのことである。
しかし禅では「祖師再来の意」で察せられるように、中国禅宗の初祖達磨大師を指すことになっておる。
従って、趙州のこの大衆への問いは、「この中に達磨は居るか、居らぬか」ということだが、無論、歴史上の達磨大師の存否を問うているのではない。
「我こそは達磨の再来じゃと、自信をもって言いうるもの有りや?」ということである。
そうしたら気のきいた僧がおって、「ハーイ、ござります」と元気のよい返事である。
そしたら趙州和尚「喚び来れ! 老僧がために洗脚せしめん」「そうか居るか、居るならその達磨を儂の面前に喚んで来い。儂の脚を洗わせてやろう」と大変な権幕である。』
だるま さんだらけだ、アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー
386:素人A
09/08/28 22:19:58 AmEcAUus
今夜あつまりで酔っ払っている時にに書くんですけど。ぽつたんさん、大王さん、金太郎飴みたいな
不動心いいなあ。外の人がどう思うおうと凄いなあ金太郎飴はいいなあ。
まあ四つ葉らっている時だけかもではそろそろ。
387:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/28 22:34:26 mw5lao03
>>386 素人A さん
(笑)
酔ってないぞォヘ(~~*ヘ))))... ...((((ノ*~~)ノ ウヒョヒョ ウィー ヘ(~~▽~~*ヘ))))... ...((((ノ*~~O~~)ノ ヒック
真剣に取り組んでくれるといいね。
388:素人A
09/08/29 07:28:49 5+LT/kHD
海印三昧 曹山の元証大師に、ひとりの僧がたずねた。
僧「『大海は屍をとどめない』とおしえられていますが、海とはどういうものでしょうか」
師「万有を包含している」
僧「どういうわけで屍をとどめないのでしょうか」
師「気を絶したものは執着しない」
僧「すでに万有を包含しているのに、どういう分けで、気を絶したものは執着しないのでしょうか」
師「そもそも万有は巧用(分別の意図)がない。気を絶しているのだ」
??? 目で考える見えるもの二つに分けないか、その後頭があれはあれ
これはこれと分けるような気がする。見えるということは?目を閉じれは残像も
あるが?残像だんだん消えていくが?自分で書いて自分でケチ付けた。
389:神も仏も名無しさん
09/08/29 09:04:22 UJQyq3wR
へきがんろくの十【睦州掠虚頭漢】ぼくしゅうりゃく
きょとうのかん
示していわく・・・もし最上のレベルに達したなら
そこで得るものは、釈迦、彌勒、文殊、普賢、千聖萬聖
天下の宗師も、あまねく皆な気を飮み声を呑まん・・・
睦州が僧に問う 「どこから来たんだい? 」
僧 「かーつっ ! 」
睦州 「じっちゃんはあなたに一喝されちゃったな」
僧はまた 「かーつっ ! 」
睦州 「三回目と四回目も喝を言ったら、その後は
どうなんのかな? 」
僧 「・・・(無語)」
睦州はすかさずその僧を打って言います。
「虚空のあたまを掠め取ったような男だな」
※この若い僧は一喝のやりかたしか知らなくて、仏が
なにかまだわかっていないようです。睦州はそれを見て
「老僧汝に一喝せらる」 とじっちゃんのフリして無の感覚
を伝授しますが、これが一回目。僧はまた一喝で返しますが、
他になんかないか? と聞かれ手詰まりになってしまいます。
睦州の言う掠虚頭とは、他人が解説する仏の現しかたを
盗んだという意味でしょうが、これにはもうひとつの意図も
読み取れて、イメージとしての自分の頭を取り去ればそこに
無の感覚が現れるという二回目の説法のようでもあります。
中国禅話は意味が二重三重にうらおもてあって、なかなか
楽しめる知的お遊びというか・・・
390:神も仏も名無しさん
09/08/29 09:50:45 UJQyq3wR
>>318
些子(さす) は米俵に刺してチェックする刺米器か?
南方は江南のことではなくて諸国行脚の代名詞で
四文字熟語だったと思うけど、ちょと忘れた・・
柳絮 (柳の綿穂) は仏の持つ性質のひとつである、
とどまらないこと。。。
>>326
これって隻手の公案と似てるね、、
はるか昔の時代、言葉も記号としての文字もまだ
なかったころ、人々の意識とはどんなものだったで
しょうか ? ? ? (言葉のない世界の意識とは? )
これも公案でしょ・・・と思いつつ、そんなら
パントマイムはどうだろか? と気ずいて検索してみた。
中村ゆうじ パントマイム
URLリンク(www.youtube.com)
これもなかなかフンイキ出てるから、カビ臭い禅話
よりは、こんなヌメーッとした感覚を仏としたほうがwww
>>334 ぽったん師匠はまだ飛んで行かないのかな? (何曽飛去)
>>335
犬は仏のオーラをつねに出してるから、犬の散歩で
犬を観察しつづければ、それは無字の公案を考える
のと同じことですよ。
Santana - Maria Maria [TheWraith]
URLリンク(www.youtube.com)
391:素人A
09/08/29 10:59:15 5+LT/kHD
色色教えてもらって有難うございます。 >>389 臨済宗は 呆然 棒前 かーつ 一セット。
だれでも呆然この瞬間はある。
392:やまい ◆TUChI2/Nas
09/08/29 12:53:09 SkijHWkf
>>389
これは、仏向上の考案ですな。
悟りを奪う賊の働き。
これをいつまで経っても理解できない人がこのスレには数人いらっしゃるようですな。
棒も喝も、殺人(否定)、活人(肯定)、無分別、覚醒など相反した意味を適宜に使いこなすのが
達人だと思われます。
釈迦、彌勒、文殊、普賢、千聖萬聖も及びもつかないこととは、はて、どういうことをいうのでしょうね?
393:やまい ◆TUChI2/Nas
09/08/29 13:07:13 SkijHWkf
悟りを「もの」のようにして盗んで自分のものとするのは、
賊とは呼べません。
人が後生大事に抱え込むお悟りそのもを奪い去ってこそ、
立派な賊の働きと呼べるものでしょう。
394:やまい ◆TUChI2/Nas
09/08/29 13:08:59 SkijHWkf
×お悟りそのもを
○お悟りそのものを
395:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/29 15:51:53 9vzZB1oe
>>390
サンタナ、いいね
Black Magic Woman
URLリンク(www.youtube.com)
396:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/29 16:21:10 9vzZB1oe
>>388 素人A さん
> 海印三昧
曹山の元証大師に、ひとりの僧がたずねた。
僧 「『大海は屍をとどめない』とおしえられていますが、海とはどういうものでしょうか」
師 「万有を包含している」
僧 「どういうわけで屍をとどめないのでしょうか」
師 「気を絶したものは執着しない」
僧 「すでに万有を包含しているのに、どういう分けで、気を絶したものは執着しないのでしょうか」
師 「そもそも 万有は 巧用(分別の意図)がない。 気を絶している のだ」
これは、修行僧も、かなり修行の進んだ方ですね。
397:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/29 16:25:27 9vzZB1oe
>>390
些子(さす)
南方の禅道を、学びたいと存じます。
398:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/29 16:42:33 9vzZB1oe
新スレが、建ったね。
【仏教】悟りを開いた人のスレ62【天空寺】
スレリンク(psy板)
399:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/29 20:36:55 z9CIpmFF
寺院があるから、そこに経済活動が生じる。
寺院が無ければ、マネーはフリー(むりょう)。
2ちゃんねるは、フリーテンプル。
400:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/29 22:02:06 z9CIpmFF
僧云く、久しく趙州の石橋 と嚮う、到来すれば只だ掠?子を見るのみ。
州云く、汝 只だ掠?子を見て、趙州の石橋を見ず。
僧云く、如何なるか是れ石橋?
州云く、驢を渡し馬を渡す。
「嚮」とは「慕いあこがれる」という意味
「石橋」は「しゃくきょう」と読むならわし、趙州城郊外にある趙州の石橋は、天台の石橋・南嶽の石橋と共に、古来、天下の三大石橋と称されて有名であった。
又「掠?(しゃく)子」とあるが、これはいわゆる丸木橋のことである。
或る時、一人の坊さんが身の程も知らず、天下の大和尚老趙州に向って、「久しく趙州の石橋と嚮う。到来すれば、只だ掠子を見るのみ」とチョッカイを掛けて来た。
「趙州の石橋は天下の三大石橋の一つだと有名なので、前々から是非一度は見たいものだとあこがれていた。しかし実際に来てみれば、何のこったい、丸木橋同然の貧弱な橋にすぎんではないか」ということである。
これは、石橋にことよせて、趙州和尚こそは、天下の大和尚だと長年慕いあこがれていたが、実際にお目にかかって 見れば、なーんだ、平凡極まる只だの皺くちゃ爺さんにすぎぬじゃないか。
【来て見ればさほどでもなし富士の山】と、云ったのである。と、趙州をからかったのである。
これに対して趙州些しも騒がず「汝 只だ掠?子を見て、趙州の石橋を見ず」と、これ亦 問答に応じた。
「お主の目玉が豆粒のように小さく、その視野が狭く、その識見が低いものだから、この大きな石橋が目に入らず、丸木橋にしか見えぬのじゃ」ということである。
西洋の諺に【奴隷の眼中に英雄無し】というのがあるが、実際、人間は自分の教養や見識の程度にしか他人の偉さや大きさが見えないものです。
「お主の境涯が低いものだから、本当の趙州が拝めないのじゃ」ということを裏にこめている。
401:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/29 22:06:18 z9CIpmFF
>>400
趙州から「汝 只だ掠?子を見て、趙州の石橋を見ず」とピシャリとたしなめられて、この僧「如何なるか是れ石橋?」と問わされる破目になった。
こう問わせておいて、趙州やおら「驢を渡し馬を渡す」と、すまして応えられた。
この「驢を渡し、馬を渡す」という一語は、「お主、趙州の石橋の真面目を拝みたいというか、それならトックリ拝ませてやろう」という肚から、些しもたくまずコロコロと流れ出て来たもので、
それを敢えて敷衍すれば 石橋の実際を見て御覧! 橋は往来する者を選り好みせず、王侯貴人であろうと乞食泥 棒であろうと、こやし桶を載せた車であれ、馬であろうと驢馬であろうと、何でも渡し ている。
汚され踏みつけられながらも不平も言わず、「縁の下の力持ち」然と黙って 皆を渡 している。
お主のような未熟な坊主も渡してござる。
というようなことにもなろうか。
しかも趙州はこの話に託して、本当の宗教家、生き仏の相と用とを暗に説いているのである。
頼まれもしないのに自分から身を挺して橋や船となり、踏みつけられたり汚されたりしながらも些しも気にかけず、一切の衆生を迷いの此岸から悟りの彼岸へ渡そうとするお節介焼き、それこそが本当の宗教家である。
骨折り損のくたびれもうけと百も承知の上で、縁の下の力持ちをケロリカンとして行じていく、それが真の生き仏というものである。
「驢を渡し馬を渡す」という、このさりげない一語に合掌し、それを通じて真の宗教家の相、更には趙州従大和尚の真面目の一端をも拝みえたら、「わしの境涯も少しは向上した」と自惚れてよかろう。
どうじゃ、拝めましたかな。
↑
これは、説明を受けなければ、よく飲み込めないかな、と思ったので、全面的にコピペした・・・、(^▽^;)アセ
眼は横に。
わたしは、アリの行列、とか、言ってみる・・・~(=^‥^A アセアセ・・・
402:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/29 22:30:00 z9CIpmFF
>>399
なぜ、お寺はお金を受け取れるのだろうか。
また、お金を不必要にしようとは思わないのか。
頭陀ぶくろって、なんだろ・・・
それさえあれば、いいのでは?
人の中で生かされる。
そういうのが、いいね。
403:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/29 23:10:01 z9CIpmFF
他スレより
横レススマン
○ さんと言う、スレ主さんの意思を尊重したほうが、いい、と思う。
と言うのも、
実に感心するのだけれど、
わたしは、チャット出身なわけで、そういうわけで、名無し さんは、アラシ、と言う受け取り・・・アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー
ちっぽけなわたしにくらべて、
○ さんは、和尚の中の和尚、つまり、大和尚である。
アラシであるところの一部の名無し さんにも、どういうわけか、きちんとレスしてる。
もちろん、わたしのような盆暗(ボンクラ)にさえも、レスを律儀に返してくれる。
こういう人は、
そんじょそこらに、
滅多に居るものではない。
そう言うことから、推し量って、
スレの分割は、有り得ないのではないだろうか、と、拝察する。
みんなで渡って行こうよ。
彼岸へ渡る橋を。
ぞろぞろと一列に、
誰が先頭、誰が列の最後尾と言うわけじゃなく、ただ、一列になって。
404:素人A
09/08/30 07:12:24 xbX3kR2+
絵の中に入る。それが良いのかも楽だ。字のにいる頭弱いのでどうも。
絵から言葉もでる。言葉も絵に変換、お前は駄洒落に変換ばかりだ。
たまには観行?私のは観光あまりヤル気がないからいいでは無いか。
2チャンネルに入る。絵で入れるとい。字で入ると疲れる。観光旅行がいい。
405:素人A
09/08/30 12:23:16 xbX3kR2+
いまどき風景で生きていくと。あほんだらとか役立たずとか言われて
生きていくしかない。人の役にたとうと思っても脳力なく細かく分ける
ことも出来ない。役に立たなくてもおじゃま虫でもまあいいか。空は見ている。
406:素人A
09/08/31 06:40:38 g/IVl1fX
ぽつたん師匠。何時もはあれえだけど。時々えっと思うこと言う。
からだあるからこころがある、うーんそうだなあ。色色と出た?
身体 体 空だ 空多(真我) 殻多 ようするに入れ物か。
心 此処路 入れ物にソフト付けて色んな神々というか色んな煩悩エネルギー
が往来している。生きている時はこのエネルギーある程度身体で制限されるが、
死んだら六道極道輪廻の世界のような?生きているうちわけ解からないエネルギー
も制御できるようにならないとまずいと思う。なに描いているの相変わらずか
まとまりもないのですが、生きているうちから死は出入りしている?生死とは?
法?ソフト?御釈迦さん輪廻転生ソフトくだらんと思ったかどうか?
407:素人A
09/08/31 11:28:29 g/IVl1fX
橋?や縁? ○=△ 渡りきったら△ 輪たる前○ 端と端での出会いの縁=ここで?
色即是空 空即是色? 一の如し? 橋の上で○=△出会う 形のあるものと
形のないものも
408:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/31 15:11:35 goNWv0EW
>>404 素人A さん
> 絵の中に入る。それが良いのかも楽だ。
字の中に入る。頭弱いのでどうも。
絵から言葉もでる。
言葉も絵に変換、お前は駄洒落に変換ばかりだ。
たまには観行?私のは観光あまりヤル気がないからいいでは無いか。
2チャンネルに入る。絵で入れるとい。字で入ると疲れる。観光旅行がいい。
絵は、自画像である。
と言うのがわたしの発見であった。
そのことを、ある画家と話すことがあった。
画家は、大きくうなづいた。
409:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/31 15:17:53 goNWv0EW
>>405 素人A さん
> いまどき風景で生きていくと、あほんだらとか役立たずとか言われて 生きていくしかない。
人の役にたとうと思っても脳力なく細かく分けることも出来ない。
役に立たなくてもおじゃま虫でも まあいいか。
空は見ている!
山とか川とか、リアルに存在しているのだけれど、
山川草木悉皆成仏
と、空を言う。
とくになんの変わりも無いのにね。
410:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/31 15:21:27 goNWv0EW
>>406 素人A さん
> ぽつたん師匠。何時もはあれえだけど。
ミ(ノ_ _)ノ=3 ドテッ!!
しばらく、立ち直れない・・・・ヘ(X_X ;)/ ヘロヘロー。。。(lll __ __)バタッ
> からだあるからこころがある、
うん!(^^)
411:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/31 15:28:49 goNWv0EW
>>407 素人A さん
こちらの岸(此岸しがん) から あちらの岸(彼岸ひがん) へと渡って行く。
この川に、
便利な橋が架かっているのいないのか、それはわからない・・・・(-。-;)
412:素人A
09/08/31 19:55:04 g/IVl1fX
>>400の公案は色色使える用です。こちらとあちら。○=△ 趙州=僧
ポツタンサン=大王さん 名無しさん=鬼和尚?
方程式? 僧が橋渡って趙州? 趙州橋渡って僧?
さすがに出鱈目でも一の如し?色色あつても結局同じ?無いのと同じか。
ぽつたんさん色即是空は空即是色と返すと何時も言っている。
413:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/31 20:19:45 MuHkYpw8
『竪起拳頭』
趙州 行脚の時、一尊宿の院に到り、纔かに門に入り相見して便ち云く、在りや、在りや?と。
尊宿 拳頭を竪起す。
州 水浅うして是れ船を泊むる処に非ずと、云って便ち出て去る。
又、一院に到り、尊宿に見え便ち云く、在りや、在りやと。
尊宿も亦た拳頭を竪起す。
州 能縦能奪、能殺能活 と云って便ち作礼す。
趙州和尚は80歳まで諸方を行脚し120歳まで教化された。
その行脚の時、一尊宿の住持している寺院を訪れた。
そして門に入り尊宿にお目にかかるとすぐ、彼がそこに坐っておるのを現に見ておりながら「在りや、在りや」 「主人公が健在でござるかな」 と問いかけた。
すると、その尊宿、黙って「拳頭を竪起」、拳 をスーッと突っ立てたという。
この竪起した拳、これ何の消息か、これ白隠和尚の『隻手音声』と同か別か?
これを見て趙州 「水浅うして是れ船を泊むる処にあらず」 と言って、そのまま院から出て行ってしまったという。
この「水浅うして是れ船を泊むる処にあらず」とは、「お主の見所ないし境涯は浅薄であって、儂が脚を止めるには不足じゃ」 と非難したようにもとれるが、そう見るのは間違いである。
この尊者の拳を竪起した場は、天魔、外道はもとより、仏祖と雖も覗き見も出来ない処である。
〔老師、笏をズイと拈じ出される〕。
だから、流石の趙州も「オーッ、怖や、怖や」と、その場を出て行った。
趙州は其後また別な一院を訪れ、前と同じように「在りや、在りや」と尋ねたら、ここの「尊宿も亦た拳頭を竪起」した。
すると趙州、前の場合とは全く違い、「能縦能奪、能殺能活」 と云って便ち作礼」した、というのである。
「能くゆるし、能く奪い、能く殺し、能く活かす、で、与奪縦横・殺活自在で まことに見事な働きじゃ」と讃嘆し、うやうやしく礼拝したというのである。
前者は文殊菩薩が金剛王宝劍を按じ黒獅子に騎って登場した場合、いわば把住・殺人劍の場である。
これに対して後者の竪起拳頭は、差別の妙智の普賢菩薩が白象に騎って悠然と出現ましました場、いわゆる放行・活人劍の場である。
しかも、この両者のはたらきを一人格の内に統合し、それが臨機応変に流露してこそ禅者である。
414:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/08/31 20:23:19 MuHkYpw8
>>412 素人A さん
そうだね。
415:素人A
09/09/01 07:12:47 +LJyyuG8
夏は終わったのだ?でも今朝も暑いし、境目も曖昧。急に何々が突然来るのでなく
秋も少しずつ来ていて、夏もじょじょに弱っていく。まあ年だから最近私の器械が調子が
悪くなつたなー、この器械もなんか変となっている。まあそうだんだん壊れていく体眺めるのも
まだまだ大丈夫な方だからか、ひとごとみたいにいまからながめる訓練?是も必要か。
妄想あつちいつたのこつちいつたり、いや視点を色色変えているのかも。
416:素人A
09/09/01 09:16:58 +LJyyuG8
>>413 ↓↑ 小周天? 仏さんも私の身体で色んな修行するのか?
せめて禅なら十牛図と書け同じか。宇宙も真実人体あるという、人体はそれの真似?
417:やまい ◆TUChI2/Nas
09/09/01 09:47:49 I3daTn4G
碧厳録87 運門薬病相治
雲門和尚は門下の僧にいった、「薬と病気ともに治す。大地全体が薬である。どれが自己か」。
まず、薬病相治とはどういうことか。病に応じて薬を与え、病が治ったらもう薬は要らぬ。
薬が要らぬばかりでなく、薬を用いたための中毒、つまり薬毒を抜かねばならぬ。
それも尚ってはじめて健康体といえる。
病気が治り薬毒もすっかり抜けたところを「薬病相治す」という。
身体の病気だけでなく、心の病気も同じことで、迷いを転じて悟りを開くのはよいが、
悟りにとらわれると、悟り臭くて鼻持ちならぬ野狐禅になる。
そこでその悟りの臭みを抜く、悟りの跡かたを払う。
「迷悟同忘」
そこが薬病相治の境涯である。そこを雲門は「尽大地是れ薬」という。
418:やまい ◆TUChI2/Nas
09/09/01 09:56:53 I3daTn4G
碧厳録87 運門薬病相治 つづき
文殊菩薩はある日、善財童子に、薬草を採りにやろうとして
「薬にならぬものを採ってこい」
といった。善財はあまねく諸方を探したが、薬にならないものは一つもなかった。
毒で薬になりそうにないと思われるものも、よくよく調べてみると、
みんな薬になることがわかったので、帰ってきて報告した、
「薬にならぬものはありません」。
そこで善財は、一枝の草をつまみ上げて文殊に渡した。
文殊はそれをとって、みんなに示していった、
「この薬は人を殺すこともできるし、また人を活かすこともできる」。
419:やまい ◆TUChI2/Nas
09/09/01 10:02:16 I3daTn4G
運門薬病相治→雲門薬病相治
筏(いかだ)の喩
URLリンク(www.geocities.jp)筏の喩
420:マンモスラリピーぼったんグル「定説」禅
09/09/01 12:08:41 z8Y77xuW
1、かまって頂戴と上から目線オナニー師匠妄想主人公ぼったんオンリー至福による書き込みだけ。
2、強烈な自己愛自己語りが自慢、
3、嘘つき、言行不一致、口先だけ、有言不実行、
4、ごまかす、
5、話をそらす、
6、誠意がない、 反省しない、自己観察ができない、しようとしない、
7、虚栄心だけ、
8、知ったかぶり、
9、質問にキチンと解答しない、
10、理解していない禅語録、無理やり仏教用語に接続し実用性ゼロ禅用語垂れ流し、
11、オナニー的自己満足的カキコが多い、
12、シャブ禅疑惑、
13、仏教用語、禅用語だけで生活と無関係書き込みでオナニー果てる書き込み
14、相手なくとも、オナニー的放出かまってちょうだい心理から書き込みを突然始める
15、禅用語、禅語録のぼったん書き込みとぼったん会話、解答姿勢が不一致、
ぼったん悟りは仏教用語を
仏教用語何々Aは仏教用語何々Bであると、
仏教用語何々A=仏教用語何々Bと言う論理なんだわ、
矛盾した意味を仏教用語何々A=何々B仏教用語で
ライフスペースのグルの様に「定説」としてむやみデタラメに接続し、
不立文字の公案の意味= 仏教用語何々で
ライフスペースのグルの様に「定説」としてむやみデタラメに接続し
具体的意味がなくなる、意味不明で仏教用語ブツブツ書き込みナ訳、素人エーも同じ、(故に自演)
で、そのぼったんグル様の「定説」を批判すると、
「自己を語れ」とか、
「命の時間の浪費の会話にしないでくれよな。」
とか、まことしやかに仏教用語何々A=仏教用語何々Bと言う論理で、
偉大な境地を提示したと、嘘の上塗り妄想主人公爆発させる訳だw
421:マンモスラリピーぼったんグル「定説」禅特集w
09/09/01 12:45:35 z8Y77xuW
288 :チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM :2009/08/22(土) 20:06:16 ID:zHGn2IdX
南嶽曰わく、 「瓦を磨いて鏡にしようと 思う」。
馬祖曰わく、 「瓦を磨いても 鏡にすることはで出来ぬでしょう」。
南嶽曰わく、 「坐禅しても いかようにして仏に成ることが出来ようか」。
坐禅をすればそれが仏(真理)の姿。
行住坐臥、何れ(いずれ)もが 仏の姿。
24時間コンビニ禅のぽったんが、いす禅してるぞ。
ま、この書き込みの異常性は、坐禅している時に、
>24時間コンビニ禅の
と言う意識があるらしいw、外道が!!
>ぽったんが、
ぼったん、と言う自我が坐禅中にあるらしいw外道が!!!
>いす禅してるぞ。
坐禅をすればそれが仏(真理)の姿。
行住坐臥、何れ(いずれ)もが 仏の姿。
であるならば、いす禅だろうが、なかろうが、意識に上るわけがないw
外道が!!
422:マンモスラリピーぼったんグル「定説」禅特集w
09/09/01 12:46:42 z8Y77xuW
禅とはいえない妄想主人公ぼったんの文章分析w
286 :チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM :2009/08/22(土) 18:46:34 ID:zHGn2IdX
南嶽がある時、馬祖の庵を訪れた時、馬祖が傍らに立っていると、 南嶽が問うた、 「この頃は何をしているのか」。
ーーー中略ーーー
南嶽がおもむろに一片の瓦を持って、馬祖の庵の近くの石に当てて 磨き始めた。
馬祖はこれを見て 問うた、 「和尚は何をしているのですか」。
南嶽曰わく、 「瓦を磨いている」。
馬祖曰わく、 「瓦を磨いていかようにするのですか」。
南嶽曰わく、 「瓦を磨いて鏡にしようと 思う」。
馬祖曰わく、 「瓦を磨いても 鏡にすることはで出来ぬでしょう」。
南嶽曰わく、 「坐禅しても いかようにして仏に成ることが出来ようか」。
>わたしは、なぜ、いす禅をするのか?
(念を起こす外道ぼったん!!、唯識であれや、これを考える煩悩と言うらしい)
>般若心経をエンピツ写経するのか?なぜだ!
(念を起こす外道ぼったん!!、唯識であれや、これを考える煩悩と言うらしい)
>万物が、 銘々 天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)。
>万物が、 山川草木国土悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)
(見事な仏教用語とこの禅語録との無理やりの接続、実用性消滅ww)
>わたしの首を通り過ぎる刃(やいば)は、さわやかな春風(はるかぜ)だ。
存在は、空である。
(見事な仏教用語とこの禅語録との無理やりの接続、実用性消滅ww)
>鏡は、磨いてこそ、鏡だ。 磨きに磨かなければ、鏡にならない。
瓦だろうが、どびんだろうが、野辺の小石だろうが、すずめだろうが、磨きに磨いて、鏡になる!!
(臨済宗解釈と違うwこの場合、鏡は鏡、瓦は瓦、ありのままにみよ)
(曹洞宗だと坐禅そのものが・・)
>わたしは、かわらだ! 股関節が開かない いす禅の瓦だ ! 般若心経をエンピツ写経している すずめだ!
(妄想主人公丸出しw坐禅するか、ありのままにみよw外道!!)
423:マンモスラリピーぼったんグル「定説」禅特集w
09/09/01 12:50:02 z8Y77xuW
383 :チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM :2009/08/28(金) 19:01:14 ID:4j74Mc8P
わたしは、片手の公案に取り組みました。
そして、道元禅師の「眼横鼻直」も受け取りました。
へえ、それで、とうとう他人の指摘も見えない聞けないアホになったのかねwシコシコ猿ぼったん君w
424:鹿
09/09/01 15:59:51 nkmxc0Gp
指摘はあっても、わかっても、治しようがないのかもしれないな。
お前は馬鹿だ、 そうだよ馬鹿だよ、 でおわりだし。
でもお前も馬鹿ジャン?としか言えないのかも知れないね。
425:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/09/02 01:30:28 wd4IdghE
>>415 素人A さん
視点を変えて見えるようになったのは、加齢現象です・・・(>▽<;; アセアセ
426:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/09/02 01:41:45 wd4IdghE
>>416 素人A さん
趙州録にあるものをコピペしましたが、無門関にも収められています。
以前から、腑に落ちずにいます。
無門関
第十一則 州勘庵主
和尚がある庵主の所へ行って、おるかい、と言うと庵主は拳を上げた。
和尚は「ここは水が浅くて船を泊めるところではない」と言って去った。
また別の庵主の所へ行って、おるかい、と言うと庵主は拳を上げた。
和尚は「すばらしい、その自由自在さに感服した」といって礼をした。
無門関
第二十六則 二僧巻簾
僧達が食事に集まっていたとき、和尚が簾を指した。
二人の僧が簾を巻き上げた。
和尚は「一得一失」と言った。
427:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/09/02 01:53:03 wd4IdghE
>>426
持ち運びしやすいように、
無門関
ハ,,ハ
_,( ゚ω゚ )、 ∧ ハ,,ハ ∧ 第十一則 州勘庵主
(⌒` ⌒ヽ /,、( ゚ω゚ ),、 l
|ヽ ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒) 和尚がある庵主の所へ行って、おるかい、と言うと庵主は拳を上げた。
│ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /| 和尚は「ここは水が浅くて船を泊めるところではない」と言って去った。
│ 〉 |│ |`ー^ー― r' |
│ /──| | |/ | l ト、 | また別の庵主の所へ行って、おるかい、と言うと庵主は拳を上げた。
| irー-、 ー ,} | / i 和尚は「すばらしい、その自由自在さに感服した」といって礼をした。
| / `X´ ヽ / 入 |
r ‐、
| ○ | r‐‐、
_,;ト - イ、 ∧l☆│∧ 第二十六則 二僧巻簾
(⌒` ⌒ヽ /,、,,ト.-イ/,、 l
|ヽ ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒) 僧達が食事に集まっていたとき、和尚が簾を指した。
│ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /|
│ 〉 |│ |`ー^ー― r' | 二人の僧が簾を巻き上げた。
│ /──| | |/ | l ト、 |
| irー-、 ー ,} | / i 和尚は「一得一失」と言った。
| / `X´ ヽ / 入 |
428:素人A
09/09/02 06:54:50 FzA1XEMb
雲門「お前はどこから来たのか」
素人にそんなこときかれても「えーと今此処にいる」
うーん門「どつかで聞いたようなせりふだ」
素人「ところで和尚髯りつぱですね」
雲門「ごまかすな」
429:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/09/02 17:36:45 JGe8baXU
>>428 素人A さん
> 雲門「お前はどこから来たのか」
> 素人「和尚の髯はりつぱですね」
わたしたちは、どこから来て、どこへ行くのでしょうか。
430:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/09/02 17:40:58 JGe8baXU
>>427
これは、鼻は直(たて)に。
涅槃を言う。
431:チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッたん ◆pottan7VXM
09/09/02 21:25:30 JGe8baXU
『 趙州録 27)
僧 趙州の真を写して州に呈す。
州云く、若し老僧に似ば、即ち我を打殺せよ。若し似ずんば、即ち焼却せよ。
僧 対無し。
玄覚代って云く、留取して供養せんと。
※・・・「真を写す」とは、絵師に依頼して肖像画を描かせること。
唐代の仏教界とりわけ禅僧社会では、絵師に頼んで師匠の肖像画、いわゆる頂相を描かせて、これを師匠に呈し、これに師匠の自賛の偈や法語を揮毫してもらい、これを嗣法の証拠として珍重する風習が行われていた。
この頂相の流行と、それをもって伝法や嗣法の証拠とすることに対し、趙州は、日頃、不快の思いを抱いていたものと思われる。
趙州のそうした思いを知ってか知らずにか、弟子の一人の僧が趙州和尚の肖像画を描かせて彼の御覧に入れ、「何卒、自賛の偈を図上に揮毫して頂きたい」と願い出た。
すると趙州、ジロリとその僧を見た上で、 この肖像画が、もし儂にソックリ似ているというならば、この肖像画に参禅したらよかろ う。
とすれば、この儂はもう無用の存在ということになるから、儂を打殺したらよかろう。
又もし似ていないというならば、そんな肖像画、屁の役にも立たない、サッサと焼いてし まえ! と、いつになくはげしい口調で言われた。
こういわれて、「僧 対無し」で、この僧、一言も返答が出来ず、黙って退くほかはなかったという。
そこで玄覚という僧が、「儂がその場に居合わせたら、焼くのは勿体ない。大事に保存して、和尚の帰寂後、これに供養しましょう、と言ったものを」 と言っておる。
これは「無語」よりは些しはましだが、趙州はこれを肯うまい。
ともあれ、禅の真理は単なる抽象的な真理ではない。
生きた人間に荷担され、その人格ないし個性を通じて発露する真理である。
趙州の禅は従ねんいう人間、切れば血の出る生きた彼の肉体を離れて別に存在するものではない。 』
>趙州云く、 「真、老僧に似ば、即ち、我を打殺せよ。」
432:素人A
09/09/03 06:49:15 50LkAts1
身心学道 ・・・・生死はさまざまであるけれども、それを究めつくしてみると、
ようするにどれもこれもみな生死であるからすこしも恐怖心をおこす必要はない。
なぜかというと、まだ生を捨てないうちに、すでに死を経験している。あるいは、
死を捨てないうちに、すでに生を経験している。このように、生は死をさまたげる
のではなく、また死も生を妨げるのではない。生死は凡夫の生死でありながら凡夫
の知るところではない。
とまあそうかなー。小さく私の体で考えても細胞は新陳代謝繰り返しているし、
食い物くつては、ウン子コ出し続ける。↑↓→←⇔あって人も社会自然も世界
もバランス取れるし永遠に続けられるのか。