09/06/20 02:44:00 i/gIJLOQ
>>4
悟りを開いたら「本当の自分」(つまり真我)なんて存在しないってこと?
適切な引用かどうかわからないけど、たとえば般若心経の
『無眼界乃至無意識界、無無明亦無無明尽』(ムゲンカイナイシムイシキカイ、ムムミョウヤクムムミョウジン)
みたいに、五感六識とか我見や迷いの有無そのものを超越してしまうことかな?
ニサルガダッタ・マハラジ師の場合は、個人としての個別意識がなくなっても
‘全体としての無’を知る境地に立ったらしいから、やっぱり
「究極の自分」(A Course In Miracles でいう‘Oneness’単一性)
みたいな感覚を、真我と呼んでるんじゃないでしょうか… と勝手に僕の解釈。
以下は引用です
「I AM THAT」 24. God is the All-doer, the Jnani a Non-doer (の中ほどから)
Q: How does this look and feel in your personal experience?
M: Being nothing, I am all. Everything is me, everything is mine.
「私は在る」 24. 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人 (訳:福間巌氏)
質問者: あなたの個人的な体験では、それはどのように見られ、感じられるのでしょうか?
マハラジ: 無としてあることで、私はすべてなのだ。すべては私であり、すべては私のものだ。