09/08/03 23:01:15 BZWsBIKX
>>270
ある特定の状態を体験もしないのにあると言うのはそれこそ推測、妄想でしかありません。
光は受光体の存在で始めて近くされますが、光も受光体もともに究極のレベルにおいては同じものです。それが立場を変え視点を変えレベルを変えることで分かるようになる。
もっと正しく言えば、真我なり無と一体である時はそれを客観視することは不可能であり、定義付けもできません。ですがそこから意図的に分離することにより、それを定義付けることが出来るようになる。
そもそも我々が使ってる言語や認識の枠組みというのはそういう主客二分を前提のルールとしたものだから、どんなにそれを用いたところであの状態を完全に説明することは不可能です。
そもそも言語を用いる以上、表面的な矛盾の発生は阻止し得ない。そのうえでそれでも厳密性を求めた場合、真我があるという言い方は的確とは言えません。