ニサルガダッタ・マハラジ「私は在る」I AM THATat PSY
ニサルガダッタ・マハラジ「私は在る」I AM THAT - 暇つぶし2ch2:神も仏も名無しさん
09/06/19 03:21:15 M47TZkvr
・英語のまとめサイト
URLリンク(www.maharajnisargadatta.com)
 原文 (英語の全文、無償、一括PDF 約1Mバイト 巨大なので注意)
URLリンク(www.maharajnisargadatta.com)
 英語 Wikipedia 解説
URLリンク(en.wikipedia.org)

・日本語の紹介サイト (熱心な個人の方のサイト、概略がつかめるかも)
URLリンク(now.ohah.net)
 同じ方が作成したキーワード閲覧集
URLリンク(now.ohah.net)

・関連動画 (YouTube)
Sri Nisargadatta Maharaj I.
URLリンク(www.youtube.com)


3:神も仏も名無しさん
09/06/19 03:29:40 M47TZkvr
自分はインド哲学やヒンドゥー教やヨーガ等の分野に関して
まったく門外漢なので、純粋不二元論(非二元論:Pure Non-Dualism)という
分類に括っていいのかどうかも自信ないのですが、
キリスト教系(?)の、ACIM(A Course In Miracles 「奇跡のコース」)
を数ヶ月かけて読み終わった直後に、マハラジの言葉をネットで見つけて
関連・類似する内容がとても多いので、びっくりしました。

「この世は自分が作り出した幻想」「身体も意識も本当の自分ではない」
徹底した自己否定と瞑想の末に、永遠(の神みたいなもの?)の真我との
完全な一体感に気づく、というよりむしろ‘思い出す’
…あたりの教えが、1970年代以後の欧米スピリチュアリズムに与えた
影響の大きさを考えると、「神との対話」や「神との使者」(とACIM)が
かなり読まれている日本で、マハラジ師の本ももっと高く評価されるべきかも。

ラマナ・マハルシ師やその他の関連スレ等でとっくに
議論し尽くされてるのかもしれませんが、初心者の自分としては
他のインド系の話題に疎すぎて、話に入っていけないかもと心配になったので、
勢いでマハラジ単独スレを立ててしまいました、すみません。

(ていうか、検索しても、関連スレがよくわからなかった orz)


4:神も仏も名無しさん
09/06/19 08:17:40 z/Oso1Ka
>>3
>「この世は自分が作り出した幻想」
これは正しいけど

>「身体も意識も本当の自分ではない
これは微妙。仏教の立場から見ればね。
身体も意識も自分ではないが、この書き方では別に本当の自分があるような書き方だろ。
残念だが、そんなものはないから。

5:神も仏も名無しさん
09/06/19 21:53:44 X2V5bgl9
上げ

6:3
09/06/20 02:44:00 i/gIJLOQ
>>4
悟りを開いたら「本当の自分」(つまり真我)なんて存在しないってこと?

適切な引用かどうかわからないけど、たとえば般若心経の
『無眼界乃至無意識界、無無明亦無無明尽』(ムゲンカイナイシムイシキカイ、ムムミョウヤクムムミョウジン)
みたいに、五感六識とか我見や迷いの有無そのものを超越してしまうことかな?

ニサルガダッタ・マハラジ師の場合は、個人としての個別意識がなくなっても
‘全体としての無’を知る境地に立ったらしいから、やっぱり
「究極の自分」(A Course In Miracles でいう‘Oneness’単一性)
みたいな感覚を、真我と呼んでるんじゃないでしょうか… と勝手に僕の解釈。

以下は引用です

「I AM THAT」 24. God is the All-doer, the Jnani a Non-doer (の中ほどから)
Q: How does this look and feel in your personal experience?
M: Being nothing, I am all. Everything is me, everything is mine.

「私は在る」 24. 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人 (訳:福間巌氏)
質問者: あなたの個人的な体験では、それはどのように見られ、感じられるのでしょうか?
マハラジ: 無としてあることで、私はすべてなのだ。すべては私であり、すべては私のものだ。


7:神も仏も名無しさん
09/06/20 03:04:48 fnGPvG0b
>>4
わかってないな、君は。
どうせテーラワーダな人なんだろうけどな。

8:神も仏も名無しさん
09/06/20 03:12:20 fnGPvG0b
>>6
テーラワーダな人はスマナサーラの受け売りしているだけだから
まともに相手にしないほうがいいよ。何もわかっちゃいないから。

9:6
09/06/20 03:35:24 i/gIJLOQ
>>8
テーラワーダってなんだろ?とか思って、早速ぐぐるハメにw
なんも知らなくてすみません

関係ないけど、ゲイリーとアーテンの結婚ニュースとか
パリのエッフェル塔の下で、二人が抱き合う写真とか見て
URLリンク(www.garyrenard.com)
ちょっと精神的にパニクってたもんで、書込みも変になってたw

前の奥さんの気持ちを思うと、なかなか赦せない…
僕はまだ‘赦す’修行が足りんですw


10:神も仏も名無しさん
09/06/20 08:56:29 kQhbM2/b
>>8
そういう偏見は捨てなよ。テーラワーダはスマだけじゃないんだから。

真我があるという真理はある程度まで行くのには有効だが、途中から足を引っ張るようになるから気をつけな。
究極の真理から言えば真我も妄想にすぎない。仏教で言えば世俗諦レベルの真理に過ぎないから。

11:神も仏も名無しさん
09/06/20 09:10:29 ouJpSU4v
This world of empty names and forms, which are the
imagination of the five senses and an appearance in
the pure Supreme Self, should be understood to be
the mysterious play of Maya, the mind, which rises
as if real from Self, Sat-Chit.

この名前と形の世界は、五感の想像であり、純粋な至高の
自己の中にある見せかけであり、maya(幻影)=こころ=
自己(存在―意識)から現実のように生じるもの、の不可
思議な遊びであると理解されるのがよい。

guru vachaka kovai

12:神も仏も名無しさん
09/06/20 09:20:05 ouJpSU4v
O men, do not argue and quarrel amongst yourselves
about the reality of heaven and hell. As long as and
as far as this present world is real, till then and to
that extent heaven and hell are also real.

地獄や天国の現実性について言い争いをしないでおこう。
この現在の世界が現実であるかぎり、またその程度に
おいて、地獄や天国もまた現実である。

guru vachaka kovai

13:神も仏も名無しさん
09/06/20 09:22:56 qGKgQ7gu
>>11
この名前と形の世界は、五感の想像であり、純粋な至高の自己があるというのも見せかけである。

これが正しい。

14:神も仏も名無しさん
09/06/20 09:24:46 qGKgQ7gu
>>12
>地獄や天国の現実性について言い争いをしないでおこう。
>この現在の世界が現実であるかぎり、またその程度に
>おいて、地獄や天国もまた現実である。

これは正しい。真我があるというのも、その程度において現実である。


15:神も仏も名無しさん
09/06/20 09:26:23 nyb2vqVb
>テーラワーダな人はスマナサーラの受け売りしているだけだから
>まともに相手にしないほうがいいよ。何もわかっちゃいないから。
スマナサーラさんはブッダゴーサ(昔の経典注釈家)の受け売りをしているだけですね。
ちなみにスマナサーラさんのシンパがネット上でいろいろやかましいけれども、
スマナサーラさんがテーラワーダの主流ってわけでもないので、ご注意を。


16:神も仏も名無しさん
09/06/20 09:28:10 ouJpSU4v
Only when the ego is destroyed does one become a
Devotee; only when the ego is destroyed does one
become a Jnani; only when the ego is destroyed
does one become God; and only when the ego is
destroyed does Grace blaze forth.

エゴが破壊されたときにのみ、人は奉仕者となる。
エゴが破壊されたときにのみ、人はジャーニーになる。
エゴが破壊されたと二にのみ、人は神になる。
エゴが破壊されたときにのみ、祝福が輝きだす。

guru vachaka kovai


17:神も仏も名無しさん
09/06/20 09:33:51 1drVzeZE
>>15
概ね正しい。
スマはなぜかミリンダ経を意図的に避けているようだが、あれも意味のある経典なんだがな。
そういうこともスマにはある。

18:神も仏も名無しさん
09/06/20 09:40:53 ouJpSU4v
“Who am I?” – the scrutiny of the indispensable truth
of one’s own Self – is the sole life-current passing
through all the religions which have come to save us.
Thus should you know.

「私とは誰か」ー自分自身の自己の真実への不可欠な探求ー
のみが、我々を救いに現れたすべての宗教に通じるものであ
る。そのように知りなさい。

guru vachaka kovai

19:神も仏も名無しさん
09/06/20 09:47:44 cZBl73Gb
>>18
間違ってはないけど、本当の最後の最後、究極の究極において、真実の自己を追い求める姿勢は足かせになるよ。最後はそれも捨てないとそこに囚われ続ける。

20:神も仏も名無しさん
09/06/20 09:50:34 ouJpSU4v
Various religions teaching various principles have
come into existence in order to suit the various levels
of maturity of the minds of the people. Therefore
it is wisest to have an outlook of equality upon these
religions, which should be encouraged [and not condemned

様々な宗教の教えや様々な信条は、人々のこころのさまざまな
段階の成熟度にあうために表れてきている。それゆえに、もっ
とも賢明なのは、それらの宗教に対して、非難するのでなく、
平等な態度をとることである。

giri vachaka kovai

21:神も仏も名無しさん
09/06/20 09:54:21 cZBl73Gb
真我は、仏教の止観で言えば、止(サマタ)の対象の一つでしかない。それは止の究極の対象には違いないが、そこにこだわると観(ヴィパッサナー)にはいつまでも到達できない。
ヴィパッサナーをやってる時に、この観察それ自体を行ってるものはなにか、これこそ真我ではないかとか考え出すと、それは罠にはまってることでしかない。

22:神も仏も名無しさん
09/06/20 09:56:49 cZBl73Gb
>>20
その通り。
だけど、そこに到達すればわかるからと言って手前の真理をさも究極のように語るのが誠実な行為だとも思わない。

23:神も仏も名無しさん
09/06/20 09:59:22 ouJpSU4v
In whichever religion you have faith, follow that religion
with true love, turning inwards instead of
outwardly arguing against other religions due to
attachment [abhimani] to your own religion.

どのような宗教をあなたが信仰していても、真実の愛
をもって従いなさい。外に向かって、自分の宗教への
愛着から他の宗教に反論するかわりに、内にむかって。

guru vachaka kovai

24:神も仏も名無しさん
09/06/20 10:18:05 ouJpSU4v
Some assert, “This world before our eyes, though not
permanent, is real enough”. We deny it saying, “Permanence
is one of the marks of Reality”.

ある人々は「私たちの目の前の世界は、永遠ではないが、十分に
現実である」という。私たちは、「永続性は現実のひとつの指針
である」といって否定する。

guru vachaka kovai

25:神も仏も名無しさん
09/06/20 10:23:25 ouJpSU4v
Some people argue, “Though divided, this world we
see cannot be devoid of Reality”. We refute them
saying, “Wholeness is also a mark of Reality”.

ある人々は、「分割されているが、われわれが見るこの
世界は、現実性が欠けているわけでない」と議論する。
我々は「全体性もまた現実の指標の一つである」という。

guru vachaka kovai

26:神も仏も名無しさん
09/06/20 10:32:24 ouJpSU4v
Unless the body is taken to be ‘I’, otherness – the
world of moving and unmoving objects – cannot be
seen. Hence, because otherness – the creatures and
their Creator – does not exist, it is wrong to call Self
the Witness.

この肉体を「私」とみなさなければ、他者性ー世界
中の動くものと動かないものーは存在しない。それゆえ、
自己を観察するもの(目撃者)と呼ぶのは誤りである。

guru vachaka kovai

27:神も仏も名無しさん
09/06/20 22:21:29 uYpD4S2J
うるせえな。コピーマシン。
いつまでも言葉をコピーしろよ。
言葉をありがたがれ。
言葉を現実と取り違えろ。
地図を読んで行った気になれ。

28:神も仏も名無しさん
09/06/21 00:34:11 A+S39q8s
>>10
その「ある程度」のとこまでさえ遠く及ばないのに、
スマやら何やらの本の受け売りでわかった風な書き込みを繰り返すことが、
如何に愚かしいことかわかってるか?


29:神も仏も名無しさん
09/06/21 00:46:06 tsipuowt
>>28
受け売りとしか取れないということは、あんたはまだ真我にすら到達してないんだな。かわいそうに。
到達すると、真我にこだわってたことがバカバカしいことだったことがよく分かるよ。
真我すら存在しない究極の平安を垣間見ると、真我すら邪魔になってくる。

30:神も仏も名無しさん
09/06/21 00:59:35 8TRAeHLH
お、俺なんか、
おまえらさえ邪魔になるw

31:神も仏も名無しさん
09/06/21 01:44:39 A+S39q8s
>>29
到達してないのによくそういうハッタリをかませるもんだなw
で、ニサルガダッタ・マハラジについては何を知っているんだ?
何も知らん癖に、あちこちのスレに出没しては受け売りを繰り返している可哀想な坊やw

32:神も仏も名無しさん
09/06/21 01:47:20 A+S39q8s
お前が真我さえ超えた究極の平安を本当に垣間見たというのなら、
そのプロセスを事細かに説明してもらおうか。具体的にな。
匿名の掲示板ならハッタリをかましてもバレないと思っていたら大間違いだからそのつもりで。

33:神も仏も名無しさん
09/06/21 06:56:42 dz2praAX
To be subject to arrogance, the reign of hell, is the
great, unacceptable wrong. Who but worthless people
will fail to hate the face of that kalipurusha [that
evil, arrogance], which should never be seen by good
people.

地獄の領域である傲慢に屈することは、甚だしい、容認で
きない誤りである。価値のない人々を除いて、誰が、善き
人においては決して見られない、邪悪な傲慢な顔を嫌悪し
ないだろうか?

guru vacahka kovai

おはようございます。advaitaつながりということで。

ニサルガダッタ・マハラジさんはどういう風に真理を悟ったのですか?

修行など説明してますか?よろしければご教授ください。

34:神も仏も名無しさん
09/06/21 07:12:43 dz2praAX
Since everyone is one’s own Self, whoever does
whatever [good or bad] to whomever, is only doing it
to himself. [Therefore, one should only do good to
others.]

すべての人は自分自身の自己であるゆえ、誰がどのようなこと(
善いこと・悪いこと)を誰に行うにせよ、それはその人自身に行
っているだけである。それゆえ、他者に対してよいことのみ行う
のがよい。

guru vachaka kovai

35:神も仏も名無しさん
09/06/21 07:21:28 dz2praAX
After knowing that the purport at the heart of all
scripture is that the mind should be subdued in order
to gain Liberation, what is the use in continuously
studying them? Who am I?

すべての聖典の核心にある目的の解放を得るためには、
こころを征服しなくてはならないということを知ったあと
で、それらの聖典を学び続けることに何の意味があるのか?
私とは誰か?

guru vachaka kovai


36:神も仏も名無しさん
09/06/21 07:31:32 dz2praAX
To be freed from ignorance by mere studies is as
impossible as the horns of a horse, unless by some
means the mind is killed and the tendencies are thus
completely erased by the blossoming of Self-
Knowledge.

単なる学習で知らないこと(無知)から解放されることは、
馬の角のように不可能なことである。何らかの手段によって
こころが消され、傾向(煩悩みたいなもの)が自己を知ると
いう開花により完全に一掃されなければ。

guru vachaka kovai

37:神も仏も名無しさん
09/06/21 10:20:01 2AyHtD3O
>>32
こんなところに書けるわけ無い。
俺だって発狂寸前で死にかけたんだから、下手に書いて死者を出すわけにはいかない。独学は超危険だったよ。だから俺もその方法はもうやってない。
しっかりした指導者について、地道に頑張るのが一番さ。そこまでいけば必ず俺が書いたことが真実だと分かる。焦らなくてもいい。
真我到達がゴールでは無いことだけ書いておきたい。そう思ってるとそこで努力することを止め、ただの聖者で止まりになる。それではもったいないだろう?

38:神も仏も名無しさん
09/06/21 10:46:23 A+S39q8s
>>37
はい、逃げた。

予想通りw

真我を超えた平安を垣間見たはずの人間が、
「真我」や「I am that I am」という言葉に躍起になって反応せざるを得ない滑稽さw

39:神も仏も名無しさん
09/06/21 10:49:30 s+/UNYx2
>>38
そんなに知りたいなら捨てアド載せて。方法教えてあげるから。
ただし、海外まできてもらう必要があるよ?

40:神も仏も名無しさん
09/06/21 11:06:20 35mkofN6
>そんなに知りたいなら捨てアド載せて。方法教えてあげるから。
>ただし、海外まできてもらう必要があるよ?
自分で捨てアド載せて「ここに連絡して」とか書くのが筋だと思うが。
逃げ際の捨て台詞?
数十分でIDがころころ変わる人ってどうなのかねえ。
別人が釣り針を垂れただけかもしれないけれども。

41:神も仏も名無しさん
09/06/21 11:14:26 R/OvmawN
>>40
IDは携帯で書き込んでるせいだな。なぜかころころ変わる。

知りたい人がアドレス教えるのがとうぜんだろう。それがひとに物を聞く態度か?

42:神も仏も名無しさん
09/06/21 11:27:02 8TRAeHLH
お、俺なんか何も知らないから
おまえらより自由w

43:神も仏も名無しさん
09/06/21 11:35:57 YEbybF7o
>>42
それがいいと思うよ。
真理なんか知らないでも何も困ることはない。

44:神も仏も名無しさん
09/06/21 12:42:44 8TRAeHLH
病院にいる友達のお見舞いに行ったら、
6人部屋で、各人どっちが重病か競いあっていた。

45:神も仏も名無しさん
09/06/22 02:24:55 Qo34iWDy
>>41
呼ばれてもいないのに勝手にスレに参入してきて上から目線で持論を展開し、
じゃあもっと具体的なことを説明してみろと言われると、途端に逃げ腰になり、
捨てメアドを晒すなら教えてやってもいいだと?w
それが真我を超えた平安を垣間見た人間の態度か?w 


46:1
09/06/22 04:30:25 K2dbvWGH
初心者が衝動的に立ててしまった単発スレだったので
埋没しちゃうかな~と心配したけど、なんとか伸びてるみたいで嬉しいです。
いろんな視点からの書込み、有難うございます。
とは言えあまり感情的にならず、できれば議論は建設的に…(汗

つーか僕が知らない言葉や概念が目白押しで、情報量の多さに圧倒されてますw
せっかくつけてもらったレスなんで、自分なりに検索して読み回りました。
テーラワーダって上座部仏教のことなんですね、初心者解説は読んでみました。

ニサルガダッタ・マハラジにはあまり具体的な方法が書いてないけど
まず自分の行為や考えを、傍観者みたいな立場で客観視してみようと
「あー、いま僕は横断歩道を渡ってるな」とか
「いま飯を食って僕は旨いと感じてるな」みたいに
頭の中で唱えながら行動する、って独自流のことをやってたんだけど
これって、ヴィパッサナー瞑想法(←これすら昨日初めて知った)
の実況中継法?の一種だったのか、とか興味深く感じた。


47:神も仏も名無しさん
09/06/22 04:34:12 K2dbvWGH
>>16
>エゴが破壊されたときにのみ、人は神になる。

分野は違うんですが、これってズバリACIM
(A Course In Miracles 「奇跡のコース」)のメインテーマのひとつ
「 ego からの脱却」そのものだと思って、すごい納得。

ACIMのワークブックていう一日一題の実践集の中で
最後のほうにスペシャル課題?が10日ごとにあって
・What Is Creation?
・What Is the Ego?
・What Is a Miracle?
・What am I?
で幕を閉じるんですが、重要そうなので毎日これを唱えながら歩いてたらw
この最後の文が、ふと >>18 の書込みにもある
“Who am I?”「私とは誰か」(マハルシ師)につながって、その先に
ニサルガダッタ・マハラジの→「私はある」に行き着くんだな、と気づいて
一人で悦に入ってました(アマのレビューでも同じことを誰か書いてたけど)。
まぁ、ニューエイジとかスピリチュアルの流れをたどると
結局みなこの古典的な哲学ぽい問題にぶつかるから、当たり前なんだろうけど


48:神も仏も名無しさん
09/06/22 04:39:43 K2dbvWGH
>>26
たくさん言葉を紹介してもらったんで、出典を探しました

・Guru Vachaka Kovai
シュリ・ラマナ・マハルシ師の言葉を、ムルガナール師がタミル語で編集した学修書
(…ていう感じの紹介でいいのかな?)
URLリンク(www.happinessofbeing.com)
英語の全文 (一括 PDF 約 1 Mバイト 直リン巨大なので注意)
URLリンク(www.happinessofbeing.com)

実をいうと、マハルシのことは、アマゾンのニサルガダッタ・マハラジの追加の
関連書の写真ぐらいでしか知らなかったので、いきなり全部は読めない w
不二一元論・ヴェーダーンタ哲学の本流?は巨大すぎて僕にはオーバースペックかも orz

ついでなんですが、英単語「 Witness 」(一般の訳: 目撃する、証人) が
ACIM とか聖書では『証し』(イエスや神について、使徒や信者の行いが証明になる)
みたいな訳が多いのに(もちろん文脈次第ですが)
マハラジとかでは『観照』(自分の内や外をありのままに見る?)
っぽい訳語があてられて、方向性が逆なのが面白いなと思いました。
単に英語のニュアンスの問題なのか、それとも
ヘブライとサンスクリットで全然違う元の単語・概念に
たまたま同じ witness を使っただけかな


49:1
09/06/22 05:18:12 aVE0H9l3
(ふぇ~、まとめレスの最後が3連投規制にかかった(汗)
わざわざ再接続でID変えてすみませんw)

ニサルガダッタ・マハラジの話のどっかに
「細い井戸をたくさん掘ってみるのでなく、ひとつの井戸を
深く掘り進まないと、水は得られない」
みたいな感じの言葉があって、ドキっとしたんですが

>>27 の
>言葉を現実と取り違えろ。
>地図を読んで行った気になれ。

この書込みは、僕としては耳が痛いです
(あ、たくさんの引用紹介レスは、自分的にはおkですが)。
なんか最近、キリスト教→仏教→ヒンドゥ教→…と、
ネットで和文・英文の情報漁りばっかしてて
自分から言葉の洪水におぼれてるような気がする orz

なんかスレ主題のニサルガダッタ師の話題が少ないけど
長文連投すみませんでした、もっと‘座る’よう心がけます


50:神も仏も名無しさん
09/06/22 06:43:01 D9NmPtnq
ラマナ・マハリシの教えは、「WHO AM I?」という短い問答集にまとめら
れています。これはマハリシが言っていたことです。

david godmanさんのHPにある翻訳を読むことをお勧めします。わかりやすく
タミル語(たぶん)から英語へ翻訳されてます。

実践法もしっかり書いてあります。

マハリシは網羅的に瞑想も解説してますので、溺れにくくなると思います。

たぶん。

51:神も仏も名無しさん
09/06/22 08:11:24 epmQSWMF
>>47
>“Who am I?”「私とは誰か」(マハルシ師)につながって、その先に
>ニサルガダッタ・マハラジの→「私はある」に行き着くんだな、と気づいて
>一人で悦に入ってました(アマのレビューでも同じことを誰か書いてたけど)

当面は「私」を探されるのも良いと思います。徹底的に探して下さい。いつか真我に辿り着けるでしょう。
そこで歩みを止めないで、もっと探究を深めて下さい。止めたら、真我が究極の真理と勘違いしたブッダが悟りを開く前に師事した二人の先生と同じ過ちに陥ります。
それだけ真我到達というのは、真理を極めたという満足感と勘違いを引き起こしやすいものなんです。
その真摯な姿勢で、本当の真理に到達するまで頑張ってください。
ただし、無我という究極の真理に浸り続けると日常生活は出来なくなります。だからあれを垣間見た後は、覚悟を決めて先に進むか、今生では止めて次の生にとっておくかの決断を迫られます。
真我到達レベルなら、日常生活になんの支障もありません。マハラジもタバコ屋を続けることが出来たわけですから。

先に進むか留まるか、選ぶのはあなたの自由です。まずは選べるところまで頑張って歩を進めて下さい。

52:神も仏も名無しさん
09/06/22 08:38:18 kWa4H89J
>>45
垣間見ただけだからな。だから俺は大悟徹底はしてない。そこから逃げ出した臆病者だ。あのまま徹底してたら、俺は今この世にはいないはずだ。
無我や涅槃の境地というのは究極の真理だが、知った者が必ず選ばねばならないものでもない。そこがどんなに素晴らしいとしても、行ったら二度と帰れない場所だったら躊躇することもあるだろ?
大乗の菩薩にはそういうのもたくさんいると思う。
行こうと思えば行ける、そういう場所があると知っておけば、心に余裕が生まれる。いざとなればそれを選べばいいが、とりあえず選ばないのもありだ。

真理を知るのと真理になり切るのはまったく別なんだな。

53:神も仏も名無しさん
09/06/22 12:39:36 dqLx/lvE
マハラジやヴェーダーンタの聖者は、もしかしたらわざと真我の存在を強調してるのではないかと思うこともある。
普通の人間には存在するものを探求することは出来るが、無いものを無いと確認しようとは思わないものだろ?
日本人や欧米人の感覚だと、まず死ぬのが怖いというのが先立つ。すべてが無に帰するのが怖いんだな。
だから天国を想定したり、前向きな輪廻転生観を追い求め、安直なスピリチュアル思想に乗っかる。

インド人はその点賢くて、輪廻転生を続けても苦ばかりだから解脱したいという発想が思いつけた。
ところがその解脱が、いつのまにやらブラフマンとアートマンの合一に摩り替わってしまったんだな。
それではキリスト教の天国願望と何も変わらないよ。

結論としては欧米人も日本人もインド人も、なにかがあるという結論を追い求めてしまうということだ。
無になるというのは本能的に恐怖感を引き起こすんだろうな。
そんなものが真理だといっても、誰も喜ばないし探求する気にもなれない。

だからとりあえず、真我を目指させる。そこにたどり着けば、嫌でもその先の真理を垣間見ざるを得ない。
正式なプロセスを踏んでたどり着けば力がついてるからその先を見ても落ち着いていられるが、たどり着けもしない凡夫に真理を語ると怖がって行こうとしないってことなのかもしれない。

ましてあれは、言葉では絶対に語りえない世界だしな。
嘘だと思うならまず真我をめざしてがんばってくれ。そうすれば嫌でも分かる。

54:神も仏も名無しさん
09/06/22 13:59:14 GhC5b4R7
URLリンク(space.geocities.jp)

いいね。

55:神も仏も名無しさん
09/06/22 15:36:51 9fAcqhId
仏教(テーラワーダ)の話はそれにふさわしいスレでどうぞ。
ここはニサルガダッタ・マハラジのスレです。

56:神も仏も名無しさん
09/06/22 15:40:22 9fAcqhId
>>52
行ったら二度と帰れない世界なら行かなければいい。
バーナデット・ロバーツの2冊の本を読めば、ああはなりたくないと思う人もいるだろう。
そして実際あんなふうになる必要はない。
ニサルガダッタ・マハラジも意識を超えたその先にあるものについて言及しているけどね。

57:神も仏も名無しさん
09/06/22 15:57:08 LZ9fLyy6
>>56
54はやり過ぎだったかな。すまん。

ロバーツはあの境涯でよく世俗の生活ができるものだ。本当に不思議でならない。

マハラジもその先について語ってるなら、私はあるなんてそんなに強調することないのに。

58:神も仏も名無しさん
09/06/22 22:09:56 D9NmPtnq
エゴ(我)の滅が涅槃なら、SELF(真我、自己、ブラフマン、静寂、
存在―意識ー祝福)も同じことの別表現にすぎない、、、と思う。

SELFは二元性を超越した状態であるので、それより先に何かを達成
しようとする主体もいなければ、目標となる対象もない。SELFも寂静。
、、、と思う。

59:神も仏も名無しさん
09/06/27 03:46:53 j7lGPEXk
>>54
プッタタート比丘の紹介を読ませてもらいました。
「居る人」と「行く人」の例えは面白いですね、後半の説明で

>何らかの「得る。なる」があれば、たとえどんなに高尚なものでも
>苦と言わなければなりません。得ること、なること自体が苦だからです。
>ゆえに得ること、なることから出てしまい

とありますが、マハラジも似たようなことを言ってたような気がする。
あと別の頁の「空」(くう)に関する法話も読んでみた。
上座部や大乗の相違はよく知らないし、「空」の議論そのものの難しそうだけど
素人として思ったのは、在るとか、虚無とかも言えない、全部を超越した概念
って感じだとすると、マハラジもちらっとどっかで
「 Nothing !」と触れてたような(うろ覚えで場所をすぐ探せないが)。

Wikipediaで見たら、プッタタート師は1993年に87歳で亡くなるまで
一貫して、タイの仏教学界とか政治運動(仏教社会主義?って初めて知った)とか
精力的に社会貢献にたずさわってきた偉人だったんですね。
ここらへんは、ニサルガダッタ・マハラジの‘社会活動に参加しない’という姿勢と
正反対なのが面白いなと思いました。


60:神も仏も名無しさん
09/06/27 03:52:16 j7lGPEXk
>>56
なんか凄まじそうな話なんで、つい興味がわいて、バーナデット・ロバーツも
検索してみました。つーかこの板にもスレがあったんですね。
本を買ったわけじゃないので細かいことはわからないけど
多めに引用して紹介してるブログや書評とかをざっと読んだ感じでは
>>51-53 氏も言ってる、悟りの二段階説?ぽいのはいかにもありそうに思えてきた。
でその中間にバーナデットさんいわく『凍りつくような虚無』の数ヶ月があると。

[第一段階](仮称): 真我を思い出す?、梵我一如?
[遷移期間](仮称): 神経症的とも言える、自己喪失感?
[第二段階](仮称): 究極の状態?、(上にも書いた)空?

テーラワーダ系か何かの初心者向け解説に、悟りの最終目標は
創造主 (=たぶんヒンドゥのブラフマン=たぶん聖書の神) すら消してしまう
物騒な言い方では「神を殺す」(だったかな?)とかいう表現があったけど
これは伝統的な宗教的価値観からすると、恐怖そのものって感じで
敬虔な信者だった人ほど無意識の抵抗が強いんじゃないでしょうか。

ちょっと思い出したのは(また全然違う分野だけど)、シルババーチ系の
スピリチュアリズム関連で、死後体験を500人聞く本があって
生前まじめな教会信者だった人ほど、「周りが灰色で何も見えない」いわゆる
‘ここはどこ?私は誰?’状態で、新しい価値観に適応できない話がでてくる。
神の慈愛に囲まれた至福というイメージにとらわれるほど、次へのギャップ感に
おののいて、‘寂’?への遷移期間が辛くて、個人差が大きいのかも。


61:続き
09/06/27 03:54:46 j7lGPEXk
そういえば、ACIM では「このコースの目標は、聖霊によって目覚めるまで」
つまり上の第一段階(仮称)まで、と明確に書いてあって、
「その先は関知しない」(神に任せる)みたいなことも記されてたような。

で最後に、ニサルガダッタ・マハラジ師の場合を探してみた(ムリヤリだなw)

(I AM THAT 85章より)
Q: It looks like death to me.
M: It is. It is also all-pervading, all-conquering, intense beyond words.
 No ordinary brain can stand it without being shattered;
 hence the absolute need for sadhana.

質: 私にとってそれは死のように見えます。
マ: そうだ。それはまたすべてに浸透し、すべてを征服した、言葉を超える
 強烈なものだ。普通の脳では、粉砕されずにそれに耐えることはできない。
 それゆえ、サーダナが絶対的に必要なのだ。

‘脳が粉砕される’って…w
マハラジさんは、遷移期間なしで、第二段階(仮称)いっちゃったのかも


62:同じ
09/06/27 04:04:58 qfGRlWfN
>>50 紹介ありがとうございます。これ↓でしょうか?
Sri Ramana Maharsi - Who am I? (David Godman)
URLリンク(davidgodman.org)

なんとか辞書ひきながら2ページとも読み終わった。
ラマナ・マハルシ師の教えのポイントは、ニサルガダッタと
完全に同じように感じたので、なんかとても安心しました。

ニサルガダッタのほうは、直接の先生である Siddharameshwar Maharaj 師が
ヒンドゥ教の Navnath Sampradaya とかいう宗派らしいのですが
マハルシ師とそのへんで何か関係あるのかも、とか思いました。

瞑想の考え方について、ラマナ・マハルシ師は二つに分類して
1) Meditaion: 己をブラフマンと念じる(他の伝統的ヨーガの前向き?な方法)
2) Self-Enquiry: 己はこれでない、あれでもないと否定的に消していく自己省察法?
のうち、後者こそがサーダナ修練だと主張してますが、これが
ニサルガダッタ・マハラジの‘not-I’アプローチだったんですね。

唯一気になった違いといえば、食事のことかな。
マハルシ師は、禁酒禁煙、菜食で、味もチリ辛や塩分・酸味の濃いものは避けて
サトビィック料理(って何だろう?)を勧めてますが
ニサルガダッタ・マハラジ師は、特にそういう‘戒’みたいなのは無かったような。
なにしろタバコ屋だし…
あれ?、それとも自分じゃタバコ吸わなかったのかなw


63:神も仏も名無しさん
09/06/27 04:07:24 qfGRlWfN
で最後に本音。
今週から気合い入れて毎晩、瞑想はじめてみたけど
じっと座ってるだけで汗が出てくる。
初心者としては、暑すぎて集中できない orz

タイとかミャンマーとかスリランカとかインドとか、暑い国ばっかりだけど
偉い求道者は、みんなちゃんと瞑想できるのだろうか?
それとも暑さにボーっとして、雑念すら湧いてこないとかw


64:神も仏も名無しさん
09/06/27 06:45:51 cQ2UUdyR
≫62

self-enquiryは「~でない、~でない」と念じる方法ではないです。それは
「who am I」 をもう少し読めばわかるでしょう。

david godman さんの「be as you are」が翻訳されてるのでそちらを読むと
わかりやすいかもしれません。私は訳語の関係で英語の方を勧めますが。

瞑想について知ったかぶりしたくはないのですが、一般に広がっている
さまざままな対象に対して「客観的な観察」をしようと試みるものは、
少なくともラマナ・マハリシが認めているものではありません。

彼が認めているのは
 ①一つの対象への集中
「I am brahman」「OM」とかを繰り返し唱えるjapa
   呼吸に集中するpranayama などなど
 ②対象を取らない主体への集中(self-enquiryの前段階といえる、、、と思う)

①は迂回ルートで②はストレイトウェイで、できる人は②をがんばれと
マハリシは勧めています。

本気で興味あるなら調べてみてください。

サッティブは「純粋な」という意味です。こころを落ち着けるために
こころを荒立てる(ラージャ)食事やだるくする(タマス)食事の節制
を勧めています。
self-enquiryをする人はこれだけ守ればいいと言っています。守れなくても
瞑想はできますが、守れたら大きな助けになるでしょう。



65:62
09/06/28 04:05:19 nl/yLrea
>>64 解説ありがとうございます
つっかえながらの乏しい英語読解力で、マハリシの self-enquiry を
瞑想法の分類の一つと勘違いして、僕の早とちりでした orz

ニサルガも「自分が‘何でない’か、よく調べなさい」と
言ってるから、not-I を呪文のように唱えるのでなく、結果としては
マハリシの self-enquiry と同じことを言ってる気がします

(私は在る 64章の中盤)
M: If in the state of witnessing you ask yourself: 'Who am I?',
 the answer comes at once, though it is wordless and silent.
マハラジ: もし観照の状態のなかで、「私は誰か?」と自分自身に尋ねれば、
 その答えは直ちにやってくる。ただ、それは言葉ではなく、沈黙のものだ。

でも具体的なこと(呼吸とか姿勢とか意識の対象とか?)は
出てこないようなので、僕は結局、自己流になっちゃってますが


66:神も仏も名無しさん
09/06/28 04:08:18 nl/yLrea
ぱらぱらと本をめくってたら、>>64 で紹介してもらった単語も見つかりました

(I AM THAT 6章より)
M: Meditation is a sattvic activity and aims at complete elimination of
 tamas (inertia) and rajas (motivity). Pure sattva (harmony) is perfect
 freedom from sloth and restlessness.
マハラジ: 瞑想は純粋な行為であり、その目的はタマス(不活発性)と
 ラジャス(活動性)を完全に除去することだ。純粋なサットヴァ(調和)は、
 怠惰と落ち着きのなさからの完全な自由だ。

瞑想だけじゃなく、食事にもこの言葉を使うんですね。解説に感謝です。
(実は本の最後に用語解説集がついてることに今頃気づいた orz)
サトヴィック料理の例をぐぐってみたら、豆腐、ネギ、きゅうり、長芋とかを
切って煮ただけの澄まし汁、ていうか「味噌抜きの味噌汁?w」みたいな画像を
見つけたけど、味付けはどうなってるか不安だw


67:自己レス
09/06/28 04:36:36 nl/yLrea
>>66 訂正
画像じゃなく本文みたら、ただのスープだった orz
つーか、×きゅうり→○セロリ ×長芋→○さつまいも
豆腐なんか入ってないし、ハーブとか塩の味付けもちゃんと書いてあるし。
サトヴィック料理ってのは、個々のメニューじゃなく
菜食家むけ調理分野の総合名称って感じでしょうか


68:神も仏も名無しさん
09/06/28 05:48:14 ezDUw8qe
>>65

マハラジの引用はラマナ・マハリシの言葉のようですね。ラマナ・マハリシ
の瞑想の姿勢や対象について詳しく知りたいなら、be as you areでも読ん
で調べてください。私は解説できるほど習熟してませんし、勉強熱心な方み
たいだからお任せします。

>>66-67

料理の例がのっているのですか。確か、ラマナは肉・魚・玉ねぎ・にんにく
・過剰な塩分を控えるように言ってました。どうしても薄味になるでしょうね。

厳しく感じるかもしれませんが、私がヨガのサイトで食事制限のところ見た
ところ、ラマナよりめちゃくちゃ厳しかったです。塩がいらないって書いて
あったような。

69:神も仏も名無しさん
09/06/28 15:58:45 nl/yLrea
>>33 亀レスですが
>ニサルガダッタ・マハラジさんはどういう風に真理を悟ったのですか?
大長文だけど本の冒頭から引用してみます(「マルティ」はニサルガの若い頃の名前)。

■『私は在る』序盤の「ニサルガダッタ・マハラジとは誰か?」より
幼少期、青年期、結婚、そして子供達 ― マルティは中年期を迎えるまで、大した
出来事もない、ごく普通の単調な生活を送った。後に続く聖者としての将来への何の
兆候もないままに。この時期の彼の友人の一人、ヤシュヴァントロ・バーグカールは、
ヒンドゥー教の一派であるナヴナート・サンプラダヤの霊的グル、シュリー・シッダラ
メシュヴァール・マハラジの信奉者だった。ある晩、バーグカールはマルティを彼の
グル、シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジのもとへ連れていった。そして
その夜こそが、彼の人生の転機となったのだ。グルは彼にマントラと瞑想の指導をした。
修練しはじめたばかりの頃、彼は幻覚を見たり、超越状態に入ることさえあった。
そして、何かが彼のなかで爆発した。普遍的意識の誕生とも言える永遠なる生命の
感覚を得て、小さな店主というマルティのアイデンティティは消え去り、シュリー・
ニサルガダッタが生まれたのだ。
 [中略]
光り輝く体験の後、シュリー・ニサルガダッタ・マハラジはそのような二重の人生を
生きはじめたのだった。彼は店を経営したが、もはや利益を追求する商人ではなかった。
後に、彼は家庭と仕事を放棄し、一人の托鉢僧となってさまざまなインド中の聖地を
巡礼してまわった。永遠の生命の探求のために余生を送ろうと、ヒマラヤへの道を
裸足で歩いた。だが、すぐに彼はそのような探求の無意味さを理解し、踵を返して
家へと帰り着いたのだった。彼の理解した永遠の生命とは、見いだされるものではなく、
すでに彼が手にしていたものだったのだ。「私は身体だ」という観念を超え、
彼は無上の至福と平和を得た。彼は真我を実現したのだ。


70:神も仏も名無しさん
09/06/28 16:45:04 nl/yLrea
>>33 同じく
>修行など説明してますか?
彼の思想の核心ぽい部分を書き写してみた。他にも何度も似た言葉がでてくるけど。
長文引用ばっかりでゴメン。僕自身よく判ってないので、これで赦してくださいw

■私は在る( I AM THAT ) 18章 の末尾 マハラジさんのFA:
あなたが何なのかを知るためには、まず、あなたが何ではないかを調べなければならない。
そしてあなたが何ではないかを知るためには、「私は在る」という基本的な事実に
そぐわないものをすべて拒絶し、あなた自身を注意深く観察しなければならない。
私はある時、ある場所で、両親のもとに生まれ、今私は某で、どこそこに住み、
誰それと結婚し、誰それの父親で、どこそこに雇われ等々……といった概念は、
「私は在る」という感覚のなかに本来ないものだ。「私はあれやこれだ」というのが
私たちの通常の態度だ。忍耐強く堅固に、「あれ」や「これ」から「私は在る」を
分離しなさい。そして、「あれ」や「これ」として在るのではなく、ただ 在 る
ということがどういった意味をもつのか感じ取ってみなさい。私たちの習慣のすべてが
それに逆らう。それらと闘うことはときには長く、困難な仕事だ。だが、明確な理解は
大きな助けとなる。マインドのレベルでは、あなたは否定的な言語でしか言い表す
ことができないということをより明確に理解するほど、探求はより早く終焉を迎える。
そして、あなたは無限の実在を実現するのだ。


71:神も仏も名無しさん
09/06/28 17:18:58 nl/yLrea
なまえ ヨシュア
じゅうしょ ナザレ
しょくぎょう ヒーラー
ちち ヨゼフ (もくざいかこうぎょう)
はは マリア
つま マグダラのマリア
こども ―ふめい―
HP: 30
MP: 999
こうげきりょく: 0
ぼうぎょりょく: 0
まほうぼうぎょ: 999
ぶき: ―もてません―
そうび: かわのころも
とくぎ: ほんとうのじぶんをよびだす
コードネーム: J

…こんな感じかと


72:神も仏も名無しさん
09/06/28 17:36:33 nl/yLrea
もひとつ動画みつけた (DVD余録30分対話からの抜粋らしい)
Talk with Nisargadatta Maharaj
URLリンク(www.youtube.com)
撮影が1981年ていうと、肉体を離れる直前? かなりのご老体だけど口調はしっかり


73:神も仏も名無しさん
09/06/28 17:37:11 ezDUw8qe
>>69

解説ありがとうございます。

>普遍的意識の誕生とも言える永遠なる生命の感覚を得て、小さな店主という
マルティのアイデンティティは消え去り、シュリー・ ニサルガダッタが生ま
れたのだ。

It is only due to the false sense-bound knowledge of
the ignorant that they say that Muktas who have realized
the Truth have individuality [vyakti]. Truly, universality
[avyakti] is the real state of a Jnani, whose
nature is the Expanse of Consciousness; the individuality
seen in Him by devotees is a reflection of their
own individuality.

真理を理解したムクタが個性(アイデンティティ)を持っていると言う人は、
ただ知らないもの(無知な人)の誤った感覚に制限された知識によっている
だけである。実に、普遍性はジャーニーの真実の状態であり、彼の性質は意
識の広がりである。帰依者によりみられる彼の個性は、帰依者自身の個性の
反映である。

guru vachaka kovai より関連するだろう所を引用しました。

74:神も仏も名無しさん
09/06/28 17:55:16 ezDUw8qe
>>69

>「私は身体だ」という観念を超え、
彼は無上の至福と平和を得た。彼は真我を実現したのだ。

The life of the filthy ego, which mistakes a body both
as ‘I’ and as ‘my place’, is merely a false imagination
seen as a dream in the pure, real, Supreme Self.

肉体を「私」や「私の場所」と間違えている、汚れたエゴの生命は、単に
純粋で、現実である、至高の自己のなかに夢として見られる間違った想像
にすぎない。

同じくguru vachaka kovaiより関連箇所。



75:神も仏も名無しさん
09/06/30 06:44:26 fBRYruaZ
URLリンク(www.youtube.com)

純粋不二元論 、advaitaが歌であらわされてるかも。

ご冥福をお祈りします。

76:神も仏も名無しさん
09/06/30 13:19:16 EmRp3eei
いいね、懐かしい
小遣いで買った30cmシングル(45rpm)捨てられなくて、押入れにまだ置いてあるw
スティーヴ・ペリー、ケニー・ロジャース、スティービー・ワンダーが
やたら目立ってるのは、気のせいかw
(あの頃はまさか米大統領がアフリカ系になるとは誰も思ってなかっただろうな…)

BEAT IT
URLリンク(www.youtube.com)

実は↓これが一番好きだったw
EAT IT
URLリンク(www.youtube.com)


77:神も仏も名無しさん
09/06/30 13:27:47 EmRp3eei
BE AS YOU ARE - The teachings of sri Ramana Maharshi by David Godman
URLリンク(www.beasyouare.info)

昨日から一所懸命読んでます 何週間かかることやら…
読み終わったら感想かきます

YouTube でラマナ・マハルシ師の古い映像をみると
いつも、ふんどし一丁で杖ついて歩くのがトレードマークみたいですが
あれほどライフスタイルが徹底してるのも凄い


78:神も仏も名無しさん
09/06/30 19:03:43 fBRYruaZ
>>76

EAT ITにくわえ、FATも面白かったです。パロディ知らなかったです。

>>77

be as you areがネットにあるのも知りませんでした。テーマ別にいろいろな
本から抜き出して書かれてあるので、興味ある部分から読むのもいいかも。
会話は抜き出したものだから、前後のつながりがないのが残念なところです。

あと、マハラジの瞑想経験も詳しく知りたいですね。あんまり書かれてないのかな。

79:神も仏も名無しさん
09/07/05 05:01:21 DTlNGkPs
>>68
マハラジの本には料理や食事制限の話は一切ありませんでした。僕が勝手にネットで
ヨガ関連の料理を調べてみただけなんですが、無駄骨だったみたい…
ていうか、なんと彼自身が少量の肉食と喫煙を告白してる箇所を発見
もう真我探求以外は何でもアリって感じ。このシンプルな潔さが気に入った w

I AM THAT 54章より引用 (訳は福間巌 氏)
質問者: 身体は私に深く影響を与えます。多くの意味において、身体は私の運命なのです。
 私の反応、運命や恐れ ― 生来のものであれ、後天的なものであれ、それらはすべて
 身体を根底としています。わずかな量の酒や薬物か何かで、すべては変わってしまいます。
 薬物が抜けきるまでは、私は別人となってしまうのです。
マハラジ: これらすべては、あなたが身体だと考えることによって起こるのだ。真我を
 見いだしなさい。そうすれば、薬物さえあなたに影響を与えることはできないだろう。
質問者: あなたは喫煙しますか?
マハラジ: 私の身体はいくつかの習慣を保っている。それは死に至るまで続いていく
 かもしれない。それらには何の害もないのだ。
質問者: あなたは肉を食べますか?
マハラジ: 私は肉を食べる人たちのなかに生まれた。そして私の子供たちは肉を食べて
 いる。私もほんの少し食べるが、気にするほどのことではない。
質問者: 肉食は、殺すことを意味します。
マハラジ: いかにも。私は終止一貫していることを主張したことはない。あなたは
 絶対的な一貫性が可能だと思っている。例えを示して証明してみなさい。自分自身で
 実践していないことを説いてはいけない。


80:神も仏も名無しさん
09/07/05 05:04:25 DTlNGkPs
訪問者が「ラマナアシュラムから来た」と自己紹介する場面は多いんですが、ニサルガ
ダッタ・マハラジ自身が珍しく、バガヴァーン・ラマナ・マハルシについて少し
論評するシーンを一箇所だけ見つけました(実際に接触があったか否かは不明)。

「私は在る」I AM THAT 70章 冒頭より
Q: I have been at Sri Ramanashram and also I have visited Rishikesh.
 Can I ask you what is your opinion of Sri Ramana Maharshi?
M: We are both in the same ancient state. But what do you know of Maharshi? You
 take yourself to be a name and a body, so all you perceive are names and bodies.
Q: Were you to meet the Maharshi, what would happen?
M: Probably we would feel quite happy. We may even exchange a few words.
Q: But would he recognise you as a liberated man?
M: Of course. As a man recognises a man, so a jnani recognises a jnani.

質問者: 私はシュリー・ラマナアシュラムにいました。またリシケーシも訪れました。
 シュリー・ラマナ・マハルシについてのあなたの意見をうかがえるでしょうか?
マハラジ: 私たちはともに、同じ原初の状態のなかにいる。しかし、あなたはマハルシ
 の何を知っているのかね?あなたはあなた自身を名前と身体だと見なしている。
 だから、あなたの知覚するものすべては名前と身体なのだ。
質問者: もしあなたがマハルシに出会うならば、何が起こるでしょうか?
マハラジ: おそらく、私たちはまったく幸せに感じるだろう。二、三の言葉を交わし
 さえするかもしれない。
質問者: しかし、彼はあなたを解脱した人として認識するでしょうか?
マハラジ: もちろんだ。人が人を認識するように、ジニャーニはジニャーニを認識するのだ。


81:神も仏も名無しさん
09/07/05 05:06:12 DTlNGkPs
ラマナアシュラムの場所を調べてみた
URLリンク(maps.google.com)

ニサルガ師在住のムンバイから、南東に1000kmも離れてるので、気軽には行けないみたい。
海外からインド修行の旅廻りに来た人が、飛行機or列車でムンバイまで来て
噂のニサルガ師を‘ちょこっとだけ’訪問して、最後に母国への長距離便に乗る
ってパターンが多かったのかも


82:神も仏も名無しさん
09/07/05 05:27:12 qR7uT5Ne
>>78
マハラジ自身は特別な瞑想を何もしなかったという話が、何箇所かでてきます。グルの
言葉を信じて「私とは何か?」→「私は在る」をひたすら考えながら日常生活してたらしい。
一番くわしく答えてる部分を、丸ごと引用してみます。

私は在る I AM THAT 78章の冒頭より (訳は 福間巌 氏)
Q: Are we permitted to request you to tell us the manner of your realisation?
質: あなたの真我の実現がどのように起こったのか、尋ねてもよいでしょうか?

M: Somehow it was very simple and easy in my case. My Guru, before he died,
 told me: Believe me, you are the Supreme Reality. Don't doubt my words, don't
 disbelieve me. I am telling you the truth -- act on it. I could not forget
 his words and by not forgetting -- I have realised.
マ: どうしたものか、私の場合それはとても簡単で、やさしいものだった。私のグルが
 亡くなる寸前に私に告げたのだ。「私を信じなさい。あなたは至高の実在なのだ。
 私の言葉を疑ってはならない。不信感をもってはならない。私は真実を伝えているのだ。
 それに基づいて行動しなさい」と。私には彼の言葉を忘れることができなかった。
 そして忘れないことで、私は真我を実現したのだ。

Q: But what were you actually doing?
質: しかし、実際にあなたは何をしたのでしょうか?

M: Nothing special. I lived my life, plied my trade, looked after my family,
 and every free moment I would spend just remembering my Guru and his words.
 He died soon after and I had only the memory to fall back on. It was enough.
マ: 何も特別なことはしなかった。私は私の人生を生き、商売に励み、家族の面倒を見、
 時間の許すかぎり、私のグルと彼の言葉を覚えていたのだ。じきに彼は逝き、私は記憶に
 頼ることしかできなかった。それで充分だったのだ。


83:続き
09/07/05 05:29:22 qR7uT5Ne
Q: It must have been the grace and power of your Guru.
質: それはグルの恩寵と力だったに違いありません。

M: His words were true and so they came true. True words always come true.
 My Guru did nothing; his words acted because they were true. Whatever I did,
 came from within, un-asked and unexpected.
マ: 彼の言葉は真実だった。だからそれは実現されたのだ。真実の言葉はつねに実現される。
 私のグルは何もしなかった。彼の言葉が働きかけたのだ。なぜなら、それらは真実だった
 からだ。何であれ、私のしたことは願わず、求めずして内側から起こったものだ。

Q: The Guru started a process without taking any part in it?
質: グルは自ら参加することなしに、一連の変化を起こしたということでしょうか?

M: Put it as you like. Things happen as they happen -- who can tell why and
 how? I did nothing deliberately. All came by itself -- the desire to let go,
 to be alone, to go within.
マ: あなたの好きなように表現するがいい。ものごとは起こるように起こるのだ。
 なぜ、どうしてなのかを誰が言えるだろうか?私は何ひとつ意図的にしなかった。
 手放そうという熱望、ひとりになること、内側へと向かうこと、すべてはひとりでに
 起こったのだ。


84:続き
09/07/05 05:34:40 qR7uT5Ne
Q: You made no efforts whatsoever?
質: あなたはまったく何の努力もしなかったのでしょうか?

M: None. Believe it or not, I was not even anxious to realise. He only told me
 that I am the Supreme and then died. I just could not disbelieve him. The rest
 happened by itself. I found myself changing -- that is all. As a matter of
 fact, I was astonished. But a desire arose in me to verify his words. I was so
 sure that he, could not possibly have told a lie, that I felt I shall either
 realise the full meaning of his words or die. I was feeling quite determined,
 but did not know what to do. I would spend hours thinking of him and his
 assurance, not arguing, but just remembering what he told me.
マ: 何ひとつしなかった。私は真我を実現しようと苦悩していたわけでさえない。
 彼は私に「あなたは至高なるものだ」と告げ、そして死んだのだ。私にはただ彼を
 疑うことができなかった。それ以外はすべてひとりでに起こっていった。私は変わり
 つづけていく私を見ていた。ただそれだけだ。実のところ、私は驚いている。しかし、
 彼の言葉を立証したいという熱望が湧いてきたのだ。私には彼が嘘をついているはずが
 ないというあまりにも強い確信があったため、彼の言葉の完全な意味を実現するか、
 そうでなければ死ぬしかないと感じたのだ。私の決意は強固なものだったが、何を
 すべきか知らなかった。私は何時間も彼のことと彼が確約した言葉を想い、議論する
 ことなく、ただ彼の言った言葉を覚えていたのだ。


85:続き(終り)
09/07/05 05:45:14 o70HSi1Z
Q: What happened to you then? How did you know that you are the Supreme?
質: そして、何があなたに起こったのでしょうか? どのようにしてあなたが至高なる
 ものだと知るに至ったのでしょうか?

M: Nobody came to tell me. Nor was I told so inwardly. In fact, it was only in
 the beginning when I was making efforts, that I was passing through some
 strange experiences; seeing lights, hearing voices, meeting gods and goddesses
 and conversing with them. Once the Guru told me: 'You are the Supreme Reality',
 I ceased having visions and trances and became very quiet and simple. I found
 myself desiring and knowing less and less, until I could say in utter
 astonishment: 'I know nothing, I want nothing.'
マ: 誰かがそれを伝えにきたわけではない。内面でそう言われたのを聞いたわけでもない。
 事実、努力をしたのは、ほんのはじめのころだけだ。私は光を見たり、声を聞いたり、
 神々に出会ったり、彼らと話をしたりという奇妙な体験を通り抜けてきた。ひとたび
 グルが私に「あなたは至高の実在だ」と言ったとき以来、幻想や超越状態を体験する
 ことはなくなり、とても静かに、そしてシンプルになった。私は欲望をもつことや
 知ろうとすることがだんだんなくなっていき、最後にはまったくの驚きとともに、
 「私は何も知らない。私は何も欲しくない」と言うまでに至ったのだ。


86:神も仏も名無しさん
09/07/05 06:22:26 o70HSi1Z
で、僕自身の感想なんですが、ニサルガダッタ・マハラジはもしかして、選ばれた人
あるいは‘特別な素質を持ってた人’だったからこそ、簡単に悟れたのでは?
という気がしてきた。彼のグルはそれをきちんと見抜いた「予言者」的立場だったのかも。
David Godman 氏の「 Be as you are 」を読むと、バガヴァーン・ラマナ・マハルシも
16歳のときに突然、神秘体験をして悟り始めたそうですが、やっぱ特別な資質に恵まれ
てた、言い換えると多くの人に教えを広めるため‘悟る運命にあった’のかも。
何十年も修行しても進展しない、と悲嘆にくれてマハラジに相談する気の毒な人も
本にでてくるので、余計そういう印象を持ちました。

ところで福間巌さんは、‘realise’をズバリ「真我を実現する」という訳語に
ほぼ一貫して統一なさってるのが、興味深い。
ちょうどラマナ・マハルシの Be as you are の最初の方の箇所を連想しました↓

Q: How to know this by direct experience?
[中略]
A(Maharshi): One cannot describe that state. One can only be that.
 Of course, we loosely talk of Self-realization, for want of a better term.
 How to `real-ize' or make real that which alone is real ?

唯一の real な物をどうやって real-ize できるのか、っていうシャレが面白い


87:神も仏も名無しさん
09/07/05 06:58:41 5C1YDL6W
 マハリシは、人の精神的な成長の違いがあることを認めています。ほんのわ
ずかな人、前世で修業を終えている人は、真理をきくだけで悟るらしいです。
そのほかの大多数は頑張って修行に励まないといけないみたいです。

 マハリシは今世では人間の師から指導もなしに悟ったから、例外中の例外だ
と思います。

 マハラジは十分修行して成熟したころに師から最後に真理の言葉を聞き、さ
とったみたいですね。マハラジの師についてもすごい興味があります。

 realizeの訳はどうかな~っと個人的に思います。マハラジはrealizeのあと
に目的語をいれてないから、「理解する」とか「悟る」にしていたほうがいい
と思います。
 マハリシの引用の説明みたいに、SELFはrealizeされるものでなく、実際は
SELFを隠しているmayaをのぞくことが修行らしいです。まあ、マハリシも相手
にあわせて、realize SELFということもあったでしょうが。
 しかし、mayaをとりはらうという説明も、SELFが隠れているという説明もほ
んとはおかしくて、「SELFしかない」が究極的な真理でしょうね。説明はわれ
われの立場を考えてなされているものだから。

88:神も仏も名無しさん
09/07/05 09:57:15 h3Aw3F/f
>>60
ずっと規制で書き込み出来なかった。
真我を説く人がそのさらに奥に究極の状態があることを理解し、その上で方便として真我を説くなら問題はないな。
ACIMも胡散くさそうで本を読む気がしなかったんだが、ちゃんと限界を設けそれを説明してるなら、良心的と言える。

89:神も仏も名無しさん
09/07/05 15:17:42 mq7+tpQT
>>88
そういう書き込みをるあんたは何さまなんだよw

90:神も仏も名無しさん
09/07/05 15:34:01 2Kg4EEDE
>>89
何様なんだろうな?
仮に形成されただけの俺は、この瞬間は人間ということになってるけどな。

91:神も仏も名無しさん
09/07/05 16:24:33 ll1zGdXY
>>88
マハラジの本でも二段階説っぽい箇所を見つけたので引用します(僕の早とちりかも?)。

私は在る I AM THAT 99章の末尾 (訳: 福間巌 氏)
Q: What comes first -- the abandoning of the mind or self-realisation?
M: Self-realisation definitely comes first. The mind cannot go beyond itself
 by itself. It must explode.
Q: No exploration before explosion?
M: The explosive power comes from the real. But you are well advised to have your
 mind ready for it. Fear can always delay it, until another opportunity arises.
Q: I thought there is always a chance.
M: In theory -- yes. In practice a situation must arise, when all the factors
 necessary for self-realisation are present. This need not I discourage you.
 Your dwelling on the fact of 'I am' will soon create another chance. For,
 attitude attracts opportunity. All you know is second-hand. Only ‘I am' is
 first-hand and needs no proofs. Stay with it.

質問者: マインドを放棄することと真我の実現、どちらが先に来るのでしょうか?
マハラジ: 真我の実現がかならず先に来る。マインドはマインドによってそれ自体を
 超えることはできないのだ。それは爆発しなければならない。
質問者: 爆発の前に探求はないのでしょうか?
マハラジ: 爆発力は実在からやってくるのだ。だが、あなたはマインドをそのときに
 備えておくように充分教えられている。次の機会がやって来るまで、恐れはつねに
 それを遅らせることができる。
質問者: 私はチャンスがいつもあるものだと思っていました。
マハラジ: 論理的にはそのとおりだ。実際は、真我実現のために、すべての必要要因が
 揃った状況が生じなければならないのだ。このことで落胆することはない。「私は在る」
 という事実にとどまることが、別のチャンスをすぐにつくり出すだろう。なぜなら、
 態度が好機を引き寄せるからだ。あなたの知っていることはすべて間接的な知識だ。
 ただ、「私は在る」だけが直接の、そして証明を必要としないものなのだ。
 それとともにとどまりなさい。


92:神も仏も名無しさん
09/07/05 19:08:29 5C1YDL6W
>>91

マハラジはマインドをどう定義しているのですか?

読んだ限りでは、二段階説のようには思えませんが。つまり、真我を超えた
あとになにかあるという段階をマハラジは主張してますか?



93:神も仏も名無しさん
09/07/05 20:05:57 mq7+tpQT
>92
アジズとの対話という本でそのことに触れられている。

94:神も仏も名無しさん
09/07/05 20:56:11 mq7+tpQT
でもねも、真我さえ実現していない人が、構造的にその先にあると言われているものを心配しても仕方がないんだが。
つーか、そういうことを気にかけていること自体、真我とは程遠いところにいることの証左でもあるしw

95:神も仏も名無しさん
09/07/05 21:07:12 5C1YDL6W
58で言ったように、

SELF(真我)は二元性を超越した状態であるので、それより先に何かを達成
しようとする主体もいなければ、目標となる対象もない。

誰が何を目指すのか?





96:神も仏も名無しさん
09/07/05 21:24:55 P3Gcv+qr
>>81
ラマナアシュラムのあるティルヴァンナーマライはそれほど遠いところではありませんよ。

インド南方の大都市チェンナイからバスで4~5時間ほどで着きます。チェンナイについてオートリキシャでバスステーションまで行き、バスに乗っていれば到着します。
そこにはラマナ・マハルシのグルにしてシヴァ神そのものである聖山アルナーチャラがあります。

アシュラムにはメディテーションルームがあり、いかなる国のいかなる人にも開放されています。
またアルナーチャラを登ればラマナがかつて住んでいたスカンダ・アシュラムや
ビルバークシャ洞窟があり、驚くほどのパワーを与えてくれます。
ラマナアシュラム周辺には欧米や韓国・日本からきた修行者が多数滞在し、賃貸の部屋やネットカフェ・スーパーなどがあります。
日本からインドに移り住み、ティルヴァンナーマライに永住している日本人が何人もいまして食事や部屋のことについて親切に教えていただけます。
またラマナアシュラム付属の図書館には、英語だけでなく日本語の文献も多数置いてあり、日本では絶版になった本も取り揃えてあります。

ラマナは真我探求(アートマ・ヴィチャーラ)だけでなくアルナーチャラに対してのバクティも強く説いています。
もしもラマナの修行法に強くひかれる気持ちがあって時間的余裕があるならば、一週間でもラマナアシュラムに滞在されることをお勧めします。

金銭的にもインド(チェンナイ)と日本の往復に滞在費(一日300ルピーとみて750円程度)ですので、それほど高くはないかと思います。

97:神も仏も名無しさん
09/07/05 21:36:12 5C1YDL6W
≫96

実際にラマナアシュラムへ行かれたのですか?よろしければ、体験談などおき
かせください。

98:96
09/07/08 00:44:14 uZPQGv8J
>>97縁があって昨年に2ヶ月ほど滞在してきました。

朝は4時ごろに起きて、甘いチャイを飲んでから瞑想。修行者用のレストランで朝食を食べてからアルナーチャラ山の上にあるテンプルで瞑想。
昼に下山して昼食を取り図書館でラマナ関係の本をよんだり、ネットカフェで日本のサイトを見たり。
夕食後は自転車でアルナーチャラのまわり13キロほどを一周してました。
といっても基本的にその日の気分で行動をかえていましたが。やるきの出ない日は部屋でヨーガをしたりごろごろしてました。
インドの気候は昼の日差しが激烈ですので、昼以降はあまり出歩けないんです。

宿や食事などは中学生程度の片言英語でなんとか生活できました。また複雑な問題でも現地に永住している日本人のかたが教えてくれたため乗り切れました。
詳しくは「ラマナ・マハリシの臨在」というサイトがありますので、そちらをご覧ください。私もこのサイトのおかげでラマナアシュラムに行けましたから。


99:96
09/07/08 00:45:44 uZPQGv8J
あとラマナの不二二元論に惹かれるのでしたら、以下の参考文献をお勧めします。ニサルガダッタ・マハラジと本質的に同じであるため非常に役にたつと思います。
私の場合、現地に永住している日本人の方に「私は在る」を貸していただき、マハラジのことを知りました。というか滞在している日本人でマハラジを知らない人がいませんでした。

  ●「あるがままに―ラマナ・マハルシの教え 」(単行本) デーヴィッド ゴッドマン (編集), 福間 巖 (翻訳)

  ●「不滅の意識―ラマナ・マハルシとの会話」 (単行本) 柳田 侃 (翻訳), ポール ブラントン, ムナガラ ヴェンカタラミア

  ●「ラマナ・マハルシの伝記―賢者の軌跡 」(単行本) アーサー オズボーン (著), 福間 巖 (翻訳)

  ●「覚醒の炎―プンジャジの教え」 (単行本) デーヴィッド・ゴッドマン (編さん), 福間 巖 (翻訳)

  ●「秘められたインド (単行本) 」ポール・ブラントン (著), 日本ヴェーダーンタ協会 (翻訳)

  ●「真の自己責任と自己実現の教えとしての新カルマ論 」(単行本) ポール ブラントン (著), Paul Brunton (原著), 大野 純一 (翻訳)

加えて「クリシュナムルティの瞑想録」やエックハルト・トールの「ニューアース」なども読む価値があるかと思います。
じゃっかんスレ違いの感も否めませんが、同じ不二二元論を唱えた聖者のつながりとしてお許しいただけますようお願いします。

100:神も仏も名無しさん
09/07/08 19:22:23 HeU0dble
>>98 99

ありがとうございます。参考になります。アルナーチャラが身近に感じられ
るようになりました。

101:神も仏も名無しさん
09/07/08 19:30:00 hl79bjgq
ニサルガダッタ・マハラジはカースト制度について何と言ってますか?

102:81
09/07/12 15:50:07 83H7gd+M
>>96,98,99
ラマナアシュラムやアルナチャーラ山の話ありがとうございます
臨場感ある現地レポは、いろいろな意味で考えさせられて興味深い

ニサルガダッタ・マハラジとバガヴァーン・ラマナ・マハルシの教えは
類似点が多く、質問内容によってはそっくり同じ比喩や言い回しを使って
回答してる様子も感じられたので、もしやマハラジはマハルシに
直接会ったことがあるのでは?というのが僕の思いつきだったのですが
マハルシ存命中の1950年まではインド国内航空網が庶民に普及してたとは
思えないし、マハルシ自身は、ティルヴァンナーマライ近辺から終生ほとんど
離れたことがないそうなので、ニサルガダッタ・マハラジのほうが

1) ボンベイ(ムンバイ)からマドラス(チェンナイ)まで列車で大旅行したか又は
2) マハルシ死後、彼関連の著作がインド内でも普及し、それを読破・暗記した

なんとなく1より2の可能性が大な気がしてきました
ニサルガダッタがラマナ・マハルシの直弟子でないのが残念
まぁ教えの方向性が一貫してれば、どうでもいいことかもしれないけど


103:雑談
09/07/12 15:53:07 83H7gd+M
チェンナイ(旧称マドラス)をWikipediaで調べたら、サン・トメ要塞てのがあって
キリストの使途トマス(ディドモ)のインド伝道説にちなむらしい…
えぇっ?これってもしや「神の使者」にでてくるパーサこと福音著者トマスが
最後に殺された場所がチェンナイ近傍なのかっ!? と驚きましたw

「神の使者」のゲイリー=トマスがまさか、シヴァ神舞踏伝説アルナーチャラ山や
マハルシの話題に、こんなとこでつながってくるとは思わなんだ
純粋不二元論ってあなどれないw


104:神も仏も名無しさん
09/07/12 16:08:26 83H7gd+M
あいかわらず初心者のままで、今さらな質問ですが
Bhagavan Sri Ramana Maharshi 師の呼び方の日本語訳として
マハリシ? マハルシ?
どっちが一般的なんでしょうか

最近の書名では「マハルシ」のほうが多いのかなと思ったけど
ネットでみると、公式にはマハリシ協会とかあるみたいだし

あと「マハリシ」で Google 検索すると、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギとかいう、
ラマナ・マハルシとは明らかに違う分野ぽい人も混じって出てくるので、戸惑います
一般的な敬称らしいし、ささいなことにこだわっても仕方ないけど


105:神も仏も名無しさん
09/07/12 16:51:23 83H7gd+M
>>101
日本のふつーの世俗人として僕も、インド社会での階級制の歴史的な重み?とか
最近あるのかどうか知らないけど『寡婦殉死』みたいな気の毒な親族プレッシャーとか
についてインド聖者・賢人たちがどんな風にコメントしてるのか興味がありました。

でもニサルガダッタ・マハラジ「私は在る」を通読した限りでは、直接それに触れた
対話は出てこなかったような感じです。もうちょっと広い話として
「今おこってる東パキスタン戦争(1971頃のバングラデシュ独立闘争を指す)をどう思うか」
とか「兵士に殺された幼児の写真を見てあなたは何も感じないのか」みたいな質問に
ニサルガはいつものように『世界を救うにはまず自分を救うのが先』論で答えてます。

僕としては先月、最初に読んでた頃は「はがゆい対応だな~」と思ったんだけど
最近はこれが正論かなと納得し始めてます。戦争・人権・階級問題は‘外の問題’
そして実は‘内なる自我が投影した幻想問題’としてひとまず棚上げし
まず自分自身がマインドを鎮める練習を積めば、問題の本質(あるいは社会問題に
見えてたけど実はもっと別の問題だった、という本質)が見えてくるかもしれないと
考えるようになりました。

ついでに David Godman の Be As You Are (ラマナ・マハルシ対話集「あるがままに」)
原文pdf内を「 caste 」で検索してみたら、たった一箇所だけ

(Maharshi:) Expansion of love and affection would be a far better term for a
 true devotee of God than renunciation, for one who renounces the immediate
 ties actually extends the bonds of affection and love to a wider world
 beyond the borders of caste, creed and race.

おぉっ!と思って辞書で調べながら読んだら
「真我探求には家業や俗世を捨てる必要はない」という文脈の章で
階級制度や社会問題とはあまり関係ない話だった orz


106:神も仏も名無しさん
09/07/12 17:26:49 83H7gd+M
>>92
ご指摘の通り、やっぱり僕の早とちり癖だったみたいです
ニサルガがここで言ってる‘マインド’は、たぶんマハルシ師の使う
I-thoght あるいは狭い用途の Mind (他所の ego に近い?)と同様だと思います

realize すると mind-explosion の覚悟ができる、つまり一時的に自我を鎮めるんでなく
完全に自我を消失するプロセスの話って感じ。
だから >>95 の 「唯一の実在=SELF」になりきってしまえば、主体や対象という
区分が完全に無いはず、という意見がたしかに一番妥当な気がしてきました。

ところで、Be as you are の後半には他のヨガのいろんな方法(クンダリーニとか?)で
『一時的なマインド鎮静・恍惚に浸っても、またマインド復活するしグルなしは危険』
みたいなマハルシの警告・解説があるようなので(まだちゃんと読めてないけど)、
二段階説として考えるよりは、僕みたいな独学初心者むけの、「途中で罠にはまらない
ための戒め」として銘記すべきアドバイスだと受け止めることにしました

ちょうど >>51 さんが挙げた留意事項に該当するかも

>>94
>真我さえ実現していない人が、構造的にその先にあると言われているものを心配しても仕方がない

うっ…… ずばり僕にとって鋭い指摘…… 反論できないw
すみません、地道に精進します


107:神も仏も名無しさん
09/07/12 17:55:36 83H7gd+M
>>87
>マハラジの師についてもすごい興味があります。

ニサルガの先生にあたるシッダラメシュバール師の解説を偶然みつけました
Siddharameshwar Maharaj (1888-1936)
URLリンク(www.angelfire.com)
(僕も見つけただけで、まだ読めてません、すみませんw)

>>93
興味がわいたので、アジズ・クリストフ師を検索してみました
Aziz Kristof (Biography) (1962/5/11~)
URLリンク(www.angelfire.com)
ニサルガ本の英訳者モーリス・フリードマン氏と同じ、ポーランド出身てのが面白い
ニサルガダッタの本を読んで感銘を受けた…云々。直接は会ってないのかな?
日本とかにも来て道元・只管打坐その他を学んだそうですね

アジズとの対話 (天野清貴氏のサイト)
URLリンク(www2.wbs.ne.jp)
を見つけたので、少し読みました。残念ながら、
ニサルガダッタ・マハラジについては、章の目次しか掲載されてない orz
あくまでも、アジズ・クリストフ師の思想からみると、ニサルガダッタ・マハラジの
対話内容も二段階説に還元できる、という視点なのでしょうか?
本を未購入なので、具体的な感想は何も書けなくて、すみません


108:神も仏も名無しさん
09/07/12 18:27:28 83H7gd+M
ニサルガダッタ・マハラジとラマナ・マハルシ(マハリシ)の違いについて

Be As You Are (>>77)をぼちぼち読んでます。
「 Self enquiry - misconceptions 」(真我の探求方法の誤解について)
という章を見てたら、どうやら僕も誤解してたかも、って気がしてきた。

>>70 でも紹介した通りニサルガ師は、自分でないものを切り落としていく?
自己否定をあちこちで推奨してますが、これは
『ネチネチ法』(Neti-Neti approach)として、マハルシ師は非推奨みたいですね。
そんなまだるっこしいことはせず、ずばっと「 Who am I ?」に焦点を合わせれば
自然とマインドが鎮まって、そのソースはどこから来るか、と考える練習が続けられる
というアプローチ。

全体の方向性は二人とも同じだけど、自己否定にネチネチと粘着するwよりも
「私は誰?」のほうがストレートかも。ニサルガも別の対話で、マハルシ師の
Who am I 法を引用してるから、僕はこっちを採用したい気分

Be as you are の中の主婦への回答で、家事や仕事に忙しい人は
短縮形で「I」一言だけでもいい、みたいなマハルシの助言があったのが気に入りました。

世界の中心でアイを叫… (ry


109:神も仏も名無しさん
09/07/12 20:02:20 pkVj3fNz
>>108
>全体の方向性は二人とも同じだけど、自己否定にネチネチと粘着するwよりも
>「私は誰?」のほうがストレートかも。ニサルガも別の対話で、マハルシ師の
>Who am I 法を引用してるから、僕はこっちを採用したい気分

ブッダも同じネチネチ法を用いたんだよ。体も我ではない、脳も我ではない。そうやってどんなに突き詰めても我なんてものは見つからない。だからこそ無我なんだが、同じことやって真我という真逆の
結論に達するのが面白いな。
もしかしたら真我と無我は同じものかもしれないけど。

>世界の中心でアイを叫… (ry

そんな君にはまごころを…(ry

110:神も仏も名無しさん
09/07/13 20:30:38 SwOWf/HO
>どんなに突き詰めても我なんてものは見つからない

ラマナの創作なのか昔からのヒンドゥの喩えなのか知らないが、10人目の男の話を思い出した。
10人の男が川を渡り終わって人数を数えてみると9人しかいない。
そんなはずはない、と別の男が数えてみたが、やはり1人足らない。
次から次へと別の男が数えるが、どうしても9人しかおらず、
男たちは「誰か川に流されてしまった」とおいおいと泣き出した。

長いので端折ると、全員自分を勘定に入れるのを忘れていた、という話。
仏陀で言えば、「突き詰めて見つからなかった」と言うお前は誰なんだ?ってことだな。
答え:慌てん坊さん。

111:神も仏も名無しさん
09/07/13 22:21:15 81RXE5f8
>>110
うまい!w

112:神も仏も名無しさん
09/07/13 22:53:58 6Wu+Vs0a
>>110
なんとか一般的な喩えで説明しようという努力は買うが、その数え忘れた自分さえ一時、ある瞬間に形成されたはかないものでしかないんだがなあ。

113:神も仏も名無しさん
09/07/16 07:32:48 bMbStJTP
ニサルガダッタ・マハラジとラマナ・マハルシだったら、まるっきりレベルが違うでしょ?
本当に悟りを得ていたらカルマの影響は受けないと言っても自ら進んで肉食も喫煙もやらないと思うから

でもラマナ・マハルシいわく他人のことより自分が真我に在りなさい、他人は他人で真我に在る
といったことらしいから、誰が悟ってるかとかは本質的には無益な話題な訳だけど

114:神も仏も名無しさん
09/07/18 00:15:03 8txKd/fK
>>112
うーん?言ってることは俺の「慌てん坊さん」と似たような意味であって、
どこが反論なのか分からないが。
組み合わせてみよう。
「その数え忘れた自分さえ一時、ある瞬間に形成されたはかない慌てん坊さんでしかないんだがなあ。」
ほら。

115:神も仏も名無しさん
09/07/18 07:42:38 Qtx2spZf
>>114
はかない慌てん坊さんが真我であることなど無いということですよ。
つまり、真我なんかどこにもないということです。

116:神も仏も名無しさん
09/07/18 16:33:16 k2XP7rwT
>>115
そのことをあなたは体得されているのですか?
ただの受け売りなのであれば、
そういう観念こそが、はかない慌てん坊さんそのものでしょう。



117:神も仏も名無しさん
09/07/18 16:34:26 jjeTv8zj
RS: Have there been living people whom you regarded as your Gurus, or who had an especially strong impact on you spiritually?

DG: I think the four key spiritual figures would be Lakshmana Swamy, Saradamma, Nisargadatta Maharaj and Papaji. I have to include
  Ramana Maharshi on this list, even though I never met him while he was alive. I feel him as strongly as I have felt any other teacher.
The Self that took the form of Ramana Maharshi is my Guru. He lit the lamp of enlightenment in the Heart of a few of his devotees,
 and when I sit in the presence of these beings I am receiving the luster, the light of Ramana Maharshi through them.
So I will not say that my Guru has a particular form. I will say that the light of Arunachala became manifest in Ramana,
 and through him it was passed on to Lakshmana Swamy, Papaji, and Saradamma. When I bask in their light,
 I am basking in the living, transmitting light of Arunachala Ramana.

Nisargadatta does not belong to this lineage,
 but he was an enormously beneficial presence in my life in the late 1970s
and early 80s. I used to go and see him as often as I could.
He repeatedly told me "you are consciousness"
 and on a few rare, glorious occasions I understood what he was talking about.
He was not simply giving me information, he was instead describing my own state,
 my own experience in that moment. That was his technique.
He would talk endlessly about the Self until you suddenly realized directly, "Yes, this is what I am right now."

David GodmanのHPからニサルガダッタ・マハラジに関する記述です。

118:神も仏も名無しさん
09/07/18 17:19:18 jjeTv8zj
URLリンク(www.davidgodman.org)

David Godmanのニサルガダッタ・マハラジについてのインタビューです。
上の英語の貼り付けは、ラマナ・マハリシについてのインタビューのときの一部です。

119:神も仏も名無しさん
09/07/18 17:43:02 ps3v6vNk
>>117 ありがとう!(アク禁中で携帯からごめん)
「恩寵の扉が開くまで」(フーマンとの対話)の
URLリンク(www.leela.jp)
中のアドバイタ批判が不安だったので、とても勇気付けられました!

120:神も仏も名無しさん
09/07/18 21:17:43 jjeTv8zj
≫119

アク禁ってどうしてなるんですか?

アドバイタ批判の内容はどんな感じですか。

121:神も仏も名無しさん
09/07/18 23:56:32 8txKd/fK
>はかない慌てん坊さんが真我であることなど無いということですよ。
>つまり、真我なんかどこにもないということです。

最初の文は同意するが、そこから「つまり」以降は飛躍しすぎでは?

縁によって形成されたすべてのものには自性がないから無我。
お釈迦さんはそこで止め、ヒンドゥは後を続ける。
では、その縁、形成が起こる全体はどうだろう?
全体には他がないから自ずから存在し、自性があるだろ。

122:神も仏も名無しさん
09/07/20 07:30:30 aGFCzXMO
Maharaj very rarely spoke about his life, and he didn't encourage questions about it.
I think he saw himself as a kind of doctor who diagnosed and treated the perceived spiritual ailments of the people who came to him for advice.
His medicine was his presence and his powerful words.
Anecdotes from his past were not part of the prescription.
Nor did he seem interested in telling stories about anything or anyone else.

マハラジはほとんど稀にしか彼の人生について語りませんでしたし、それについて質問することも勧めませんでした。
私が思うには、マハラジは自分自身を、アドヴァイスを求めにきた人々のスピリチュアルな疾患を診断し、治療する一種の医者と考えていたようです。
彼の薬とは、彼の存在と力強いことばでした。
過去の逸話は処方薬の一部ではありませんでした。
また彼は他のことや他の人についての話をすることにも興味がないように見えました。

インタビューの訳。ぼちぼちやっていくかも。

123:神も仏も名無しさん
09/07/20 22:16:29 VWd3RmWd
この本を読めるだけでも、その人は結構レベル高いと思う。
内容は般若心経と同じだよね。

124:119
09/07/23 02:25:43 nBC+6K8U
>>120
>アク禁ってどうしてなるんですか?

複数板を無意味レス連投で荒らす人を締め出すため、2ch運営が該当プロバイダや
地域単位で書込みを禁止する。たまたま同範囲の接続を使う無関係な人々も、皆
巻き添えを喰らって規制される(読むだけはできる)。
特に全鯖規制の時は2chのどこにも書けなくなるので大迷惑。

プロバイダが該当者に警告メールなどで対応完了すると規制解除されるが、
普通は数日から数週間を要する。その間やむを得ずどうしても急ぎレスしたい時、
自分は入力に不慣れな携帯を使うので大変。


125:119
09/07/23 02:35:43 nBC+6K8U
>>120
>アドバイタ批判の内容はどんな感じですか。

本流のマハリシやパパジと違って、安易な悟りの誤解や浅薄なサットサング(対話集会)等の
流行現象を、アドヴァイタ・ムーヴメントとして、天野キヨタカ氏は危惧してます。
フーマン・エマミ師もアドヴァイタを、‘純粋意識があなたの本性だ’と説くだけの
ものとして批判しているようです。詳しくはリンク先(修善寺のリーラスペース)を参照。

これを見て自分は、ニサルガダッタ・マハラジがはたして
本物の覚者なのか亜流的な偽者なのか、という点が不安になったのですが
デヴィッド・ゴッドマン氏のインタビューを読んで、やはり本物なんだと安堵しました。


126:神も仏も名無しさん
09/07/23 03:16:37 nBC+6K8U
ニサルガダッタ・マハラジの唯一の自著の全文(英語)を見つけた
「Self Knowledge and Self Realisation」(1963)
URLリンク(www.inner-quest.org)

マラティ語「Atmagnyana and Paramatmayoga」から、ボンベイの Elphinstone大学
Vasudeo Madhav Kulkarni 教授が英訳して、Jean Dunn 女史が編集
しかし彼女の関係者など、わずか数十部しか配られなかったそうなので、稀少かも?

読んでみると dhyana (meditation:瞑想) だけでなく bhakti (devotion:献身)の
話題が多い。ラマナ・マハルシの「あるがままに」の用語を借りるなら、Self-Enquiry
だけでなく、神への Unconditional Surrender (無条件降伏?)も重視してます。
このニサルガ自身の著書は、後年の「I AM THAT」の対話内容と、かなり雰囲気が
違う感じなので、少し戸惑いました。


127:126
09/07/23 03:42:04 nBC+6K8U
上掲のニサルガ自著の中の「第6章. THE LILA OF GOD (神の戯れ)」で、
なぜ我々は現世の様々な出来事をムリヤリ体験しなければならないかについて

If the purpose of all this be inquired into, we get different accounts from
 different people. Some claim it is because of the actions of millions of
 previous lives, but nobody has the direct experience of these past lives;
 it is obvious that this is fiction.

という文がでてくるんだけど、つまり「輪廻転生はフィクション」てことかな?
ニサルガダッタが輪廻説を明確に否定する側だとすると、自分としてはかなり焦る。
輪廻に基づく「神との対話」や「神の使者」etc. それどころか、他のヒンドゥ教義や
仏教一般のカルマ/輪廻論が、全部否定されることになってしまう orz

上の英文について、自分の読み方がおかしいだけかもしれないけど


128:神も仏も名無しさん
09/07/24 23:03:23 9rXBclzz
>>127
マハラジやラマナ、プンジャジは輪廻転生をあるけれどもないとしています。
というのは最終的に自分が自我でも肉体でもなく真我であるとわかったときに
世界はただひとつの真我でしかなく、そこに生も死も輪廻転生もありません。

ラマナは「無知が存在する限り輪廻転生は存在する。昔も今もこれからも輪廻転生は存在しない」と明言しています。
この場合の無知とは「私は体である、世界は実在している」という錯覚をさします。

ところが真我を実現する前には、神々が実在するのと同様に輪廻転生は実在します。
つまり真我を実現してやっと輪廻転生などはなかったと解るのですが、真我を実現する前にはそれは厳然として存在しているのです。
ですが輪廻転生とカルマの理論は、宿命論的怠惰と弱者に対する無慈悲につながりやすいものです。
インドでは奴隷階級に生まれたものが社会的反抗を起こさせないために、カルマと輪廻の理論が悪用されています。

ですから魂が学ぶために何度もやり直していることは確かですがそれを他者に公言することは避けたほうが良いかと思います。
詳しくはポール・ブラントンの「真の自己責任と自己実現の教えとしての新カルマ論 」をお読みください

129:127
09/07/25 03:52:50 8IjBePvi
>>128
わかりやすく丁寧に解説して頂いてありがとうございます。
根深い階級・職業差別(ヴァルナ・ジャーティ制)の問題と
輪廻論の関係も、ついうっかり忘れがちな点ですね。
真我実現前の無知な段階でのみ輪廻が存在してる、という
教えをもっとよく考えてみることにします。

What Is Karma Paul Brunton  でGoogle検索したら、このスレの >>99 もヒット。
既にちゃんと紹介してもらってたのに、見逃しててすみません orz

130:神も仏も名無しさん
09/07/27 10:14:41 jh6IjBKG
>>125

天野キヨタカさん、フーマン・エマミ師 初めて名を聞く人でした。いろいろな方がいらっしゃるんですね。
彼らはどんな内容を教えているか気になるところです。


55 Therefore, one who talks advaita without actual experience of that truth is just the same as a dvaitin [a dualist].
Neither speech nor mind has any access to that supreme state.
He that abides in that state has no doctrine whatever.

56 Those who think of themselves as advaitins say [from intellectual conviction alone] that the world is unreal, miserable and inert [unconscious].
Others [professing dvaitins] say otherwise.
But in the result all are alike.

ラマナ・マハリシの弟子のLakshman Sarmaが書いた詩。辛辣に感じるが、いい箴言であると思う。
頭だけの理解はダメってことですね。

131:神も仏も名無しさん
09/07/28 07:40:33 8FHVul6O
>>130
英語読めるってカッコええなぁー。

132:神も仏も名無しさん
09/07/28 08:03:24 eVMWSSi6
なんだよ、英語だったのかよ。
頭だけの理解に自信あり。

133:神も仏も名無しさん
09/07/28 18:01:51 M/GCCt5v
>>128
それは仏教で言うところの勝義諦と世俗諦の話であって、どちらも真理には違いないということでしょ。

そのうち勝義諦についてなぜアドヴァイタの人は真の我が有るという言い方をするんだ?
実際は無我のほうがよほど表現的には正しいと思うのだけど。
同じことを言ってるのだとしても、表現の厳密さにはこだわったほうがいい。

134:神も仏も名無しさん
09/07/28 18:05:19 MBj+xVkv
涅槃の境地が有るという言い方も厳密にはおかしいのかもしれんが。完全無我の境地が有ると言ってるわけだからね。

135:神も仏も名無しさん
09/07/28 18:39:51 hX2ekBqd
>>131 賛辞へのお礼。

55  それゆえに、真理の実際の経験なしに不二論を語るひとは、単に二元論者と同じである。
    言葉も、こころも、至高の状態には何のかかわりもない。
    その状態に住まう人は、いかなる教義も保持していない。

56 (単に知的な理解だけから)みずからを不二論者とみなす人は、世界を非現実のもので、
    みじめで、生命のない(意識のない)ものという。
    他の人(二元論を信じて)は別のように言う。
    しかし結局みんな似たようなものである。

136:神も仏も名無しさん
09/07/28 18:50:37 8EWGSIn3
>>135の55を>>133はよく噛み締めてみることだな。

137:神も仏も名無しさん
09/07/28 21:08:19 o5gu8nIR
>>133
ここはニサルガダッタ・マハラジのスレだということはわかってる?
上座部の知識をひけらかしたいのなら、相応のスレでどうぞ。
君は情報としての知識しか持ち合わせていないから、
どのスレに行っても相手にされないとは思うけどね。


138:神も仏も名無しさん
09/07/28 21:35:24 KLKDyNU+
>>137
あの究極の無を実際に見れば、誰でもわかるんだよ。正しくは見るわけではない。あれは無そのものだからな。
全てはあれから生まれ、あれに戻る。あるともないとも言えない。あると言えば真我だし、ないと言えば無我になる。
だがそこになにか確固としたものがあるというのはやはり間違いなんだ。言葉ではこれ以上表現出来ない。
どんな手段を使っても偶然でもなんでもいいから一度体験すればわかる。真我があって欲しいというのはやはり人間の欲望でしかないんだ。

128の内容はまさにその通りなんだが、表現が問題だと言ってるだけだ。
真我があるという表現が、何か永遠のものが欲しいという人間の存在欲求を満たしてしまうんだよ。
逆に何もない、完全な無という結論は人を恐怖に陥れる。だがそちらのほうが真実に近いのだからしょうがない。

マハリシも悟りの二段階説を唱えてるという話があるが、それは正しい。

139:神も仏も名無しさん
09/07/28 21:38:23 KLKDyNU+
×マハリシ
○マハラジ

140:神も仏も名無しさん
09/07/28 21:46:38 iGrUT7jx
真我という表現が悪いんだよ。真理とか法則とかのほうがよほど適切だ。

真我があるという結論に安住してしまうことこそが悟りの最大の障壁だ。
ひどい言い方をすれば涅槃も悟りもない。解脱もない。だがそれはあるレベルでは確かにある。あるといえばある。ないといえばない。
すべてはレベルとものの見方の問題で、しかもそれはあるものに完全に包括されている。円環を描いているともいえるが、その円環も実はない。
解脱しもう二度とこの世に生まれないシャカムニ仏陀でさえその現象の一部でしかない。

141:神も仏も名無しさん
09/07/28 22:10:03 ymrdnpam
真我か無我かなんてこと自体、実はどうでもいい。表現がどう違おうが真理はひとつだ。
これらは全て、己自身が今こうして生きていることや死後どうなるかへの不安やおそれ、恐怖にどうかたをつけ生きていくかの道具にすぎない。
真理を知り不安の無くなった人間はいくつかのことをするだけだ。

そのまま涅槃に入って死ぬ
安堵感を胸にたんたんと日々をいきる
教えを説いて回る

マハラジは二つ目と三つ目の間の子だな。

問題となるのは真理は一つなのに、それを表現する媒体としてこの不完全な三次元の肉体と言葉を使わざるを得ないことだ。
そのまま死んだらどうでもいいんだが、なんでもいいから表現しようとすると真我か無我かというようなややこしいことになってしまう。

分かってる者同士ならなにが言いたいか分かるが、分からない者にどう表現すれば伝わりやすいかについてはどうしても意見が分かれる。同じ物を見、体験したって表現は変わるだろ?

アドヴァイタが言ってることは正しいよ。たがその表現は俺からすれば誤解を多く招きかねないものとしかおもえない。

142:神も仏も名無しさん
09/07/28 22:10:55 8EWGSIn3
>>138-140
だ。か。ら。
そういう本の受け売りをしたいのなら上座部のスレでどうぞって言われてるのがわからないのか?w

143:神も仏も名無しさん
09/07/28 22:23:57 8EWGSIn3
>>141
で? どうして欲しいんだ?w お前の自己顕示欲を満足させられればそれでいいのか?

144:神も仏も名無しさん
09/07/28 22:36:43 uf2yQzRc
>>142
上座部がどうしたとかそんな低レベルな話はどうでもいい。俺は真理の話をしてる。

仏陀でさえその中の一部でしかないなんて上座部で言ったら大変なことになるよ。

145:神も仏も名無しさん
09/07/28 22:38:46 hX2ekBqd
世の中には変わった方がいるみたいですね。おめでたいというか、なんというか。

人並み程度の謙虚さもないのに、なぜ真理を説けるのだろう。自己欺瞞に気づかないのかな。

146:神も仏も名無しさん
09/07/28 22:53:26 8EWGSIn3
>>144
あのね、日本語わかる?
ここはニサルガダッタについて語るスレなの。わかるかな?
お前の受け売りの知識を書き込んで自己顕示欲を満たすためのスレじゃないんだよw
何か主張したいことがあるんなら自分でブログでもつくってそこで勝手にオナニーしてろ、馬鹿が。

147:神も仏も名無しさん
09/07/28 23:08:59 BDV75fUo
>>146
もうちょっと丁寧に言わないと通じないと思うよ。

148:神も仏も名無しさん
09/07/29 08:24:14 piPU/wYs
>>146
受け売りの知識と体験から出た言葉の違いも読み取れないとは可哀想に。
あんたがなんの体験も無いのがよく分かるよ。
マハラジの体験が否定されたわけでもなんでもなくその表現に再検討を問う書き込みが続いただけなのに、マハラジが否定されたように感じてしまったんだね。

149:神も仏も名無しさん
09/07/29 11:55:49 hGMV7yDp
う~ん。ここはインドな香りがするスレだな…ビートルズって何しにインド行ったんだか?わけわかんねえ。

150:神も仏も名無しさん
09/07/29 12:28:05 ThlsiZH4
マハラジってインド人だし

151:神も仏も名無しさん
09/07/29 18:59:17 hXa5gQgz
>>148
あなたが上座部仏教を信奉しているからと言って、
上座部とは何の関係もないスレに突然やってきて、
言葉の使い方がおかしい、俺様の言うとおりに変えろ、
というほうがよっぽどおかしいでしょう。
その程度なんですか、上座部というのは。

152:神も仏も名無しさん
09/07/29 19:10:12 VTPF1UQX
まあ何ですな。
りんごのことをアップルと言ってもいいし、水のことをウオーターと言ってもいいし。
名前が変わると味が変わるなんてこともないわけです。

真我でも無我でも神でも道でも無でも般若波羅蜜多でも、全部同じものですし。
また日本人のいう真我とインド人の言うプルシャやアートマンも微妙にニュアンスが違うでしょうし。
これまた同じ日本人でも各人微妙に考えている定義が違うでしょうし。

「プティングの味は食べてから語りましょう」と秘められたインドで言ってましたし
真我実現するまではその内容や定義について語るのは避けたほうがいいでしょう。

153:神も仏も名無しさん
09/07/29 19:29:34 hXa5gQgz
俺様はすごい体験をしたんだ、俺様は真理を知っているんだ、
というその俺様っていったい何なのかってことですね。

無我どころかバリバリのエゴそのものじゃないですか。

笑止千万ですね。

154:神も仏も名無しさん
09/07/29 20:01:45 areJzLsK
俺様なんてのはただの道具だよ。プディングやアップルを食べるためのな。

食べもせず本で他人の言うこと読んで、それで真我があると思い込めるのだから幸せなものだ。
その思い込みにケチつけられたからと言って気分を害する前にまず自分で食べたらどうだ?そうしたら俺の言ってることが分かるだろう。

エゴがあるように見えるのもあるレベルでは真理だが別のレベルでは妄想になる。俺の書き込みにエゴしか見えないのはそういうフィルターがあんたにかかってるからに過ぎない。

この三次元世界で全てが光の粒子だったら生活出来ないだろ。ラーマクリシュナがいつもサマーディにい続けたらそのまま死ぬだけだ。
三次元世界で生きるというのは肉体にしろ精神にしろ他者との分離、エゴという幻想をまとうということなんだよ。ニームカロリババの一見わがままに見える所業にもそういうあるレベルの真理を理解させる意味がある。

155:神も仏も名無しさん
09/07/29 20:25:08 hXa5gQgz
本で他人の言うこと読んで、それで真我があると思い込んでいる、
というのもあなたにそういうフィルターがかかっているからでしょうw

それであなたはどうして欲しい?

凄い凄い! あなたの言うとおりです、ニサルガダッタの本なんか捨ててあなたについていきます!
と言って貰えれば満足ですか?

156:神も仏も名無しさん
09/07/29 20:27:36 hXa5gQgz
テーラワーダスレで相手にされないものだから、
ここなら相手にされると思っていましたか?

宛てが外れて残念でしたね。

157:神も仏も名無しさん
09/07/29 20:32:45 OAZl85ju
>>155
誰かについてきて欲しいなら匿名でなんか書かないよw

158:神も仏も名無しさん
09/07/30 08:03:30 V70SKsrO
>>156
最初からスルーしてあげればいいのに、相手にしてあげてるじゃん。

159:神も仏も名無しさん
09/07/31 20:28:17 L7OgrOtq
29 For every creature there are three states: waking, dream and deep sleep.
   Sustaining these three there is another sleep, the sleep of ignorance.

  すべての生物にとって3つの状態がある。起きている状態、夢見ている状態、深い眠りの状態。
  これら3つを支えている別の眠りがある。知らないこと(無知)という眠りである。

  Sri Ramana Paravidyopanishadより
  

160:神も仏も名無しさん
09/07/31 20:48:05 L7OgrOtq
33 Those that are overwhelmed by this sleep of ignorance are the seers of this bad dream, the world.
  And so long as this ignorance does not cease by the right awareness of the real Self, the souls have to wander in this maze of the three states.

 知らないこと(無知)という眠りにより制圧されている人々は、世界というこの悪い夢を見る人である。
 真実の自己という正しい自覚により、この知らないこと(無知)がやまない限り、人々は3つの状態という迷路のなかをさまよわなければならない。

 Sri Ramana Paravidyopanishadより


161:神も仏も名無しさん
09/07/31 20:57:15 L7OgrOtq
34 Thus, every creature is asleep: none in this world of souls is awake.
  Only the sage, who, being firmly established in the fourth state, having transcended the three states, and who is free from ignorance, is awake.

 それゆえに、すべての生物は眠っている。世界中の人々のうち誰も目覚めていない。
 唯一、聖者だけが、第4の状態にしっかりと打ち立てられ、3つの状態を超越し、知らないことから自由であり、目覚めている。

  Sri Ramana Paravidyopanishadより


162:神も仏も名無しさん
09/07/31 21:18:36 L7OgrOtq
60 Since the sage has no creed of his own, he never engages in [useless] discussions.
  All creeds are approved by him.
  He does not [seek to] unsettle the faith of anyone.

 聖者は自分自身の信条を持っていないため、彼は決して無意味な議論に従事しない。
 すべての信条は彼に受け入れられる。
 彼は誰の信仰も動揺させることがない。

 Sri Ramana Paravidyopanishadより

163:神も仏も名無しさん
09/07/31 21:29:31 L7OgrOtq
61  Therefore, the aspirant should, with a mind at peace, cease from hatred of other faiths and from all disputation,
   and engage in sadhana as taught by his own faith, intent on winning deliverance.

  それゆえ、信仰者は、平和な心で、他の信仰への敵対心とすべての論争から退き、
  自身の信仰に教えられたように修練に取り組むのがよい。解放を勝ち取ることを意図して。

  Sri Ramana Paravidyopanishadより

164:神も仏も名無しさん
09/08/01 08:08:53 dBwqwW1R
悟ろうが、悟るまいがどうでも良い事だ。きみたちが成さねばならぬただひとつの事…それは「他者救済」だ。ギャーナやバクティなど今は語っている場合ではない。すべて捨てよう…すべて捨てよ!

165:神も仏も名無しさん
09/08/01 08:19:26 7b37UnNj
81 There will be no end to doubt until one gets established in the supreme state.
Only in that state is there an end of all doubts, due to the extinction of the doubter, [the ego].

至高の状態に確立するまで、疑うことには終わりがないだろう。
  その状態においてのみ、疑う者(エゴ)の消滅による、すべての疑いの終わりがある。

  Sri Ramana Paravidyopanishadより


166:神も仏も名無しさん
09/08/01 08:20:03 dBwqwW1R
サマーディに没入する者たちなど「今は」放っておけばよい。役にも立たない連中だ。年間自殺者三万人、果てなきデフレ・スパイラル、失業率激化…まずこれらを救う宗教以外信じない!たった一個のおにぎりが食べる事もできず飢え死させるような人格を信じない!

167:神も仏も名無しさん
09/08/01 08:24:03 dBwqwW1R
なに?ブッダ?そんな過去の遺物にいつまで捕われているのかね?彼があたかもきみたちより偉大であったかのように…拳を握り、天に唾し、「我はそれなり」と宣言しろ!それがヴェーダーンタ流だ

168:神も仏も名無しさん
09/08/01 08:34:02 7b37UnNj
91  As the dream world is known to be unreal for the reason that it vanishes upon waking,
  so this waking world is also proved to be unreal by its vanishing in the light of the real Self.

  夢の世界が、目覚めるときに消えることにより、非現実のものであることがわかるように、
  起きている時の世界もまた、真実の自己の光の中で消えることにより、非現実のものであると証明される。

  Sri Ramana Paravidyopanishadより



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