09/09/21 20:58:07 uYK6rIt8
>>670
改竄は>>657に対してのもの。 改竄があったとは主張していません。 流れを読んでネ。
学者云々を持ち出すのであれば、サンスクリット原典から鳩摩羅什による漢訳の段階、
そして和訳の段階で、誤訳があったとの説はありますよ。 一例を↓に。
『法華経』を代表するサダーパリブータ菩薩の名前を、竺法護(Dharmaraks,a)が286年に
「常被軽慢」(常に軽慢される)と漢訳し、鳩摩羅什 (kuma-raji-va)が406年に「常不軽」(常に軽んじない)と訳したが、
その意味することは、<肯定と否定><受動と能動>の全く相反する漢訳になっている。
このような意味の隔たりが、放置されてきた。
例えば、鳩摩羅什が「妙音」(最も勝れた声)と漢訳した「ガドガダ・スヴァラ」(gadgada-svara)は、
「どもった声」と説明されてきた。「スヴァラ」が「音」「声」を、「ガドガダ」が擬声音にちなむ語で
「吃音」を意味しているというのだ。