09/09/03 00:52:25 aqN5m6of
>>529 >これによれば、汝は昭和四十年当時に正本堂建設委員会での御説法を拝した時点で、正本堂を御遺命の戒壇と認識していたわけだ。
ここで言ってる“汝”ってのが誰のことを指してるのか不明だが、浅井先生は一度も正本堂を御遺命の戒壇と認めたことはないぞ。
誑惑が発覚する前までは「広宣流布まで御本尊様を安置し奉る奉安殿」と思っていたから、会員にも呼びかけて正本堂建設の御供養にも参加
しようとしたわけだ。しかし宗務院は妙信講からの御供養金を受け取るのを(初めは)拒否した。
ここで俺が長年疑問に思い続けているのが、誑惑がハッキリした後に宗務院が「受け取る」と言ったからって御供養を何故渡してしまった
のか、ということ。 謗法の建物建設に資金援助したら罪障を積むと思うんだがな。最初、宗務院が受け取らなかったのは妙信講員に罪障を
積ませない為の御守護だったと考えられないだろうか? だから誑惑が判明したんだったら、集めたお金を講員に返すのがベストだったと俺
は考えるんだが、違うかな? このスレを見てる顕正会幹部の人達の考えを教えて下さい。
「この御供養はもともと総本山に供養申し上げるべく集めたものであるから、その取り次ぎを早瀬総監に託した。納むべきは納め、諌むべき
は徹底して諌めんとの意であった。」(顕正会『試練と忍従』の歴史 82ページ)