09/06/18 01:08:14 zgncxmJo
>>916
>少なくとも生物学は、人間の自由意志などという領域にはコミットしていませんが。
コミットしない訳にはいかないでしょう?
人間を含めた生物の行動を研究し続ければ、結局行き着く先に自由意志はあるか否かという問題に嫌でも関係してきます。
>生物としてヒトを見た場合に、どういう理解ができるのか、という話で、
>そういう意味で進化論(生物学の理論)は、人がどう生きるべきかなどという話には
>ノータッチです。
進化論的生物学内でノータッチにできたとしても、研究者は一人の人間としてそれを表明する義務があります。
つまりセットにして出さざるをえないはずです。
例えば人間を殺してはいけないのなら、人間と同じ生物であるはず、他の種の生物はどう扱えばよいのか?
生物学者は、人間と動物の境を曖昧にした以上、言いっぱなしは倫理的に不誠実です。
どこまでは殺して利用してよいのか、そしてどこからは人間に準じた権利を認めるべきなのかという問いも、その一つです。
進化論によれば、人間と猿との間にあるギャップは偶然にすぎず、人間とチンパンジー間の連続的中間種が状況によってはいてもおかしくなかったと言います。
また仮に中絶を認めるのなら、受精卵と人間との間に境界をどこにするのかも表明すべきです。
生物学的には人間も細胞の集まりにすぎない以上、どこからを殺人とすべきかという問題は、相対化して放置されたままです。