09/05/02 10:29:04 7Xcuo5rs BE:1154194439-PLT(13230)
引用の経文では、「執着して」という言葉が強調的に語られているが、従って覚
の為には全く不要の語である。即ち既に「これ」も無く、「我」も無いのである
から、どうして無に執着することがあるだろうか。唯衆生が妄して「これは我が
ものである」と執着するのみである。もし仏眼に基づいてこれを言うならば、
即ち「衆生は無に執着する」と述べられる。
これに対して、仏は無に執着しないが故に、衆生が堕ちる魔界から解脱するこ
とを得る。ここを諭さんが為に、この仏法は述べられているのである
これ」も無く、「我」も無い・・
とすれば・・・執着もないことになるな・・・